私の愛した彼は、こわい人

朱村びすりん

文字の大きさ
30 / 47
第三章

29・寂しさ

しおりを挟む



 十二月上旬。神楽オーナーがベル・フルールに来てからひと月が経った。
 彼との関係はハッキリしないまま、私は変わらず西新宿のマンションで暮らしている。
 ベル・フルールでの仕事も相変わらずだ。

 夜七時。帰りのサロンミーティングで、先月の最終売上が阿川店長より報告された。
 ソファには、怖い顔をしながら大胆に座り込む神楽オーナーの姿もある。

「十一月のご報告です。施術消化率百一・二パーセント。サロン売上達成率は百三十パーセントで、うち新規と更新契約は百六十万、物品販売が二百十二万です」
「ビュート化粧品の売上は」

 オーナーはすかさず問いただす。
 冷静に阿川店長は答えた。

「ビュート化粧品シリーズはおよそ八十三万円の売上です。定期購入は三十六件獲得しました」
「いいだろう」

 満足げな顔をしてオーナーは頷いた。
 ……すごい。いきなり八十万以上の売上を達成するなんて。継続利用もすでに三十六名。ご新規の方にも今後薦めていく計画だから、購入者はまだまだ増える見込み。
 私が感心する横で、オーナーはあくまでも真顔を貫いた。

「新しいものに興味を寄せるのは当然だ。定期購入を契約した客から途中解約されないよう今から対策を考えておけ。販促で要望がある場合は俺に連絡するように。ビュート社に直接交渉をかけてやる」
「ありがとうございます」

 阿川店長が深々と頭を下げた。
 正直、オーナーがここまでしてくれるなんて。比べてはいけないけれど前オーナーは基本的にあまり口出ししてこなかったし、サロンに顔を出したのも数えるほどだった。
 十一月の売上が前年に比べて遙かに上回っているのも事実。ベル・フルールの売上はさらに伸びるだろう。
 改めて彼は経営者としても凄い人なんだなと思った。

 と、ミーティングの最中。
 不意に着信音が響き渡った。オーナーのスマートフォンだ。「悪い」と小さく断りを入れてから通話に出る。

「なんだ。今は自由が丘のエステサロンにいるが」

 電話の向こうで男性の声が聞こえる。なんて言っているかわからないけど……なんだか騒がしい。

「そんなもの、高峰に任せたらどうだ。──なに? どういうことだ」

 オーナーは渋い顔になる。声もどことなく焦っているような。
 心配になってじっと彼を見つめていると、一瞬だけ目が合った。けれどすぐに逸らされてしまう。

「わかった。すぐに行く。他の客には迷惑がかからないよう、そいつは別室へ案内しろ」

 通話を終えたオーナーは慌ただしくスーツの上からコートを羽織る。

「ミーティング中に悪かったな。新宿の店舗でトラブルがあった。十二月の対策は後日聞く」

 ……え。行っちゃうの?
 と、一瞬だけ寂しさがこみ上げた。
 ダメだよ。「行っちゃうの?」なんて。
 彼はあくまでもオーナーとしての責務がある。仕方がないでしょう。
 立ち去っていく彼の後ろ姿を黙って見送るしかなかった。

 中途半端にミーティングは終了し、サロンのみんなは一気に気の抜けた顔になった。

「オーナー、相変わらず忙しそうだねえ。新宿って言ってたけどキャバクラ店で何かあったのかな?」

 興味津々にコハルがそう漏らすが、私は曖昧に首を傾げるのみ。

「あれ~? アスカ、どうしたの。急に元気なくなっちゃって」
「えっ」
「さっきまでキラキラした顔でミーティングに参加してたのに。まさかオーナーがいなくなって寂しくなっちゃったとか?」
「は……えっ!? そんなわけないでしょっ」

 私は大袈裟なほどに首を振った。

「今日も忙しかったから……六人も施術入っちゃったし。一気に疲れが出たのかも。オーナーは関係ないよ」
「あはは。ジョーダンだよ! ボディコースのお客さん多かったもんねえ。ハンドケアは疲れるもん」

 と言いながらも、コハルは鼻歌を口ずさみなんだか楽しそう。

「コハル、何かいいことあった?」
「えへへ~わかっちゃった?」

 さらに目を輝かせ、コハルはロッカーへ向かいながらその理由を教えてくれた。

「実はクリスマス、彼氏とお泊まり温泉行くことになったの!」
「そうなんだ。楽しみだね」
「温泉饅頭買ってくるねえ! アスカはクリスマスどうするの?」
「私?」

 クリスマスか。どうなんだろう。
 ここで瞬時に頭に浮かぶのは、オーナーの顔。当たり前だけど彼と何か約束しているわけじゃない。
 そもそもイベント事に興味なさそうだなあ。クリスマスも関係なく普段通り過ごしていそう。

「私は今のところ予定ないよ」
「え。彼氏とデートしないの?」

 目を丸くするコハルを前に、私は苦笑した。

「実は……色々とあって別れたの」

 さすがに赤裸々に話すわけにはいかない。暴力を受けていたことも、相手がタクトだってことも。神楽オーナーに助けてもらって、今は彼の家にお邪魔しているなんてことも。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

初恋にケリをつけたい

志熊みゅう
恋愛
「初恋にケリをつけたかっただけなんだ」  そう言って、夫・クライブは、初恋だという未亡人と不倫した。そして彼女はクライブの子を身ごもったという。私グレースとクライブの結婚は確かに政略結婚だった。そこに燃えるような恋や愛はなくとも、20年の信頼と情はあると信じていた。だがそれは一瞬で崩れ去った。 「分かりました。私たち離婚しましょう、クライブ」  初恋とケリをつけたい男女の話。 ☆小説家になろうの日間異世界(恋愛)ランキング (すべて)で1位獲得しました。(2025/9/18) ☆小説家になろうの日間総合ランキング (すべて)で1位獲得しました。(2025/9/18) ☆小説家になろうの週間総合ランキング (すべて)で1位獲得しました。(2025/9/22)

25年の後悔の結末

専業プウタ
恋愛
結婚直前の婚約破棄。親の介護に友人と恋人の裏切り。過労で倒れていた私が見た夢は25年前に諦めた好きだった人の記憶。もう一度出会えたら私はきっと迷わない。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

壊れていく音を聞きながら

夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。 妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪 何気ない日常のひと幕が、 思いもよらない“ひび”を生んでいく。 母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。 誰も気づきがないまま、 家族のかたちが静かに崩れていく――。 壊れていく音を聞きながら、 それでも誰かを思うことはできるのか。

【完結】サルビアの育てかた

朱村びすりん
恋愛
「血の繋がりなんて関係ないだろ!」  彼女を傷つける奴は誰であろうと許さない。例えそれが、彼女自身であったとしても──  それは、元孤児の少女と彼女の義理の兄であるヒルスの愛情物語。  ハニーストーンの家々が並ぶ、ある田舎町。ダンスの練習に励む少年ヒルスは、グリマルディ家の一人息子として平凡な暮らしをしていた。  そんなヒルスが十歳のとき、七歳年下のレイという女の子が家族としてやってきた。  だが、血の繋がりのない妹に戸惑うヒルスは、彼女のことをただの「同居人」としてしか見ておらず無干渉を貫いてきた。  レイとまともに会話すら交わさない日々を送る中、二人にとってあるきっかけが訪れる。  レイが八歳になった頃だった。ひょんなことからヒルスが通うダンススクールへ、彼女もレッスンを受けることになったのだ。これを機に、二人の関係は徐々に深いものになっていく。  ダンスに対するレイの真面目な姿勢を目の当たりにしたヒルスは、常に彼女を気にかけ「家族として」守りたいと思うようになった。  しかしグリマルディ家の一員になる前、レイには辛く惨い過去があり──心の奥に居座り続けるトラウマによって、彼女は苦しんでいた。  さまざまな事件、悲しい事故、彼女をさいなめようとする人々、そして大切な人たちとの別れ。  周囲の仲間たちに支えられながら苦難の壁を乗り越えていき、二人の絆は固くなる──  義兄妹の純愛、ダンス仲間との友情、家族の愛情をテーマにしたドラマティックヒューマンラブストーリー。 ※当作品は現代英国を舞台としておりますが、一部架空の地名や店名、会場、施設等が登場します。ダンススクールやダンススタジオ、ストーリー上の事件・事故は全てフィクションです。 ★special thanks★ 表紙・ベアしゅう様 第3話挿絵・ベアしゅう様 第40話挿絵・黒木メイ様 第126話挿絵・テン様 第156話挿絵・陰東 愛香音様 最終話挿絵・ベアしゅう様 ■本作品はエブリスタ様、ノベルアップ+様にて一部内容が変更されたものを公開しております。

いちばん好きな人…

麻実
恋愛
夫の裏切りを知った妻は 自分もまた・・・。

報われなかった姫君に、弔いの白い薔薇の花束を

さくたろう
恋愛
 その国の王妃を決める舞踏会に招かれたロザリー・ベルトレードは、自分が当時の王子、そうして現王アルフォンスの婚約者であり、不遇の死を遂げた姫オフィーリアであったという前世を思い出す。  少しずつ蘇るオフィーリアの記憶に翻弄されながらも、17年前から今世まで続く因縁に、ロザリーは絡め取られていく。一方でアルフォンスもロザリーの存在から目が離せなくなり、やがて二人は再び惹かれ合うようになるが――。 20話です。小説家になろう様でも公開中です。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

処理中です...