20 / 23
見てはいけない
しおりを挟む
「泣くな。なぜそんなことをした?お前はいったい何を見た?」と矢継ぎ早に質問すると、ヒナタはブルブルと首を横に振った。
「……アオイに何かしたか?」
「……心を覗くために、ほんの少し眠らせた」
本当に、それ以外は何もしていない、とオロオロしているヒナタを居間に座らせ、「ここにいろ」と伝えてから、奥の部屋で横になっているアオイの様子をすぐに覗きにいった。
ヒナタがかけたおまじないのせいで、しばらくの間、目を覚ましそうにない程、アオイはぐっすりとよく眠っている。
顔に涙の痕が無いか、アオイの匂いが変わっていないかだけ確認してから、額をそっと撫でた。
ヒナタの言うことを信用していなかったわけではないが、わざわざおまじないを使って心の中を覗かれたと聞かされていたせいで、そうせずにはいられなかった。
「お前が出ていった後すぐに……アオイが鶏小屋の掃除を手伝って欲しいと言うから、二人で庭に出たんだ。
アオイは……一生懸命やるけど、掃除が下手でニワトリには完全に舐められていて……。
俺はアオイがニワトリにぐるぐる追いかけられてるのを見て、思わず笑ってしまったよ」
……その光景なら俺も何度か目にしている。
「ニワトリなんて触ったことない。なんだかずっと叫んでいて怖い」と怯えるアオイのことを、鶏達は一瞬で「格下」と判断し、エサの交換や小屋の掃除のたびに、奇声をあげて羽根を広げ威嚇した。
「怖いっ!怖い怖い!いやだっ!なんで、みんなホタルの前だとおとなしくなるのに、俺には攻撃してくるんだろう!?」
「……そりゃあ、しょっちゅう目の前で仲間が絞め殺されてるのを見てればね……。そうなるさ」
「そんな……絞め殺さないうちは、ずうっと追いかけ回されるの……?」
ニワトリが苦手なら手伝わなくてもいい、と何度言ってもアオイは「俺は卵が好きだから」とよくわからないことを言っては、鶏小屋まで着いてきて鶏につつかれないよう逃げ回っていた。
こわごわ卵を拾うアオイのとろくささに「なにをノロノロやってる?」と呆れながらも、ニワトリにすら遊ばれて「助けて」ときゃあきゃあ騒ぐ姿に、なんて可愛いんだろう、と思わず顔を綻ばせてしまったこともある。
「…鶏小屋の掃除が終わった後は、おやつにゆで卵を作って一緒に食べて……それから、勉強していたらさ、アオイが妙なことを言い出したんだよ。
「ヒナタって、俺の記憶を消すことって出来る?俺のここへ来る前の記憶を全部消して欲しい」って」
ヒナタは不審に思いながらも、どうしてそんなことをして欲しいのか尋ねたのだと言う。
……たった15年程度しか生きていない子供が「全部消して欲しい」と頼んでくるなんて、いったいアオイはどんな記憶を抱えているのだろう。握りしめた手のひらにじっとりと嫌な汗が滲んだ。
「アオイから「ホタルがずっとここにいてもいいって言ってくれたから、前に住んでいた世界のことはみんな忘れてしまいたい。ホタルには絶対絶対内緒で俺の記憶を消して」と何度も頼まれて……。
それで、俺は嘘をついた。……すぐに消せそうかどうかは、一度調べてみないとわからない、と」
人間の記憶を消すことくらいニンゲンギツネにとっては、何も難しいことでは無い。
「消して欲しい」という程の記憶と、それにまつわるアオイの感情を読み取るために、アオイの心の中を覗こうと考えたのだと詳しく説明されなくても、俺にはわかった。
……もし頼まれていたのが俺だったとしても、きっとヒナタと同じことをしていただろう。
「それで……、それで、アオイを眠らせて、駄目だってわかっていたけど……、アオイの何もかもを覗いてしまった」
アオイの心の中は「ビックリするくらい単純だった」とヒナタは言う。
とても、15歳の人間の心の中とは思えない、本当になんにも無いんだ、と思い出すのも辛いのか、話しているヒナタの声はずいぶん苦しそうだった。
「学校には通っていない」「ずっと家にいた」とアオイが言っていたことと、心の中に何も無いことは関係しているに違いなかった。
「本当に単純で……。心に残っていたことは全部最近の出来事ばっかりだった。
一番楽しかったことはホタルと山を探検したこと。
一番勇気を出したのは、ホタルに付いていきたいと伝えた日。
一番美味しかったものは、ホタルと食べた赤いきつね……。
一番嬉しかったことはホタルから「奥さんは来ない。ずっとここにいてもいい」と言われたこと……」
全部、お前とのことばっかりで、俺はてっきりお前が変な術をやっぱりアオイにかけていたんじゃないかって疑ったぞ、とヒナタは苦笑いを浮かべた。
「……アオイの心の一番目立つところにあったのは「ホタルが大好き」という気持ちだったよ……。
どうして恋心を大切に隠したりしないんだろう、と不思議に思ったけど、きっといつでも取り出して、何度も確かめては幸せな気持ちになりたいから、そうしていたんだろうな……」
ここまでで、やめておけばよかったのにな、とヒナタが震える声で呟いたのに、黙って頷き返した。なぜだろう。
アオイの自分に対する思いを聞いて、本当なら嬉しいはずなのに、不吉な予感がしてなぜか常に胸がざわついている。
明るくて可愛らしい思いの裏に、元々住んでいた世界を飛び出してきてしまうほどの過去をアオイは抱えている。
「ホタルが大好き」というアオイからの好意に、べったりと暗い記憶がこびりついているような気がして、ヒナタの話の続きを聞くことが、恐ろしいとすら感じられた。
「……アオイの心の奥に何重にも鍵をかけて隠されている、子供の頃の記憶があった。
きっとここに、俺が知りたいと思っていることが仕舞ってある、そんな気がして、ちょっと手間取ったけど……、俺はそれを取り出して、一つ残らず見た。
……吐き気がした。べつに両親から暴力を奮われていたとかそういうわけじゃない……。
けれど、アオイは本当に、「ただいるだけの子供」だった。
なあ、ホタル。人間っていろいろな事や物に丁寧に名前をつけるだろ?雨や雲にだっていちいち名前をつけて種類分けするよな?アオイみたいな子供にも名前はついているんだろうか……」
ヒナタはあまり詳しくは話したがらなかった。
それでも、「いいから言え」と無理やり口を開かせて、6歳の頃3日間一人で留守番をしていたアオイが調味料と梅干で飢えをしのいでいたこと。
母親の「お友達」が家に来る時は外に出される日があったこと。
7歳からの1年間は祖母に預けられていたものの、祖母の「お友達」がアオイを嫌がって、結局は母親の元に戻されたことを聞き出した。
「……家に入って来た時、妙な臭いがしただろ?なるべくアオイの心の中のことに手をつけたくはなかったが……。
あれはな……余りにも許せない事を見つけたから、俺が取り出して焼き払ってやったんだよ。
え?どんな記憶かって?……9歳のアオイとやたら一緒に風呂に入りたがる母親の「お友達」との記憶だよ。
アオイはソイツのことを「この人がお父さんになってくれたらいいのにな」と感じていて、好感をもっていたようだけど……。
……もう、15だし、そのうちいろいろわかってきたら、きっと傷つくだろ……」
……心を覗き見る、勝手に記憶とその時の感じたことを取り出して消し去る。「絶対にやるな」と言われているニンゲンギツネのタブーをヒナタは二つも犯してしまっている。
それでも俺はヒナタを責めたり咎めたりする気にはならなかった。
きっと同じことを俺もしていた。それどころか、怒りのあまり冷静さを失って、アオイの母親を殺しに行っていたかもしれない。
「アオイはここでどれだけの時間を過ごそうとニンゲンギツネにはなれない。もう15だ。あっという間に大きくなってしまう。
今、人間の世界でちゃんと人間の子供らしい生活をさせなかったら、一生何も知らない中途半端な人間として生きていくんだぞ。
ホタル、お前にそれが耐えられるか……?
俺は耐えられない……。だから、だから、お前と無理やり引き離してでも、俺はアオイの身体が綺麗なうちに元の世界に帰してやりたかったのに……!」
ヒナタが大きな目からボロボロと涙を流して、頭を掻きむしった。
……一度ニンゲンギツネと交わった人間の中には、その経験が忘れられず、何をしてもボンヤリしたまま生きていく者が稀にいると言う。
その話を耳にした時は「そんなに良かったのかね」と他のニンゲンギツネ達と俺も笑っていたが、今は、アオイがそんなふうになってしまうことを想像したくもなかった。
ヒナタは、アオイの中から狐の里での記憶を全て消して、元の世界で普通の人間として生活させてやりたかったのだと、涙声で話した。
……書類をいくつも偽造して、人のよさそうな夫婦にほんの少しだけ術を使ってアオイの親代わりになって貰うんだ。
アオイにもその両親にもいくつか嘘の思い出を作ってやれば、きっと上手くいく、と言うヒナタに頷き返すことも出来ず、ただ俺はじっと話を聞いていた。油断したら、目に薄く張った涙の膜が破れてしまいそうだった。
「想像してみろ。今より大きくなったアオイが学校の制服を着て、同じ年頃の友達と歩いていて……すれ違ったとして、俺にもお前にも気が付かずに普通の人間の子供として生活しているところをさ……。う、ううっ……」
「……ヒナタ、お前は本当にバカだな。
アオイに気が付かれないことを想像して泣くくらいなら、そんなこと考えなきゃいいのに……」
「……うるさいなあ!」
ヒナタはゴシゴシと目を擦った後、俺の顔を見て、さっきまで自分の言っていたことを否定するかのように目を閉じて、首を横に振った。
「……ホタル、俺はずっとそうするべきだと思っていた。
……でも、でもな、お前の記憶を消してしまったら、アオイの中には何にも残らなくなってしまう。
いつでも取り出せるようにしている大事な記憶を消されて、嘘の家族と生きていくことがアオイにとって本当に幸せなんだろうかって、俺はもうわからなくなってしまった……」
その後、ヒナタは「アオイの辛い記憶なんて、見なければ良かった」と声をあげて泣いた。
気持ちが昂って狐の姿に戻ってしまったヒナタを俺は抱きしめながら、慰め続けた。
「お前に大変なことを任せっきりにしてしまって悪かったよ……。
……俺はアオイが何よりも大切だから、元の世界には帰したくない。
アオイはもう15だ。自分のことは自分で決められるさ。アオイが自分で決めたことで、また何か困ったり迷ったりしている時は、その時はお前が助けてやって欲しい。頼むよ……」
……この時、俺はヒナタから聞いたアオイの記憶を辿るために人間の世界へ行こうと決心していた。
俺はアオイの母親のことも、アオイが住んでいた家のことも、何もかもを甘く考えていたのかもしれない。
だから、「アオイを絶対渡したくない、二度とここには帰さない」という意地だけで無茶をして身も心もボロボロになってしまった。
「……アオイに何かしたか?」
「……心を覗くために、ほんの少し眠らせた」
本当に、それ以外は何もしていない、とオロオロしているヒナタを居間に座らせ、「ここにいろ」と伝えてから、奥の部屋で横になっているアオイの様子をすぐに覗きにいった。
ヒナタがかけたおまじないのせいで、しばらくの間、目を覚ましそうにない程、アオイはぐっすりとよく眠っている。
顔に涙の痕が無いか、アオイの匂いが変わっていないかだけ確認してから、額をそっと撫でた。
ヒナタの言うことを信用していなかったわけではないが、わざわざおまじないを使って心の中を覗かれたと聞かされていたせいで、そうせずにはいられなかった。
「お前が出ていった後すぐに……アオイが鶏小屋の掃除を手伝って欲しいと言うから、二人で庭に出たんだ。
アオイは……一生懸命やるけど、掃除が下手でニワトリには完全に舐められていて……。
俺はアオイがニワトリにぐるぐる追いかけられてるのを見て、思わず笑ってしまったよ」
……その光景なら俺も何度か目にしている。
「ニワトリなんて触ったことない。なんだかずっと叫んでいて怖い」と怯えるアオイのことを、鶏達は一瞬で「格下」と判断し、エサの交換や小屋の掃除のたびに、奇声をあげて羽根を広げ威嚇した。
「怖いっ!怖い怖い!いやだっ!なんで、みんなホタルの前だとおとなしくなるのに、俺には攻撃してくるんだろう!?」
「……そりゃあ、しょっちゅう目の前で仲間が絞め殺されてるのを見てればね……。そうなるさ」
「そんな……絞め殺さないうちは、ずうっと追いかけ回されるの……?」
ニワトリが苦手なら手伝わなくてもいい、と何度言ってもアオイは「俺は卵が好きだから」とよくわからないことを言っては、鶏小屋まで着いてきて鶏につつかれないよう逃げ回っていた。
こわごわ卵を拾うアオイのとろくささに「なにをノロノロやってる?」と呆れながらも、ニワトリにすら遊ばれて「助けて」ときゃあきゃあ騒ぐ姿に、なんて可愛いんだろう、と思わず顔を綻ばせてしまったこともある。
「…鶏小屋の掃除が終わった後は、おやつにゆで卵を作って一緒に食べて……それから、勉強していたらさ、アオイが妙なことを言い出したんだよ。
「ヒナタって、俺の記憶を消すことって出来る?俺のここへ来る前の記憶を全部消して欲しい」って」
ヒナタは不審に思いながらも、どうしてそんなことをして欲しいのか尋ねたのだと言う。
……たった15年程度しか生きていない子供が「全部消して欲しい」と頼んでくるなんて、いったいアオイはどんな記憶を抱えているのだろう。握りしめた手のひらにじっとりと嫌な汗が滲んだ。
「アオイから「ホタルがずっとここにいてもいいって言ってくれたから、前に住んでいた世界のことはみんな忘れてしまいたい。ホタルには絶対絶対内緒で俺の記憶を消して」と何度も頼まれて……。
それで、俺は嘘をついた。……すぐに消せそうかどうかは、一度調べてみないとわからない、と」
人間の記憶を消すことくらいニンゲンギツネにとっては、何も難しいことでは無い。
「消して欲しい」という程の記憶と、それにまつわるアオイの感情を読み取るために、アオイの心の中を覗こうと考えたのだと詳しく説明されなくても、俺にはわかった。
……もし頼まれていたのが俺だったとしても、きっとヒナタと同じことをしていただろう。
「それで……、それで、アオイを眠らせて、駄目だってわかっていたけど……、アオイの何もかもを覗いてしまった」
アオイの心の中は「ビックリするくらい単純だった」とヒナタは言う。
とても、15歳の人間の心の中とは思えない、本当になんにも無いんだ、と思い出すのも辛いのか、話しているヒナタの声はずいぶん苦しそうだった。
「学校には通っていない」「ずっと家にいた」とアオイが言っていたことと、心の中に何も無いことは関係しているに違いなかった。
「本当に単純で……。心に残っていたことは全部最近の出来事ばっかりだった。
一番楽しかったことはホタルと山を探検したこと。
一番勇気を出したのは、ホタルに付いていきたいと伝えた日。
一番美味しかったものは、ホタルと食べた赤いきつね……。
一番嬉しかったことはホタルから「奥さんは来ない。ずっとここにいてもいい」と言われたこと……」
全部、お前とのことばっかりで、俺はてっきりお前が変な術をやっぱりアオイにかけていたんじゃないかって疑ったぞ、とヒナタは苦笑いを浮かべた。
「……アオイの心の一番目立つところにあったのは「ホタルが大好き」という気持ちだったよ……。
どうして恋心を大切に隠したりしないんだろう、と不思議に思ったけど、きっといつでも取り出して、何度も確かめては幸せな気持ちになりたいから、そうしていたんだろうな……」
ここまでで、やめておけばよかったのにな、とヒナタが震える声で呟いたのに、黙って頷き返した。なぜだろう。
アオイの自分に対する思いを聞いて、本当なら嬉しいはずなのに、不吉な予感がしてなぜか常に胸がざわついている。
明るくて可愛らしい思いの裏に、元々住んでいた世界を飛び出してきてしまうほどの過去をアオイは抱えている。
「ホタルが大好き」というアオイからの好意に、べったりと暗い記憶がこびりついているような気がして、ヒナタの話の続きを聞くことが、恐ろしいとすら感じられた。
「……アオイの心の奥に何重にも鍵をかけて隠されている、子供の頃の記憶があった。
きっとここに、俺が知りたいと思っていることが仕舞ってある、そんな気がして、ちょっと手間取ったけど……、俺はそれを取り出して、一つ残らず見た。
……吐き気がした。べつに両親から暴力を奮われていたとかそういうわけじゃない……。
けれど、アオイは本当に、「ただいるだけの子供」だった。
なあ、ホタル。人間っていろいろな事や物に丁寧に名前をつけるだろ?雨や雲にだっていちいち名前をつけて種類分けするよな?アオイみたいな子供にも名前はついているんだろうか……」
ヒナタはあまり詳しくは話したがらなかった。
それでも、「いいから言え」と無理やり口を開かせて、6歳の頃3日間一人で留守番をしていたアオイが調味料と梅干で飢えをしのいでいたこと。
母親の「お友達」が家に来る時は外に出される日があったこと。
7歳からの1年間は祖母に預けられていたものの、祖母の「お友達」がアオイを嫌がって、結局は母親の元に戻されたことを聞き出した。
「……家に入って来た時、妙な臭いがしただろ?なるべくアオイの心の中のことに手をつけたくはなかったが……。
あれはな……余りにも許せない事を見つけたから、俺が取り出して焼き払ってやったんだよ。
え?どんな記憶かって?……9歳のアオイとやたら一緒に風呂に入りたがる母親の「お友達」との記憶だよ。
アオイはソイツのことを「この人がお父さんになってくれたらいいのにな」と感じていて、好感をもっていたようだけど……。
……もう、15だし、そのうちいろいろわかってきたら、きっと傷つくだろ……」
……心を覗き見る、勝手に記憶とその時の感じたことを取り出して消し去る。「絶対にやるな」と言われているニンゲンギツネのタブーをヒナタは二つも犯してしまっている。
それでも俺はヒナタを責めたり咎めたりする気にはならなかった。
きっと同じことを俺もしていた。それどころか、怒りのあまり冷静さを失って、アオイの母親を殺しに行っていたかもしれない。
「アオイはここでどれだけの時間を過ごそうとニンゲンギツネにはなれない。もう15だ。あっという間に大きくなってしまう。
今、人間の世界でちゃんと人間の子供らしい生活をさせなかったら、一生何も知らない中途半端な人間として生きていくんだぞ。
ホタル、お前にそれが耐えられるか……?
俺は耐えられない……。だから、だから、お前と無理やり引き離してでも、俺はアオイの身体が綺麗なうちに元の世界に帰してやりたかったのに……!」
ヒナタが大きな目からボロボロと涙を流して、頭を掻きむしった。
……一度ニンゲンギツネと交わった人間の中には、その経験が忘れられず、何をしてもボンヤリしたまま生きていく者が稀にいると言う。
その話を耳にした時は「そんなに良かったのかね」と他のニンゲンギツネ達と俺も笑っていたが、今は、アオイがそんなふうになってしまうことを想像したくもなかった。
ヒナタは、アオイの中から狐の里での記憶を全て消して、元の世界で普通の人間として生活させてやりたかったのだと、涙声で話した。
……書類をいくつも偽造して、人のよさそうな夫婦にほんの少しだけ術を使ってアオイの親代わりになって貰うんだ。
アオイにもその両親にもいくつか嘘の思い出を作ってやれば、きっと上手くいく、と言うヒナタに頷き返すことも出来ず、ただ俺はじっと話を聞いていた。油断したら、目に薄く張った涙の膜が破れてしまいそうだった。
「想像してみろ。今より大きくなったアオイが学校の制服を着て、同じ年頃の友達と歩いていて……すれ違ったとして、俺にもお前にも気が付かずに普通の人間の子供として生活しているところをさ……。う、ううっ……」
「……ヒナタ、お前は本当にバカだな。
アオイに気が付かれないことを想像して泣くくらいなら、そんなこと考えなきゃいいのに……」
「……うるさいなあ!」
ヒナタはゴシゴシと目を擦った後、俺の顔を見て、さっきまで自分の言っていたことを否定するかのように目を閉じて、首を横に振った。
「……ホタル、俺はずっとそうするべきだと思っていた。
……でも、でもな、お前の記憶を消してしまったら、アオイの中には何にも残らなくなってしまう。
いつでも取り出せるようにしている大事な記憶を消されて、嘘の家族と生きていくことがアオイにとって本当に幸せなんだろうかって、俺はもうわからなくなってしまった……」
その後、ヒナタは「アオイの辛い記憶なんて、見なければ良かった」と声をあげて泣いた。
気持ちが昂って狐の姿に戻ってしまったヒナタを俺は抱きしめながら、慰め続けた。
「お前に大変なことを任せっきりにしてしまって悪かったよ……。
……俺はアオイが何よりも大切だから、元の世界には帰したくない。
アオイはもう15だ。自分のことは自分で決められるさ。アオイが自分で決めたことで、また何か困ったり迷ったりしている時は、その時はお前が助けてやって欲しい。頼むよ……」
……この時、俺はヒナタから聞いたアオイの記憶を辿るために人間の世界へ行こうと決心していた。
俺はアオイの母親のことも、アオイが住んでいた家のことも、何もかもを甘く考えていたのかもしれない。
だから、「アオイを絶対渡したくない、二度とここには帰さない」という意地だけで無茶をして身も心もボロボロになってしまった。
0
あなたにおすすめの小説
過保護な父の歪んだ愛着。旅立ちを控えた俺の身体は、夜ごとに父の形で塗り潰される
中山(ほ)
BL
「パックの中、僕の形になっちゃったね」
夢か現か。耳元で囁かれる甘い声と、内側を執拗に掻き回す熱。翌朝、自室で目覚めたパックに、昨夜の記憶はない。ただ、疼くような下腹部の熱だけが残っていた。
相談しようと向かった相手こそが、自分を侵食している張本人だとも知らずに、パックは父の部屋の扉を開く。
このお話はムーンライトでも投稿してます〜
劣等アルファは最強王子から逃げられない
東
BL
リュシアン・ティレルはアルファだが、オメガのフェロモンに気持ち悪くなる欠陥品のアルファ。そのことを周囲に隠しながら生活しているため、異母弟のオメガであるライモントに手ひどい態度をとってしまい、世間からの評判は悪い。
ある日、気分の悪さに逃げ込んだ先で、ひとりの王子につかまる・・・という話です。
従僕に溺愛されて逃げられない
大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL!
俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。
その傍らには、当然のようにリンがいる。
荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。
高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。
けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。
当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。
居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。
さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。
主従なのか、恋人なのか。
境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。
従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。
妖精です、囲われてます
うあゆ
BL
僕は妖精
森で気ままに暮らしていました。
ふと気づいたら人間に囲まれてました。
でもこの人間のそばはとても心地いいし、森に帰るタイミング見つからないなぁ、なんて思いながらダラダラ暮らしてます。
__________
妖精の前だけはドロ甘の冷徹公爵×引きこもり妖精
なんやかんやお互い幸せに暮らします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる