私の愛した彼は、こわい人

朱村びすりん

文字の大きさ
15 / 47
第一章

14・救いの手②

しおりを挟む
 玄関には、小野タクトであろう男が立ち尽くしていた。俺より若干若く見える。二十代後半か。
 見た目は清潔で、どちらかというと爽やか系に見える。
 ……彼女は、こういう男がタイプなのか?

「お前、レガーロの小野だな? うちの従業員になにしてくれてんだ」
「はい? なんのことです?」

 こいつ。とぼけるつもりかよ。

「てめぇの怒号が外まで聞こえてきたが」
「ああ。それは、あんたのせいでもありますよ。僕の彼女を無断で連れ回しましたよね」
「はあ? バカかお前は。仕事だ」

 被害妄想も甚だしい。勝手な思い込みで俺を巻き込まないでくれ。

「そもそも彼女は今日、休みだったんですよ。それを無理やり休日出勤させやがって。しかも、うちとの契約を勝手に解除した。僕が担当していたベル・フルールとの契約を……お前は……」

 だんだん、小野タクトの口調が乱暴になっていく。
 さなか──背後から裾を掴み取られる感覚がした。
 俺の後ろで、彼女が体を震わせている。
 この様子を見た小野は、こちらを睨み絶叫した。

「お前は僕の女まで奪おうっていうのか。許さない……許さない。返せよ。アスカを返せ!!」

 どんどん小野タクトの怒りがヒートアップしている。面倒くせえな……。

「……待って、タクト」

 と、俺の後ろで、彼女が怯えたような声を発した。

「誤解だよ。神楽オーナーとはなんにもない。私が好きなのは……あなただけだよ」
「本当か? アスカ」
「……うん。本当」
「だったら、こっちにおいでよ。そんな男のそばにいないで。僕のところに戻ってきなよ」
「……」

 無言で、彼女はさらに俺の裾を握りしめる力を強くした。
 彼女が並べた「台詞」は、この男を鎮めるために綴られただけの中身のない単語。
 俺はすぐに彼女の本心でないと気づいた。
 こんなにも虚しい愛の言葉が他にあるだろうか。

「どうした? アスカ。なんで、来ないんだよ?」 

 どんなに小野タクトが呼んだとしても、彼女は俺の後ろに立ったまま動かない。

「アスカ、聞こえないのか。こっち来いって言ってんだよ!!」

 こいつの絶叫に、彼女が怖がっているのを感じた。
 
「大丈夫か」

 そっと、後ろを振り向く。彼女の顔は真っ赤になっていた。
 ふと黒髪のかかった首元を見て、俺はハッとした。
 目が合うと、彼女はみるみる涙目になり──大粒の涙を落とす。

 おい、泣くなよ。泣かないでくれよ。

 瞬間、俺の中でなにかの糸がぶち切れた。
 もう一度、小野の方を振り向く。

「こいつは、俺が預かる」
「はっ。なにを言い出すんだ? ふざけるな!」

 喚くなよ。てめえに拒否権なんてない。

「お前みたいなイカれた野郎といたら、こいつの精神がおかしくなる」
「アスカは僕の恋人だぞ!!」
「なら、どうして優しくしてやらねえんだ」
「僕は優しくしている。アスカを愛してるんだ。僕だけのものだ!!」
「だったら──」

 俺は手のひらで、彼女の首元にそっと触れた。

「恋人を傷つけるような真似はやめろ。こいつの首に締めつけられた跡があるぞ。てめぇがやったんだよな、小野。あぁ?」
「それは……知らない。僕じゃない!」 
「とぼけるな。今の今まで、こいつに怒鳴り散らかしてたクソ野郎が」
「違う。僕のせいじゃない! ただ僕は、アスカのためを思って!!」

 声を荒げ、小野は玄関に置いてあった傘をおもむろに手に取った。

「お前のせいだ。アスカがおかしくなったのは、全部お前のせいだ。お前さえベル・フルールのオーナーにならなければ!」

 絶叫し、小野は俺に傘の先端を向けてきた。
 こいつ、本物のバカだ。

 俺の体は勝手に動く。こちらに向けられる傘の先端を、素早く掴み取った。
 刹那、鈍い音が響く。 
 小野が手に持っていた傘は、直角に折れていた。
 我ながら、綺麗に曲げられたと思う。
 たった今俺を刺そうとしていたバカ男は、唖然としながら傘とこちらを交互に見ている。

「おい」

 すかさず、彼女に目を向けた。
 未だに状況が理解できていないのだろう、呆然としている。そんな彼女の手を、強く握りしめた。

「行くぞ」
「え。行くって……?」
「来い!」

 無我夢中で俺は彼女の手を引き、その場から立ち去ろうと踵を返す。階段を駆け降り、アパートのエントランスを抜け出した。
 その間、背後から足音が絶えず響いてきて。

「アスカ」

 焦燥感に駆られたような、小野の声。

「アスカ。待て。待ってくれよ、アスカ──!!」
 
 何度も何度も彼女の名を呼ぶバカ男。彼女はひとことも答えなかった。

 彼女を離さないよう、俺は必死だった。
 振り向いてはいけない。立ち止まってはならない。
 このまま、このまま、逃げ切るんだ。
 闇に包まれた住宅街を、息が切れるほど走り続ける。だんだんと、叫び声が遠のいていった。
 背後に小野の気配が消えるまで、決して振り返ることはなく。
 俺はしっかりと、彼女の手を強く握りしめるのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

初恋にケリをつけたい

志熊みゅう
恋愛
「初恋にケリをつけたかっただけなんだ」  そう言って、夫・クライブは、初恋だという未亡人と不倫した。そして彼女はクライブの子を身ごもったという。私グレースとクライブの結婚は確かに政略結婚だった。そこに燃えるような恋や愛はなくとも、20年の信頼と情はあると信じていた。だがそれは一瞬で崩れ去った。 「分かりました。私たち離婚しましょう、クライブ」  初恋とケリをつけたい男女の話。 ☆小説家になろうの日間異世界(恋愛)ランキング (すべて)で1位獲得しました。(2025/9/18) ☆小説家になろうの日間総合ランキング (すべて)で1位獲得しました。(2025/9/18) ☆小説家になろうの週間総合ランキング (すべて)で1位獲得しました。(2025/9/22)

25年の後悔の結末

専業プウタ
恋愛
結婚直前の婚約破棄。親の介護に友人と恋人の裏切り。過労で倒れていた私が見た夢は25年前に諦めた好きだった人の記憶。もう一度出会えたら私はきっと迷わない。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

壊れていく音を聞きながら

夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。 妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪 何気ない日常のひと幕が、 思いもよらない“ひび”を生んでいく。 母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。 誰も気づきがないまま、 家族のかたちが静かに崩れていく――。 壊れていく音を聞きながら、 それでも誰かを思うことはできるのか。

【完結】サルビアの育てかた

朱村びすりん
恋愛
「血の繋がりなんて関係ないだろ!」  彼女を傷つける奴は誰であろうと許さない。例えそれが、彼女自身であったとしても──  それは、元孤児の少女と彼女の義理の兄であるヒルスの愛情物語。  ハニーストーンの家々が並ぶ、ある田舎町。ダンスの練習に励む少年ヒルスは、グリマルディ家の一人息子として平凡な暮らしをしていた。  そんなヒルスが十歳のとき、七歳年下のレイという女の子が家族としてやってきた。  だが、血の繋がりのない妹に戸惑うヒルスは、彼女のことをただの「同居人」としてしか見ておらず無干渉を貫いてきた。  レイとまともに会話すら交わさない日々を送る中、二人にとってあるきっかけが訪れる。  レイが八歳になった頃だった。ひょんなことからヒルスが通うダンススクールへ、彼女もレッスンを受けることになったのだ。これを機に、二人の関係は徐々に深いものになっていく。  ダンスに対するレイの真面目な姿勢を目の当たりにしたヒルスは、常に彼女を気にかけ「家族として」守りたいと思うようになった。  しかしグリマルディ家の一員になる前、レイには辛く惨い過去があり──心の奥に居座り続けるトラウマによって、彼女は苦しんでいた。  さまざまな事件、悲しい事故、彼女をさいなめようとする人々、そして大切な人たちとの別れ。  周囲の仲間たちに支えられながら苦難の壁を乗り越えていき、二人の絆は固くなる──  義兄妹の純愛、ダンス仲間との友情、家族の愛情をテーマにしたドラマティックヒューマンラブストーリー。 ※当作品は現代英国を舞台としておりますが、一部架空の地名や店名、会場、施設等が登場します。ダンススクールやダンススタジオ、ストーリー上の事件・事故は全てフィクションです。 ★special thanks★ 表紙・ベアしゅう様 第3話挿絵・ベアしゅう様 第40話挿絵・黒木メイ様 第126話挿絵・テン様 第156話挿絵・陰東 愛香音様 最終話挿絵・ベアしゅう様 ■本作品はエブリスタ様、ノベルアップ+様にて一部内容が変更されたものを公開しております。

いちばん好きな人…

麻実
恋愛
夫の裏切りを知った妻は 自分もまた・・・。

報われなかった姫君に、弔いの白い薔薇の花束を

さくたろう
恋愛
 その国の王妃を決める舞踏会に招かれたロザリー・ベルトレードは、自分が当時の王子、そうして現王アルフォンスの婚約者であり、不遇の死を遂げた姫オフィーリアであったという前世を思い出す。  少しずつ蘇るオフィーリアの記憶に翻弄されながらも、17年前から今世まで続く因縁に、ロザリーは絡め取られていく。一方でアルフォンスもロザリーの存在から目が離せなくなり、やがて二人は再び惹かれ合うようになるが――。 20話です。小説家になろう様でも公開中です。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

処理中です...