私の愛した彼は、こわい人

朱村びすりん

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第一章

11・辣腕オーナー

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 応接室をあとにし、レガーロ社を出た。
 曇り空が広がっていて、私の心情と重なって見える。
 ビルの前にある喫煙所で一服する神楽オーナーを少し離れたところで眺め、私は不満をぶちまけた。

「簡単にレガーロ社との契約を打ち切るなんて、どういうつもりですか。いくらなんでも酷すぎます」
「酷いのは俺か。文句ならレガーロ社に言え」

 オーナーの口から吐き出される副流煙が宙に昇っていく。

「落ち度は向こうにある。お前さんざん言ってたよな。化粧品が肌に合わない客ばかりだと」
「そ、そうですけど。効果を実感されている方もいらっしゃいます!」
「だったら残念な想いをした大半の客の気持ちはどうなる」

 ズバッと言われ、やはり返す言葉が見つからない。
 懸念していたことが現実となってしまった。
 納得できないよ……。
 今後、化粧品自体を販売できなくなってしまう。
 こんな心配すら、オーナーのひとことであっさりと解決されるのだが。

「安心しろ。新しい契約先は見つかった」
「え?」
「阿川に調べさせた。日英共同で開発された『ビュート』の化粧品を今後サロンで取り扱う。明日、ビュート社と契約を交わすことにした」
「そうなんですか……!?」

 ビュート化粧品は、フェイシャルケアで通われている沢田様がご友人からお土産でいただいたという化粧品。
 やっぱり。
 店長にビュート社について調べさせていたのは、代替商品の契約をするためだったんだ。

 オーナーは煙草の火を消して喫煙所から出るなり、私の前に立ちふさがる。
 背が高いから、嫌でも高圧的に感じてしまう。

「オンラインで向こうの営業マンとコンタクトを取った際、向こうはこっちの要望を真摯に受け入れた。阿川が言うには、商品の質も間違いないようだ。明日直接、本社に訪問して判を押してくる。早ければ今週の土日には商品がサロンに届くよう手配するぞ」

 急に、腑に落ちた。
 そっか。この人、はじめからレガーロには期待していなかったんだ。

「レガーロ化粧品の売上目標が十万円だなんて。無理難題で、おかしいなとは思っていたんです。最初からこうするつもりだったんですね?」
「おかげでいい結果に繋がった」

 いい結果。どこが……?

「化粧品を使用したお客様からの声を私から聞き出したのも、レガーロのマイナス面をあぶり出すためだったんですね。強制的に契約を打ち切って、賠償金まで請求する。さらには別の化粧品メーカーから質の良い商品をレガーロ社よりも安く仕入れて利益を増やす。これが、あなたの目的だったんですよね?」

 一部、私の想像も含んでいる。神楽オーナーが企てそうなシナリオだと思った。
 不敵な笑みを漏らすと、オーナーは突然、私の顎を指先で触れてきた。
 グッと顔が急接近する。
 ……えっ。な、なに?

「よく喋る口になったな」

 オーナーはぽつりと呟く。
 ほのかに、セブンスターの匂いがした。
 なんなの、これ……。どういう状況!?
 あと数センチ近づこうものなら、キスしてしまいそうなほどの距離なんですけど……?
 喫煙所で一服中のサラリーマンたちにじろじろと見られている。
 やだ。ものすっごく恥ずかしい!

 私がどきまぎしている傍ら、オーナーはすんと真顔になって離れていった。ポケットに手を突っ込み、背を向ける。
 わけわかんないよ、もう。
 オーナーは意に介さず、冷静にひとこと。 

「お前もエステティシャンなら客を一番に考えろ」
「そ、そんなのわかってます」
「彼氏が営業マンだからって、いつまでも不良品メーカーにこだわるんじゃねえ。私情を仕事に持ち込む奴は社会人として失格だ」

 ──ここでふと、タクトの顔がよぎった。
 ベル・フルールがレガーロ社との契約を打ち切った話はタクトの耳にもすぐさま入るだろう。
 家に帰ってきたら、タクトはなんて言うんだろう。どんな顔をして、どんな反応を見せて、どんな気持ちになるだろう。

 勝手に、体が震えた。寒気がして、止まらなくなる。

「帰るぞ。社用タブレットは明日お前がサロンに持っていけ」
「……はい」
「送っていく」

 スタスタと駐車場の方へ歩いていくオーナーのあとを、私は黙ってついていった。
 この間、頭の中はタクトのことでいっぱいになる。

 帰ったら掃除や洗濯を完璧にしておいて、お風呂も準備して、夕食も全て用意しておこう。それから……タクト好みの服を着て。笑顔を絶やさず接しないと。
 できるだけ、タクトが気持ちいいように過ごしてもらおう。
 大丈夫。大丈夫だから。
 心の中で「大丈夫」を繰り返す。自分に言い聞かせるため、何度も何度も。
 鞄に付けている御守りを握りしめ、気持ちを落ち着かせようと必死になった。

 駐車場に到着し、オーナーは私の方を振り返る。
 たちまち訝しげな顔をされた。

「なんだ、そのしけた面は」
「い、いえ。なんでもないです」

 大げさに首を横に振るも、途端に目の奥が熱くなった。

 ああ……まずい。このままだと、感情が爆発してしまいそうだ。
 いてもたってもいられない。

「すみません。やっぱり電車で帰ります」
「あ? なんだよ急に」
「本日はありがとうございましたっ」
「おい」

 神楽オーナーの困惑した声を無視して、私はダッシュで駐車場から抜け出した。

 駅に向かう途中、見る見る涙が溢れた。
 鼓動も早くなって、息が苦しくなっていく。
 道行く人が、私を見てくる。
 大量の涙を流してる女がいたらそりゃ変に思うよ。
 気にしてられない。
 私はタクトのために、やらなきゃいけないことがあるの。彼を怒らせないように。優しい彼でいてくれるように。私は、私が、気をつけないといけないの……!

 駅に着いたとき、スマートフォンがメッセージ受信を知らせた。
 ──タクトからのメッセージ。背中に冷や汗が滲み出る。

《アスカ。帰ったら話があるよ》

 絵文字もなにもない、シンプルなメッセージ。タクトがどんな表情で、どういう感情であるのか。これだけでは伝わってこない。ちっともわからない。
 私は一分以内に《わかりました》という返事と、ハートの可愛いスタンプを送った。

 早く、帰ろう。早く、帰らなきゃ。

 千代田線に乗り、電車の端っこの席に座り、息を整える。
 途中、社用タブレットを神楽オーナーから受け取るのを忘れていたことを思い出した。明日サロンで使うのに。
 けれど、オーナーにメッセージを送る余裕すらなくて。
 どうか今夜が平和でありますようにと、私は願うことに意識が捕らわれていた。
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