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第五章

退院日

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 十一月十三日。
 いつもと同じ朝がやってきた。窓から差し込む光が、まだ寝ぼける僕の目に刺激を与える。
 もう長いこと外に出ていない。ふと窓の向こう側を見てみると、街の歩道に立ち並ぶ木々の葉が紅色に染まっていることに気がついた。

 ──知らないうちに、秋になっていたんだな。

 病院にこもっていて、僕はすっかり季節なんて忘れていた。これから、久しぶりに肌で感じ思い出せるのだろう。
 だって今日は、ついに家に帰れる日だから。

 普段通り朝六時頃に目覚め、ベッドの上で歯を磨き、朝食の時間までゲームで暇を潰す。ただし、学校へ行く準備はしない。
 その代わり、迎えを待っていた。母さんが来てくれるのを、うずうずしながら僕は待ち続ける。

 たしか、十時くらいには退院できると言っていたな。まだ七時前だ。いつもなら朝から忙しないのに、今日はまったりできる。でも気持ちが落ち着かなくて、ゲームもあまり集中できない。

 なにげなくベッドテーブルの上に、猫とクローバーのお守りを置いてみた。室内の電灯に照らされて、葉の部分がキラキラと輝きを放つんだ。
 ユナが僕のために贈ってくれた大切なお守り。二本の脚で立つ猫は、見れば見るほどチャコに似ている。
 やっと、僕もこの猫のように立てるときがやって来たんだ。

 そう思うとワクワクが止まらなかった。

「コウキ君、おはよう。朝ごはんの時間ですよー」

 配膳の人が、朝食を持ってきてくれた。
 病院で食べる、最後の食事。白米とお味噌汁と、焼き魚。朝からバランスが摂れた食事だ。
 家に帰ったら、朝にまず和食は出ない。大抵菓子パンと牛乳で終わりだもんな。
 そう思いながらも、明日の今頃は家のダイニングで菓子パンを頬張っていると考えると、僕は笑みが溢れて止まらなくなる。

 向かいのベッドは、今日も無人。僕が退院したあと、この部屋には誰が来るんだろう。
 もしかしたら、僕とリョウみたいに同じ苦悩を一緒に乗り越えて、友情を築き上げる子たちが入院するのかもしれない。
 朝食を噛みしめながら、僕は一人そんなことを考えた。

 ──楽しみがあると時の流れが遅いというのは、よく言ったものだ。本当にその通りで、朝食を終えた後もゲームをしながらソワソワしていた。時計を何度も見ては「まだ五分しか経ってない」「さすがに三〇分は経っただろう。いや、まだ一〇分しか過ぎていないのか」「やっと一時間……」と、胸中でもどかしさと戦っていた。

 しかし、待っていれば時は必ずやってくる。

 時刻は九時三〇分。
 ほぼ上の空でゲーム機を握りしめていたとき、病室に誰かがやって来たんだ。
 反射的に振り向くと──そこには、満面の笑みで僕を見つめる母さんが立っていた。

「母さん!」

 思わず大声になってしまった。
 母さんはニコニコで僕のそばに駆け寄ってくる。

「おはよう、コウキ!」

 そう言って、大きなカバンをベッドの隣に置いた。
 いつもなら母さんは汚れ物をまとめて着替えを棚に整理するけど、今日は違う。棚に入ってる僕の衣服を全てまとめ、次々にカバンへと入れていく。
 僕もすでに、学校で使ったものはまとめてある。リョウからもらったおそろいのファイナリードラゴンのぬいぐるみも絶対に忘れずに持ち帰ろう。

「あら、もう準備できてるの?」
「だって、早く帰りたいんだもん」
「ふふふ、そうよね。長い入院生活だったものね」

 クスッと笑いながら、母さんは優しい眼差しを向ける。全ての荷物をカバンにしまうと、母さんはおもむろに僕の隣に座った。

「コウキ。二カ月間、お疲れさま」
「えっ」
「前よりもずいぶんお兄さんらしくなったわね!」

 母さんは、キュッと僕のほっぺをつねるんだ。

「な、なんだよ、急に」

 なんだか恥ずかしくて、僕は母さんの手をそっと振り払う。

 お兄さんになったって……そうか? というか僕は五年生だし、もともとお兄さんなんだぞ……。

 どぎまぎする僕に対して、母さんは落ち着いた口調で続けた。

「今日の帰り、杖なしで駐車場まで歩くわよ。できそ?」

 そう問いかけてくる母さんは、実は何も訊いていない。だって僕が返事をしなくたって、答えは決まっているんだから。
 だとしても、僕はちゃんと意思を伝えた。

「もちろんだよ」

 術前の僕は、麻痺が強い右脚に装具をつけ、左手にロフストランド杖を持ってないとバランスを保つことがかなり難しかった。どうしても踵は浮くし、つま先を引きずってしまう。
 今も痙縮は残っている。

 けれど、僕はもう変わったんだ。

 杖がなくても歩ける。ちゃんと足をつけて前に進める。装具を外すことはまだ叶わないけれど、今日から完全に杖なしで生活をしよう。

 僕が自分の中で改めて意を決したとき、病室に看護師さんがやって来た。

「丘島コウキ君。時間ですよ」

 見送りの看護師さんだ。
 僕の心臓は喜びで跳ね上がる。

「準備できてるよ!」

 気持ちが先走って、一秒でも早く家に帰りたくて、僕の声は弾みまくった。
 こんな僕を眺めながら、看護師さんはクスリと笑うんだ。
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