君とのキスは、涙味。

くすのき

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君とのキスも、涙味。

「雪、本当に大丈夫?」

 翌夕。
 柑橘の香り漂う玄関にて、夏史が不安げに尋ねた。

「俺の風邪うつった所為で、まだシンドイでしょ」
「大丈夫です」
「朝よりは熱は下がりましたよ」

 量販店の冬コートに似つかわしくない高級そうなマフラーを巻いた雪弥は、むんと胸を張った。

「下がったっていっても37.8だろ。やっぱまだ休んだ方が」
「やだ」
「雪」
「いーやーでーすー」
「雪ってこんな強情だった?」
「僕は元々こういう性格なんです」

 マフラーと同色のぶかぶか手袋を装着した雪弥の手が、夏史の胸板をてしてしと叩く。

「~~っ。……ヤバい、可愛い」
「? なにか言いましたか?」
「あ、いやなんでも無い。雪、一応さ下にタクシー待たせてあるけど駄目そうなら遠慮無く戻って。乗って帰れるようなら支払いはさっき渡した電子マネーを使って……どうしたの?」

 何故か呆気に取られている雪弥に首を傾げる。

「……なんか手慣れててムカつく」
「クハッ。別に手慣れてないし、こんな事、雪以外にしないよ。つかしたいとも思わねえ」
「…………うそつき」

 そう悪態をつく雪弥の耳は、熱とは異なる赤みがさしていた。それを見た夏史が、くすりと笑う。

「そうだ。雪にもう一個渡す物があったんだ。手出して」
「こう?」

 夏史のポケットから雪弥の手に渡ったのは、車のリモコンと同サイズのリモコンキーだ。

「鍵、ですか?」
「うん、此処の合鍵。雪が来たいと思った時はいつでも来て」
「……僕が悪用するかもしれないって考えないの」
「雪はしないだろ」
「…………お部屋を荒らすぐらいは出来ます」
「ハハッ。じゃあその時は寝室だけにしてくれると嬉しい」

 他はなんで駄目なの?と言いたげに眉を寄せた雪弥の眉間に口づける。

「寝室は俺と雪だけの場所にする予定だから」
「……家政婦の山崎さんが入るじゃないですか」
「残念。あの人にはガキの頃から寝室だけは入らないようお願いしてる」
「……ふぅん」

 マフラーの下に隠した雪弥の口元は、にやけていた。

「じゃあ僕、帰ります」
「ん。気をつけてな」
「……帰宅したら連絡しますから」
「! うん! うん! 待ってる、待ってるから!」

 雪弥の意図を察した夏史はこれ以上なく顔を明るくさせ、首を上下に振る。
 そうして雪弥が出て行った玄関扉がパタリと閉まる。夏史は直ぐさま自身の携帯を開き、雪弥とのトーク画面を開くと、あのハリネズミのスタンプを彼に送りつける。
 “すき”、“だいすき”、“あいしてる”
 三つの愛。
 その一秒後、今まで絶対に既読にならなかったそれに表示が付き、“しってる”というカピバラのスタンプが送り返される。

「雪もこのスタンプ買ってくれたんだ……あ」

 雪弥から次のメッセージが届く。
 『夏史先輩も病み上がりなんですから、きちんと寝てください』
 夏史の口元がだらしなく緩む。よほど嬉しかったのだろう。その後も愛の告白スタンプを送り続け、最終的に雪弥から鬱陶しいと窘められた。






「ただいまぁ……」
「雪ちゃん!!」

 一日ぶりに帰宅した雪弥を待ち構えていたのは、玄関でスタンバっていた秋麿とその彼からの熱い抱擁だった。
 鼻腔を擽るミントの香り。
 いつも嗅ぎ慣れたそれに、雪弥は今日に限って何処か落ち着かない様子で身を強張らせた。

「し、秋くん!?」
「心配したんだよ」
「あ……ごめんなさい」
「ううん。それより体調はどう。どこが痛いとかある?」
「大丈夫。朝は熱が出たけど今は大分下がったから問題ないよ」
「熱? ちょっとごめんね」

 抱擁を解いた秋麿の右手が、雪弥の額に伸びる。

「いや、全然熱いよ!」
「秋くんの手が冷たいから余計そう感じるだけじゃない?」

 こてりと首を傾げる雪弥だが、その顔は夏史の家に滞在していた時より赤く、発熱しているのは明白だ。
 これはマズいと判断した秋麿は有無を言わさず雪弥を横抱き――所謂お姫様抱っこ――にし、二階へと駆け上がると雪弥の部屋の扉を開けた。
 そして怒涛の勢いで、雪弥のお出掛け冬装備をお休みお眠り装備に切り替えさせ、彼を布団の中に収納する。

「よし。雪ちゃん、薬は」
「薬? 朝は飲んだよ」
「じゃあ軽くつまめる物持ってくるから待ってて」
「別にお腹空いてないから薬だけでいいよ?」
「空きっ腹に薬は駄目だよ。……そういえば冷蔵庫にゼリーあったような。あと薬と体温計持ってくる」

 待ってて、と秋麿は慌ただしく部屋を出る。

「……なんか悪いなぁ」

 若干の後ろめたさを感じていると、秋麿が枕元に置いてくれた携帯がピロンと鳴る。開いて見れば差出人は夏史。
 帰宅とだけ送った雪弥の短い文章に、彼から『無事に帰れたみたいで良かった。ゆっくり休んで』の返信だ。
 雪弥の顔が綻ぶ。
 次いで液晶にまた、愛を叫ぶハリネズミが表示される。一個二個三個……どれだけ送るつもりなのだろう。まるで付き合いたての小中学生みたいだなと、しょうのない子供を眺めるように雪弥の目が細くなった。

「雪ちゃん、お待たせ。林檎味だけど飲める?」
「ん、大丈夫」

 渡されたパウチの先を口に含むと、甘酸っぱい林檎の味がした。

「……おいしい」
「良かった。あ、薬はここに置くから食べたら飲んでね。あと体温計と水も置いとくから」
「ごめんね。頑張って明日には元気になるから」
「そんなのいいから。雪ちゃんは何にも気にしないで寝てて」

 優しさが胸に染みわたる。

「秋くん優しすぎ」
「そう? あ、でも大事な雪ちゃんの看病だからかな」
「アハハ。その分なら秋くんが将来、家庭をもっても安心だね」

 秋麿の顔が僅かに曇る。

「秋くん?」
「……俺、知らない誰かと家庭を築くつもりなんかないよ」
「? 今じゃなくてもいずれだよ?」
「俺はっ!」

 そこまで言った秋麿は言葉を詰まらせた。軽率な発言だったかもしれない。雪弥がごめんと謝ると、彼は少し傷ついた様子ながらも、にこりと微笑んだ。

「俺こそ、ごめん。薬飲もっか」
「あ、うん」
「あれ? そのブレスレット」

 右手首に、しゃらりと下がる腕輪に秋麿が気付く。

「あ、これクリスマスプレゼントに貰ったんだ」
「そうなんだ。よく似合ってる」
「ふふっ。ありがとう」
「…………雪ちゃん、それ誰から貰ったの」
「え、誰からって……!?」

 見上げた秋麿の顔を見た雪弥は体を強張らせる。空気がひりつき、初めて彼が怖いと思った。

「秋、くん?」
「答えて」
「とっ、友達だよ。どうしたの、秋くん。怖いよ」
「ともだち……ハハッ。嘘つき」

 秋麿の手が肩に触れ、ベッドに押し倒された雪弥は突然の出来事に目を白黒させて狼狽える。

「な、なにするの、秋くん。冗談きついよ?」
「冗談じゃないよ」

 雪弥を押し倒し、覆い被さった秋麿が、うっそりと笑う。

「しゅ、くん……んぅっ!」

 秋麿の唇と雪弥のそれが重なる。
 当然雪弥は逃げようとするが、両手は秋麿の指が絡みつき、それを阻む。
 ぴちゃ、じゅる、ぢゅう。
 角度を変えて何度も吸われ、甘噛みされ、雪弥はきつく目を閉じた。
 夏史の時は歓喜に打ち震えた行為なのに、今は嫌悪感でいっぱいだった。
 一頻り堪能した秋麿がようやく唇を離す。

「はぁ……雪ちゃん」
「っく。なんで……なんで、こんな酷いことするの」
「酷いのは雪ちゃんだよ」
「や、もうやっ、んぅ!」

 ぼろぼろと涙を流す雪弥のそれを舐め取り、また秋麿が深く口づける。
 その時だった。
 雪弥のスマホが一つ鳴る。
 それに気付いた秋麿はキスを中断し、通知をタップする。

「あぁ……やっぱり」

 室内に雪弥の嗚咽と秋麿の落胆の声が静かに響く。

「ねぇ、雪ちゃん。雪ちゃんは俺だけ見てよ」
「ひぐっ、も、やだぁ」
「雪ちゃん、好き。好きだよ」
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