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「岡山県産の特選白桃一個を贅沢に使用」という説明文と、薄く切った光輝く桃がたっぷりと乗せられたケーキはガラスケースの中で一際目立っていた。
「わ! スゴイ! 綺麗だね……」
やっぱり都会で作られるケーキは違う。俺が生まれ育った島では「大きい、甘い、安い」がウリの、どっしりと重たいクリームとイチゴと缶詰のフルーツでデコレーションされたケーキしか売っていなかった。
特選白桃、というのがどれくらいスゴイのかはわからないけれど、見ただけでも瑞々しくて美味しそう、と言うことくらいはわかる。真っ白なクリームの量が控えめなのが、かえって上品さが感じられた。
「じゃあ、この桃のケーキにしようかな」
「へっ!?」
店に入る前は「葉月君の一番食べたいケーキを買おうね」と約束していたのに、それをすっかり忘れて、自分が食べたいから、という理由でいつの間にかかじりつくようにして、白桃のケーキを眺めてしまっていた。
「い、いいよ! 葉月君が好きなやつにしようよ……!」
「俺も、これが好きだよ」
大きさも二人で食べるのにちょうどいい、と俺がオロオロしている間に、葉月君はさっさとケーキを決めてしまった。確かに、他のチョコレートケーキやフルーツケーキに比べたら白桃ケーキのサイズはずいぶん小さい。直径が10センチあるかないかだけど、値段は大きなケーキに負けていなかった。
店員の女の人に「『はづきくん たんじょうびおめでとう』って書いてください。ロウソクは大きいのを二本、小さいのを二本ください!」と張り切ってお願いしたら、葉月君はなんだか恥ずかしそうにしていた。
◆
ケーキは葉月君と半分ずつ食べる……つもりだった。桃はすごくいい香りがしてジューシーで美味しいし、最初の一口目を口にした時には甘すぎなくてこのケーキならいくらでも食べられる、と感じていた。
「葉月君すごいね! フルーティーだね!」
「……フルーティーって言葉、フルーツそのものには使わなくない?」
「えっ!?」
「だって風味がするって意味じゃん。それ、ハンバーグを食べた時に、『肉の味がするーっ! 美味しーっ!』って言うようなもんでしょ?」
「う……。へへ……」
笑って誤魔化すと、陸はバカだね、と葉月君がニヤリと口元に笑みを浮かべる。葉月君は俺がアホなことを言うと必ずフフッと微笑む。
始めのうちは、からかわれているのが悔しいのと恥ずかしいのとで、「そんなことないよー」とムキになっていたけど、よーく葉月君の様子を観察していたら、相手を本当にバカにしている時の顔、というわけではなくて、なんだか思わず笑みが零れた、というふうに見えることがある。
俺は葉月君のことが大好きだから、そんなふうに見えるだけかなあ、とも思うけど、優しい顔で笑いかけられた後に髪をぐしゃぐしゃにされると、それだけでもうなんにも言い返せなくなってしまう。
「ねー、陸。こんなに嬉しい誕生日は初めてだよ」
「本当?」
「ホントだよ」
ちゃんと祝えたのかどうかはわからないけれど、葉月君が喜んでくれたことに少しだけホッとした。
半分ずつ食べよう、と葉月君が割ってくれたチョコレートのプレートは、普段口にするミルクチョコレートよりもちょっとだけ苦い。桃と、クリームの甘さを邪魔しないようにそうしているのだろうか。
都会で売ってるものはやっぱり違う、美味しい……と確かに感じているのに、なんだかこの後のことを考えると緊張して、結局一切れしか食べられなかった。
そんなことは無いはずなのに、今日でこのケーキを全部食べきらないといけないような気がして、無理をしてでも食べようか少しだけ迷った。だけど、俺がお腹がいっぱいだと言うことに気がついてくれた葉月君が「また明日、一緒に食べよう」と残りをさっさと冷蔵庫にしまった。
◆
俺が皿を洗っている隙に葉月君はいつの間にか部屋からいなくなってしまっていた。
冬の間は台所の換気扇の下でコソコソとタバコを吸っていた葉月君は、暖かくなってきてからは、俺がシャワーやトイレに行っている間にベランダに出て行ってしまう。俺がそれに気が付いて「あっ! また、俺を置いて外にいる!」とベランダを覗くと、「バレたか……」と葉月君は肩を竦める。
今日もそうだった。エアコンで少し肌寒いくらい冷えた部屋から外へ出ると、温い空気にじっとりと体が包み込まれる。日差しが無い分、昼に比べて暑さは和らいでいるものの、風はほとんど吹いて無かった。
「皿を洗うから待っててって言ったのにー」
「ゴメンゴメン。ちょっと仕切り直し」
何を仕切り直すのかはよくわからないけど、葉月君は微妙に俺から距離を取りながら、煙を吐き出した。換気扇の下で肩身が狭そうにしている姿も好きだけど、やっぱり外でダルそうにしながらタバコを吸っている時の葉月君は特にカッコイイ。「寄るな」って何回怒られても側をチョロチョロしてしまう。
「……タバコもやめないとね」
「えっ!? そうなの!?」
「というか、もう五回くらい挑戦してるけど、いつも朝起きた瞬間に禁煙してることを忘れるんだよね」
「え~……? じゃあ、もしかして、一日も出来てないってこと?」
「そうだよ。朝、起きるじゃん? 『あー、ダルイ……、シュボっ、フー……、あっ、禁煙してたんだった』、……この繰り返し」
ベッドの上で「げっ、やっちゃったよ……」と呆然としている葉月君の様子を想像したらなんだかおかしくて、クスクス笑ってしまった。
「葉月君はなんでタバコを吸うようになったの?」
「んー……?」
灰皿にタバコを突っ込みながら、葉月君は首を傾げた。なかなか続きを話し始めないから、もしかして忘れてしまったんだろうか、とすら思えた。勝手に頭の中で葉月君の声色で「キッカケなんて無いよ、べつに」と言うセリフを再生している時だった。
「……ゲーセンよりももっとキツイ仕事をしていたことがあってさ」
「そうなの?」
「作業がキツクて……ただ突っ立って休んでると怒られるんだよね……。でも、ある日気付いたわけ。タバコを吸ってる人は怒られないってことに……。それで、俺も他の人の真似をして吸い始めただけ」
葉月君がゲーセン以外でバイトをしていたなんて知らなかった。体つきはひょろっとしているし、「ダルイから」という理由でスポーツは大嫌いだと言う葉月君がキツイバイトをしていたということが想像出来なくて、ついジロジロと見てしまう。葉月君自身もそう思われている自覚があるのか、「意外?」と首を傾げている。
「意外すぎるよ」
「ふふっ……試験が全部ダメだったら、また日雇いのバイトでもするかな」
「えーっ!?」
「……冗談」
葉月君はもうすでにいくつか筆記試験をすませている。塾に行き始めた頃はのんびりしていたけれど、初めて受けた模試の成績が「サイテーだった。受かるまでに、あと十年はかかりそう」と言って、その後から結構本腰を入れて勉強しているように俺には見えた。
それで、東京特別区と裁判所の筆記は通ったと言っていた。だけど、裁判所の面接の後は「キツかった」と言って、ちょっとだけ落ち込んでいるみたいだった。圧迫面接だったのか、何か嫌なことを言われたのか詳しくは教えて貰えなくて、「大丈夫?」と尋ねることしか出来なかった。
「……大丈夫だよ。だって葉月君、一生懸命やってるし……大丈夫だよ」
「……うん」
俺は就職活動は未経験だから、何がどう大丈夫なのか具体的なことは一つも言えない。それがとても歯がゆい。それでも、「大丈夫だよ」ということは伝えたかったから、葉月君の手をぎゅっと握った。
「俺、バカだけど、出来ることがあったらいつでも言って? 本当に、葉月君のこと応援しているから……」
いつも勉強を教えて貰ったり、遊んで貰ったり……不動産会社の営業の人にウォーターサーバーを契約させられそうになって困っていた時に、代わりに葉月君が断りの電話を入れてくれたこともあった。ずっとずっと頼ってばかりで、俺にも葉月君に何か出来ることがあればいいのに、って本気で思ってるのが伝わって欲しい、と葉月君の手を強く握りしめた。
「……ありがとー。まあ、なんとかなるから大丈夫だよ。ヨユーヨユー」
「うん……」
顔を上げるといつもと変わらない、澄ましている葉月君がそこにいた。自分の弱っている姿を人に見られるのが葉月君はきっと嫌いなんだろうなって、なんとなくわかっていたから、葉月君が「ヨユー」と言っている時は俺もそれを信じないといけない。
せっかくシャワーを浴びたのに、これ以上外にいたらまた汗をかいてしまいそうだった。ねえ、戻ろうよ、と腕を引いて促したのに、葉月君は「そーだねえ……」と頷きはしたものの、いつまでもダラダラとしていて、やがてベランダにしゃがみ込んでしまった。
「葉月君? もう一本吸うの?」
さっき部屋着のポケットにライターとタバコを突っ込んでいたのを思い出しながら、そう尋ねると「ちょっと」と葉月君が俺に向かって手招きをした。さっきまで普通に喋っていたのに、なぜか内緒話をするみたいにコソコソと小さな声だった。
「……ちょっと、こっち来て」
「なに……? 何かいる? もしかして虫……? だったら怖い……!」
「虫じゃないよ」
田舎で生まれ育ったと言うと、「素手でセミやカブトムシを触る」とか「素潜りで魚を獲れる」と人から思われがちだけど、俺は虫は好きじゃないし、海では泳げない。
電気をつけないでベランダに出てきたから、暗くて足元は見えにくかった。虫じゃない、という言葉を信じておそるおそる葉月君の側にしゃがみ込んだ。
「葉月君?……えっ! まって……」
えっ、と思った時には、ぐい、と腕を思い切り引かれて葉月君からキスされていた。二人ともしゃがみ込んでいるから、隣の部屋の人からも、外を歩いている人からも見えないだろうけど、部屋の中以外でこんなことをするのは初めてで、一気に顔が熱くなる。
「んっ……ん、んんぅ……」
触れるだけでおしまいだと思っていたのに、何度も口づけられて、葉月君の舌まで受け入れてしまっている。外なのにいいんだろうか……とソワソワしながらも、抵抗することもせず、ただ葉月君のリードに身を任せた。バランスを崩して葉月君の方へ倒れ込んでしまった体が抱き締められる。
「ん、んっ……! やっ……」
葉月君の指先で耳の縁を撫でられながらクチュクチュいやらしい音をたててキスをしていると、すごくくすぐったくて全身がゾクゾクする。声を出したら、隣の人に聞こえてしまうかもしれない。フルフルと小さく首を横に振って「ダメだよ」と訴えると、ようやく唇がスッと離れて行った。
「……中、戻ろっか」
耳のすぐ側でそう囁かれて、ドキドキとしたままただ頷くことしか出来なかった。
「わ! スゴイ! 綺麗だね……」
やっぱり都会で作られるケーキは違う。俺が生まれ育った島では「大きい、甘い、安い」がウリの、どっしりと重たいクリームとイチゴと缶詰のフルーツでデコレーションされたケーキしか売っていなかった。
特選白桃、というのがどれくらいスゴイのかはわからないけれど、見ただけでも瑞々しくて美味しそう、と言うことくらいはわかる。真っ白なクリームの量が控えめなのが、かえって上品さが感じられた。
「じゃあ、この桃のケーキにしようかな」
「へっ!?」
店に入る前は「葉月君の一番食べたいケーキを買おうね」と約束していたのに、それをすっかり忘れて、自分が食べたいから、という理由でいつの間にかかじりつくようにして、白桃のケーキを眺めてしまっていた。
「い、いいよ! 葉月君が好きなやつにしようよ……!」
「俺も、これが好きだよ」
大きさも二人で食べるのにちょうどいい、と俺がオロオロしている間に、葉月君はさっさとケーキを決めてしまった。確かに、他のチョコレートケーキやフルーツケーキに比べたら白桃ケーキのサイズはずいぶん小さい。直径が10センチあるかないかだけど、値段は大きなケーキに負けていなかった。
店員の女の人に「『はづきくん たんじょうびおめでとう』って書いてください。ロウソクは大きいのを二本、小さいのを二本ください!」と張り切ってお願いしたら、葉月君はなんだか恥ずかしそうにしていた。
◆
ケーキは葉月君と半分ずつ食べる……つもりだった。桃はすごくいい香りがしてジューシーで美味しいし、最初の一口目を口にした時には甘すぎなくてこのケーキならいくらでも食べられる、と感じていた。
「葉月君すごいね! フルーティーだね!」
「……フルーティーって言葉、フルーツそのものには使わなくない?」
「えっ!?」
「だって風味がするって意味じゃん。それ、ハンバーグを食べた時に、『肉の味がするーっ! 美味しーっ!』って言うようなもんでしょ?」
「う……。へへ……」
笑って誤魔化すと、陸はバカだね、と葉月君がニヤリと口元に笑みを浮かべる。葉月君は俺がアホなことを言うと必ずフフッと微笑む。
始めのうちは、からかわれているのが悔しいのと恥ずかしいのとで、「そんなことないよー」とムキになっていたけど、よーく葉月君の様子を観察していたら、相手を本当にバカにしている時の顔、というわけではなくて、なんだか思わず笑みが零れた、というふうに見えることがある。
俺は葉月君のことが大好きだから、そんなふうに見えるだけかなあ、とも思うけど、優しい顔で笑いかけられた後に髪をぐしゃぐしゃにされると、それだけでもうなんにも言い返せなくなってしまう。
「ねー、陸。こんなに嬉しい誕生日は初めてだよ」
「本当?」
「ホントだよ」
ちゃんと祝えたのかどうかはわからないけれど、葉月君が喜んでくれたことに少しだけホッとした。
半分ずつ食べよう、と葉月君が割ってくれたチョコレートのプレートは、普段口にするミルクチョコレートよりもちょっとだけ苦い。桃と、クリームの甘さを邪魔しないようにそうしているのだろうか。
都会で売ってるものはやっぱり違う、美味しい……と確かに感じているのに、なんだかこの後のことを考えると緊張して、結局一切れしか食べられなかった。
そんなことは無いはずなのに、今日でこのケーキを全部食べきらないといけないような気がして、無理をしてでも食べようか少しだけ迷った。だけど、俺がお腹がいっぱいだと言うことに気がついてくれた葉月君が「また明日、一緒に食べよう」と残りをさっさと冷蔵庫にしまった。
◆
俺が皿を洗っている隙に葉月君はいつの間にか部屋からいなくなってしまっていた。
冬の間は台所の換気扇の下でコソコソとタバコを吸っていた葉月君は、暖かくなってきてからは、俺がシャワーやトイレに行っている間にベランダに出て行ってしまう。俺がそれに気が付いて「あっ! また、俺を置いて外にいる!」とベランダを覗くと、「バレたか……」と葉月君は肩を竦める。
今日もそうだった。エアコンで少し肌寒いくらい冷えた部屋から外へ出ると、温い空気にじっとりと体が包み込まれる。日差しが無い分、昼に比べて暑さは和らいでいるものの、風はほとんど吹いて無かった。
「皿を洗うから待っててって言ったのにー」
「ゴメンゴメン。ちょっと仕切り直し」
何を仕切り直すのかはよくわからないけど、葉月君は微妙に俺から距離を取りながら、煙を吐き出した。換気扇の下で肩身が狭そうにしている姿も好きだけど、やっぱり外でダルそうにしながらタバコを吸っている時の葉月君は特にカッコイイ。「寄るな」って何回怒られても側をチョロチョロしてしまう。
「……タバコもやめないとね」
「えっ!? そうなの!?」
「というか、もう五回くらい挑戦してるけど、いつも朝起きた瞬間に禁煙してることを忘れるんだよね」
「え~……? じゃあ、もしかして、一日も出来てないってこと?」
「そうだよ。朝、起きるじゃん? 『あー、ダルイ……、シュボっ、フー……、あっ、禁煙してたんだった』、……この繰り返し」
ベッドの上で「げっ、やっちゃったよ……」と呆然としている葉月君の様子を想像したらなんだかおかしくて、クスクス笑ってしまった。
「葉月君はなんでタバコを吸うようになったの?」
「んー……?」
灰皿にタバコを突っ込みながら、葉月君は首を傾げた。なかなか続きを話し始めないから、もしかして忘れてしまったんだろうか、とすら思えた。勝手に頭の中で葉月君の声色で「キッカケなんて無いよ、べつに」と言うセリフを再生している時だった。
「……ゲーセンよりももっとキツイ仕事をしていたことがあってさ」
「そうなの?」
「作業がキツクて……ただ突っ立って休んでると怒られるんだよね……。でも、ある日気付いたわけ。タバコを吸ってる人は怒られないってことに……。それで、俺も他の人の真似をして吸い始めただけ」
葉月君がゲーセン以外でバイトをしていたなんて知らなかった。体つきはひょろっとしているし、「ダルイから」という理由でスポーツは大嫌いだと言う葉月君がキツイバイトをしていたということが想像出来なくて、ついジロジロと見てしまう。葉月君自身もそう思われている自覚があるのか、「意外?」と首を傾げている。
「意外すぎるよ」
「ふふっ……試験が全部ダメだったら、また日雇いのバイトでもするかな」
「えーっ!?」
「……冗談」
葉月君はもうすでにいくつか筆記試験をすませている。塾に行き始めた頃はのんびりしていたけれど、初めて受けた模試の成績が「サイテーだった。受かるまでに、あと十年はかかりそう」と言って、その後から結構本腰を入れて勉強しているように俺には見えた。
それで、東京特別区と裁判所の筆記は通ったと言っていた。だけど、裁判所の面接の後は「キツかった」と言って、ちょっとだけ落ち込んでいるみたいだった。圧迫面接だったのか、何か嫌なことを言われたのか詳しくは教えて貰えなくて、「大丈夫?」と尋ねることしか出来なかった。
「……大丈夫だよ。だって葉月君、一生懸命やってるし……大丈夫だよ」
「……うん」
俺は就職活動は未経験だから、何がどう大丈夫なのか具体的なことは一つも言えない。それがとても歯がゆい。それでも、「大丈夫だよ」ということは伝えたかったから、葉月君の手をぎゅっと握った。
「俺、バカだけど、出来ることがあったらいつでも言って? 本当に、葉月君のこと応援しているから……」
いつも勉強を教えて貰ったり、遊んで貰ったり……不動産会社の営業の人にウォーターサーバーを契約させられそうになって困っていた時に、代わりに葉月君が断りの電話を入れてくれたこともあった。ずっとずっと頼ってばかりで、俺にも葉月君に何か出来ることがあればいいのに、って本気で思ってるのが伝わって欲しい、と葉月君の手を強く握りしめた。
「……ありがとー。まあ、なんとかなるから大丈夫だよ。ヨユーヨユー」
「うん……」
顔を上げるといつもと変わらない、澄ましている葉月君がそこにいた。自分の弱っている姿を人に見られるのが葉月君はきっと嫌いなんだろうなって、なんとなくわかっていたから、葉月君が「ヨユー」と言っている時は俺もそれを信じないといけない。
せっかくシャワーを浴びたのに、これ以上外にいたらまた汗をかいてしまいそうだった。ねえ、戻ろうよ、と腕を引いて促したのに、葉月君は「そーだねえ……」と頷きはしたものの、いつまでもダラダラとしていて、やがてベランダにしゃがみ込んでしまった。
「葉月君? もう一本吸うの?」
さっき部屋着のポケットにライターとタバコを突っ込んでいたのを思い出しながら、そう尋ねると「ちょっと」と葉月君が俺に向かって手招きをした。さっきまで普通に喋っていたのに、なぜか内緒話をするみたいにコソコソと小さな声だった。
「……ちょっと、こっち来て」
「なに……? 何かいる? もしかして虫……? だったら怖い……!」
「虫じゃないよ」
田舎で生まれ育ったと言うと、「素手でセミやカブトムシを触る」とか「素潜りで魚を獲れる」と人から思われがちだけど、俺は虫は好きじゃないし、海では泳げない。
電気をつけないでベランダに出てきたから、暗くて足元は見えにくかった。虫じゃない、という言葉を信じておそるおそる葉月君の側にしゃがみ込んだ。
「葉月君?……えっ! まって……」
えっ、と思った時には、ぐい、と腕を思い切り引かれて葉月君からキスされていた。二人ともしゃがみ込んでいるから、隣の部屋の人からも、外を歩いている人からも見えないだろうけど、部屋の中以外でこんなことをするのは初めてで、一気に顔が熱くなる。
「んっ……ん、んんぅ……」
触れるだけでおしまいだと思っていたのに、何度も口づけられて、葉月君の舌まで受け入れてしまっている。外なのにいいんだろうか……とソワソワしながらも、抵抗することもせず、ただ葉月君のリードに身を任せた。バランスを崩して葉月君の方へ倒れ込んでしまった体が抱き締められる。
「ん、んっ……! やっ……」
葉月君の指先で耳の縁を撫でられながらクチュクチュいやらしい音をたててキスをしていると、すごくくすぐったくて全身がゾクゾクする。声を出したら、隣の人に聞こえてしまうかもしれない。フルフルと小さく首を横に振って「ダメだよ」と訴えると、ようやく唇がスッと離れて行った。
「……中、戻ろっか」
耳のすぐ側でそう囁かれて、ドキドキとしたままただ頷くことしか出来なかった。
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