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10章 死霊術師の覚悟

3-1 氷の鏡

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3-1 氷の鏡

「っと。みんな、うまくいったぜ」

何百メートルも離れたところから視界が戻り、俺は一瞬くらっとしたが、すぐにニヤリと笑った。見事に作戦がはまって、実にいい気分だ。

「やったね、桜下っ」

ライラが満面の笑みで、こちらに手のひらを向けてくる。俺も手を伸ばすと、パチンと小気味いいハイタッチをした。

「決まってたぜ、ライラ。音の魔法、ばっちりだったな」

「でしょでしょ?ライラは、だいまほーつかいだからね。何でもできるんだよ!」

ライラは誇らしげに胸を張った。事の次第というか、種明かしは、こうだ。
今俺たちは、さっきまでクラークたちがいた場所からずっと離れた、見晴らしのいい丘の上にいる。俺は視界だけを、アニの遠視魔法によって飛ばしていたのだ。そして、ライラの音を飛ばす魔法(厳密には、その場の“空気”を伝える魔法らしい。音は空気の振動だからな)を使うことで、離れた場所での会話を可能にした。でもだったら、クラークたちが見た俺たちの姿はどうやったのかって?
これは、今ここにいない唯一の人物、ウィルが、蜃気楼で作った幻を見せていただけだったりする。クラークたちにはウィルの姿は見えないから、突然俺たちの姿が消え、あたかも遠くにワープしたかのように見えていたはずだ。
三人の魔術師による奇策によって、俺の提示した無理難題は、見事に叶えられた。三人集まれば文殊の知恵っていうのは本当だな。

「いやあ、ほんっとにうまくいったなぁ。お前らにも見せたかったぜ、あんときのクラークの顔!」

「……あんまり浮かれないでよ」

あれ?俺は上機嫌だったが、反対にフランは、思ったよりも冷静だった。というか……ちょっと怒ってる?

「フラン?どうかしたのか?」

「……なんでもないよ」

フランはそっけなく言い残すと、山肌を登ってどこかへ行ってしまった。

「な、なんだぁ?」

なんかあったのかな。俺はさっぱり分からないという顔でエラゼムを見たが、彼も黙って首を横に振るばかりだった。

「ですが、少々驚きました。桜下殿とあの勇者とが、お知り合いだったとは」

「あぁ……知り合いって言うか、同じ出身ってだけな。ほとんど初対面みたいなもんだよ」

「そうでしたな。しかし、桜下殿が以前おられた場所の話は、あまり聞いたことがありませんでしたので。桜下殿も驚かれていたようですが、フラン嬢も似たような心境だったのではないでしょうか」

「……まぁ、確かにな」

俺の三つのトラウマについては、みんなにすでに話してあるけど。それ以外の、例えば俺の以前の暮らしとかは、話したことはなかった。聞かせて楽しい話ではないし、そもそも前の世界では、楽しい記憶の方が少ないのもあるが。

「それで、拗ねてんのかな……」

フランは、隠し事をされたと思っているのだろうか?別に隠していたつもりでもないんだがな。
ひやりとした風が頬を撫でる。思わずぶるりと震えると、俺は空を見上げた。今はまだ晴れているけれど、風が出てきたみたいだ。山頂の方では、鉛のような色の雲がもくもくと湧いている。

「……天気が、変わりそうですな」

エラゼムがぼそりとつぶやく。山の天気は崩れやすいというが、果たして本当だろうか。



本当だった。ちくしょう!誰だ、天気の話なんかしたやつは!

「前が、ぜんぜん見えないぞー!」

猛吹雪だった。視界が真っ白だ。強烈な風が山の上から吹き下ろし、俺たちを下へ下へと押し戻そうとする。まるで、ちっぽけな人間が自分を踏破するなど許さないと、山の神が怒っているかのようだった。
くそ、まだこの高さでは、雪は降らないと思っていたのに!だけども、辺りの地面に雪はほとんど積もっていない。つまり通常であれば、ここに雪は降らないのだ。では今の吹雪はというと、降ろし風が山頂の冷たい空気と共に、真っ白な雪風を連れてきてしまったみたいなのだ。完全に想定外だった……もともとクラークのせいで狂っていた俺たちの予定は狂いに狂い、白い風に囲まれて進みも戻りもできずに、立ち往生してしまっていた。

「……!…………ッ!」

大きな黒い影が、何かを叫んでいる。背格好からして、おそらくエラゼムだろうが、耳元で唸る雪風のせいで、何を言っているのかさっぱり聞き取れない。

「なんだってぇー!?」

影が動く。かろうじて聞き取れるガシャガシャという音と共に、エラゼムの鎧が銀幕の中からぬっとあらわれた。

「桜下殿ー!このままでは、にっちもさっちも行きません!どこかで、吹雪をやり過ごしましょう。この天気の中を進むのは危険です!」

「けど、どこに行くんだー?」

「洞穴があれば申し分ないですが、せめて岩の影でもあれば……」

と言われても、四方が真っ白な今の状態じゃ、一寸先すら見えやしない。闇雲に動き回って、遭難でもしたらシャレにならんし……頭を抱える俺たちに、そっけない声が掛けられた。

「なら、私が探してきますよ」

声の主は、先ほど合流したウィルだった。が、なぜだかウィルまで、フランと同じくつんけんしている気がする……

「わたしも行く」

フランがウィルの提案に乗った。そして言うが早いか、猛吹雪の中にさっさと消えていった。続いてウィルも。俺はいってらっしゃいを言う暇すらなかった。くぅー、なんなんだよ、もう。俺がなんかしたか?
二人のはっきりしない態度に苛立ちはしたが、俺はすぐにそれどころではなくなってしまった。吹雪の勢いがますます強くなってきたのだ。俺とライラはマントに包まり、エラゼムの鎧の陰に身を寄せていたが、容赦なく吹き付ける風は確実に体温を奪っていく。いつの間に陽が傾いたのか、薄暗くもなってきやがった。くそ、アルルカだけは平然としているのが憎らしい。

ほどなくして、フランとウィルが戻ってきた。

「この先に崖があって、そこに隙間ができてる。一時しのぎくらいにはなるよ」

「そ、そ、そうか。なら、は、早く行こう……」

俺が歯の根をガチガチ震わせながら言うと、さすがに哀れに思ったのか、フランは少し態度を柔らかくした。俺のカバンを漁って革ひもを取り出すと、一端を自分の腰に結び、もう一端を俺に手渡した。

「わたしが案内するから。途中に少し足場が悪い所があったから、注意して」

俺はこくりとうなずくと、自分の腰に革ひもをぎゅっと結んだ。

「それから、ライラ」と、フランはライラに声をかける。

「悪いけど、ここからは負ぶれない。もし万が一、その人が足を滑らせでもしたら、わたしが止めないといけないから」

「ん、わかった」

ライラはこくりとうなずくと、俺の手をきゅっと握った。俺とフランを結ぶのは、まさに命綱なわけだ。なら俺の手は、ライラの命綱だな。俺はぎゅっと手に力を込めた。

「じゃ、行くよ」

フランが薄く積もった雪の上に、さくっと一歩を踏み出した。
俺たちは一列になって、吹雪の中を進み始めた。先頭はフランとウィルだ。ウィルは魔法で火の玉を呼び出して、後続の俺たちが見失わないようにしている。それでも、かろうじて明かりが見える程度だ。二番手が俺とライラ。その後ろを、エラゼムがゆっくりと付いてきている。最後尾はアルルカだった。この悪天候では、さすがの吸血鬼も飛ぶことはできないらしい。
足元のコンディションは、最悪の一言だった。もともと険しいのに、雪のせいでさらに滑りやすくなっている。視界は薄暗いし、風も依然強く、油断すればすぐに足を持っていかれそうだった。ひときわ強い風が吹くたびに、視界は真っ白に染まり、俺は何度も方向を見失いかけた。

「わっ!」

うおっ。俺の左手が、ぐいんと引っ張られた。ライラが足を滑らせたんだ。俺は全身の筋肉をぱんぱんにして、なんとかライラの体を支えた。よかった、ライラが小柄で……

「び、びっくりした。ありがと、桜下……」

「おう。気ぃつけろよ……」

ふう、冷や冷やした。俺が再び前を向こうとした、その時だった。吹き荒ぶ雪の中に、キラリと一瞬、何かが光った気がした……夕陽が、雪に反射したのか?いや、空は相変わらず、鉛色の分厚い雲で覆われている。それじゃあ、いったい……?

「……」

俺は今までの経験則から、こういう時は警戒したほうがいいと学んでいた。こっちの世界では、俺の中の常識は通用しないことが多い。何があってもおかしくない、くらいの心積もりでいたほうが、たぶん長生きできるだろう。

「桜下、どうしたの?」

身を固くし、足を止めた俺を見て、ライラが不思議そうに首をかしげる。俺がそれに答えようと、口を開きかけたときだ。さっき一瞬見えた光が、今度ははっきりとこちらに向かって飛んでくる!その光の先には、無防備なライラが……!

「ライラ!」

俺はつないだ手をぐいと引き寄せると、ライラを胸に抱いて、地面に伏せた。さっきの光の正体はわからないけど、こっちに向かって飛んでくるものなんて、大抵ロクなもんじゃないはずだ。俺は状況をよく見ようと、伏せていた顔を上げた。
そのとたん、俺の瞳にさっきの光が、ぐっと大きくなって映りこんだ。だがそれは、光が大きくなったわけじゃなかった。光は、俺の目に向かって、飛び込んできていたのだ。

「ぐああぁぁぁ!」

突き刺すような痛み。俺は右目を押さえて、雪の上を無様に転がった。



つづく
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読了ありがとうございました。
続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。

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