君とのキスは、涙味。

くすのき

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貴方を許すための条件。



 救急車のサイレンが鳴っている。
 そんな不愉快な目覚ましに起こされた雪弥はその場で軽く身動いだ。
 不明瞭な視界で周りを見渡す。
 薄暗かった寝室は闇色に、肌寒かった室温は完全に冬の尖りをみせている。
 なぜこうなったのか。
 あのキスの後、意識消失した夏史をどうにか寝室まで運搬した結果、引き摺り込まれて今に至るという訳だ。
 腹前に回された腕が僅かに緩む。
 その手の持ち主である夏史は雪弥を背後から抱きしめたまま、すぅすぅと寝息を立てていた。
 器用に身体を反転させ、彼の額に手を添える。就寝前、貼るカイロのように温かかったそこは少し熱い程度に下がり、荒い呼吸もなりを潜めていた。
 薬が効いたようだ。自然と安堵の息が漏れたタイミングで、雪弥の背に寒気が走る。
 枕元の洒落た温湿度計つき置き時計を確認すれば、時刻は22時39分。室温はたったの17度。
 そりゃあ寒くて暗くて、悪寒も走るというものだ。一人納得した彼は、勝手ながら近くにあったエアコンのリモコンで暖房のスイッチを入れる。
 最新式なのだろうそれは三秒ほどで暖かい風を吐き出し、部屋の中をじんわりと温めていく。
 雪弥はポケットに入れていた携帯を取り出し、休眠を解除する。
 その眩しさに眉を寄せた途端、雪弥の表情がやっちまったとばかりに歪んだ。表示されていたのは秋麿からの不在着信と夥しいメッセージ。
 図書館へ行くのだからと、マナーモードにしていたのが仇となった。
 大急ぎで謝罪と無事の報せ、夏史とはぼかして経緯を添えて送り返す。
 すると液晶光が眩しかったらしい夏史が目を覚ました。

「んぅ……眩しい」
「あ。すみま、せん?」
「いまなんじ?」
「22時42分です」
「ああ、十時……十時!?」

 夏史の切れ長な美しい瞳がこれ以上なく広げられる。どうやら相当な衝撃だったらしい。

「なんというか……ごめん」
「そのごめんは“どの”ごめんですか」
「色々と」

 あのキスもごめんなのか。
 目を伏せた雪弥に、夏史は慌てて弁明を始めた。

「あ、色々って言うのは前回の迷惑も含めた事で。そう! 薬とタクシー代! 雪が出してくれてたよね。幾らだったっけ」
「……別に良いですよ。払ってなかったスマホのクリーニング代だと思ってください」
「なんの」
「言ってたでしょう。弁償しろって」

 それは雪弥を肉オナホと告げた日。
 彼の涙がついた携帯を拭きながら夏史が言い放った言葉だ。
 夏史の顔が面白いくらい青くなった。

「要らねぇっ! そんなの要らねえから!」
「……そうですか。じゃあ僕を庇って入院した時の費用についてですが」
「そっちもいい!」

 もう何も言うなとばかりに夏史は雪弥を強く抱きしめる。

「悪かった。俺が全部悪かったから……」

 声はとても弱々しい。

「……後藤先輩から貰った過去問に解説と助言をつけたのは須天先輩ですか?」
「うん」
「なんで」
「雪の役に立ちたかったから」
「それでアルバイトして、そのお金でプレゼント贈って、毎日僕に手紙出して、自分の勉強して、僕の専攻の勉強までして、挙げ句体調崩して――馬鹿じゃないですか」

 雪弥の声も震えていた。

「ああ。俺、馬鹿なんだ。馬鹿だから雪をいっぱい傷つけて泣かせて苦しめた。すごく後悔してる」
「今更」
「ほんと今更だよな」
「僕がどんな気持ちでっ」
「うん」
「貴方には一生分かる訳ない」
「……うん」
「何を言われても信じられない」
「ごめん」
「貴方を許したくない」
「……うん」
「許したくないのに! どこかで貴方を信じて許したいって思う自分がいてすごく……今すごく、苦しい」

 ほんと馬鹿みたい、と泣き笑いした刹那、夏史が雪弥に覆い被さり、その唇にむしゃぶりつく。

「ん、っ、ぁ、んぅ、ぷはっ」
「雪、雪、雪」
「んぅっ!」

 侵入した熱い舌が雪弥の舌に絡み、何度も何度も優しくなぞる。気付けば雪弥も必死になってそれに応え、夏史の背に手を回していた。
 エアコンの音に負けないキスの水音が室内に響く。

「は……ぁ、ん……」

 チュパッと恥ずかしい音を出して離れていった唇から透明な唾液の糸が伸びて千切れた。とろんとした目で夏史を見上げれば、欲に濡れた夏史の目が自分を映し、どうしようもなく腹の奥が疼いた。

「雪……」
「――あっ」

 夏史の手が雪弥のコートに触れる。
 ぐぅううう。

「……ごめん」

 夏史の腹の音だった。
 羞恥に染まる彼に呆気に取られていると、雪弥の腹もその後に続く。

「っ、」
「もう十時っていうか十一時だからね、何か軽く食べよう。確か山崎さんが作ってくれた作り置きがあったと思うんだけど……雪、どうかした?」
「山崎さんって誰ですか」

 初めて見た雪弥の嫉妬に夏史の笑みが深くなる。

「ガキの頃から身の回りを世話してくれてる家政婦さん。今年で62歳」
「え」
「安心した?」
「あ、あ、安心も何も不思議に思っただけです!」
「そっか。俺は雪が嫉妬してくれたんだって思ってちょっと嬉しかった」
「しっと!?」
「用意してくるから雪は待ってて」

 ぱたんと扉が閉まる。
 一人取り残された寝室で、雪弥は直ぐさま自分の顔を覆った。思い出すのは、先程の行為と自分の言動だ。まるで恋人同士のようなやり取りに、顔から火が出そうだ。

「ううっ。まだ完全に許した訳じゃないのに……」







 


 夕食は、件の山崎手製の茸グラタンを二人で分けて食べた。
 そしてあまりに遅い時間だった為、帰宅は不安だという夏史の圧に負けた雪弥は大変不本意ながら彼の家に泊まることにした。
 夏史のシャンプーを借り、夏史の服――下着は何故かサイズぴったりな新品があった――を借り、寝台(こちらも圧に負けた)で二人並んで横たわる。

「雪、寒くない」
「少し」
「抱きしめていい?」
「っ、……勝手にすればいいじゃないですか」
「雪の嫌がる事は、出来るだけしたくないんだよ」

 そう言いながら夏史は壊れ物を扱うように雪弥を腕の中に納める。
 耳を澄ますと、とくんとくんと心臓の音がして不思議と安心した。

「関わるなって言ったのに無視した癖に」
「それは……ごめんなさい」
「もう二度とオナホ扱いしないで」
「絶対にしない」
「酷いこと言わないで」
「言わない」
「プレゼントと称してゴミ押し付けるの止めて。好きでもないキャラクター物渡されるの凄く辛かった」
「え」
「え?」

 見上げた夏史は戸惑ったような様子だった。

「……違うんですか?」
「ゴミなんて渡してない。ちょっと待ってて」

 抱擁を解いて自身の携帯に触れた夏史は何やら操作すると、雪弥に向けて画面を見せた。
 そこには、かつて雪弥が所有していたハリネズミとカピバラ人形のプロフィールが表示されていた。

「これが何なんです?」
「アイツ、秀頼にハリネズミが俺、雪がカピバラに似てるって言われたんだ。それで調べたらその、此奴ら番で」

 雪弥の目が驚愕に見開かれる。
 確かにプロフィール欄にはハリネズミとカピバラは番と書かれていた。
 そして夏史からこの二体以外貰った事はなかった。

「え、じゃあ一時期あの飲み物ばかり飲んでたのってまさか」
「雪にどうしても渡したかったんだ……っ雪!?、どうした。もしかして泣くほど嫌だったか?!」
「ちがう」

 ぼろぼろと泣き始めた雪弥に、慌てた夏史は懸命に涙を拭う。

「なんで」
「うん」
「なんで言ってくれなかったの」
「え」
「僕、アレ捨てちゃった」
「そう、なんだ。じゃあまた俺が」
「アレがいいのぉ」


 ぐすぐすと泣き続ける雪弥の背を夏史は静かに叩く。泣き止むまでずっと――。



「落ち着いた?」
「……うん」
「良かった。――そうだ。ちょっと待ってて」

 そう言って立ち上がった夏史は机の引き出しから袋を取り出し、その中から何かを出し、その何かを雪弥の腕に嵌めた。

「……これ」
「ちょっと早いけどクリスマスプレゼント。俺の手作りなんだ」

 右手首のブレスレットが、きらりと光る。銀のチェーンに雪の結晶と小さな花火が仲良く並んでいる。

「っ、」
「あ、これも趣味じゃない!?」
「ちがう、ちがうちがう」


 雪弥は右手首ごと、ぎゅうっと抱きしめる。

「喜んでくれたみたいで良かった」
「……大事にする」
「うん」
「でも一年間はエッチしない」
「うん――うん!?」
「それが守れたら夏史先輩を許すかどうか決め、ます」
「……」
「夏史先輩?、わっ!」

 一時停止した夏史を不思議に思った雪弥が身を起こした途端、夏史は彼を痛いほど抱きしめた。

「守る、絶対守るからっ」
「……はい」




※次回は秋麿との一悶着回です※
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