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第三章
29・寂しさ
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十二月上旬。神楽オーナーがベル・フルールに来てからひと月が経った。
彼との関係はハッキリしないまま、私は変わらず西新宿のマンションで暮らしている。
ベル・フルールでの仕事も相変わらずだ。
夜七時。帰りのサロンミーティングで、先月の最終売上が阿川店長より報告された。
ソファには、怖い顔をしながら大胆に座り込む神楽オーナーの姿もある。
「十一月のご報告です。施術消化率百一・二パーセント。サロン売上達成率は百三十パーセントで、うち新規と更新契約は百六十万、物品販売が二百十二万です」
「ビュート化粧品の売上は」
オーナーはすかさず問いただす。
冷静に阿川店長は答えた。
「ビュート化粧品シリーズはおよそ八十三万円の売上です。定期購入は三十六件獲得しました」
「いいだろう」
満足げな顔をしてオーナーは頷いた。
……すごい。いきなり八十万以上の売上を達成するなんて。継続利用もすでに三十六名。ご新規の方にも今後薦めていく計画だから、購入者はまだまだ増える見込み。
私が感心する横で、オーナーはあくまでも真顔を貫いた。
「新しいものに興味を寄せるのは当然だ。定期購入を契約した客から途中解約されないよう今から対策を考えておけ。販促で要望がある場合は俺に連絡するように。ビュート社に直接交渉をかけてやる」
「ありがとうございます」
阿川店長が深々と頭を下げた。
正直、オーナーがここまでしてくれるなんて。比べてはいけないけれど前オーナーは基本的にあまり口出ししてこなかったし、サロンに顔を出したのも数えるほどだった。
十一月の売上が前年に比べて遙かに上回っているのも事実。ベル・フルールの売上はさらに伸びるだろう。
改めて彼は経営者としても凄い人なんだなと思った。
と、ミーティングの最中。
不意に着信音が響き渡った。オーナーのスマートフォンだ。「悪い」と小さく断りを入れてから通話に出る。
「なんだ。今は自由が丘のエステサロンにいるが」
電話の向こうで男性の声が聞こえる。なんて言っているかわからないけど……なんだか騒がしい。
「そんなもの、高峰に任せたらどうだ。──なに? どういうことだ」
オーナーは渋い顔になる。声もどことなく焦っているような。
心配になってじっと彼を見つめていると、一瞬だけ目が合った。けれどすぐに逸らされてしまう。
「わかった。すぐに行く。他の客には迷惑がかからないよう、そいつは別室へ案内しろ」
通話を終えたオーナーは慌ただしくスーツの上からコートを羽織る。
「ミーティング中に悪かったな。新宿の店舗でトラブルがあった。十二月の対策は後日聞く」
……え。行っちゃうの?
と、一瞬だけ寂しさがこみ上げた。
ダメだよ。「行っちゃうの?」なんて。
彼はあくまでもオーナーとしての責務がある。仕方がないでしょう。
立ち去っていく彼の後ろ姿を黙って見送るしかなかった。
中途半端にミーティングは終了し、サロンのみんなは一気に気の抜けた顔になった。
「オーナー、相変わらず忙しそうだねえ。新宿って言ってたけどキャバクラ店で何かあったのかな?」
興味津々にコハルがそう漏らすが、私は曖昧に首を傾げるのみ。
「あれ~? アスカ、どうしたの。急に元気なくなっちゃって」
「えっ」
「さっきまでキラキラした顔でミーティングに参加してたのに。まさかオーナーがいなくなって寂しくなっちゃったとか?」
「は……えっ!? そんなわけないでしょっ」
私は大袈裟なほどに首を振った。
「今日も忙しかったから……六人も施術入っちゃったし。一気に疲れが出たのかも。オーナーは関係ないよ」
「あはは。ジョーダンだよ! ボディコースのお客さん多かったもんねえ。ハンドケアは疲れるもん」
と言いながらも、コハルは鼻歌を口ずさみなんだか楽しそう。
「コハル、何かいいことあった?」
「えへへ~わかっちゃった?」
さらに目を輝かせ、コハルはロッカーへ向かいながらその理由を教えてくれた。
「実はクリスマス、彼氏とお泊まり温泉行くことになったの!」
「そうなんだ。楽しみだね」
「温泉饅頭買ってくるねえ! アスカはクリスマスどうするの?」
「私?」
クリスマスか。どうなんだろう。
ここで瞬時に頭に浮かぶのは、オーナーの顔。当たり前だけど彼と何か約束しているわけじゃない。
そもそもイベント事に興味なさそうだなあ。クリスマスも関係なく普段通り過ごしていそう。
「私は今のところ予定ないよ」
「え。彼氏とデートしないの?」
目を丸くするコハルを前に、私は苦笑した。
「実は……色々とあって別れたの」
さすがに赤裸々に話すわけにはいかない。暴力を受けていたことも、相手がタクトだってことも。神楽オーナーに助けてもらって、今は彼の家にお邪魔しているなんてことも。
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