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12歳編〜まだまだ続くよ漬物は〜
肆
そう言うと懐に手を入れる。
ギルベルタの芋虫のように太い指が取り出したのは鞭だ。
巻いたホース状のそれの持ち手を握り、素早く横に振れば、かしわ手を打つよりも大きな音が鼓膜を劈く。
その威嚇行動に腕の中の店員が震える。
俺は安心させるよう微笑んでから抱き寄せ、頭だけギルベルタに向けて鋭く睨む。
険しい表情を向けながら、撓る鞭の音が俺に二つのことを理解させる。
一つはあの鞭を用いて奴は俺達を甚振ろうとしていること。もう一つは今の俺にはそれに抗う術が一切ないこと。
鞭の打撃によりヒビの入った床。それがこれから訪れる自分の未来と、その際に感じるだろう痛みを嫌でも想像させる。
恐らくかつて経験した魔力回路損傷の刺傷に勝るとも劣らないものとなるだろう。
芽吹いた恐怖が増大し、吐き気を引き起こす。吐けば楽になるかもしれない。
しかし目の前の外道はそれ込みで楽しんでいる節がある。なので絶対に喜ばせてなるものかと俺は唇をきつく噛む。
少しでも時間を稼がなければ。
全身を覆っていく震えを根性でもって押さえつける。必ずフラウディオは俺の不在に気づき、この防犯魔法具を辿る筈だ。
それまで俺の仕事はどうにか持ち堪えること。
心を強く持ち、勇気を奮い立たせる俺に、何も知らないギルベルタは鼻で笑う。
「……どういうおつもりですか」
「どう、とは?」
絶対的優位のギルベルタは質問に質問で返す。完全におちょくってやがる。
「全てです。私共はべディア公爵令息の私物を窃盗した覚えも結託してもおりません。にもかかわらず一方のみの証言のみを鵜呑みにし、このような行為を教会側が行うなど前代未聞です。釈放と正当な審議を要求いたします」
「ええ、ええ。貴方方に罪がないことくらい存じておりますとも」
「は?」
「ですがねぇ、仕方がないのですよ」
ギルベルタが残酷な笑みを浮かべる。
「あの御方、エフレン様の悪癖なのですよ。虫の居所が悪いたび、よくあぁして無辜の民を陥れて遊ぶのです」
「あそ、ぶ……?」
何を言っているのか分からなかった。
自分の機嫌が悪いだけで? 人を?
「ご本人曰くストレス解消だそうです。人が泣き叫び、絶望する様にこの上なく心が満たされるのだとか。頭の螺子が飛んでいらっしゃるでしょう? ま、おこぼれに預かっている私が言えた義理ではないですがね」
「貴方は神官ではないのですか……?」
「おや、この司祭服が見えませんか?」
胸を張ろうとして腹を見せる様に、押し込んだ酸いものが再び喉元までせり上がる。
「俺はロセッティ公爵家のフラウディオ様とフェルディナント様の婚約者ですよ」
「ええ、ええ。もちろん存じておりますとも。エフレン様より貴方を念入りに辱めるよう仰せつかっております。――しかし貴方も災難ですねえ。ロセッティの小倅共と婚約したばかりにこのような目に遭うのですから」
心にも無い同情を示すギルベルタの顔にはこれ以上ない愉悦が広がっている。
殴りたい、その笑顔。
「……どういう意味ですか?」
「おやおや、存じ上げないのですか。エフレン様は小倅の頭の良い方、フラウディオ殿にホの字なのですよ」
ええ、存じ上げておりますとも!
アイツが厄介ガチ恋勢ってさっき!
心の中で突っ込みながら、さも今知りましたと演技する。
「そんな……」
「ほほっ。心中お察しいたしますよ」
ギルベルタは続ける。
「なので貴方様さえ宜しければ取り引きいたしませんか」
「……取り引き?」
「えぇ、えぇ。ああ、決して難しいものではありませんよ。ごくごく簡単なものでございます」
鞭打ちをやめたギルベルタは、その持ち手を俺の方へ向けて突き出した。
「これを使い、私が満足するまでそこな平民を痛めつけられましたら、貴方様だけはこの場からの解放をお約束致しましょう」
にちゃりとサディスティックな笑みを浮かべるギルベルタ。恐らく九分九厘そんな気などないだろう。“満足するまで”と指定する辺り本当にイイ性格をしている。
腕の中の店員が身動ぐ。
見ればポーションで回復した顔面に大粒の涙を浮かべ、縋るように俺を見ていた。
「――大丈夫ですよ」
「え」
「お断りします」
「おや、拒否なさるのですか? 本当に」
「だって貴方、解放する気なんて微塵もないでしょう」
俺の指摘にギルベルタは肉に覆われた細い目を見張り、喉を鳴らした。
「なんと人聞きの悪い。きちんと解放いたしますよ――私がたっぷり楽しんだ後でね」
ギルベルタは腕――鞭を握り直した方――を大きく振りかぶる。そして手旗信号でも送るかのようにそれを勢いよく前に倒した。
俺は店員を抱いて悲鳴を上げないよう下唇を噛み締め、強く目を瞑る。
直後、背中に赤熱感と衝撃が走る。
ものすっっげぇ痛ぇ!
「っ、」
「ほほっ。耐えますか」
「っ、……ぐっ、」
「果たして、いつまで、続きます、かな!!」
広い懲罰房に鞭打つ音が鳴り響く。
そのたびに激痛が俺の全身を駆けた。
* * *
「なんと強情な……」
溶けたバターのような顔でギルベルタは喘ぎながら言葉を漏らす。
その息は荒く、鞭の持ち手を掴む手は小刻みに揺れている。
懲罰房では鞭の音は止み、代わりにギルベルタの馬鹿でかい呼吸音と俺を「お貴族様」と涙声で呼ぶ店員の声が鼓膜を揺らす。
「だ、……い……です」
何処をどう見ても大丈夫ではないけれど俺は殉教者のごとき微笑を返す。
視界が酷く不鮮明な所為で彼が今どんな表情をしているのか定かではないが、声色から察するに号泣しているのだろう。
その涙を拭ってやりたいが腕が、否、体が言うことをきかない。
鞭の殴打を受け続けた背中が心臓の鼓動と合わせて激痛を、地獄のような灼熱が俺を絶えず苛むと同時に急激に襲ってきた眠気が、もういいから休めと甘く囁く。
正直このまま眠りたい。
眠りたいのだがその後、彼がどんな目に合わされるか分からない。そんな思いが、俺に眠るという選択肢を選ばせてくれない。
必死に思考を手繰り寄せ、ギルベルタがいるであろう方向を睨み据える。
「おのれ、なんと小賢しいっ」
ギルベルタは奥歯が欠けるほどに噛み締め、もう一度腕を振り上げる。
そして前に放られた。
命の危機を前に脳が活性化したのだろうか。やけに間延びしたように感じられる時間の中で、俺は自身に迫る鞭の先を見た。
避ける気力はない。
今の俺に出来る事は次に来るその痛みを受け入れて耐えることだけだ。
反射的に瞳を閉じる。
その漆黒の世界の中、覚悟を決め――。
「――――――――え」
――何故か痛みは来なかった。
死んだ貝のように閉ざしていた瞼を開けば最初に飛び込んできたのは光の盾。
次は盾越しのギルベルタだった。
彼は凍りついたように動きを止め、出入り口だろう場所へ注意を向けている。
その視線に引き摺られるように、俺も同じ方向へ顔を向ける。
――なんか沢山いた。
そこには四人の姿があった。
一人は色味からフラウディオだと分かるのだが、残りは金と紫と新橋色。
誰だ?
いまいち働かない頭で考える。
重くなる目蓋で一つ瞬きをした後、それらの内、三つが俺の名を呼ぶ。
どれも聞き覚えがあった。
残り二つが誰のものであったか、脳が補完しようとした瞬間――
「ひぃっ!」
ギルベルタが掠れた悲鳴を上げる。
見れば新橋色の子供が何も持っていない右手を広げ、ギルベルタに対して伸ばし、魔法を発動させる。
<聖縛>
聖のつく言葉から恐らく神聖魔法の中の拘束を主とした魔法だろう。
何処からともなく現れた光の輪はギルベルタの上下真ん中全てに嵌め込まれる。
そしてボンレスハムが転がるように体勢を崩したギルベルタが床に崩れ落ちた。
「随分と舐めた真似をしてくれたのぅ」
新橋色の子供から自棄に年寄りがかった冷たい口調が発せられる。
そこから先は見えなくなった。
フラウディオが俺を抱きしめてきたからだ。
「ごめん、ラシェ……ごめん」
その手は、体は小刻みに震えていた。
「だいじょ、ぶですよ」
「フラウ。それよりポーションだ」
「医療班は早くこちらへ!」
遅れてアルヴィスとミカエラの声。
――なんでここに君等がおるん?
そう思った矢先、気が緩んだためか、俺の意識はそこでぱったりと途切れた。
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