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13章 歪な三角星

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その夜、俺は大型犬とたわむれる夢を見た。はて?犬を飼っていたのはじいちゃんちで、俺んちでは飼っていなかったんだけれど、それにしちゃ妙にリアルな夢だったな。
ぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃ。

「……ん?」

耳元の水音……俺、いま起きてるよな?じゃあこれ、何の音だ……?

「ハッハッハッハ……」

嫌な予感がする。俺は恐る恐る、薄目を開けた。すると目の前に飛び込んできたのは、朝の陽ざしと、滝のようによだれを垂らすアルルカ……

「どわぁ!きったねえな!」

がばっとベッドから飛び起きる。枕元のとなりにアルルカがあごを乗っけて、腫れぼったい目で俺を見つめている。マスクのすき間からよだれがあふれ出て、ベッドシーツにでっかい染みを作っていた……げぇー。まさか俺が見た夢って、これかぁ。

「最悪の目覚めだ……」

「そいつ、朝からずっとそんな調子だよ。昨日の酔いが残ってるみたい」

壁に寄りかかったフランが、冷ややかな目でアルルカを見つめる。でもそう言う割には、フランは壁から動こうとしない。

「そうか……でもフラン、どうしていつもみたいに止めなかったんだ?」

「それは……」

フランは言い淀むと、ふいと目を逸らす。んんー?この前からの心境の変化、それのせいか?俺としては、何とかして止めてもらいたかったもんだけど。

「それより、何のマネだよアルルカ!こんなにしちゃって、あとで怒られるぞ……」

「ハッハッハ……ち……ちが……ハッハッハ」

「ちがう?何が違うって?」

「ち……ハッハッハ」

「どうでもいいけど、なんでそんな息荒いんだよ……」

アルルカはそれこそ犬のように、舌を出して肩で息をしている……昨日の酒、なんか怪しい薬でも混ざっていたのか……?

「血。血液じゃない?ほら、あれからひと月くらい経ったから」

と再びフラン。ああ、そっか。前に血をやってから、それくらい経ったのか。

「でも今は、朝じゃないか。月は出てないぞ?」

「関係な……ハッハッハ」

ふむ。月夜ではないが、そんなことは関係ないと言いたいわけか。昨日の酒が残っているせいで、まともな思考じゃないみたいだな。

「おいアルルカ。血の代わりに、下に行って冷たい水でも貰ってきたらどうだ?」

「や……」

「ちっ。ヴァンパイアのくせに二日酔いだなんて。わーったわーった、約束だからな。やるよ」

俺はアルルカのマスクに触れると、それを外してやった。ごぽっと音を立てて、ぬらぬらよだれが滴り落ちる……うえー。俺はそれを人差し指と中指でつまみ上げると、床にべちゃっと放った。あとでアルルカ自身に洗わせよう……首筋を出そうとシャツのボタンを緩めていると、辛抱しきれなくなったアルルカが、いきなりベッドの上に飛び掛かってきた。ギシィ!

「うお!」

俺はアルルカにのしかかられる形になった。俺の上にまたがったアルルカは、目の焦点が合っていない。や、やべぇ。いつでもおすわりさせられるように、気を張っておかないと。フランがぴくっと動いた気がするが、声は出さない。エラゼムは咳払いをしているけど、それならいっそ止めてくれないかな。

「ハッ、ハッ、ハッ」

短い息をしながら、アルルカが覆いかぶさる。黒髪が滝のように降り注ぎ、おまけに半開きになった口から、つぅっと一筋の液体が……ぎゃあ!お、俺の口に……!
その時だ。こん、こん。

「あのー、お客様。起きてらっしゃいますか?もう少し静かにしていただかないと、他のお客様に……」

え?扉がきぃと小さな音を立てて、控えめに開かれた。隙間からクリスが顔を半分だけのぞかせる。しまった。俺はまさしく「しまった!」という顔で、クリスの方を向いてしまったから。その俺は今、半裸に近い格好の女にベッドに押し倒されている。そして俺とアルルカの唇の間には、銀色の橋が架かっていて……クリスは目を真ん丸にすると、ぼんっと音がしそうな勢いで真っ赤になった。

「うわ、わ、ごめ、ごめんにゃさい!ししし、失礼しますっ!」

ぴゅん。一瞬でクリスは首を引っ込めてしまった。ああ、待ってくれ!誤解なんだ!

「あばれないの……」

「待てアルルカ、それどころじゃうひゃ!」

「いただきまー……」

べろり。真っ赤な舌を覗かせたかと思うと、湿潤な感触が俺の首を舐めた。ひいぃ、鳥肌が!俺は全身の力が抜けてしまい、アルルカに組みしかれたまま、ちゅっと血を吸われた。ああ……天井の染みが見える。なんだか大事なものを失った気分だ。

「私たち、朝から一体、何を見せられているんですかね?」

「……知らない。けど、不愉快なのは事実だよ」

「そうですね。同感です」

ううぅ。俺が一体、何をしたっていうんだ……



げんなりした俺が食堂に下りていくと、テーブルを拭いていたクリスと目が合った。

「あ」

「あっ……!」

クリスはとたん、耳まで赤くして、ぴゅーっと飛び去ってしまった。ああ、絶対誤解された。もう俺、この宿に来られないかもしれない。
食堂には俺たち以外にも、数人の客の姿が見えた。別の泊り客もいたんだな。その中の一人が、俺たちを見て片手を上げる。

「あら、あなたたち」

クレアは傍らに湯気の立つカップを置いて、モーニングコーヒーを楽しんでいた。顔色はよく、昨日のくよくよした感じはさっぱりない。憑き物の取れた顔ってやつだ。ついでに二日酔いもないみたいだし。俺たちはクレアと同じテーブルに座る。

「おはよう。なんだか騒がしかったけれど、朝から元気ね」

「はは、申し訳ない……そっちこそ、ぜんぜん酔っちゃなさそうだな」

「ええ。あたし、二日酔いってしたことないの。そっちは……ちょっとだめみたいね」

クレアは気の抜けた顔をするアルルカを気の毒そうに見つめた。ヴァンパイアは二日酔いで苦しむことはないみたいだが、いつもよりぼんやりするらしい。これでも俺の血を飲んで、ずいぶんマシになった方だ。

「ま、こいつはほっといていいよ。それより、この後店に戻るのか?」

「うん、そのつもり。ひょっとして、なにかご所望かしら?」

「ああ。補給品が欲しいから、後で寄らせてもらうよ」

「嬉しいわ。お待ちしてます」

クレアはにこりと微笑んだ。

「あ、そうそう。昨日聞きそびれちゃった気がするんだけど、あなたたちはこの後どこに向かうつもりなの?」

「ん。それか。そうだな……」

ちょうどそのタイミングで、クリスが朝食のパンを持ってきてくれた。クリスの給仕は見事だった。可能な限り俺から距離を取ろうと、めちゃくちゃへっぴり腰になっている。その状態で皿をテーブルの端にちょこんと乗せると、一目散に去って行ってしまった。全身で警戒の二文字を表すと、あんな感じになるのだろうか。クレアがぽかんとした後で、俺をぎろりと睨む。

「あなたまさか、クリスに手ぇ出したんじゃないでしょうね……?」

「ちちち、違う!誤解なんだ!なんか妙な勘違いされちまったみたいで……」

「あはは、冗談よ。後であたしから言っておくから、許してあげてね。あれでも年頃の女の子なのよ」

クレアがウィンクする。

「そうしてくれると助かるよ……あ、それで次どこ行くかって話だっけ?」

「ああ、そうそう。ここからだと、三の国が近いけれど……」

「いや、あそこはもうこりごりだ……ま、昨日一晩考えてみたんだけどさ」

俺はパンをちぎって、口に放りながら言う。

「まあ、シェオル島を目指してみるのもいいかなって」

「えっ!」

仲間たちが、特にウィルとライラが驚いた顔をする。

「桜下さん、どういう心境の変化ですか?」

「いや、昨日クレアと親父さんの話を聞いて、興味が出たっつうか。ま、他に行く当てもないし」

それだけ素晴らしい場所なら、多少の犠牲を払ってでも、見てみるのもいいんじゃないか……そんな風に思ったんだ。ま、気が変わったってやつだな。昨日まで胃がねじ切れるほど嫌だったことが、今朝になったらケロっと忘れているみたいに、俺は目覚めた時からそう決めていた。アルルカの騒動がなければ、朝みんなに話すつもりだったんだ。ったく。
それに。パーティーとやらに出なきゃならんのは面倒だが、それでウィルとライラ、ついでにエドガーたちが喜んでくれるなら、そんなに悪い話でもない。

「ええっと……?桜下、あなた貴族のお知り合いでもいるの?」

「へ?」

クレアが微妙な顔をしている。あ、そっか。クレアは俺が元勇者だってことも、三冠の宴に招待されていることも知らないんだった。

「あいや、そうじゃなくってだ……シェオル島の近くに行ってみるってことだよ。あれだ、遠くから覗いてみる、的な」

クレアは少し不思議そうな顔をしていたが、納得してくれたようだ。

「それなら、オンドルの村を目指したらいいかもね」

「ん?どこだそれ?」

「シェオル島への玄関口みたいなところよ。三の国との国境の間にあるの」

「えー?あそこなら何度か通ったけど、そんな村あったかな……」

「ちょっと気付きにくいかもしれないわね。なにせ、山間の奥まった場所にある村だから。シェオル島はニオブ山脈に囲まれてるせいで、ぐるっと迂回しないと向かえない不便な立地なの。まあそれが、いいカンジの秘境感を引き立ててるんだけど」

なるほど……オンドルか。忘れないようにしないとな。俺は残りのパンを噛みしめると、村の名前と一緒にごくりと飲み込んだ。

チェックアウトは、クレアと一緒だった。クレアにとってここは実家のはずだが、どうやらきっちり宿代は払っていたらしい。ふむ、その辺は家族であっても律儀なんだな。クリスは宿を出る所まで見送ってくれたが、やっぱり俺を見ると顔を真っ赤にしてしまった。外に出てきたのも、半分はエラゼムを見送るためのようだし……はあ、次までに誤解が解けていることを祈ろう。
その足で、クレアと共に彼女の店に向かう。隙間なく棚だらけの店は、相変わらず抜群の品ぞろえだった。食料なんかの補給品を注文していると、棚の目立つ部分に置かれた品に目が行く。他の品物は引き出しの中にしまわれているのに、そこだけ引き出しが取っ払われて、ディスプレイのようになっていたからだ。

「これ、なんだ?」

それは、木の枝を編んで作られたかごの中に入れられた、ペットボトル大のガラスの筒だった。筒の中には、サンゴのような赤色をした石が入っている。

「ああ、それ?最近仕入れた、珍しい品物なの」

クレアが注文の品を包みながら、ちらりとこちらを見る。

「カイロウドウケツっていう希少なモンスターの素材なんだけど、不思議な効果があってね。その中にある石、あるでしょ。それを持ってると、離れた人とおしゃべりができるのよ」

え!そりゃまるで、前の世界の電話みたいな……

「なんだそれ、すげーな!ちょ、ちょっと試してみてもいいか?」

「あはは、いいわよ。その中の赤い石を持って、話したい人にガラスの筒を渡すの。で、石に向かって話しかける」

ふむふむ。俺はワクワクしながら、同じくわくわくしているライラにガラスの筒を渡した。少し離れてから、手の中の石を口元に持ってきて、小声で喋ってみる。

「もしもーし。聞こえますかー」

「わ!ほんとに聞こえる!」

ガラス筒を耳に当てていたライラが、目を丸くした。

「おおー!これ、結構便利なんじゃないか?だってこれがあれば、伝書鳥に手紙を運ばせなくても済むじゃないか」

「でしょ?そう思って仕入れたんだけど、よくよく調べたらがっくり。その声が聞こえる範囲って、最大でも十キュビットくらいしかないのよ」

はて、十キュビットってどんくらいだ?俺が振りかえると、フランが「お隣さんまでと同じくらい」と教えてくれた。

「お隣?それじゃ、普通に話しても届くじゃないか。なんだ……」

「そーなのよねぇ。そんなだから、ずーっと売れ残っちゃって。あなたたち、どう?値段は勉強するわよ?」

いや、んなこと言われても……こんなの、糸のない糸電話と大差ないじゃないか。旅から旅の身で、役立たずのガラクタを抱えている余裕はない。断りを入れようとしたその時……

「これ、ほしい!」

「えぇ?ら、ライラ?」

ライラは手の中のガラス筒を握り締めて、キラキラした目で俺を見上げた。

「いやライラ、それは確かに珍しいけど、何の役にも立たないんだぜ」

「役に立ったじゃん。さっきみたいに、こっそりお話ししたい時とかには便利でしょ?」

「ええ?まあ、そういう使い道がないこともないが……」

「ねー?それにきらきらしてきれいだし。桜下ぁ、買ってよぉ」

しつこくねだるライラ。まいったなぁ。まるで子どもみたいだと思ったけど、おや。そういやライラは、子どもそのものじゃないか。それなのに、今までおねだりらしいおねだりは一度もしたことがなかった。なんならアルルカの方がよっぽどわがままだ。

「う~ん……クレア、勉強するって、いくらまで下げてくれるんだ?」

「あっても困るだけだから、ギリギリまで落とせるわよ。そうね、三十……いえ、二十五セーファまで。原価スレスレよ?」

二十五……銀貨二枚に銅貨五枚か。決して安い金額ではないけれど……

「んじゃ、ついでにもらうか。プレゼント用のラッピングは頼めますかね?」

「あら、おまかせあれよ。梱包代はいただくけどね?」

クレアはいたずらっぽくウィンクし、俺はお手上げだと首を振った。ライラがぱっと顔をほころばせる。

「いいの?ありがとー!」

「まあ、たまにはな。俺に付き合わせてるせいで、何かと不自由も多いだろうから。それのお詫びさ」

「んん?ふじゆーって感じたことはないけど……それでも、うれしい!」

ライラはにこにこ笑って、俺の腰に抱き着いた。仲間たちもやれやれという顔で微笑んでいる。たまにはこうやってプレゼントするのもいいよな。今は財布がだいぶ軽くなっちゃったけれど、フランやウィルにも何かを贈るのもいいかもしれない。エラゼムは受け取ってくれなそうだけどな。
クレアはカイロウドウケツのガラス筒を、小さな木箱に入れて渡してくれた(梱包代はサービスだそうだ)。ライラは嬉しそうに、その箱を大事に抱え込んだ。そうして俺たちはクレアの店を出、ラクーンを後にした。

ラクーンの関所を出てから、荒野を南にひた走る。ストームスティードは疾風のように疾走はしり、俺たちは文字通り風に乗って進んでいた。耳元で唸る風切り音に負けないように、ウィルが大きな声を出す。

「桜下さん!今更かもしれませんが、本当にいいんですか?」

「なにがー!あ、シェオル島に行くってことか?」

「はい……あの、いろいろ言っておいて、なんだよって思われるかもしれませんが。もし私のことを考えてだったら、考え直して貰っても」

「ええ?あははは!おいおい、俺がそんなに思いやりのあるやつに見えるか?」

「え?はい」

「え?」

「え?」

「……まあとにかく、そいつは違うぜ。今朝も言ったけど、気が変わったんだ。要するに、行ってみたくなったのさ。俺の基本信条は、やりたいようにやる、だからな」

「ああ、そうでしたね。それなら、もう何も言いません」

「おう。つまんない遠慮はすんなよ。それに、楽しみじゃないか?」

「あははは。はい、そうですね!」

「そうこなくっちゃ!」

俺たちの会話を聞いていたのか、エラゼムはストームスティードの腹を蹴って、さらに加速した。イヒヒーン!はやての馬は力強くいななき、俺たちは弾丸のようなスピードで、シェオル島へと向かうのだった。



つづく
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読了ありがとうございました。
続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。

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