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第一章

<まだ、あきらめない。生き延びるチャンスはある>

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 <クソッ!>

 アルベルトは焦っていた。
 表情に出さないようにするだけで精一杯だ。
 自分が慌てれば、初心者パーティーに影響が出る。できるだけ冷静であるかのように取り繕わなくてはいけない。

 「落ち着け。なるべく一か所に固まれ。手分けして周囲を警戒しろ。訓練通りだ、焦る必要はない」

 そう少年少女たちに言いながら、自分自身にも言い聞かせる。
 しかし、状況は絶望的だ。

 「アル兄ィ!ここはどこなの?何が起こったの?」
 「……たぶん、最下層だ。彷徨える落とし穴に落とされた」
 「えっ……」

 皆の疑問を代表するように問いかけたヴァネッサは、アルベルトの返事に言葉を失った。

 『彷徨える落とし穴』のことはアルベルトも知っていた。なんども見ていて、見分け方のレクチャーも受けていた。
 だからこそ、真っ先に気付いて、魔法陣の中の黒猫に駆け寄るネリーを止めようとしたのだ。
 彷徨える落とし穴が冒険者を強制転移させる場所は、例外はあるものの多くはダンジョンマスターのところだ。
 このダンジョンで最強の魔獣が出てくるはずである。

 これが上級者……いや、せめて中級……Cランクの冒険者パーティーなら何とかなったかもしれない。
 下層は急激に強い魔獣が現れるといっても、所詮は初心者用ダンジョンなのだから、普通のダンジョンよりも難易度は低いだろう。
 
 しかし、今の初心者パーティーではどうにもならない。強さが違い過ぎる。
 アルベルトはBランクの冒険者だが、それでも一人ではダンジョンマスタークラスとなるとまともに戦えないし、初心者パーティーを守りながらとなると、絶望的だった。

 パタ……と足音が響いた。小さな足音だったが、空洞に反響してハッキリと響いた。
 全員に緊張が走る。
 足音は続く。
 パタ、パタ、パタと。
 段々と、足音は重さを増していく。
 気が付くと、その音はドシリと、まるで重い荷物が落ちるような音に代わっていた。

 <スプリガン、か?>

 地面から振動が伝わってくる。
 アルベルトはその段々と重さを増していく足音に記憶があった。

 スプリガンは宝物を守る妖精として知られている。
 醜悪な見た目で好戦的。見た目も性質も妖精とは思えないため、邪妖精に分類されていた。

 そして特徴的なのは、戦う時は歩く度に巨大化していくというものだ。
 本来の大きさは妖精に相応しく手のひらサイズだが、巨大化すれば人間を見下ろす巨体となる。

 「スプリガンだ。気をつけろ」

 ここはゴブリンダンジョン。
 その名の通りゴブリンが最も多く出てくるダンジョンだが、ゴブリンに限定されているわけではない。
 限定されているとすれば、人型の魔獣という点だろう。
 三十層以降で急激に出現魔獣が強くなるというのも、そのあたりからゴブリン以外が出始めるせいだった。
 妖精であるスプリガンなら、人型の魔獣という法則にも当てはり、ダンジョンマスターに選ばれるに相応しい強さを持っていた。

 アルベルトが足音の方向を見つめていると、予想通りの魔獣が姿を現した。

 <このダンジョンの下部の層の勉強もしておけばよかったな……>

 同じ魔獣でも出現場所が変われば微妙に特徴は変わる。それを調べておけば有利に戦闘ができただろう。
 アルベルトは初心者引率でしかこのダンジョンに入る気がなかったため、真面目に調べていたのは三十層までだった。
 スプリガンであれば、持っている武器が何なのか、使う魔法は何か、そういったことを知っていればかなり違ったはずだ。後悔の念がよぎるが、すぐに頭からそれを振り払う。

 「……ネリー。オレにありったけのバフをかけろ」
 「えっ!?」
 「早くしろ!」

 自らの失敗で仲間を窮地に陥れたネリーは涙を浮かべていた。
 だが、アルベルトの強い口調におとなしく支援魔法バフをかけていく。

 「アル兄ィ……何を……」
 「お前らは自分たちの身を守ることだけを考えろ。ここからは引率の仕事だ」
 「でも」
 「スプリガンは物理攻撃に弱い妖精だ。それなら、まだオレにもチャンスはある」

 シモンの問いかけに、アルベルトは優しく笑みを浮かべて答えた。
 シモンは斥候を担当していた。真っ先に彷徨える落とし穴を見つけられなかったことを後悔していた。

 「なら、オレも!」
 「お前には無理だ。弱すぎる!」

 剣士のモーリスは声を上げたが、あっさりとアルベルトに否定された。

 スプリガンはアルベルトが言う通り物理攻撃に弱い。ただ、それは魔法攻撃に比べて弱いというだけで、明確な弱点というわけではない。
 モーリスは才能がある剣士だが、それは駆け出し剣士にしては強いという程度だ。
 とてもスプリガンに傷をつけられるレベルではない。

 「お前らはできるだけ距離をとって身を守るんだ。絶対に手を出すな」
 「……」
 「ヴァネッサ、こいつらに勝手なことをさせるなよ。リーダーとして押さえつけとけ」
 「え?……はい……」

 この言葉はヴァネッサに対しての楔だった。
 責任果たさないといけない状況にすれば、責任感の強いヴァネッサはそれを果たそうとして自分勝手な行動に出ない。
 そして、絶対に仲間を守ろうとする。

 支援魔法バフをかけ終わると、アルベルトはスプリガンに対峙した。

 スプリガンの背丈はおよそ三メートル。アルベルトが見上げないといけない。
 全身が灰色で醜悪な肉の塊のようなその姿は、とても妖精とは思えなかった。
 ぐおおおおおおおおおお!と、スプリガンは獣ののような雄叫びを上げる。
 その手には、巨大なハンマー。ところどころに魔石がはめ込まれており、魔術媒体と打撃武器を兼ねている魔法の武器だろう。

 <これを上手く使えれば>

 アルベルトはシャツの胸元をさぐり、小さな革袋を取り出す。
 首から紐で吊るされたそれは、ずっとお守り代わりに持ち続けていたものだ。
 中には宝石が一つ、入っている。

 <まだ、あきらめない。生き延びるチャンスはある>

 そう覚悟を決めるが、その生き延びるメンバーに、彼自身は含まれていなかった。

 アルベルトが革袋を握りしめると、宝石の硬く確かな感触が伝わってきた。
 アルベルトは自らの命を捨てることで、未来のある少年少女を生かすつもりだった……。
 
 
 
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