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一件目『イフリクト:水の聖域』

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よーしよーしと言いながら、私の口元に小さく割ったクキンを差し出すハイネさん。大好きな匂いに鼻をヒクヒク動かしながら小さい口でぱくりと頂く。すると腔内でバターと小麦粉のハーモニー。先日の物よりも甘さ控えめだ。けれど、バターがたっぷり使われているのか、とても満足度が高い。

「きゅぅ…」

美味しさでほっぺたが落ちそうだ。いや、既に落ちているかもしれない。大丈夫だろうか。短い足で確認したら大丈夫だった。

「美味しいねぇ」
「きゅー!」
「…ごめんね、驚かせちゃったね」

頬を撫でられながら小さい声で私に謝罪するハイネさん。恐らくクー様の出現で我に返ったのだろう。すっかりいつも通りのハイネさんだ。

私はのそのそと腕から抜け出し、ごろんとひっくり返る。そんな暴挙に出てもハイネさんは絶対に私を落とさない。ちゃんと私を支えていてくれるのだ。これって信頼って奴かしら。

「ん?」
「きゅ!」

撫でろ。
お腹を撫でろ。満足するまで、だ!と、圧を掛けながら踏ん反り返る私にハイネさんの表情が更にだらしなくなる。

「もぉー、本当に可愛いなぁ。はぁい。めいいっぱい謝罪させてもらいますね」
「きゅ!」

温かい掌がお腹に触れ、すぅ、と撫でられる。あぁ、気持ち良い。蕩ける。撫で撫でされ、ご機嫌になった私はすっかり現状の事を忘れていた。
どうやら犬になった事で単細胞になったようだ。もしかしたら前々世はアメーバだったかも知れない。

「おい」
「…うん。煩いよ、折角ナツが気持ち良くしてるんだから、黙って」

そう言ったハイネさんがカインさん等を一瞥する。途端に黙る群衆。
この時、口と動きを封じる魔法を掛けていたらしいが、蕩けていた私には気付きもしなかった。
この魔法は高度な魔法らしくて、クー様も驚いたらしい。まぁ、私はどんな魔法を撃とうが慣れてしまった感がある。モンスターを消した時点で、ねぇ。

「さて、一旦イフリクトの聖域に戻ろうか。ナツ疲れちゃったもんね」
「きゅぅ…」

名前を呼ばれたが、返事をするのでいっぱいいっぱいだった。兎に角眠い。ずっと気張っていたのと、新しい魔法を使ったから尚更だ。

徐々に視界が黒くなる。そんな私に寝て良いよ、と囁くハイネさんに甘えて、睡魔に身を委ねた。



******



「――さて、ナツも寝た事だし」
「――!!!」
『――!』

眠ったナツを抱いたままのハイネが奴等の方へと視線を向ける。我はまさか肉体魔法――…肉体を制御する魔法をハイネが使えるだなんて思ってもいなかった為、少々驚きを隠せないでいた。
この魔法は上級魔法だ。我も数百年と生きてきたが、初めて見た。まさか本当に使える奴がいるとは…。と思ったが、ハイネの事だ。
ナツも言っていたが、ハイネが何をしても驚かない方が良いのかもしれない。噂によると魔物を消したらしい。そんな魔法聞いた事が無い。

もう、ハイネは笑ってしまうくらいにおかしい存在なのだ。ナツの言葉を使わせて貰えば、【ちいと】と言う奴だ。

「殺す?誰が?誰を?」
「っはぁ…!お、お前、何なんだよ、この魔法は…!」
『…カイン様、止めましょう』

神獣である奴には分かっている筈だ。この魔法の事を。だから必死にカインを止めている。
だが、カインは奴の制止を振り切り、牙を剥いている。

本当に悲しい兄弟だ。
力を持つ事無く産まれた兄と、膨大な力を持って生まれた弟。しかもその弟は自身の勝手で兄弟に力を与えた。

プライドの高い兄は大層怒るだろう。だが、弟にはその気持ちが分からない。わかりたくもないのだ。持った者は持った者で何かと大変なのだろう。

故に被害者ぶる兄が大嫌いになった――…、と言うのはまだハイネが小さい頃に聞かされた話だ。今は何を考えているのか分からない奴となってしまったが、昔は正直で素直で可愛らしかった。まさかその時から神力を制御して隠しているとは知らなかったが。

――昔、我が怪我を負った時にハイネと出会った。奴はまだ幼く、幼子の好奇心からか恐れる事無く我に近付き、魔法で傷を癒やしたのだ。
幼子ながらに素晴らしい魔法が使えるな、と関心したものだ。
そこから我とハイネの関係は始まった。

ハイネはいとも簡単に我の聖域に入ってきた。あーそぼ、と言いながら。
まさか人の子が、と思ったが、聖域に小さな穴が開いていた故にそこから潜り込んだのだな、と思った。
聖域も主の状況で歪んだり、先程のように穴が開いたりするのだ。

まさか、ハイネがこっそり穴を開けた、だなんて誰が思う?
ハイネとは沢山話した。色々な事を。ハイネの立場。親の事。兄弟の事。聡明な子、だった。この時にカインの存在も知ったのだ。

我は何も言わずに耳を澄ませた。人の事だ。我が口に出せる事では無い。
だが、それが彼にとっては心地よかったのだろう。毎日のようにやって来た。時に木の実を持ったり、人間の食べ物を持ったり。
まぁ、この時から聖痕には好かれていなかったな。本人は全く気にして居なかったが。

そして月日が流れ、ハイネが巫女に決まった。これは神のお告げからだ。その時のハイネの表情はいまだに覚えているぞ。大教祖もその表情を見て顔を引きつらせておったわ。
何と罰当たりな奴よ。

だが、誰もがハイネの本当の神力を知らない。今も、だ。我も知らぬ。奴は底なし沼なのだ。

もしもハイネを怒らすような輩が居ったら、きっと其奴は一瞬に塵となるだろう。



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