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しおりを挟むまるで壊れてしまった蛇口のようだと思った。
延々と溢れる水は止まる事を知らず、誰かが止めてくれなければ止まる事が出来ない。自らでは止められないんだ。
――まるで自分のようだと思った。一度想いを認めてしまえば、溢れて止まらない。そして何れかは自分を、周りを壊してしまう想い。
私は何度も自問自答を繰り返した。
想いを告げて、全てを壊してしまう未来と、想いを棄てて家族として生きていく未来とを。
勿論後者を選ばなければいけないに決まっている。けれど溢れてしまった想いは止められなかった。自分勝手だとはわかっている。勝手に好きになって、葛藤して。
奏太さんに対しても最低な事をしているとわかっている。
わかってる。わかっているけど、そんな簡単な感情ではなかった。
時間がたてば癒してくれるのだろうか。この想いは浄化されるのだろうか。
ならば、こんな想いは――…。
「あ………」
リビングに入れば、渦中の存在がソファーの上で静かに眠っていた。姿を見ただけでこんなにも心が騒いで。体中の血液が逆流しているような、そんな感覚。
足を忍ばせながら、和臣さんの傍に立つ。疲れているのか、顔色が少しだけ暗く感じた。それもそうだろう。和臣さんは多忙な社長なのだから。最近帰るのが遅いと思っていたが、それが当たり前の姿なのだろう。
私は客室からタオルケットを持って来て、起こさぬように和臣さんに掛けた。本当ならば寝室へと運べば良いのだろうが、私の腕では抱える事は出来ないし、何よりも二人の寝室を見たくない。
そっと手の伸ばして和臣さんのきめ細かな頬に触れたと同時にビリ、と身体に電流が走った。
「和臣、さん…」
好きだ。大好きだ。
だけど、やっぱり駄目なんだよ。この感情は。
好きだけど。嫌われたくない。壊したくない。貴方の優しさを手放したくない。それが家族としての感情だとしても。
――棄ててしまおう。
忘れてしまおう。
家族として、愛していこう。
…だから。最後に、最後にだけ、貴方に触れても良いですか。これで、忘れるから。忘れてみせる、から。
カタカタ震える指で和臣さんの唇を撫でる。そして身体を屈め、和臣さんの唇に触れた――
と同時にガシリ、と腕を掴まれた。その感触に心臓が跳ね上がり、思わず閉じていた目を見開いてしまった。
「今のキスは、どういう、意味?」
低く、感情の読めない声が私の鼓膜を震わす。
絡み合う視線が怖い。震えが全身に伝わった。
掴まれた手首がギシリと悲鳴をあげる。けれど、痛みよりも混乱の方が勝っていてそれどころではなかった。
確かに和臣さんは寝息をたてて眠っていた筈だ。それなのに、どうして。
私の口が金魚のようにパクパクと動く。言葉に出来ない。
「もう一度聞こうか。今のキスはどういう、意味?」
ゆっくりと、静かな声が私の鼓膜に突き刺さる。
何か言わなければいけない。けれど、言葉にならない。
何も答えない私に痺れを切らしたのか、和臣さんが上半身起こし、私の手首を更に強く握り締めた。
**
面には出していないが、和臣自身も酷く混乱していた。
疲れでソファーの上で横になっていれば、浴室から秋乃ちゃんが出る気配がして、どうしてか思わず狸寝入りをしてしまった。
暫く頭上で秋乃の気配がして、頬に何かが触れる。
小さな掌だ。掌が和臣の頬を撫でた。擽ったい感触に身体が動きそうになるも、どうしてか動く事が躊躇われて。
少しの間、和臣の頬を撫でた掌は持ち主と共に消えてしまった。
上へ行ったのだろうか。だとしたら階段の軋む音がしないな、と思いながら自分もそろそろ寝ようかと思った矢先に秋乃が戻って来て、和臣の身体にふわり、と何かが掛けられた。
そんな秋乃の優しさに心が温かくなって。何故か、彼女の顔が見たくなった。
和臣は起きた振りをする決心をし、目を開こうとしたが次の秋乃の行動によって叶わなかった。
――震えた指先が唇に触れた。
それは触れるか触れないかの距離で。撫でるように、慈しむかのように、優しく触れた指先。
そして、柔らかい何かが確かに重なった。
無意識にその唇の持ち主の手首を掴んだ。
無意識にどうして、と言葉を放った。
けれど、返ってくる言葉は無くて。
聞かない方が良いと誰かが言う。転んでしまってたまたま、本当にたまたま唇に唇が当たっただけだろう、と。
ならば、何故そんな表情をする?
今にも泣きそうな表情を浮かべている?
和臣の言葉が秋乃を追い込んでいるとわかっている。けれど。もう無かった事には出来なかった。
どうしてこんなにも口付けの意味を知りたがるのか、知りようもなかった。
――だから。
「ごめ、なさ…ごめんなさ、い、ごめんなさい…!」
逃げようとする君をこの腕で閉じ込めたんだ。
**
「あ、……」
「…答えに、なってないよ。」
私は自分がどうなっているのか、暫く理解が出来なかった。どうしてもこの場から逃げ出したくて慌てて立ち去ろうとした筈なのに、私は和臣さんの腕の中に居た。
身体から感じる和臣さんの温もり。鼻腔を擽る匂い。心地の良い鼓動。
くらりと眩暈がした。場違いな感情だと思いながらも幸せを感じた。例え、この包容が和臣さんにとっては何も意味の無い行動だとしても。
涙が止まらない。これで何度目だろうか。和臣さんの前で涙を流すのは。
「秋乃、ちゃん…」
「かずお、みさ……私、」
間近で見る和臣さんはやはり整っていた。目を覆いたくなる程の美貌。キラキラと光る瞳に映る――醜い、自分。
思わずどん、と突き飛ばした。逞しい和臣さんだけれど、いきなりの行動に思わず腕を離してしまって。
「あ……、ご、ごめんなさ…ごめんなさいっ…」
惜しげもなく涙を流しながらその場を離れる私に和臣さんは何かを叫んだ。けれど、怖くて振り向く事なんて出来やしなかった。
部屋に戻れば、先程と変わらずベッドで眠っている奏太さんが居る。
一気に現実に戻った。この優しい人達の全てを壊そうとしている事。
少しの嘘と真実を並べて、奏太さんと結婚した。奏太さんは嫌い、寧ろ好きだ。でも、愛していない。彼は私が願うタイミングにたまたま居たのだ。ただ、それだけ。
――父の最期を幸せにしたかったから。
でも、父は亡くなった。幸せそうな表情を浮かべながら。そう、自分の役目は終わったのだ。ならば、どうすれば良い?これから嘘を吐き続けて、ずっと死ぬまで背負っていかなければいけないの?
嗚呼、私は今父の顔すらも汚しているんだ。最愛の父を言い訳に私は自問自答を繰り返している。
自業自得じゃないか。全ては臆病者の顛末ではないか。
「…はは、」
もう、涙すらでない。乾いた笑いしか出てこない。
合わせる顔が無い。奏太さんに、麻美さんに――…和臣さんに。
こんな最低な自分は、もう、
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