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第一章
14・救いの手②
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玄関には、小野タクトであろう男が立ち尽くしていた。俺より若干若く見える。二十代後半か。
見た目は清潔で、どちらかというと爽やか系に見える。
……彼女は、こういう男がタイプなのか?
「お前、レガーロの小野だな? うちの従業員になにしてくれてんだ」
「はい? なんのことです?」
こいつ。とぼけるつもりかよ。
「てめぇの怒号が外まで聞こえてきたが」
「ああ。それは、あんたのせいでもありますよ。僕の彼女を無断で連れ回しましたよね」
「はあ? バカかお前は。仕事だ」
被害妄想も甚だしい。勝手な思い込みで俺を巻き込まないでくれ。
「そもそも彼女は今日、休みだったんですよ。それを無理やり休日出勤させやがって。しかも、うちとの契約を勝手に解除した。僕が担当していたベル・フルールとの契約を……お前は……」
だんだん、小野タクトの口調が乱暴になっていく。
さなか──背後から裾を掴み取られる感覚がした。
俺の後ろで、彼女が体を震わせている。
この様子を見た小野は、こちらを睨み絶叫した。
「お前は僕の女まで奪おうっていうのか。許さない……許さない。返せよ。アスカを返せ!!」
どんどん小野タクトの怒りがヒートアップしている。面倒くせえな……。
「……待って、タクト」
と、俺の後ろで、彼女が怯えたような声を発した。
「誤解だよ。神楽オーナーとはなんにもない。私が好きなのは……あなただけだよ」
「本当か? アスカ」
「……うん。本当」
「だったら、こっちにおいでよ。そんな男のそばにいないで。僕のところに戻ってきなよ」
「……」
無言で、彼女はさらに俺の裾を握りしめる力を強くした。
彼女が並べた「台詞」は、この男を鎮めるために綴られただけの中身のない単語。
俺はすぐに彼女の本心でないと気づいた。
こんなにも虚しい愛の言葉が他にあるだろうか。
「どうした? アスカ。なんで、来ないんだよ?」
どんなに小野タクトが呼んだとしても、彼女は俺の後ろに立ったまま動かない。
「アスカ、聞こえないのか。こっち来いって言ってんだよ!!」
こいつの絶叫に、彼女が怖がっているのを感じた。
「大丈夫か」
そっと、後ろを振り向く。彼女の顔は真っ赤になっていた。
ふと黒髪のかかった首元を見て、俺はハッとした。
目が合うと、彼女はみるみる涙目になり──大粒の涙を落とす。
おい、泣くなよ。泣かないでくれよ。
瞬間、俺の中でなにかの糸がぶち切れた。
もう一度、小野の方を振り向く。
「こいつは、俺が預かる」
「はっ。なにを言い出すんだ? ふざけるな!」
喚くなよ。てめえに拒否権なんてない。
「お前みたいなイカれた野郎といたら、こいつの精神がおかしくなる」
「アスカは僕の恋人だぞ!!」
「なら、どうして優しくしてやらねえんだ」
「僕は優しくしている。アスカを愛してるんだ。僕だけのものだ!!」
「だったら──」
俺は手のひらで、彼女の首元にそっと触れた。
「恋人を傷つけるような真似はやめろ。こいつの首に締めつけられた跡があるぞ。てめぇがやったんだよな、小野。あぁ?」
「それは……知らない。僕じゃない!」
「とぼけるな。今の今まで、こいつに怒鳴り散らかしてたクソ野郎が」
「違う。僕のせいじゃない! ただ僕は、アスカのためを思って!!」
声を荒げ、小野は玄関に置いてあった傘をおもむろに手に取った。
「お前のせいだ。アスカがおかしくなったのは、全部お前のせいだ。お前さえベル・フルールのオーナーにならなければ!」
絶叫し、小野は俺に傘の先端を向けてきた。
こいつ、本物のバカだ。
俺の体は勝手に動く。こちらに向けられる傘の先端を、素早く掴み取った。
刹那、鈍い音が響く。
小野が手に持っていた傘は、直角に折れていた。
我ながら、綺麗に曲げられたと思う。
たった今俺を刺そうとしていたバカ男は、唖然としながら傘とこちらを交互に見ている。
「おい」
すかさず、彼女に目を向けた。
未だに状況が理解できていないのだろう、呆然としている。そんな彼女の手を、強く握りしめた。
「行くぞ」
「え。行くって……?」
「来い!」
無我夢中で俺は彼女の手を引き、その場から立ち去ろうと踵を返す。階段を駆け降り、アパートのエントランスを抜け出した。
その間、背後から足音が絶えず響いてきて。
「アスカ」
焦燥感に駆られたような、小野の声。
「アスカ。待て。待ってくれよ、アスカ──!!」
何度も何度も彼女の名を呼ぶバカ男。彼女はひとことも答えなかった。
彼女を離さないよう、俺は必死だった。
振り向いてはいけない。立ち止まってはならない。
このまま、このまま、逃げ切るんだ。
闇に包まれた住宅街を、息が切れるほど走り続ける。だんだんと、叫び声が遠のいていった。
背後に小野の気配が消えるまで、決して振り返ることはなく。
俺はしっかりと、彼女の手を強く握りしめるのだった。
見た目は清潔で、どちらかというと爽やか系に見える。
……彼女は、こういう男がタイプなのか?
「お前、レガーロの小野だな? うちの従業員になにしてくれてんだ」
「はい? なんのことです?」
こいつ。とぼけるつもりかよ。
「てめぇの怒号が外まで聞こえてきたが」
「ああ。それは、あんたのせいでもありますよ。僕の彼女を無断で連れ回しましたよね」
「はあ? バカかお前は。仕事だ」
被害妄想も甚だしい。勝手な思い込みで俺を巻き込まないでくれ。
「そもそも彼女は今日、休みだったんですよ。それを無理やり休日出勤させやがって。しかも、うちとの契約を勝手に解除した。僕が担当していたベル・フルールとの契約を……お前は……」
だんだん、小野タクトの口調が乱暴になっていく。
さなか──背後から裾を掴み取られる感覚がした。
俺の後ろで、彼女が体を震わせている。
この様子を見た小野は、こちらを睨み絶叫した。
「お前は僕の女まで奪おうっていうのか。許さない……許さない。返せよ。アスカを返せ!!」
どんどん小野タクトの怒りがヒートアップしている。面倒くせえな……。
「……待って、タクト」
と、俺の後ろで、彼女が怯えたような声を発した。
「誤解だよ。神楽オーナーとはなんにもない。私が好きなのは……あなただけだよ」
「本当か? アスカ」
「……うん。本当」
「だったら、こっちにおいでよ。そんな男のそばにいないで。僕のところに戻ってきなよ」
「……」
無言で、彼女はさらに俺の裾を握りしめる力を強くした。
彼女が並べた「台詞」は、この男を鎮めるために綴られただけの中身のない単語。
俺はすぐに彼女の本心でないと気づいた。
こんなにも虚しい愛の言葉が他にあるだろうか。
「どうした? アスカ。なんで、来ないんだよ?」
どんなに小野タクトが呼んだとしても、彼女は俺の後ろに立ったまま動かない。
「アスカ、聞こえないのか。こっち来いって言ってんだよ!!」
こいつの絶叫に、彼女が怖がっているのを感じた。
「大丈夫か」
そっと、後ろを振り向く。彼女の顔は真っ赤になっていた。
ふと黒髪のかかった首元を見て、俺はハッとした。
目が合うと、彼女はみるみる涙目になり──大粒の涙を落とす。
おい、泣くなよ。泣かないでくれよ。
瞬間、俺の中でなにかの糸がぶち切れた。
もう一度、小野の方を振り向く。
「こいつは、俺が預かる」
「はっ。なにを言い出すんだ? ふざけるな!」
喚くなよ。てめえに拒否権なんてない。
「お前みたいなイカれた野郎といたら、こいつの精神がおかしくなる」
「アスカは僕の恋人だぞ!!」
「なら、どうして優しくしてやらねえんだ」
「僕は優しくしている。アスカを愛してるんだ。僕だけのものだ!!」
「だったら──」
俺は手のひらで、彼女の首元にそっと触れた。
「恋人を傷つけるような真似はやめろ。こいつの首に締めつけられた跡があるぞ。てめぇがやったんだよな、小野。あぁ?」
「それは……知らない。僕じゃない!」
「とぼけるな。今の今まで、こいつに怒鳴り散らかしてたクソ野郎が」
「違う。僕のせいじゃない! ただ僕は、アスカのためを思って!!」
声を荒げ、小野は玄関に置いてあった傘をおもむろに手に取った。
「お前のせいだ。アスカがおかしくなったのは、全部お前のせいだ。お前さえベル・フルールのオーナーにならなければ!」
絶叫し、小野は俺に傘の先端を向けてきた。
こいつ、本物のバカだ。
俺の体は勝手に動く。こちらに向けられる傘の先端を、素早く掴み取った。
刹那、鈍い音が響く。
小野が手に持っていた傘は、直角に折れていた。
我ながら、綺麗に曲げられたと思う。
たった今俺を刺そうとしていたバカ男は、唖然としながら傘とこちらを交互に見ている。
「おい」
すかさず、彼女に目を向けた。
未だに状況が理解できていないのだろう、呆然としている。そんな彼女の手を、強く握りしめた。
「行くぞ」
「え。行くって……?」
「来い!」
無我夢中で俺は彼女の手を引き、その場から立ち去ろうと踵を返す。階段を駆け降り、アパートのエントランスを抜け出した。
その間、背後から足音が絶えず響いてきて。
「アスカ」
焦燥感に駆られたような、小野の声。
「アスカ。待て。待ってくれよ、アスカ──!!」
何度も何度も彼女の名を呼ぶバカ男。彼女はひとことも答えなかった。
彼女を離さないよう、俺は必死だった。
振り向いてはいけない。立ち止まってはならない。
このまま、このまま、逃げ切るんだ。
闇に包まれた住宅街を、息が切れるほど走り続ける。だんだんと、叫び声が遠のいていった。
背後に小野の気配が消えるまで、決して振り返ることはなく。
俺はしっかりと、彼女の手を強く握りしめるのだった。
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