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13章 歪な三角星

2-1 急な報せ

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2-1 急な報せ

王城は濃い朝もやに包まれていた。
高い城壁はかすみの中に浮かんでいるようで、実際にはそこに無いような非現実感を醸し出している。だが当然、それは俺の目と想像力が引き起こす錯覚に過ぎない。現に俺たちを乗せた馬車は、お堀の上に掛けられた橋を渡って、城内へと入っていくのだから。どんなに幻想的な場所であろうと、地続きになっている限り、土足で踏み入ることができるのだ。すなわち俺は、あらゆる幻想を破壊する可能性を秘めた、現実性の塊であり……

「あいた。ちょっと桜下ぁ、しゃんとしてよ!」

うおっと。ライラに怒られてはじめて、俺はうとうとして、あごを彼女の頭のてっぺんにぶつけていたことに気が付いた。ふあぁ~、いかんいかん。早朝も早朝なもんだから、眠くってしょうがないぜ。

昨夜、とうとう王都が地平線上にかすかに見えるくらいの所まで来た馬車隊は、はやる気持ちを抑えきれずに、陽が昇る前から移動を開始した。雄鶏よりも早起きしたおかげで、俺はひどく寝不足だ。

(ま、ヘイズたちの気持ちも分かるけども)

一カ月近くかかった任務の終わりが見えているんだから、駆け足にもなるってものだ。ところで、俺はさっきから舟を漕ぎまくり、眠たくって仕方ないんだけど、ライラはぱっちりと目を開けている。眠くないのかな?

「ライラって、朝強かったっけか?」

「うん、まあ少しは眠たいけど。それよりも、三つ編みちゃんに会えるかなって思ったら、目が覚めちゃった」

「ああ……」

三つ編みちゃん。北の町で出会い、奴隷商に売り飛ばされそうになっていたところを保護した女の子だ。彼女を故郷に返すために、俺たちはひと月前、王城で彼女と別れた。あの子は今頃、どうしているだろうか?
早朝の城内は静まり返っていた。さっき陽が昇ったばかりだから、不寝番をしている衛兵以外は、さすがにまだ忙しくしてはいないんだろう。馬車隊は城の玄関ホールの前でゆっくり止まったので、俺は馬車の扉を開けて外に出た。

「すうー、はあ」

ひんやりとした朝の空気を肺一杯に吸い込む。庭園の芝生の、朝露に濡れた湿っぽいにおい。目がスッキリ冴えたな。
さすがに何台もの馬車が集まると、城の連中も気が付いたらしい。何人かの侍女が玄関から顔を出して、驚いた顔をしている。こんなに朝早く帰ってくるとは思わなかったんだろう。
ヘイズは各自に指示を飛ばし、荷下ろしを始めた。俺も手伝うか?ちぇ、面倒だ。俺が要請されたのは、こいつらに同行することであって、召使いのようにこき使われることじゃない。そしてその任務も、これでようやっと終わりってわけだ。
やがて一つの馬車から、ヘイズと、彼に支えられたエドガーが、ゆっくりと下りてきた。エドガーの顔はまだやつれているが、それでも前に比べれば格段に元気になった。うん、もう心配いらないな。
するとその時、また玄関ホールの扉が開かれた。野次馬好きの侍女が覗きに来たか?と思って見ていると、そこから現れたのは意外な人物だった。

「お……ロアじゃないか」

扉から現れたロアは、上等そうなシルクの寝巻の上に、白いガウンを羽織っていた。こんな朝早くに、王女様も早起きだな。それとも、侍女が知らせたのか?いや、第三の可能性として、目元にくまができているから、よく眠れていなかったのかもしれない。

「……っ」

ロアは馬車隊の中にエドガーの姿を確認すると、充血した目を見開いて、ふらふらとこちらに走り出した。危なっかしいな。玄関前の階段なんて、ほとんど転げ落ちるようなもんだったから、エドガーは自分が病み上がりなのも忘れて、思わず駆け寄ろうとしていた。とにかく、そうやって階段を下りると、ロアはスリッパなのも忘れてパタパタと駆け寄ってきて、そしてエドガーに飛びつ……

「わあ、ロア様!ストップストップ!」

……く寸前、彼がわきを支えられていることを思い出したのか、急ブレーキを踏んだ。エドガーは目を白黒させ、ヘイズは胸を撫で下ろしている。あの勢いだったら、三人そろってひっくり返っていただろうな。ちぇ、ちょっとそれも見てみたかったのに。くくく。

「エドガー……」

「はい、ロア様。このエドガー、誠に情けなくも、戻ってまいりました」

ロアの声は蚊の鳴くようだったし、エドガーの声はかすれていた。荷下ろししていた兵士たちも手を止めて、二人の様子を見守っている。エドガーはヘイズの手を振りほどいてひざまずこうとしたので、ロアは慌ててそれをやめさせた。

「よせ。まだ病み上がりなのだろう」

「ですが……ロア様には、多大なるご迷惑をおかけしてしまいました。本来であれば、私がロア様にお仕えする立場というのに……面目次第もございません」

「言うな。私が勝手にしたことだ。もしもそれを借りだと感じるのならば、今後おのれの行動で返すのだな。取り戻した時間を使って」

「ロア様……ありがとうございます」

エドガーはこうべを垂れ、ロアはそっと彼に身を寄せ、背中に腕を回した。ほほえましい光景だ。退院した父親と娘の再会を見ているような……見守る俺たちの目にも、温かさが宿る。

「そして……」

「え?」

エドガーから離れたロアは、なぜか俺の方をぎらっと見た。なな、なんだよ?ロアはつかつか、たったったっとこっちにやって来る。そして俺が避ける間もなく、ロアは俺に飛びついてきた!

「あー!」「あぁ!」

二人分の叫びが聞こえる。フランと、ウィルか?だがあいにく俺は、それどころじゃない。背中にぎゅうと回される腕。首筋に当たるロアの頬は、ロウソクみたいに熱い。さらさらの髪がふわりとなびいて、あ、石鹸のいい匂い……じゃなくって!

「ろ、ロア……」

「よく、よくやってくれた……!」

ロアが喋るたびに、振動が体に伝わる。とりあえず、怒っているわけではなさそうだが……俺がどぎまぎしていると、ロアは俺から離れて、代わりに手をぎゅっと握った。

「ヘイズから聞いた……大変だったんだろう。誤解を恐れず言えば、私はお前が任務を放棄して、逃げ出してしまうんじゃないかと何度も思ったのだ」

うっ。じつは、そんなことが何度か頭をよぎってました……とは、言わないでおこう。

「だがこうして、エドガーは無事に戻ってこれた……お前のおかげだ。礼を言う」

ロアの潤んだ瞳に見つめられると、顔が熱くなる気がした。な、なんなんだ、調子のいい女だな。こういう時ばっかり……俺は視線を逸らすと、頬をぽりぽりかいた。

「……まあ、期待にそえたなら、なによりだ」

はぁ。こういう時に何もうまいこと言えないのが、やっぱり俺だよな。
ロアは何度か俺の手を揺すると、またエドガーたちのところに戻り、それから城へと走っていった。エドガーの病室を準備しに行ったみたいだ。実際に準備するのは侍女か執事だろうけど。

「……嫌な女。あいつ、わたしたちにはなんも言わなかったよ」

フランが苦々し気につぶやく。珍しくウィルも同じような顔をしていて、俺は笑ってしまった。

「ぷはは。ま、そこまで気が回らなかったんだろ。勘弁してやろうぜ」

「……よかったね、いい思いできて」

「ば、ばか。そんなんじゃねーよ。相手は女王様だぞ?」

「それならあなたは、元とはいえ勇者じゃない。あの女もいい歳だし、狙ってるんじゃ……」

「あははは。まさかぁ。天地がひっくり返ってもありえないな」

あのロアが、俺を?あいつなら、その辺の犬の方がマシだとかぬかしそうだ。あ、けどまずったな。動揺して、三つ編みちゃんのことを聞くのを忘れていた。

「とりあえず、もう少し待ってみるか?こっちでのことも聞きたいし」

兵士たちも侍女たちも、後片付けでばたばたしている。とても話しかけられそうじゃないな。手持無沙汰の俺たちは、玄関のわきに固まって、ぼんやり兵士たちを眺めていた。しばらくそうしていると、そんな俺たちに気付いたのか、ヘイズがふと足を止める。

「なんだお前たち、そんなところで何してるんだ?暇なら手伝いの当てはいくらでもあるぞ」

「ノーサンキューだ。あいにくと、のんびり待つのも嫌いじゃないんだよ」

「ちっ、かわいげのねーやつ。で?何を待ってんだ?」

「あんたらが落ち着くのを。向こうに行ってる間のことを聞きたいんだ」

「なんだ、そうだったのか。それなら城の中で休んでろよ。侍女に言えば、部屋を用意してくれるはずだ」

「え?でも……」

「遠慮するな。きっとロア様も、改めて礼を言いたいとおっしゃるはずだ。それなら、お前たちも城の話を聞けるだろ?」

むう。その辺の侍女にでもささっと聞いて、すぐにおいとまするつもりだったんだけど……何度来ても、この王城は落ち着かないんだよな。まあけど、せっかくの申し出だ。

「わかった。そんじゃ、待たせてもらうよ」

「おう。今回の功績を考えりゃ、それくらいしてもバチは当たらねえさ」

そんなもんかね。俺は肩をすくめると、ヘイズと別れて、城の中へと入っていった。玄関ホールに入ると、すぐに女給メイドの一人と目が合う。女給は俺たちの奇抜な格好を見て、一瞬目を丸くしたが、すぐに柔和な表情になった。

「王女様から仰せつかっています。お部屋へご案内させていただきます」

おお?ロアのやつ、とっくに準備をしていたらしい。俺たちは女給に案内されるまま、部屋へと通される。前にも泊まった事のある部屋だ。ううむ、親切過ぎて、逆に気味が悪いくらいだが……
その部屋で適当にくつろいでいると、やがて扉がノックされ、きちんとしたドレスに着替えたロアがやってきた。

「やあ。待たせてすまない。今お茶を持ってこさせよう」

「い、いや、ほんとにいいって。お構いなく……」

「そうか?なら私の茶に付き合え。ちょうど喉が渇いていたところなんだ」

くそ、ああ言えばこう言う……少ししてから、女給がティーセットを乗せたワゴンを押して現れた。女給が恭しいしぐさで給仕をする姿を見ていると、どうにも場違いな気がしてしょうがない。俺みたいな不良には、出がらしのお茶で十分なんだけど。お茶が淹れられると(ポットをびっくりするくらい高く持ち上げて注いでいた……何の意味が?)、ロアはカップをくゆらせ、のどを潤すと、口を開く。

「さて。桜下、私に話があるとか?」

「あ、ああ。話というか、聞きたいことなんだけど。ほら、例の三つ編みちゃん、どうなった?」

三つ編みちゃんの名前が出ると、ライラがピーンと気を張り詰めたのが分かった。ロアは少し考えると、すぐに思い出したようにうなずく。

「ああ。あの、奴隷商にさらわれた少女だな。そうか、こうなると分かっていれば……」

え?ロアが言葉尻を濁らせる。どういう意味だ?

「彼女に関しては、いい知らせと悪い知らせがある。どちらから聞きたい?」

「う、お?なんだよ、その聞き方……とりあえず、いい方から聞こうか」

ドキドキさせるじゃないか。いい方を選んじゃったけど、先に悪い方がよかったかな……

「では、いい知らせだ。彼女に言葉を習得させる方法についてだが、その魔法を使える魔術師を押さえることができた」

「おお!ほんとか、よかった」

三つ編みちゃんは異国の生まれなので、こっちの言葉が話せない。それでは彼女の名前すらわからないので、どうにかして言葉を教える必要があったんだ。しかし問題なのが、その魔法が使える魔術師がとても少ないってことで……

「ああ。三の国に掛け合ったところ、ことのほかすんなり快諾してくれてな。おかげで予想よりも早く手配ができたというわけだ」

「そうだったのか。でもそれじゃあ、なにが悪いニュースなんだ?」

「ああ、それなんだが、実はもう彼女はこの城にはいない。つい数日前に、ここを発ったのだ」

「え……」

なんだ、そうだったのか……ライラが露骨に落ち込んだので、ロアは慌てて言い添えた。

「も、もちろん、わざとではないぞ。お前たちがいつここに着くのか分からなかったし、あまりモタモタしていては、せっかく押さえた魔術師の機嫌を損ねかねん。彼女自身の為にもよくないだろうし……」

「ああ、分かってる。あんたが正しいってのは、俺も思うよ」

三つ編みちゃんのことを思えば、一日も早く家族の下に返してあげたほうがいい。だがそれでもライラは、しょんぼりして俺の腰のあたりをぎゅっと掴んだ。しょうがないさ、友達とすれ違いになったら寂しいよな。俺はライラの肩をぽんぽんと叩いた。

「三つ編みちゃんは、どうやって三の国へ?」

「あ、ああ……心配するな、きちんと人員を揃えて派遣したから。彼女と仲の良かった侍女も一緒だから、寂しい思いはしないはずだ」

「そっか。ならいいんだけど。いつ頃戻ってくる予定なんだ?」

「そうだな、短くてもひと月以上は掛かるだろう。その魔術師は、三の国でも片田舎に住んでいるそうでな。かなりの長旅になると思う」

ひと月か……できることなら、もう一度ライラを会わせてやりたいけれど。都合を合わせられるか、まだわからないな。

「わかった。ありがとな、ロア。あ、それともう一つ、北への派遣はどうなった?」

「そちらも抜かりない。使節団を送ったところだ。彼らが戻り次第、支援策を練っていく予定だ」

うんうん。ミストルティンの町の方もやってくれているみたいだな。ロアのほうも、俺との約束をきっちり守ってくれていたらしい。

「そんなら、俺が聞きたいことはもうないよ。流石は王女サマだ」

「ふん。私を誰だと思っているのだ」

ロアが不敵に笑ったので、俺も思わずニヤッと笑った。こうして気楽に話していると、相手が一国の王女だってことを忘れそうだな。

「後は、特に変わったことも起きてないんだろ?」

「おおむねな。ああそう言えば、つい先ほど一の国から伝書鳥が届いていたか。中身は確認してないが、おそらくライカニール帝からの手紙だろう」

「げえぇ!女帝からの手紙だと?また面倒なことが書いてあるんじゃ……!」

「あっはっは、案ずるな。国の大使を送った後は、こうして返礼の手紙を送る習わしなのだ。ライカニール帝からと言っても、中身はハンコ文だろう」

「な、なんだ。脅かすなよ……」

はあ、びっくりした。俺もヘイズの幽霊恐怖症みたいに、女帝恐怖症にかかりそうだな。

「それより、お前たちの話を聞かせてくれんか。ヘイズに断片的には聞いているが、一体どのようなことがあったのだ?聞いたところによると、勇演武闘が開かれたとか?」

「ああ。苦労自慢がしたいわけじゃないけど、そりゃもう大変だったんだぜ……」

それから俺は、ロアに一の国で起こった事を話して聞かせた。はは、最近は語り部になることが多いな。積もる話は多く、全部を話しきる前に、執事がロアを呼びに来た。するとロアは俺たちに王城に泊まるように言い、夜にまた聞きに来ると言い残して部屋を出て行ってしまった。俺は仲間たちの顔を見回して、ため息をついた。もうなんだか、王城に泊まることに慣れてしまった自分がいる。まあけど、宿代も浮くし、いいか。
だけど今思えば、俺は何が何でもすぐ城を出るべきだったのだ。そうすれば、あんな厄介ごとに巻き込まれなかったのに……



つづく
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読了ありがとうございました。
続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。

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