【完結】君と国境を越えて

朱村びすりん

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第四章

苛立ちと不安

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 不意に、彼女の名を呼ぶ声がした。聞き覚えない女性のものだった。

 誰だ。彼女との貴重な時間を邪魔する奴は。

 思わず顔をしかめ、声の方を振り向いた。
 俺たちの前に立っていたのは三人の女子。そのうちの二人はミニスカートや露出が多い服を着ていて、メイクもやたらと濃く、面識がない人たちだった。
 だが、残りの一人は、違う。
 思わぬ人物を前に、俺は息を呑んだ。

「……アカネ」

 呆気に取られるように、アカネが俺を見ていたんだ。
 嘘だろ。なんてタイミングだ。
 アカネとは、気まずいままだというのに。『サエさんと仲良くならない方がいい』。そんな忠告をしてきたアカネはこの状況を目の当たりにして、よく思わないだろう。
『イヴァンくん、どうしてサエさんを抱きしめてるの?』『結局、仲良くしてるの?』アカネの目が、あからさまにそう問いかけている。

 もう完全に手遅れだが、俺は咄嗟に彼女の身から手を放した。
 俺の様子をジロジロ見て、女子たちは不適な笑みを浮かべた。

「もしかして君、最近玉木さんと仲良くしてるって噂の一年生?」
「うっそー。ガチでイケメンじゃん!」
「玉木さんってクラスじゃ全然喋んないくせに、イケメンとは仲良くするんだー?」
「やばー! うちらには澄ました顔して避けるのにね! 玉木さんが面食いだったなんてウケる!」

 明らかにバカにしたような口ぶりだ。女たちの態度に、はらわたが煮えくり返る。

 ──なんなんだ、こいつら。なぜそんな風に悪態をつく?

 拳を強く握りしめ、俺は二人を睨みつける。
 激情に駆られ俺が怒鳴り散らそうとした、正にそのときだった。彼女が、信じられない言葉を口にしたんだ。

「彼とはなんの関係もない。見ず知らずの他人よ」

 冷たい声で、はっきりとした口調だった。サッと立ち上がり、彼女は俺に背を向ける。

 ちょっと待ってくれ。俺が、見ず知らずの他人だと? 違う、違うよ。そんなはずないだろ……?

 全身が痺れるような感覚がした。
 俺の顔を一切見ず、彼女は走り去って行ってしまう。高いヒールの音が、瞬く間に遠ざかっていった。

 たった今、隣に彼女がいたはずなのに。あっという間に彼女の姿が俺の視界から消えてしまった。

 状況がよく把握できない。
 思考を停止させてはダメだ。まだ間に合う。狼狽えている暇があるなら、急いで彼女を追え。
 瞬時に決断を下し、俺は駆け出そうとした。だが、やかましい邪魔が入ってしまう。

「ねえイケメンくん」

 アカネの隣にいた見知らぬ女子二人に前を塞がれた。二人は物珍しいものでも眺めるような目を向けてくる。

「なんであんな子と仲良くしてんの?」
「玉木さんって、無愛想で全然喋らないでしょ。なに考えてるかわかんないよ。怖くないの?」

 は? 彼女のどこが無愛想なんだよ。たしかに普段から冷めた目をすることは多いが、笑った顔はすごく綺麗なのをこいつらは知らないのか。
 それに、彼女が全然喋らないなんてありえない。俺が声をかければちゃんと返事をしてくれるし、花のことになるとたくさんお喋りをしてくれる。
 なにを考えているのかわからないなんて誤解だ。彼女は、将来に関してものすごく真面目に考えているんだぞ。
 本当の彼女を知らないだけだ。そんな奴らに、どうこう言われる筋合いはない。

 苛立ちが募る一方だった。きっと今の俺の顔は、ありえないほど歪んでいる。

 彼女に関してありもしない話をし続ける女たちの横で、アカネは苦笑していた。決して俺と目を合わせてこない。早くこの場からいなくなりたいという感情が、表情だけで伝わってきた。いつも活発なアカネの印象とはまるで違う。

「……あ、あの」

 遠慮がちに、アカネは二人に声をかけた。

「せ、先輩! 早くしないと集合時間に遅れちゃいますよ」
「んー? 今、何時よ」
「もうすぐ三時半です。急がないとチア部の交流会、始まっちゃいますよ!」

 アカネは笑顔を繕うも、声色は明らかに焦燥している。
 なるほど、この二人の女はチアリーディング部の先輩か。部活の交流会かなんだか知らないが、さっさと立ち去れ。
 時間を確認した女たちはうだうだ言いながらも、慌てた様子で再び歩き始めた。

 ──しかしこの折。一人の女が、去り際にこんなことを呟いた。

「あんな人と一緒にいたら、君の価値が下がるよ」

 ニヤニヤしながら、女は俺の顔も見ずに歩いていく。

「なんだと? ……おい、それどういう意味だよ」

 よっぽど、叫んでやりたかった。見知らぬ奴らに、なぜそんな風に言われなきゃならない?

 女たちはそれ以上はなにも言わずそそくさと立ち去っていく。俺が無言で女たちの後ろ姿を睨みつけていると、半歩後ろを歩くアカネと視線がぶつかった。その目は、とても複雑な感情が入り交じっていて、見ていられない。
 アカネは、視線だけで俺にこう訴えてきたんだ。

『ごめんね、イヴァンくん』

 俺は、なんのリアクションも取れずにいた。唖然と、アカネたちが離れていく姿を眺めるだけ。
 
 アカネは、なにに対して謝っているのだろう。この前の件についてか。それとも、チア部の女たちの態度についてか。それとも──

 そこで俺は一度、考えるのをやめた。

 なにこんなところで突っ立てるんだ、俺は。今はバカの言いがかりに構っている暇はない。
 彼女がいなくなってしまった。追いかけて、捜しに行って、面と向かって話をしよう。

 周りの音や、景色がなくなっていく。華やかな薔薇の色も、歩く人々の姿も、話し声や風の音も、今の俺には無に感じた。
 気が付けば、太陽は灰色の雲に隠れ、空は光を失っていた。

 ほどなくして、冷たい雨が行く道を濡らし始める。
 今日の天気は、一日晴れの予報だったはずなのに。
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