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第一章

「服を着ろ!いや、たのむ、着てくれ!」

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 「うむ。使える属性に偏りもないようだな。完璧だ」

 満足そうにナイは微笑み、すべての魔法を解除する。
 周囲に舞っていた魔法陣はすべて掻き消え、ダンジョンのやや薄暗い明かりだけとなった。
 ナイ以外の誰も声を出せない。
 残虐ですらあるスプリガンに対して戦いで言葉を失い、恐怖すら感じていた。

 ナイが今見せたように属性の隔たりなく多数の魔法を使える者は珍しい。
 どうしても得意属性に偏りがでるのだ。
 ナイが自由にどの属性でも使えるのは、ダンジョンコアがそういう風に望みを叶えたことも原因だが、むしろ、高度な魔力操作による部分が大きい。
 ナイ自身は初めてのことだったが、ずっと賢者ブリアックがそうやって魔法を使うのを見てきた。
 魔力操作によて魔力を最適化し、あらゆる属性を使いこなすことはナイにとって当然のことだった。

 猫であった頃のナイは究極の理論派だった。
 ある意味、飼い主であった賢者ブリアックよりもその傾向は強い。

 自身が魔法を使えなかったため純粋に研究材料として魔法を見ており、一歩引いた位置から魔法を見ていた。
 才能や感覚だけで魔法を使うタイプの人間とは、真逆の存在と言っていいだろう。

 「……」

 無言で、アルベルトはナイを見つめる。
 ナイの治癒魔法によってその傷は治っているが、自ら流した血と、地面を転がされた時についた土によってその全身は汚れていた。
 衣服も破れ、防具も壊れて酷い有様だ。

 ナイは身体をキレイにする魔法も衣服を修理する魔法も知っているが、そこまでサービスする気はないらしい。

 アルベルトはナイの行動を見ていた。
 確かに命を救ってもらったわけだが、謎が多すぎた。

 <この娘は何者だ?どうしてこんなところにいる?なんで全裸?猫ってなんだよ??>

 そして目の前で見せられた圧倒的な魔法と体術である。
 疑問に思わない方がありえない。

 命を救われたのは間違いないが、それでもこの後で敵に回らないとは限らなかった。
 命を救った代わりにとんでもない対価を要求される可能性もある。
 魔獣をいたぶる様な戦い方も問題だ。あれでアルベルトの頭は幾分冷めていた。

 アルベルト一人なら素直に受け入れていたかもしれないが、今のアルベルトは初心者パーティーの引率だ。
 彼らの命も預かっている。安易に判断できない。
 いつも以上に警戒した目でナイのことを見ていた。

 アルベルトはナイのことをじっくり観察する。
 観察して……顔を赤らめた。

 「さて!」

 疑惑の目で見つめていたアルベルトに、ナイは笑顔で向き合った。
 身体ごとまっすぐに向けてきたナイに対して、アルベルトは耐え切れずに目をそらした。

 「なんだ、どうして目をそらす?」
 「来るなっ!」

 ナイが不審に思って近づくと、アルベルトは片手を突き出して静止した。

 「どうした?なぜ我を拒絶……」
 「服を着ろ!いや、たのむ、着てくれ!」

 ナイは当然ながら全裸のままだった。
 猫から人間になり、服を手に入れる手段が無かったし、そもそも元猫のナイは服を着るという発想すらなかった。
 
 戦闘中はそんなことを気にしてる場合じゃなかったため気にならなかったが、身の危険が去った途端に冷静になってしまった。
 さらに魔法の炎で逆光で照らされてよく見えなかったものが、今はしっかりと見えている。

 ナイの肉体は少女……人間の十四歳だ。
 成熟しきっていないが、それなりに女性的な身体だった。
 大人の女性としての特徴も出始めている。

 アルベルトは、二十八歳にもかかわらず、その少女の肉体を直視できなくなってしまったのだった。

 「なるほど、服か。人間には必要だったな。しかし……」
 「わっ、私の予備を着て!モーリス、シモン、いやらしい目で見るな!」

 必死の形相でそう叫んだのはヴァネッサだった。
 同時に凝視していたモーリスとシモンに向かって叫ぶ。

 叫ばれて、やっとモーリスとシモンもナイから目を逸らした。
 モーリスとシモンはナイの圧倒的な戦力に魅せられ、驚愕の視線を向けていただけなのだが、ヴァネッサの叫びで全裸なのを意識してしまったらしい。
 目を逸らしてから顔を赤く染める。

 ヴァネッサは持っていた荷物から慌ててシャツを一枚取り出す。
 もしもの時に一枚だけ入れていた、木綿のシャツだ。ほとんど貫頭衣のようなものだが、全裸よりはいいだろう。
 下着はないが、シャツが長めなので隠れるから問題ないはずだ。

 「人間は服を着ていないと欲情するのだったな。発情期がない動物というのは、不便なものだな」

 半ば無理やりシャツを着せられながら、ナイは平然とそんな感想を漏らした。
 すでに、ナイが全裸だと認識してしまったせいで、圧倒的強者に怯えたような雰囲気は消し飛んでいる。
 それはナイが小柄な少女の外見をしているせいもあるだろう。

 「……発情って……」
 「人間には発情期がなく、いつでも発情できるのだろう?そこの男や少年たちのようにな。この身体も発情期がなくいつでも発情できるのだろう?なんな交尾してやってもいいぞ?こう見えてもそれなりの経験はしておるからな。主殿の避妊魔法で子をなしたことはないが……」
 「ちょ、ちょっと、あんた何言ってんのよ!!」
 「お?はぁ?」

 ヴァネッサが悲鳴のごとく叫び、アルベルトが間抜けな声を上げた。
 ほかの三人は会話の意味すら理解できていない。

 「どうかしたのか?我ももう十四歳、老猫だ。それなりに経験があるのが当然であろう」
 「いや、その、猫って何?あなた何者?どうしてこんなところに裸でいたの?」

 ついに、誰もが聞きたかったことをヴァネッサが尋ねた。
 
 「我はナイだ。猫である。いや、猫だったと言うべきだな」
 「……いや、それがよくわかんないんだって……」
 「そうだな。食事をしながら話してやろう。我は干し肉でいいぞ」

 極当然といった感じで、食事をたかるナイだった。
 



 
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