君とのキスは、涙味。

くすのき

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僕は、貴方がわからない。



 死んでくれれば良かったのに。
 鈴を転がすような耳通りのいい声が頭の中で反芻はんすうする。
 理解できない。したくない。

「なに、をいってるんですか」
「? なにってわたくしの本心だけど」
「っ。貴女は夏史先輩のお母様じゃないんですか」
「ええ、母親よ。ただし、血の繋がりは一切ない戸籍上の母親だけどね」

 唖然あぜんとする雪弥を余所に自称母親の女は入室するなり、夏史本人の元ではなく、一直線で机に近付く。そうしてその上にブランド物だろう大きめな紙袋に置き、傍にあった夏史の私物――財布――から抜き取った一万円札を横に並べた。

「貴方、それの後輩って言ってたわよね。悪いんだけど、それが目を覚ましたら着替えはここにあるって伝えてくれない?」
「え」
「私、忙しいの。お駄賃もここに置いておくから宜しくね」
「つ、ついててあげないんですか!?」

 雪弥の問いに、彼女は心底不思議そうな表情を浮かべる。

「私が? どうして?」
「かっ、家族でしょう」
「家族? 私もそれもお互い家族だなんて思った事、一度もないわよ?」
「っ、」

 絶句する雪弥に女は、病院には私の方から話は通しておくからとだけ言うと、しずしずと特別室を出て行く。
 待ってと伸ばされた雪弥の手が虚しく空を切る。再び訪れる静寂。
 居心地の悪いそれに吐息をもらした直後、ベッドの夏史が微かに身動ぐ。

「うっ……」
「!? な、須天先輩!」

 慌てて駆け寄ると、薄く目を開いた夏史が雪弥を見た。

「……雪?」
「そうです、僕です。此処が何処か分かりますか」
「……雪にあえるなんて良い夢だな」
「え」

 夏史の顔が、へにゃりと歪む。
 どうやら彼はまだ自分が夢の中にいるのだと誤認しているようだった。
 布団を押し退けて伸ばした手が、雪弥の頬に触れる。

「ないてる」
「泣いてない、です」
「……ごめんな」
「本気で、思ってもないくせに」

 そのまま、はらはらと流れ落ちる涙を夏史は優しく拭い取る。

「死んじゃうかもしれなかったんですよ」
「ごめん」
「僕がどれだけ怖かったか分かりますか!」
「うん」
「貴方なんてキライ。キライ、キライ、キライ」
「そっか……」

 すんすんと鼻を鳴らす雪弥に釣られるように夏史の目にも涙が浮かぶ。

「いっぱい傷つけてごめん」
「はい」
「もうぜったいしない」
「嘘」
「こんどこそたいせつに」
「オナホとして大切にされても嬉しくない」

 そこで限界を迎えたのだろう。うつらうつらとしていた夏史の目がゆっくりと閉じ、やがてまた規則的な寝息を上げた。

「……なんで否定してくれないの?」

 もう書き置きだけ残して帰ろう。
 そう決意して、布団の上に落ちて夏史の腕を戻してやろうと掴んだその時、彼の手が雪弥を掴む。
 心臓が跳ねる。だがしかし夏史の意識は夢の世界へ飛び立ったままだった。

「……離してくださいよ」

 空いてる方の手で、ぺしぺしと訴えるも何故か握力が強まる。痛いとまではいかないけれど、絶対に放さないという謎の強い意志を感じた。現に雪弥が力の緩むのを見計らって腕を引こうとする度に、夏史の手はそれを阻む。
 格闘すること五分。
 結局、雪弥の方が根負けした。
 左手でどうにか携帯を操作し、秋麿へのメッセージを送る。
 『いま友達のところにいるんだ。帰りは遅くなるか泊まらせてもらうから、秋くんは気にせず先に寝てて』
 若干の心苦しさを覚えつつ、雪弥は携帯を閉じる。

「早く起きてください」

 そう口にしながらも雪弥は夏史を無理に起こそうとはしなかった。それどころか、時折、悪夢を見ているのだろう夏史がうめき声と雪弥を呼ぶ声を上げるたび、自分は此処にいると宥める。

「ゆ、き……」
「はい」
「ゆき」
「はい」
「ゆるして、くれ」
「嫌です」
「すきだ……」
「……どうせオナホとしてでしょう」

 そんな会話を数度繰り返し、泣き疲れに襲われた雪弥は気付けば意識を落とした。その内、すぅすぅと穏やかな寝息が重なり、夜はあっという間に過ぎていく。
 雪弥の携帯が明かりを灯す。
 ロック画面に表情されたのは、秋麿からのメッセージだ。

 『了解。雪くんもおやすみ』

 十五秒の猶予ゆうよが過ぎて、液晶がぷつりと光を閉ざす。
 時計の針の音が嫌に大きく響いた。



 翌朝、自分の寝顔を見下ろし頭を撫でていた夏史に驚き、雪弥が椅子から転げ落ちるまであと8時間。
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