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第五章
五年一組の仲間
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──僕が想いに耽っていると、母さんが軽く肩を叩いてきた。
「コウキ、ボーッとしてどうしたの?」
「……あっ、いや。別に」
いつの間にか、下駄箱の前には誰もいなくなっていた。
「早く教室に行かないと、チャイム鳴るわよ。関くんも先に行っちゃった」
「ああ、急ぐよ」
僕は慌てて下駄箱からぞうきんを取り出し、それを床に置いて靴の裏を念入りに拭き取った。装具をつけていると上履きが履けないので、学校から許可をもらって外履きのまま校舎内を歩かせてもらっている。手術後も装具は必要だから、きっと卒業してもこれは変わらないだろう。
ぞうきんを片付けてから、階段へと向かう。
誰かの補助がなければ上れなかった学校の階段。
ここに来て、僕は試してみたくなった。もしかすると、手すりだけで行けるかもしれない。
当たり前のように差し出された母さんの手には触れず、僕は手すりだけを握りしめた。ふう、と息を吐きながら、左足をゆっくりと上げてみる。
「コウキ?」
母さんが心配そうに僕を見た。
構わない。力を込めて、僕は思い切って段差を踏み込んでみせる。
すると──
「あっ」
左足から右足へと、僕の身体は確実に段の上へと進んでいった。
「……いけた」
手を借りずに自分の力だけで段差を踏み込めた。しかも、術前は片足ずつしか上がれなかったのに、今の身体の状態なら左右交互に踏み込めるんだ。
うわぁ。僕、こんなこともできるようになったんだな。
僕が感激していると、隣で見守ってくれる母さんも嬉しそうに目を細めた。
途中、何度か立ち止まりながらも、僕はなんとか三階まで上りきることができた。
階段のすぐ目の前に、五年一組の教室がある。入り口付近には──ユナがいた。友だちと雑談をしていて、今日もその笑顔が眩しい。
少しばかり息が切れてしまった。呼吸を整えながら彼女のそばへ歩み寄ると、先にユナが僕に気づいて手を振ってくれた。
彼女と視線を交わし、たどたどしくも僕は手を振り返す。
「コウ君、おはよう!」
ユナのひとことに、教室中が一気に騒がしくなった。
「え、コウキ君?」
「おお、本当だ。みんな、丘島くんが来たぞー!」
「コウキ君おかえりー!」
クラスのみんながワッと教室内から出てきて僕の前に駆け寄ってきた。それから口々に言葉を発するんだ。
「久しぶりだね」
「元気にしてたか?」
「手術、頑張ったんだね!」
「杖なしでも歩けるようになってる! すごい!」
「顔の怪我は、どうしたの?」
「でも元気そうじゃん。よかった!」
何十人ものクラスメイトが一気に喋りだすものだから、どこからどう返事をすればいいのか訳が分からなくなる。
でも、みんながみんな僕のことを出迎えてくれて、すごく胸が熱くなった。
クラスメイトに微笑みかけ、僕はみんなに向かって言葉を紡いだ。
「ありがとう。みんな……本当にありがとう」
──みんなからの寄せ書き、本当に嬉しかったよ。励みになったよ。だから手術だって、乗り越えられたんだ。今日からまた、クラスの仲間として仲良くしてね。よろしくお願いします。
僕がそう言うと、今度はなぜか拍手が巻き起こった。誰も彼もが歓喜の声を上げるんだ。
ええ、なんだろうこれ。登校初日からさっそく泣きそうなんだけど。
この様子を、母さんは頬を紅くして愛おしそうに眺めていた。
「よかったわね、コウキ」と伝えようとしているのが、表情を見ただけで分かる。
僕はこれまで知らなかった。みんながこんなにも優しい心を持っていたなんてこと。自分がこんなにも人に恵まれているだなんてことも。
こうしてあたたかく迎えられて、クラスメイトたちの思いやりがひしひしと伝わってくるんだ。
あまり他人と打ち解けられないこの僕が、一組のみんなとこれからの学校生活を大切に過ごしたいと、心から思えた瞬間だった。
ふと、教室の窓側に座る関の姿が目に映る。頬杖をついていて、こちらへ近寄って来ることはなかったけれど、僕に送る視線は穏やかなものだ。
クラスのみんなに紛れて僕を出迎えてくれるユナも、これ以上ないほどの晴れやかな笑みを浮かべてる。
──もしも僕がハンデのない身体で生まれてきたら、今日も普通の日になっていただろう。
けれど、そうじゃない。なんでもないただの月曜日が、特別なものに変わった。
大きな手術を受けて、たくさんのリハビリをしてきて、長い入院生活を終えて、久しぶりに来た学校。僕が僕であるからこそ手に入れた、尊くて貴重で幸せな月曜日だ。
改めて、僕は「僕」としていられることに感謝したいと思った。
「そろそろチャイム鳴るね。コウ君、準備急いで」
「ああ」
一番前の廊下側に僕の机がある。教室内の移動を最小限に抑えるために、入学当初からずっと席は前の方だ。
ユナに手を引かれ、二カ月以上振りにこの席に着いた。病院の特別支援学校の机よりも古くて年季が入っている。傷があちこちついてる木製のこの机さえも、愛おしかった。
今日からまたこの教室で、僕らしい学校生活を送っていこう。
「コウキ、ボーッとしてどうしたの?」
「……あっ、いや。別に」
いつの間にか、下駄箱の前には誰もいなくなっていた。
「早く教室に行かないと、チャイム鳴るわよ。関くんも先に行っちゃった」
「ああ、急ぐよ」
僕は慌てて下駄箱からぞうきんを取り出し、それを床に置いて靴の裏を念入りに拭き取った。装具をつけていると上履きが履けないので、学校から許可をもらって外履きのまま校舎内を歩かせてもらっている。手術後も装具は必要だから、きっと卒業してもこれは変わらないだろう。
ぞうきんを片付けてから、階段へと向かう。
誰かの補助がなければ上れなかった学校の階段。
ここに来て、僕は試してみたくなった。もしかすると、手すりだけで行けるかもしれない。
当たり前のように差し出された母さんの手には触れず、僕は手すりだけを握りしめた。ふう、と息を吐きながら、左足をゆっくりと上げてみる。
「コウキ?」
母さんが心配そうに僕を見た。
構わない。力を込めて、僕は思い切って段差を踏み込んでみせる。
すると──
「あっ」
左足から右足へと、僕の身体は確実に段の上へと進んでいった。
「……いけた」
手を借りずに自分の力だけで段差を踏み込めた。しかも、術前は片足ずつしか上がれなかったのに、今の身体の状態なら左右交互に踏み込めるんだ。
うわぁ。僕、こんなこともできるようになったんだな。
僕が感激していると、隣で見守ってくれる母さんも嬉しそうに目を細めた。
途中、何度か立ち止まりながらも、僕はなんとか三階まで上りきることができた。
階段のすぐ目の前に、五年一組の教室がある。入り口付近には──ユナがいた。友だちと雑談をしていて、今日もその笑顔が眩しい。
少しばかり息が切れてしまった。呼吸を整えながら彼女のそばへ歩み寄ると、先にユナが僕に気づいて手を振ってくれた。
彼女と視線を交わし、たどたどしくも僕は手を振り返す。
「コウ君、おはよう!」
ユナのひとことに、教室中が一気に騒がしくなった。
「え、コウキ君?」
「おお、本当だ。みんな、丘島くんが来たぞー!」
「コウキ君おかえりー!」
クラスのみんながワッと教室内から出てきて僕の前に駆け寄ってきた。それから口々に言葉を発するんだ。
「久しぶりだね」
「元気にしてたか?」
「手術、頑張ったんだね!」
「杖なしでも歩けるようになってる! すごい!」
「顔の怪我は、どうしたの?」
「でも元気そうじゃん。よかった!」
何十人ものクラスメイトが一気に喋りだすものだから、どこからどう返事をすればいいのか訳が分からなくなる。
でも、みんながみんな僕のことを出迎えてくれて、すごく胸が熱くなった。
クラスメイトに微笑みかけ、僕はみんなに向かって言葉を紡いだ。
「ありがとう。みんな……本当にありがとう」
──みんなからの寄せ書き、本当に嬉しかったよ。励みになったよ。だから手術だって、乗り越えられたんだ。今日からまた、クラスの仲間として仲良くしてね。よろしくお願いします。
僕がそう言うと、今度はなぜか拍手が巻き起こった。誰も彼もが歓喜の声を上げるんだ。
ええ、なんだろうこれ。登校初日からさっそく泣きそうなんだけど。
この様子を、母さんは頬を紅くして愛おしそうに眺めていた。
「よかったわね、コウキ」と伝えようとしているのが、表情を見ただけで分かる。
僕はこれまで知らなかった。みんながこんなにも優しい心を持っていたなんてこと。自分がこんなにも人に恵まれているだなんてことも。
こうしてあたたかく迎えられて、クラスメイトたちの思いやりがひしひしと伝わってくるんだ。
あまり他人と打ち解けられないこの僕が、一組のみんなとこれからの学校生活を大切に過ごしたいと、心から思えた瞬間だった。
ふと、教室の窓側に座る関の姿が目に映る。頬杖をついていて、こちらへ近寄って来ることはなかったけれど、僕に送る視線は穏やかなものだ。
クラスのみんなに紛れて僕を出迎えてくれるユナも、これ以上ないほどの晴れやかな笑みを浮かべてる。
──もしも僕がハンデのない身体で生まれてきたら、今日も普通の日になっていただろう。
けれど、そうじゃない。なんでもないただの月曜日が、特別なものに変わった。
大きな手術を受けて、たくさんのリハビリをしてきて、長い入院生活を終えて、久しぶりに来た学校。僕が僕であるからこそ手に入れた、尊くて貴重で幸せな月曜日だ。
改めて、僕は「僕」としていられることに感謝したいと思った。
「そろそろチャイム鳴るね。コウ君、準備急いで」
「ああ」
一番前の廊下側に僕の机がある。教室内の移動を最小限に抑えるために、入学当初からずっと席は前の方だ。
ユナに手を引かれ、二カ月以上振りにこの席に着いた。病院の特別支援学校の机よりも古くて年季が入っている。傷があちこちついてる木製のこの机さえも、愛おしかった。
今日からまたこの教室で、僕らしい学校生活を送っていこう。
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