婚約継続は構いませんが、今さら私を信じると言われても誓いの制約がありますので、もう遅いです

野良うさぎ(うさこ)

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もう信じない

 私、マリサ・キリサキは自分では普通の子爵令嬢だと思っている。
 貴族学園に通い、幼い頃から婚約者である侯爵家子息のデイビット様を支えてきた。

 私はどうやら人に気を使ってしまう性格らしい。いま、生徒会室で作業をしているけど、みんなの動きを見て、勝手に気を使ってしまう。
 
 それが私の当たり前だった。

 婚約者を支えること。人前で恥をかかせないこと。困る前に全部終わらせておくこと。
 私が先に気づいて、私が先に動くこと。
 
 それが私の役目だと思っていたし、子爵令嬢として当然のことだとも思っていた。
 
 デイビット様は優秀な方だ。

 容姿が整っており、成績もよくて、生徒会長としても信頼されている。だから、学園の中で彼を慕う人は多かった。

 ……正直、私はデイビット様のことは好きでも嫌いでもなかった。婚約者としての役目を果たす。彼は正義感が強い、そう言ってしまえば聞こえはいいけど……、独善的であり……、可愛らしい女の子が好きな人だった。

 放課後の生徒会室。

「マリサ、悪いけどこれ作っておいてほしい。……ほら、君が作ると反応がいいんだよ」

 悪びれもせず、私に書類を渡してくるデイビット様。……その瞳には、私に対する『愛情』というものは感じられなかった。なんというか……ただの都合の良い便利な婚約者、そうとしか見られていない。

 多分、間違っていない。だって……私はいままで、三回、デイビット様の『浮気』を許してきた。

『ごめん、どうしても好きな人ができたんだ!』
『俺が間違っていた。真実の愛なんてなかった!』
『許してくれ! 俺はマリサだけを愛している』

 言葉が軽い。信用は地の底まで落ちていた。けれど……、家の繁栄のためにデイビット様との婚約は必要だった。
 私はデイビット様に愛されたいわけじゃなかった。
ただ、婚約者として最低限、信じてもらいたかっただけだ。


「……はぁ」

 私はため息を吐きながら、書類をチェックする。

 創立祭の招待客の並び。開会式の挨拶の言葉選び。どの家のご令嬢同士を隣にしない方がいいか。誰に先に挨拶すれば角が立たないか。演出の魔道具の手配。各部活、委員会の最終チェック。外部の貴族の防犯対策。

 生徒会長デイビット。でもその彼の仕事をするのはいつも私だった。

「……書類、こちらで用意してあります。これを使ってください」

「助かるよ~。やっぱり君がいると違うな! ははっ、流石、俺の婚約者だね」

 その言葉を聞いて、私は小さく頷いた。
 嬉しい、という感情は皆無だった。ただ、単純に『生徒会』のために役に立てた、と思った。
 今はそれでよかったのだと思う。でも、これから先、私はデイビット様と結婚したら……、そう思うと、なんだか胸がモヤモヤする。

 生徒会の委員たちのざわめきが聞こえてきた。

「さすがマリサ様ですわ。デイビット様の婚約者に相応しい方ですもの」
「ふふ、慈愛のマリサ様ですわ。もう尊敬の的です」
「イケメンのデイビット様とお似合いですわ」

 私は微笑んだ。社交辞令でも微笑みは大事だ。心を隠す。この貴族社会では重要なスキル。
 ……本当なら、私は好きな魔道具をずっといじっていたいのに……。

 それに、この子たちは私を褒めているわけじゃない。
 あの言葉は、私個人に向けられたものではなく、デイビット様が婚約者の選択を間違っていないという、デイビット様を遠回しに褒めているんだ。

 だって、陰で言っていたのを聞いたから知っているの。

「……ちょっと、私は先に帰りますね」

「ああ、俺はもう少し残るよ」

 ……この時間だと、妹のフィオナが美術部で絵を描いている。きっとそちらに行くんだろう。私はまたため息を吐いた……。


 ***


 その日の帰り、私は創立祭の装花の確認のため温室へ向かった。様々な魔道具の力によって、元気の良い花々が咲き乱れる温室。私が学園で一番好きな場所なんだ。

 ふと、温室の花を見ていたら、妹のフィオナがキャンバスを持って温室をウロウロしていた。

「フィオナ? どうしてここにいるの? 美術室じゃなかったの?」

 フィオナは薔薇の花に手を伸ばしながら、振り向いて笑った。その微笑みは自分に絶対的な自信を持っており、計算された笑顔だった。

「だって、ここのお花綺麗でしょ? わたし、描きたかったんだ。ねえ、なんでお姉様がそれを咎めるの?」

 私は少しだけ眉を寄せた。
 フィオナは体が弱い。無理して歩き回ると体調が悪くなる。……でも、それが本当かどうか、わからないんだ。だって、医者は身体が正常だって言ってるけど……、フィオナは苦しいといって……。

「だめよ。今日は冷えるわ。戻りましょう」
「これくらい平気よ」
「平気ではありません。顔色もよくないわ」
 私がそう言うと、フィオナは不満そうに唇を尖らせた。

「……あ~あ、あんなに素敵な婚約者様がいるのに。お姉様はつまらない令嬢ですわね」

 フィオナの顔は笑っていない。でも、目が笑っている。
 気がついたら、私は手に力を込めていた。……我慢しないと。私はお姉ちゃんなんだから。
 妹は、まだ……子どもなんだから……。

「お姉様は本当にわがままで意地悪ですわ。ここはみんなが心を休める場所です。なのに、私を追い出そうとして……私のことがお嫌いなんですか?」

「何を言っているの。そうではないわ。あなたの身体が――」

 私が喋ろうとしてもフィオナが言葉を被せてくる。まただ、イライラを深呼吸して鎮める……。

「だって最近もそうですもの。デイビット様とお話ししていても、すぐに私を帰らせようとなさる」

 私は唇を噛んだ。私は妹を信じている。デイビット様も……ちゃんと謝って過去を清算してくれた。

 だから、私はまだ――

「それは、あなたの体調を気にして――」

 そこまで言った時だった。
 フィオナが一歩下がった。床が少し湿っていたせいか、足元がもつれたのだと思う。

「きゃっ……!」

「フィオナ! 危ない!」

 フィオナの身体がぐらつく。薔薇の支柱に手首をぶつけた。地面に頭から倒れそうになったけど、私は身体を支えた。そのまま崩れ落ちて、私は自分の手で、フィオナの頭を庇った。

「……っ」

 左手に激痛が走った。フィオナは? ……不思議そうな顔で私を見つめていた。なんで、自分を庇っているの? と言いたそうな顔だった。

 その時だった。

「フィオナ!」

 温室の入口から声がした。

 デイビット様だった。何人かの級友も一緒だった。
 泣きそうなフィオナ。赤くなった手首と泥だらけの制服。

 ざわつくデイビット様の取り巻きたち。
 
「まさか……マリサ様が?」
「フィオナ様、大丈夫ですの?」
「もしかして、嫉妬……」

 私は何か言うべきだった。違う、何もしていない! 勝手に転んで私が助けただけって。

「まさか、聡明な君がこんないじめをしているとは思わなかったよ。……俺は君を愛してはいないが、愛そうと努力をしていた。……でもさ……いくらなんでもフィオナに当たるのは違うだろ? それは正義じゃない」

 今すぐ否定の言葉を言うべきだった。
 でも、言葉が出なかった。
 フィオナは涙を浮かべていた。そして、デイビット様がフィオナを抱きしめて、慰めていた。

 身体の隙間からフィオナと目が合った。胡乱な瞳だった。困惑、迷い、ためらい……いろんな感情が入り混じっていた。

 だから、余計につらかった。
 ……私は深呼吸をして、この場の説明をしようとした。じゃないと、取り返しのつかないことになる。――私の心が。

「デイビット様。まずこの状況を説――」
「言い訳は必要ない。今はフィオナを休ませるのが先だ。言い訳は後で聞く。どけ」

 口の中で血の味がした。知らぬ間に歯を強く噛み締めていたんだ。

 デイビットの言葉で、私はわかった。

 この人は私を信じてもくれないのだ。私は、三度裏切られても、なんとか信じようと努力したのに――

 その瞬間、身体の温度が下がった。見える景色が変わった。悲しみが全身を襲う。それは内部まで染み込み……心の中を壊そうとする。

 愛情なんていらなかった。妹が好きでもどうでも良かった。

 たった一言でよかった。

 君を信じる。

 その一言だけが欲しかったの。

「あ、あの違うの、わ、私――」
「フィオナ、君は身体が弱い。すぐに医務室へ行って回復魔法をかけてもらう。さあ」

 と言って、デイビット様はフィオナをお姫様抱っこで抱え、校舎へと向かった。

 私は温室で一人取り残された。

 なんだろう、寂しいっていう気持ちは一切無かった。ただ、人はわかりあえないんだっていうことが、身体の芯から理解できた。

 多分、この時だと思う。私の心の奥底に『氷』が出来たのは。

 私は、制服についた泥を払い、帰路につくのであった。

 手が痛い…、でも心はもう痛くなかった。

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