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第一章
13・救いの手
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※ ※ ※
平日の昼間。ひとつ仕事を終えた。
駐車場で、ボーッとしながら煙草をふかす。これで今日は何本目か。
息を吐き出すと、副流煙が赤坂の街を覆う曇り空へ昇っていく。
「あいつ……泣きそうな顔してたな」
思わず独り言ちる。
どうしても頭から離れない。鈴本アスカの顔。
俺がレガーロ社との契約を打ち切る宣言をした瞬間の様子がおかしかった。
最初は単に、営業マンの彼氏がいるからレガーロの商品にこだわっているのかと思っていた。
だが、ついさっき垣間見た彼女の表情。
なにかに怯えたような、焦燥感に駆られたような面をしていた。
単純な理由で、レガーロを推していたわけじゃないのか。そもそも彼女自身が商品に対してこだわりを持っていたわけじゃないのかもしれない。
気になるな……。
午後は別件で仕事が入っているが、数時間で片付けられる。
俺の鞄の中に忘れ去られたサロンの社用タブレット端末。これをあいつへ届けるついでに、彼氏の面でも見てやろう。
適当に昼飯を食ってから午後の用事を済ませ、横浜方面へと車を走らせた。
目指すは日吉のアパート。鈴本アスカが、彼氏と暮らす場所。
すっかり夜になってしまった。
アパートの裏に車を停め、タブレットを持って2階に向かう。
鈴本アスカの部屋の電気はついている。どうやら在宅しているらしい。
玄関前にたどり着きチャイムを鳴らそうとした手前で──
中から騒がしい声が聞こえてきた。
「あーあ。君には心底呆れたよ。女しかいないサロンで働いてるし、女友だちしかいないし、アスカなら他の男と浮気する心配はないと思ってたのに」
……この声は。聞いたことがある。
小野タクト。レガーロ社の営業マン。鈴本アスカと付き合っているとわざわざ俺に言ってきた男。
電話口でしか聞いたことはなかったが、声質と話し方が同じだ。
なにやら揉めているようだが。
「神楽がオーナーになってから、アスカは変わったよな。浮気するなんて、ありえないよ」
浮気? 彼女が、浮気なんてしたのか?
「最近、神楽の話ばかりしてるよね。仕事のことだから最初は許してたけどさ、結局アスカはあの男が好きなんだろ。僕がいるのに? ふざけるなよ、アスカ。なあ、アスカ!」
は……? まさか、俺のせいにされている!?
理解に苦しむ。勘弁してくれ。
小野タクトの絶叫はどんどん大きくなっていく。
たまらず、俺は玄関ドアから目を逸らした。同時に、隣の部屋のドアが半開きになっているのに気づく。
隣人の男とばっちり目が合った。騒ぎを聞いて様子を窺っているのだろう、隣人はなんとも怯えた顔をしている。
「あ、あの……。あなた、そこの住民の知り合いですか」
声を震わせる隣人。俺は小さく頷く。
「お隣さんから、毎日のように怒号が響いてくるんですよ。女の人の泣く声も聞こえてきますし……」
「なんだと」
「これってあれじゃないですか。DVとか……受けてるんじゃ」
隣人はスマートフォンを手に警察に通報しようとしているようだが、勇気がなくてなかなか行動に出せないらしい。俺に「あなたが様子を見てくれませんか?」などと訴えてくる。
そうは言われても。
「──君が他の男に目移りするなんて。そんなにはしたない女だったか? 殺してやる。殺してやるよ」
俺が躊躇するもお構いなしに、部屋の中からとんでもない言葉が聞こえてきた。
いよいよまずい。
「君が死んだら僕も生きている意味はない。一緒に死ぬ? ああ、いいね。永遠に君と一緒にいられるね。なあ、アスカ。苦しんで。もっと苦しめよ。苦しんで、死ね。死ねよ、死ね!!」
中でなにが起きてるかわからない。
さなか、彼女の苦しそうにもがく声が、微かに俺の中に届いた気がした。
──苦しい。
息が、できない。
助けて。
お願い。
助けて。
助けて──
このままじゃ、彼女が危ない。放っておけない。
「おい、開けろ」
ほぼ衝動的だった。
冷静になれ。俺。
「開けろっつってんだろうが!!」
ダメだ。冷静になれず、叫んでしまった。
勝手に左拳が、玄関ドアを叩きつける始末。
どんどんどんどん、と、何度も強く叩きつけてしまう。
彼女のことが心配なあまり、自分の行動を止められなかった。
「誰だ」
小野タクトの面倒臭そうな声がドアのすぐ向こうから聞こえてくる。
「鈴本を出せ、コラ」
「アスカを? ふざけるなよ……」
とにかくドアを開けさせるのが最優先。ぶっ壊すのが容易く手っ取り早いが、さすがにそれは最終手段とする。
「お前。まさか、ベル・フルールのオーナーか」
「わかったらさっさと開けろ」
「できません。エステサロンのオーナーが、こんな手荒な真似をしていいんですか?」
「俺はただ、鈴本に忘れ物を届けにきただけだが?」
社用タブレットだよ。それを彼女が忘れたおかげで、俺はとんでもない現場に居合わせてしまった!
考えただけで、イライラしてくる。
「神楽オーナー、すみませんでした。今、開けます……!」
彼女だ。彼女の嗄れた声がした。
それと同時に、勢いよくドアが開かれる。
──今だ。
すかさずドアの中に手を伸ばした。細くて冷たいその手を掴み取り、彼女を外へと導き出した。
少しでも戸惑ってしまえば、俺はきっと行動に出せなくなる。
もう、勢いに任せるしかない。
平日の昼間。ひとつ仕事を終えた。
駐車場で、ボーッとしながら煙草をふかす。これで今日は何本目か。
息を吐き出すと、副流煙が赤坂の街を覆う曇り空へ昇っていく。
「あいつ……泣きそうな顔してたな」
思わず独り言ちる。
どうしても頭から離れない。鈴本アスカの顔。
俺がレガーロ社との契約を打ち切る宣言をした瞬間の様子がおかしかった。
最初は単に、営業マンの彼氏がいるからレガーロの商品にこだわっているのかと思っていた。
だが、ついさっき垣間見た彼女の表情。
なにかに怯えたような、焦燥感に駆られたような面をしていた。
単純な理由で、レガーロを推していたわけじゃないのか。そもそも彼女自身が商品に対してこだわりを持っていたわけじゃないのかもしれない。
気になるな……。
午後は別件で仕事が入っているが、数時間で片付けられる。
俺の鞄の中に忘れ去られたサロンの社用タブレット端末。これをあいつへ届けるついでに、彼氏の面でも見てやろう。
適当に昼飯を食ってから午後の用事を済ませ、横浜方面へと車を走らせた。
目指すは日吉のアパート。鈴本アスカが、彼氏と暮らす場所。
すっかり夜になってしまった。
アパートの裏に車を停め、タブレットを持って2階に向かう。
鈴本アスカの部屋の電気はついている。どうやら在宅しているらしい。
玄関前にたどり着きチャイムを鳴らそうとした手前で──
中から騒がしい声が聞こえてきた。
「あーあ。君には心底呆れたよ。女しかいないサロンで働いてるし、女友だちしかいないし、アスカなら他の男と浮気する心配はないと思ってたのに」
……この声は。聞いたことがある。
小野タクト。レガーロ社の営業マン。鈴本アスカと付き合っているとわざわざ俺に言ってきた男。
電話口でしか聞いたことはなかったが、声質と話し方が同じだ。
なにやら揉めているようだが。
「神楽がオーナーになってから、アスカは変わったよな。浮気するなんて、ありえないよ」
浮気? 彼女が、浮気なんてしたのか?
「最近、神楽の話ばかりしてるよね。仕事のことだから最初は許してたけどさ、結局アスカはあの男が好きなんだろ。僕がいるのに? ふざけるなよ、アスカ。なあ、アスカ!」
は……? まさか、俺のせいにされている!?
理解に苦しむ。勘弁してくれ。
小野タクトの絶叫はどんどん大きくなっていく。
たまらず、俺は玄関ドアから目を逸らした。同時に、隣の部屋のドアが半開きになっているのに気づく。
隣人の男とばっちり目が合った。騒ぎを聞いて様子を窺っているのだろう、隣人はなんとも怯えた顔をしている。
「あ、あの……。あなた、そこの住民の知り合いですか」
声を震わせる隣人。俺は小さく頷く。
「お隣さんから、毎日のように怒号が響いてくるんですよ。女の人の泣く声も聞こえてきますし……」
「なんだと」
「これってあれじゃないですか。DVとか……受けてるんじゃ」
隣人はスマートフォンを手に警察に通報しようとしているようだが、勇気がなくてなかなか行動に出せないらしい。俺に「あなたが様子を見てくれませんか?」などと訴えてくる。
そうは言われても。
「──君が他の男に目移りするなんて。そんなにはしたない女だったか? 殺してやる。殺してやるよ」
俺が躊躇するもお構いなしに、部屋の中からとんでもない言葉が聞こえてきた。
いよいよまずい。
「君が死んだら僕も生きている意味はない。一緒に死ぬ? ああ、いいね。永遠に君と一緒にいられるね。なあ、アスカ。苦しんで。もっと苦しめよ。苦しんで、死ね。死ねよ、死ね!!」
中でなにが起きてるかわからない。
さなか、彼女の苦しそうにもがく声が、微かに俺の中に届いた気がした。
──苦しい。
息が、できない。
助けて。
お願い。
助けて。
助けて──
このままじゃ、彼女が危ない。放っておけない。
「おい、開けろ」
ほぼ衝動的だった。
冷静になれ。俺。
「開けろっつってんだろうが!!」
ダメだ。冷静になれず、叫んでしまった。
勝手に左拳が、玄関ドアを叩きつける始末。
どんどんどんどん、と、何度も強く叩きつけてしまう。
彼女のことが心配なあまり、自分の行動を止められなかった。
「誰だ」
小野タクトの面倒臭そうな声がドアのすぐ向こうから聞こえてくる。
「鈴本を出せ、コラ」
「アスカを? ふざけるなよ……」
とにかくドアを開けさせるのが最優先。ぶっ壊すのが容易く手っ取り早いが、さすがにそれは最終手段とする。
「お前。まさか、ベル・フルールのオーナーか」
「わかったらさっさと開けろ」
「できません。エステサロンのオーナーが、こんな手荒な真似をしていいんですか?」
「俺はただ、鈴本に忘れ物を届けにきただけだが?」
社用タブレットだよ。それを彼女が忘れたおかげで、俺はとんでもない現場に居合わせてしまった!
考えただけで、イライラしてくる。
「神楽オーナー、すみませんでした。今、開けます……!」
彼女だ。彼女の嗄れた声がした。
それと同時に、勢いよくドアが開かれる。
──今だ。
すかさずドアの中に手を伸ばした。細くて冷たいその手を掴み取り、彼女を外へと導き出した。
少しでも戸惑ってしまえば、俺はきっと行動に出せなくなる。
もう、勢いに任せるしかない。
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