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第五章
彼の本心
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関は愛犬の頭を撫でながら語りだした。
『おれんち片親なんだ。母親が女手ひとつでおれと弟の面倒を見てくれてる。介護士の仕事してて、毎日疲れた顔で帰ってくるけど、そんな母親が誇りなんだ』
彼の横顔はなんとも切ない。それでいて、聞いたことがないほど穏やかな口調だ。
『いつも外出するときにさ、母親の介護士としての癖が出るんだよ。車椅子に乗ってる人や目の不自由な人、老人やちっちゃい赤ん坊を連れた親を見かけたりすると、しょっちゅう手助けしてたんだよな。傍から見るとお節介だけど、さりげなく他人の手伝いができる母親はすげぇ人だって、幼い頃から思ってた。だからおれも母親みたいに、困ってる人がいたら躊躇わずに助けられるような人間になりたいんだ』
関にそんな純粋な想いがあったなんて……。
普段の彼のイメージと、あまりにも違う。思いもよらない話に、僕は息を呑んだ。
『でもな……そんな母親の優しさが鬱陶しいと思う奴もいることを知った。あれは、おれが小三になったばかりの話だ。休日に母親と出かけていたんだけど、お前と同じような装具をつけてる女の人が一人で歩いていたのを見かけたんだよ。ちょうどその人が歩道橋の階段を上ろうとしてて、明らかに大変そうだった。それで、母親がいつものように声をかけたんだ。お手伝いしましょうかってさ』
僕とユナは、いつの間にか話に引き込まれていった。
『そしたらよ……その女の人、すげぇ怖い顔をして母親のことを睨みつけたんだよ。母親が差し伸べた手を思いっきり払い除けて、何にも言わずに階段を上っていったんだ』
関は顔を歪ませた。とても悔しそうに歯を食いしばるんだ。
『たった一瞬の出来事で、何が起きたのかよく分かんなかった。おれはただその様子を突っ立って眺めてただけなのに、女の人の後ろ姿がすげぇ怖かった。善意で声をかけただけなのに、なんで母親があんな風に拒絶されたのかおれには理解できなくて……。母親は何にも言わなかったけど、顔が引きつっててさ。とにかく、あのやり取りを見ておれは悲しくなったよ』
彼の声はどんどん沈んでいく。
正直、僕にもその女性の気持ちがよく分からなかった。誰かから手助けをしてもらったときは素直に嬉しいし、いつも感謝している。
でも……そうなのか。何かしらの理由があって、他人からの善意を鬱陶しいと思う人がいるのか。それを知って、僕は多大なる衝撃を受けた。
話を聞けば聞くほど胸が締めつけられる。
『その出来事があってから、母親は二度と自分からすすんで誰かに手助けをしなくなっちまった。いつだってさりげなく手を差し伸べられる母親の姿がカッコよくて、誇らしいと思ってたのに……めちゃくちゃ悔しいんだ』
僕のことをチラッと見ると、関は眉を落とした。
『おれはこんな性格だからさ……心もひねくれてる。五年になって丘島と初めて同じクラスになったとき思ったんだ。どうせこいつも嫌な奴だ。手助けしたって拒絶して、感謝もしねえんだって』
気まずそうに、彼はまた目を背けた。
そこまでの話を聞くと、ユナは頬を膨らませる。
『まさかあんた、偏見でコウ君のこと苛めていたの?』
『ああ……そうだな、そういうことだ。最低だろ? 罵れよ』
『うん、ほんっとにサイテーだね』
ユナが遠慮なしにそう言っても、関は何も言い返さない。苦笑しながらも話を続けた。
『だけどよ、なんか虚しくなったんだよなぁ。おれ、何やってんだろって。丘島はクラスの奴らに助けてもらったら礼をしっかり言ってるだろ? 手術を受けるって聞いてから、おれの中でもっと考えが変わっていった。ああ、こいつは頑張ってるんだなぁって。だから……なんつうか、丘島の振る舞いとかを見てて、自分の言動がバカらしく思えてきたんだ。こいつは違うんだなって。普通にいい奴なんだって、気づいたんだ』
関の肩が小刻みに揺れた。
そんな彼に冷たい視線を送りながら、ユナは落ち着いた口調で言葉を向ける。
『関は心のどこかで、偏った目で他人を見てたってことだよね。どんな相手に対しても、ちゃんと【その人】を見た方がいいよ。その女の人とコウ君は違う。もちろん関と私だって違うんだから』
『……ああ、分かってる』
きまりが悪そうにしながらも、関は再び僕の顔をしっかりと見た。
『今までのこと、許してくれなんて言わねえ。けど、もう二度とお前に嫌がらせなんてしない。本当に悪かった』
それから関は、僕に向かって頭を下げたんだ。
正直、彼から謝罪されるなんて夢にも思わなかった。
もしかして、あの寄せ書きの応援メッセージは本当に彼の本心だったのかもしれない。けれど──
僕は首を小さく振り、そっと口を開いた。
『顔上げてよ。申し訳ないけど、僕は今までのこと許すつもりはないよ』
『そう、だよな……当然だな』
声を震わせながら、関は目線を落とす。
深く息を吐いてから、僕は更に続けた。
『でも、今の話を聞いて分かったよ。どうやら君は、根っからの悪じゃないみたいだな。今日もわざわざ僕を助けてくれたわけだし。そのことは心から感謝してるよ』
僕の言葉に、関は瞳を潤わせた。
──彼のこんな表情、見たことがない。
鼻をすすり、関は語気を強くする。
『今までのことは許さなくていい。むしろ許されたくねえ。その代わり、これからのおれの行いで丘島に信じてもらえるよう努力する。それでいつか、お前と友だちになれたらいいなって思ってるから!』
照れくさそうにそう言い放つと、背を向け、関は愛犬を抱きあげた。
その後ろ姿は、真っ赤に染まっているように見える。
ユナが僕の隣で『ほんっと関って都合がいい奴よね』なんて笑いながら溢した。
はっきり言って、ユナの言うとおりだと思う。
けれど初めて彼の本心を聞いて、僕たちの中で何かが変わった。大きなきっかけを得たのには間違いなかったんだ。
『おれんち片親なんだ。母親が女手ひとつでおれと弟の面倒を見てくれてる。介護士の仕事してて、毎日疲れた顔で帰ってくるけど、そんな母親が誇りなんだ』
彼の横顔はなんとも切ない。それでいて、聞いたことがないほど穏やかな口調だ。
『いつも外出するときにさ、母親の介護士としての癖が出るんだよ。車椅子に乗ってる人や目の不自由な人、老人やちっちゃい赤ん坊を連れた親を見かけたりすると、しょっちゅう手助けしてたんだよな。傍から見るとお節介だけど、さりげなく他人の手伝いができる母親はすげぇ人だって、幼い頃から思ってた。だからおれも母親みたいに、困ってる人がいたら躊躇わずに助けられるような人間になりたいんだ』
関にそんな純粋な想いがあったなんて……。
普段の彼のイメージと、あまりにも違う。思いもよらない話に、僕は息を呑んだ。
『でもな……そんな母親の優しさが鬱陶しいと思う奴もいることを知った。あれは、おれが小三になったばかりの話だ。休日に母親と出かけていたんだけど、お前と同じような装具をつけてる女の人が一人で歩いていたのを見かけたんだよ。ちょうどその人が歩道橋の階段を上ろうとしてて、明らかに大変そうだった。それで、母親がいつものように声をかけたんだ。お手伝いしましょうかってさ』
僕とユナは、いつの間にか話に引き込まれていった。
『そしたらよ……その女の人、すげぇ怖い顔をして母親のことを睨みつけたんだよ。母親が差し伸べた手を思いっきり払い除けて、何にも言わずに階段を上っていったんだ』
関は顔を歪ませた。とても悔しそうに歯を食いしばるんだ。
『たった一瞬の出来事で、何が起きたのかよく分かんなかった。おれはただその様子を突っ立って眺めてただけなのに、女の人の後ろ姿がすげぇ怖かった。善意で声をかけただけなのに、なんで母親があんな風に拒絶されたのかおれには理解できなくて……。母親は何にも言わなかったけど、顔が引きつっててさ。とにかく、あのやり取りを見ておれは悲しくなったよ』
彼の声はどんどん沈んでいく。
正直、僕にもその女性の気持ちがよく分からなかった。誰かから手助けをしてもらったときは素直に嬉しいし、いつも感謝している。
でも……そうなのか。何かしらの理由があって、他人からの善意を鬱陶しいと思う人がいるのか。それを知って、僕は多大なる衝撃を受けた。
話を聞けば聞くほど胸が締めつけられる。
『その出来事があってから、母親は二度と自分からすすんで誰かに手助けをしなくなっちまった。いつだってさりげなく手を差し伸べられる母親の姿がカッコよくて、誇らしいと思ってたのに……めちゃくちゃ悔しいんだ』
僕のことをチラッと見ると、関は眉を落とした。
『おれはこんな性格だからさ……心もひねくれてる。五年になって丘島と初めて同じクラスになったとき思ったんだ。どうせこいつも嫌な奴だ。手助けしたって拒絶して、感謝もしねえんだって』
気まずそうに、彼はまた目を背けた。
そこまでの話を聞くと、ユナは頬を膨らませる。
『まさかあんた、偏見でコウ君のこと苛めていたの?』
『ああ……そうだな、そういうことだ。最低だろ? 罵れよ』
『うん、ほんっとにサイテーだね』
ユナが遠慮なしにそう言っても、関は何も言い返さない。苦笑しながらも話を続けた。
『だけどよ、なんか虚しくなったんだよなぁ。おれ、何やってんだろって。丘島はクラスの奴らに助けてもらったら礼をしっかり言ってるだろ? 手術を受けるって聞いてから、おれの中でもっと考えが変わっていった。ああ、こいつは頑張ってるんだなぁって。だから……なんつうか、丘島の振る舞いとかを見てて、自分の言動がバカらしく思えてきたんだ。こいつは違うんだなって。普通にいい奴なんだって、気づいたんだ』
関の肩が小刻みに揺れた。
そんな彼に冷たい視線を送りながら、ユナは落ち着いた口調で言葉を向ける。
『関は心のどこかで、偏った目で他人を見てたってことだよね。どんな相手に対しても、ちゃんと【その人】を見た方がいいよ。その女の人とコウ君は違う。もちろん関と私だって違うんだから』
『……ああ、分かってる』
きまりが悪そうにしながらも、関は再び僕の顔をしっかりと見た。
『今までのこと、許してくれなんて言わねえ。けど、もう二度とお前に嫌がらせなんてしない。本当に悪かった』
それから関は、僕に向かって頭を下げたんだ。
正直、彼から謝罪されるなんて夢にも思わなかった。
もしかして、あの寄せ書きの応援メッセージは本当に彼の本心だったのかもしれない。けれど──
僕は首を小さく振り、そっと口を開いた。
『顔上げてよ。申し訳ないけど、僕は今までのこと許すつもりはないよ』
『そう、だよな……当然だな』
声を震わせながら、関は目線を落とす。
深く息を吐いてから、僕は更に続けた。
『でも、今の話を聞いて分かったよ。どうやら君は、根っからの悪じゃないみたいだな。今日もわざわざ僕を助けてくれたわけだし。そのことは心から感謝してるよ』
僕の言葉に、関は瞳を潤わせた。
──彼のこんな表情、見たことがない。
鼻をすすり、関は語気を強くする。
『今までのことは許さなくていい。むしろ許されたくねえ。その代わり、これからのおれの行いで丘島に信じてもらえるよう努力する。それでいつか、お前と友だちになれたらいいなって思ってるから!』
照れくさそうにそう言い放つと、背を向け、関は愛犬を抱きあげた。
その後ろ姿は、真っ赤に染まっているように見える。
ユナが僕の隣で『ほんっと関って都合がいい奴よね』なんて笑いながら溢した。
はっきり言って、ユナの言うとおりだと思う。
けれど初めて彼の本心を聞いて、僕たちの中で何かが変わった。大きなきっかけを得たのには間違いなかったんだ。
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