上 下
19 / 69
第一章

「さて、もう終わりにしよう」

しおりを挟む
 自分はお前たちと一緒に『彷徨える落とし穴』に一緒に落ちた黒猫で、名前はナイという。
 そういう意味で、ナイは明確に事実を答えたつもりだった。
 あきらかに言葉足らずだが、本人は全く気付いていない。

 人間と人間の言葉で会話をするのはこれが初めてなのだ。
 気づけと言われる方が無茶だった。

 アルベルトと初心者パーティーは何とも言えぬ間抜けな表情でナイのことを見つめ続けている。
 ナイは、それを誤解した。

 「ナイと言っても名前が無いのではないぞ?ナイという名前なのだ」

 ナイと言う名前は、あえて誤解を生むように賢者ブリアックが名付けたものだ。
 いつも『名前が無い』ではなく『ナイという名前である』ことを教えるやり取りがセットになっていた。
 皆が呆けた顔をしているのは、ナイの名乗りが名乗りであると理解できていないのが原因だと思ったのである。

 「主だった男が酔狂でな、こんな名前を付けられたのだ。なんでも一度聞いたら忘れられない名前を目指して名付けたそうだ。何を考えておったのか本当にわからん!」

 最後に警戒心を解くために優しく笑みを浮かべたが、それでもアルベルトたちの表情は変わらなかった。

 ぎゃうううううううううううううう!!!!!
 炎獄魔法が消え、悲鳴とも怒号ともつかないスプリガンの叫びが響いた。

 「おお、ちゃんと生きておったか。あれで死なれては物足りぬと思っておったのだ!」

 ナイは本心から喜んだ。
 あっさりとアルベルトたちから興味をスプリガンに移す。
 人間の身体を得て、魔法も使えるようになったのだ。
 この身体がどれだけ動くのか知りたかったし、賢者ブリアックから受け継いだ魔法の知識の実証もしたかった。

 「さあ、我が得た力がどれほどのものか試させてもらうぞ!気が済むまでいたぶり、なぶり、遊んでやろう!」
 
 獲物を快楽のままになぶり殺すのは猫の本分だ。
 金色の瞳が爛々と輝いている。
 
 「おぬしは触手が好きだったな。ウォーターバインド」

 それはスプリガンが使ったものとは少し違う、水属性の拘束魔法だった。
 足元に魔法陣が展開し、水の帯がまるで蛸の足のようにスプリガンを捕えていく。
 スプリガンは暴れ、拘束を解こうとするがそれは叶わなかった。

 「スプリガンの得意属性はなんだったかな?闇と地だったか?地は水を濁す。水属性には強いはずなのに、情けない姿だな」

 ナイに嘲笑され、スプリガンは怒りの表情を浮かべる。
 
 「妖精の使う魔法は直感魔法、我が使う研究されつくして最適化された魔法にかなうわけがない」

 ナイの使う魔法は賢者が研究しつくして作り上げた魔法だ。
 それをナイは状況によって、さらに最適化していた。
 妖精は魔法と相性がいいが、直感だけで魔法を行使している者に負けるわけがない。

 妖精の利点と言えば魔力の多さだが、今のナイは妖精よりも多くの魔力を持っていた。

 「さて、筋力の方はどうかな?」

 ナイはスプリガンに歩み寄ると、その顔を殴った。
 肩ほどの長さの黒髪が揺れた。

 「くぅ~~……いたい……」

 一拍後に、拳を押さえてしゃがみこんだのはナイの方だった。

 「痛い。素手で殴ると痛いということは、防御力は普通の人間と大差ないのか。妙なところで律儀だな。プロテクトシェル、ストレングスニング」

 魔法で腕に保護装甲を作り出し手甲にする。筋力強化を行って、拳を握りこむと軽く頷いた。
 その後はタコ殴りだ。

 先ほど手を痛めた恨みとばかりに、拘束しているスプリガンを殴りまくる。
 あまりの容赦の無さに、初心者パーティーの少年少女すら引き始めていた。

 「補助魔法はこんな感じか。付与魔法も試しておきたいところだが……」

 ナイは転がっている剣に目を向けた。それはアルベルトの剣だった。
 スプリガンに突き刺したものだが、スプリガンが動き回ったことで抜け落ちたのだ。
 スプリガンは妖精だけあって自然治癒の速度が速く、内側から盛り上がってた肉で押され、自然と抜け落ちたのだった。

 「借りるぞ」

 ナイには誰の持ち物なのかわからないため、適当に視線を這わせてから誰に向けてでもなく言う。
 ナイの身体には大きすぎる剣だったが、筋力強化されている状態なので軽々と持ち上げた。

 「エンチャント・サンダー」

 雷属性の付与魔法を行うと、剣の柄の部分に魔法陣が現れて刀身に火花が舞った。
 それが刀身全体に回ると、青い光の剣となる。

 「さて……」

 ナイが剣を軽く振ると、ブンと羽音のような響きとともに光が帯を引いた。
 それを見て、アルベルトは目を剥いた。
 強すぎる付与魔法は付与した武器自体を破壊する。それを心配したのだ。
 今、ナイが施した魔法は見るからに強力で、アルベルトの剣ではもちそうにない。

 「安心しろ。我はそんなヘマはしない。この剣の限界は見極めている」

 自信満々に言うが、ナイ自身は付与魔法を使うのは初めてだった。
 もっとも、先ほどから連発している魔法すべて初めてだったのだが。

 ナイの自信を支えているのは、賢者ブリアックの知識と、共に過ごした時間だった。

 ナイが斬り付けるとスプリガンは悲鳴とも怒号とも思えない叫びをあげる。
 傷は焼け、血は飛び散らなかった。さらに、二度、三度……。
 肉の焼ける臭いがあたり一面に立ち込めた。

 スプリガンの肉体が焦げる臭いに見守っていた者たちは顔をしかめ、喉の奥まで胃液がこみ上げてくるのを感じた。

 一思いに殺す手段を持っているのも関わらず、いたぶり、なぶり、遊んでいる。
 それはナイの宣言通りなのだが、嫌悪感すら覚えた。
 真面目で優しいアルベルトにあこがれる彼らにしてみれば、嗜虐的な興味を満たそうとしてるナイは醜悪に見え、いつそれが自分たちに向けられるかと考えると恐怖の対象でもあった。

 ナイは彼らのことを知っているが、彼らにしてみればナイはダンジョンの最下層に突然現れた謎の全裸の少女なのである。
 それが絶対的な暴力をふるっているのを見れば恐怖しない方がおかしい。

 「さて、もう終わりにしよう」

 ナイは彼らの不安など露ほども感じずに、息切れ一つせずに可愛い声で言った。

 ナイが大上段に剣を構え、まっすぐにスプリガンの頭から剣を振り下ろした。
 その太刀筋に合わせて、切り裂かれた拘束魔法も消えていく。
 あっさりと、まるで抵抗もなく剣はスプリガンの身体を通り過ぎた。

 ……かに、見えた。

 「体内の魔法抵抗を高めたか」

 スプリガンがニヤリと笑う。
 斬られたように見えたスプリガンは、まだ生きていた。

 「拘束を解く、起死回生の手段という訳だ」

 自らの身体ともども拘束魔法を斬られ、自由になった腕をスプリガンは振るう。
 ナイはそれを紙一重で、わずかに一歩後ろに下がるだけで避けた。
 ナイの首で金色に輝く宝石が光の糸を引く。

 「ウインドネイル」

 ナイの指に沿うように、魔法陣とともに十本の長い風の爪が発生する。
 軽く踊るようにナイがそれを振るうと、スプリガンはあっさりと崩れ落ちたのだった。

 
 
しおりを挟む

処理中です...