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8.若き王は苦悩する
しおりを挟む不貞腐れたジャフィーに後宮を追い出され、ルグレアは小さく溜息を吐いた。
同時に、控えていたのだろう従者が寄ってきて指示を仰ぐので、「手筈通りに」と短く告げる。ジャフィーの館と職場から必要なものを運び出すための用意は、事前にミトに行わせていた。
ルグレアにとって、ジャフィーという男は、己の生み出す炎よりもずっと鮮烈な、火花のような眩さを持つ紅蓮である。
はじめて彼の瞳を見た――否、彼に見られてから、ルグレアはずっと、どんな宝石よりも眩いその瞳に、囚われ続けていると言っていい。ジャフィー本人に未だその自覚がないとしても、だ。
「悪く思うなよ、……ってのは、流石に虫が良すぎるか」
非合意の性行為からの監禁は、立派な犯罪行為である。どれだけ言い訳を重ねようと、ルグレアがジャフィーの一言に我を忘れたことに間違いはない。もう少し穏便にことを運ぶつもりだったのに、という後悔と、どうせこうなっていた、という諦念とが同時に押し寄せて、ルグレアは軽く蟀谷を揉んだ。
大事にしたかった。手に入らなくてもいいと思うぐらいに。
けれども愛していた。絶対に手放せないと思うぐらいに。
相反する感情を抱え続けた結果、後者が勝ったというだけの話だ。ルグレアはジャフィーを手放せなかった。絶対に。王宮へと向かい、ルグレアの執務室側に控えていた魔術師たちに短く尋ねる。
「術はどうだ。綻びはないか」
「は。万全にて」
「それは重畳。……お前も知ってると思うが、あいつは規格外だからな。いつ気付いて解こうとしたっておかしくない。注意を怠るな」
「はい」
指示を受け、魔術師たちが持ち場へと戻っていく。
『術』とは、後宮にもともと掛けられていた『古い魔術』──後宮に囚われた美姫たちを決して逃さぬようにするための術、ジャフィーが『気持ち悪い』と漏らしていた術のことだった。
幸いというべきか、その中のひとつの『認識阻害』がジャフィーにも作用したのだろう、目覚めたジャフィーはその魔術のことを忘れたようだった。『認識阻害』は、そもそもの思考の方向性を操り、後宮という空間そのものに対する違和感を感じさせないようにする高度な精神感傷魔術である。いくらジャフィーが有能であっても、『認識していない』術を解くことはできないだろう、という目論見が、とりあえずは成功したらしい。
ジャフィーには、後宮に居てもらわなくてはならないのだ。──少なくとも、当面は。
ルグレアは執務室の自席に深く沈み込み、しばらく、無言で目を閉じた。
──思い出されるのは、遠い日の、出会ったばかりの頃のジャフィーの姿だった。
『退屈なんだ』
『どうして自分なんかに絡んでくるんだ』と尋ねたルグレアに、本当に退屈そうにジャフィーは言った。
『俺は多分、反乱軍を一晩で皆殺しにできるし、堤防を整備して数千人の命を救えるし、冷害に強い作物の開発も出来るし、南の流行り病を治すこともきっとできる。魔術でね』
なんでもないことのように、とんでもないことを言う。けれどもそのビッグマウスがビッグマウスでない、単純な事実であることを、当時のルグレアはもう知っていた。だからルグレアは笑わずに、ジャフィーのつまらなそうな声を聞いていた。
『偉大なる征服王が帝国の版図を切り開いてから千年と少し。この国はこんなに広大で、やるべきことはたくさんあるのに、俺はどこにもいけないんだ。俺はなんにも見れないんだ。せっかく帝国に生まれたのに。せっかく天才に生まれたのに。俺はただ、『天才魔術師』が近くに居ないと不安な爺どものせいで、戦どころか旅行にさえ行けない。禁じられてるんだよ、都から出るのを』
まるで籠の鳥だ、と、籠の鳥のしおらしさのひとつもなくジャフィーは嘆き、ルグレアはひとり納得していた。
ルグレアが公爵家に迎え入れられる前に所属していた軍内部では、魔術師不足に対する怨嗟の声が激しかった。ジャフィーほど万能な魔術師はそうはいない。しかし、一般的な魔術師であっても、索敵にせよ強化にせよ回復にせよ、いるのといないのとでは大違いだからだ。
囲っていたのか、とルグレアは思った。
万が一の時のために、優秀な魔術師はすべて、王宮近くに留めておく。
それが、各地の反乱がいよいよ抑えきれなくなってきている今このときの、王とその周りの判断だったのだ。内心で苦虫を噛み潰しながら、ルグレアは尋ねた。
『行けるなら行きたいのか? 王都の外に』
『そりゃ行きたいよ。凍る森も空に光る帯も、無限に広がる砂地も無限に広がる海も。考えただけでワクワクするものが、この大陸にはたくさんあるって言うのに、どうして俺はそれを見に行っちゃいけないんだ? うんざりだよ、もう』
ジャフィーはぺらぺらとよく口の回る男で、けれども、可愛い顔に反してすこし低めの声は、不思議と耳に心地よかった。ため息をひとつ吐いてから、『でもね』と気を取り直したようにジャフィーは続ける。
『昔に比べたら、今は全然マシではあるよ。ルグレアが居るから』
『……俺が? どうして』
『君が、毎日騒ぎを起こすからさ。俺は楽しくて仕方がないんだ。……そう、御前試合なんて最高だったな。王肝入りの近衛騎士を、君が一太刀で伸した挙げ句に、王の大のお気に入りだっていう彼の金髪までチリチリに焦がしてさ! いやあ、笑ったな、あのときは』
御前試合というのはその名の通り、王をはじめとした貴族たちの前で、若く美しい男が鎬を削るというタイプの見せ物である。一応『勝者は望みが叶えられる』なんていうお題目付きだ。
ルグレアはそれに参戦し、見事に優勝を勝ち取ったのだ。――元々はほとんど八百長であり、王のお気に入りが褒美を貰うだけだったはずのシナリオを完全に無視して。
『君が優勝したときの、王様の顔ったらなかったな。それでも王様は『何が望みだ』って尋ねてくれたのに、君は真顔で『国』とか返してさ。反逆罪だよ普通に』
『『そんなに欲しければ獲ってこい』って、来週から前線送りだけどな』
南で燻り続けている反乱は収束の兆しを見せず、王はもしかしたらもはや戦場に容易く送り出せなくなった『公爵家嫡男』のルグレアを、どうにかして行かせる名目を伺っていたのかもしれない。王都にいたところで腕が鈍るばかりだし、それそのものは構わないのだが――と考えたところで、ふと思いついてルグレアは尋ねた。
『お前も来るか?』
『え?』
『『反乱軍を一晩で皆殺し』。そうしてくれるってんなら、こんなに楽な仕事はない。王はお前をどこにも行かせたがらないって話だったが、今回は御前試合の報酬ももらってないようなもんだし、どうにか言いくるめられるだろ。――お前、俺と一緒に戦場に来るか』
そのときの、ジャフィーの瞳の輝きを、一体何に例えよう。
血の匂いも、人の肉が焼ける匂いも、人を殺すということも──戦場のことを何ひとつ知らない男は、まるで遊びに連れて行ってもらう約束をしてもらった子どもみたいに、きらきらした目で何度も頷いた。
『行く! 絶対行く!!』
それがすべてのはじまりだった。
おわりのはじまり。
ふたりはあっという間に反乱軍を鎮圧し、以降、帝国は、ルグレアのごく個人的な武とジャフィーの天才的な魔術がなければ、国土を維持することができなくなった。
ルグレアが王となる下地は──国民的英雄、救国の騎士、そういうものとして崇められることになる発端たしかにあの日にあったのだ。
……そしてルグレアは今、あれほどまでに自由を求めた彼を、自ら籠から出したはずの鳥を、再び籠の中へと閉じ込める愚を犯そうとしている。
そう、これが愚かな行為だと、ルグレアは確かに理解している。
けれどももう、後戻りはできない。ルグレアは息を吐き、「大人しくしててくれよ、頼むから」と、小さく嘯いたのだった。
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