【メフィスト賞選評作品】上海千夜一夜物語

すえひと

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第一蓮

第一連・転句 ジョウシキ(2)

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第一連・転句 ジョウシキ

View Point of 淮天衣

 記憶通りにウツツは丁寧に話を進める。微笑みさえも浮かべながら。その瞬間に天衣は彼我の異なることを完全に理解した。この人間は笑いながら怒り、混乱しながらなお冷静なのだ。そして、先程から幾度となく周囲を確認する挙動を隠しながら話し続けること。自分さえも偽っているというのか?一体誰が、なんの監視もないにもかかわらず完全に自分自身を押し殺して笑っていられるというのだろうか。その思考は天衣を完全に凌駕していた。体が震えるのを感じる、理解できないものに対する恐怖、分かり合えないことを証明される孤独、そして私と彼女は違うのだという実存。

「合計十時間程度のチュートリアルをクリアすれば、日本社会で楽しくやることが出来て、そこそこ楽しくやっていけるだけのCPも稼げる」

 はたから見て誰が想像できるだろうか、彼女の心が怒りに満ちているなんて。私は彼女を理解できない。あまりにも彼女は私と違い過ぎる。この状況で誰もウツツに命じていないし、監視していない。それどころかこの集団の中で彼女こそが一番の力を持っているはずだ。それだのに彼女はありとあらゆることを心配して、彼女自身を押し殺して、全てを自然の計画の枠内に抑えようと腐心している。

 一体なぜ、なぜ彼女は私に怒りをぶつけない?一体なぜ、彼女は自分の意見を明らかにしない?なぜ彼女の視点はこんなにもコロコロ変わり、心は焦燥に駆られているのだろうか?私は理解できない。私が子供だからなのか?それともこれが文化的相違なのだろうか?

 あるいは、人間とはそういう存在なのだろうか?私とあなたは違う。だから互いの考えていることも違い、そして相互に理解することなど不可能なのだろうか?けれども、私の班の皆は同じ気持を先ほどまで感じていたのではなかっただろうか。それともそれは、錯覚?

 天衣がウツツの中で悩む暇もなく、天衣の『早くここを離れなければ、人目が集まり始めている』という思考とともに一行は粛々と歩き始める。途中、駅の出口で一度止まったのは天衣たちがCPを受け取ったから。記憶通りの会話が続く。

『とにかく、空気が良くない。話題を途切れないように和やかな方向に持っていかないと。せめてあと数分でも』
「CPを受けてとったか。まぁ、20CPでだいたいラーメン一杯くらいだ。
ああ、そういえば夕食の希望はあるか?やはり、中華がいいのか?」

そうウツツが言い、
「せっかく日本に来ているんだから、和食のほうがいいんじゃないかな」

ポツリとオモウが口を挟む。
『ナイスアシストだ。オモウ、和食の話題のほうが無難だ』
「でも、日本の拉麺は僕らのとは違うって聞いたけど?」

楚歌が物知り顔で言う。
『そっちに言ったか。まぁ双方の文化を比べるのもやぶさかではない。私だって中国の文化を尊敬しているところを見せて関係の修復を…』
なんてその場しのぎで形だけの思考回路…天衣がそう思った瞬間、記憶の中の自分が口を挟み、再びウツツの思考が怒りに轟々と燃え上がり、混乱の悲鳴が脳内を響き渡る。

「そんなの、邪道よ」

『ああああ、せめて食べてから言ってくれよ。いきなり決めつけられて最悪だ。そりゃぁ私達だってラーメンを正当な中華料理だなんて考えてないさ。それなのに一方的にそんなふうに言うなんってててて』

 相変わらずのもの言いの天衣に自成が強く言う。
「いい加減にやめろよ。日式拉麺が邪道なら何が正道だって言うんだ?蘭州拉麺?広東麺?天津麺?担々麺は?刀削麺は?」

 思考がすこし落ち着いて再び冷静に計算し始める。
『この少年はありがたい。とにかくこの少女は要注意かな。せっかくの援助は無駄にはしないぞ』

「まぁまぁ、私も別に日本のラーメンが中華料理として正しいなんて考えていない。むろん、正しいのは大中華たるあなた方だ。それでは和食にしようか」

「そうですね。わたしがなにか作りますよ~。肉じゃがとかお刺身とか」
『やっと家が見えてきた。なんて面倒くさいミッションだ。まぁ、一度受けた以上最後までやるけれど、正直先が思いやられるな。いや、そんなふうに考えてはいけない、この思考も記録されてしまう』

 そこで情報が消えて再び視界が七色に回転して、漆黒に暗転する。目をつぶった状態でまぶたを見ようとする、そんな不安にかき乱される感覚だ。否、かき乱されたのは私の内心だった。人がこんな風に自分を思っていると想像することはあっても実際の気持に触れることなど今までありえなかった。

 それが今では全てわかる。確かにウツツの思考の中で天衣達は重々たる負担として幾度と無く愚痴られていた。しかし、実際にそれを感じ、実行しているウツツそれ自体の心理、感情を知ってしまった私は簡単にそれを否定する事ができなかった。否、むしろ無意識に沸き上がってくる共感すらある。

 それでも、それを認めることは天衣自身の否定につながる。とは言え、幾度考えてもここは中華の辺境であり、ウツツは異議があるなら反論すべきだったのだ。


 気が付くと既に元の時間に戻っていた。丹精な顔立ちのウツツの顔が間近から覗き込みながら目元を拭っている。天衣はへたへたとその場に座り込んでしまっている私を感じた。なんてみっともない。凛々たりて規範の体現者たらねばならないというのに。

 え…視界の端で碧海がさして苦しんだ様子もなく、チューブを自分で抜いてカリとなにかしゃべっているのが見える。先ほど、自成も楚歌も、そして自分さえも泣いて辛いと感じていたのに、彼女だけが悠々としている。何故?

「すまない、思った以上に負担だったようだな。立てるか?温かいお茶を飲んで一服しよう。私はあなたではないし、あなたは私ではない…。そう考えれば比較的楽に適応できるらしい」

 そう肩を貸しながらウツツが忠告する。しかし、そういった彼女の心は何を思うのだろうか。その言葉は本当に真心なのか、それとも傷口に塩を塗りたくる皮肉なのか。電脳世界で私は日本人に肩を借りた。

 数分後、私達は卓を囲んで座っていた。ウツツは私のそばに座って未だに心配そうにしている。彼女の胸中は今何を思っているのだろうか。私が覗いた時のように悲憤慷慨しながら私のことを表面上思いやっているのだろうか。私にはわからない。

 卓の上にオモウが餡を透明な皮で包んだ茶菓子をおいて、急須でお茶を入れ始めた。日本の茶器は心もち大きいように感じたけれども、誤差の範囲内かもしれない。

「さぁ、めしあがれ~です~」

 カリがふざけた感じに促して、ためらう私達に手本を見せるようにオモウが楊枝で饅頭を切って口に運び、茶を流し込む。それを楚歌がまねた。普段よりか幾分興奮して積極的な楚歌はどこか新鮮な気がした。水まんじゅうを口に運び、茶を口に含んだ楚歌の表情が大きく変わる。

「え、え、ええええええ。味がするよこれ」
「マジで、俺も試してみる」

 自成と碧海が続き、わたしも口に運んでみる。すこし濃い目に入れられた茶は口の中で餡の甘さとよく融け合ってふわっと消えた。

 確かに味がした。それも現実と寸分違わない甘味と渋味、日本茶の味わいは知らないものだが、受け付けないほどのものでもない。

「みなさんの場所では味がしないのですか~?」
カリが問う。
「うーん、味がしないわけじゃないんだけどね」
楚歌が苦笑いし、
「こんなに現実っぽくないんだよ」
自成が補足する。
「そういえば、なんでなんだろうね?」

 楚歌が聞き返し、自成も碧海も答える素振りはない。当然日本人たちが知るはずもない。同胞の無知と不甲斐なさに私はため息を付いて口を開く。

「そんなの、怠惰と現実忘却から私達を守るために決まっているでしょう。もし仮想現実が現実よりも快適に過ぎたならば、人民は日々の奉仕に耐えられないわ。私達の国家は人民一人一人の努力によって守られているのだから、人民が現実を忘れるようなことはあってはならないわ。そして、堕落は秩序を破壊する。『過ぎたる電脳空間乱用は阿片と違わず』って初等部で暗記させられたでしょ?」
本当に覚えていないなんて信じられない。この原則こそ私達の国が世界の中心でいられる理由だというのに、そして目の前の日本人たちが没落した最大の原因だというのに。

「まったくひどい言われようだな。それではまるで我々が無秩序な人間のようじゃないか。実際は違う。この東京サーバーも完全に我々日本人によってメンテナンスされ、すべての天岩戸システムも日本人だけによって維持されている。大体、食事がうまくなかったら人生がつまらないだろう」

 ウツツがそう入って茶をすする。彼女の姿に、不覚にも美しいと私は感じてしまっていた。こんな何を考えているかもわからない化外の民のくせに。

「そういえば、時間大丈夫か?そろそろ三時間位経ってるぞ?」
自成が指摘して私も時計を呼び出して確認する。確かに、そろそろ帰って夕食を取らなければいけない時間だ。あまり遅くなって親達の注意を引いてしまっては危険だ。

「そうね、私達は夕食を食べに帰らないと」
「それなら、こちらで取ったらいかがですかー。味気ないものよりもこちらのほうがいいでしょう~?」

カリがずれたことを言う。

「何を言っているんでしょうか?私達は現実の食事の話をしているんですよ?」
「まさか、食事するためにわざわざネノクニに降りているわけでもないでしょう~?」
「カリ、話がずれているぞ。天岩戸システムによって完全に生命活動を機械化したのは我々日本人だけだ」
ウツツの言葉に楚歌が聞き返す

「ってことは、みんなはどうやって栄養補給してるの?」
「我々がこの世界で食事をすると適切に計算されたカロリーやビタミンが肉体に直接供給されるようになっているんだ。天岩戸システムはそういった生命活動とバーチャル空間をリンクさせるシステムのことだ」
「てことは太ったり栄養失調になったりしないの?」
「もちろんだ。少々筋肉の衰弱は指摘されているが、それでも我が国が世界でも高い寿命を維持しているのを考えれば大した問題ではないだろ」

 それでは国を守れないじゃないっと言いかけるも唇を噛んで押し殺す。彼等は所詮は蛮族、漢人に与えられた崇高な世界の啓蒙と秩序の維持などという発想はない。だから大国の影にすがって生き延びているのだ。

「では、私達はそろそろ帰らせてもらうわ」
「ああ、そうだ。もし次に来ることがあったら、ゲームをやろう。一世を風靡した日本のRPGを是非体験しに来てくれ」
ウツツの声を最期に私達は東京サーバーから飛び立った。
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