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14章 痛みの意味
6-3
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6-3
ダンジョンを攻略するにあたって、エラゼムはまず、パーティーの編隊を組みなおした。
「先頭は吾輩が行きます。皆様は、必ず吾輩の少し後をついてくるようにしてください。もし吾輩が罠にかかった場合でも、皆様自身の安全を優先して行動していただくよう」
うむ……あまりいい気分ではないけれど、エラゼムの言う通りだと思う。エラゼムはアンデッドだから、生半可な罠じゃやられはしない。問題は、生身の人間である俺だ。エラゼムもそれが分かっていて、斥候役を名乗り出たのだろう。
「ただし、フラン嬢。貴女だけは、吾輩のすぐ後ろについてくれませぬか。貴女の夜目を頼らせてください」
「わかった」
フランは赤い瞳を光らせてうなずく。
「少しでも違和感を覚えましたら、すぐにお報せください。どんな些細なことでも構いません。壁の色が違うだとか、床に小さな傷があるだとかでも、罠の兆候の可能性があります故」
そんな些細なものまで、罠のサインかもしれないのか……フランは再度うなずいた。
「桜下殿のそばには、アルルカ嬢が付いていてください」
「あたし?」
アルルカは意外そうに自分の顔を指さす。
「いいの?あたしに任せちゃって」
「はい。これまでの実績を鑑みて、貴女にお任せするのが適任と判断しました」
「……ふぅん。ま、いいけど」
アルルカはまんざらでもなさそうな様子だった。
「そして殿は、ウィル嬢に」
「は、はい。でも、私は幽霊ですよ?殿なんて……」
「だからこそです。ダンジョンにおいては、敵や罠は前から来るとは限りませぬ。そうした背後から忍び寄る輩には、ウィル嬢の探知されづらいという特性が、非常に効果的です。背中に目があると考える者は、そうおりはすまい」
なるほど。隙を突こうとしている奴こそ、隙だらけだってわけだな。ウィルも納得したようで、ぎゅっとロッドを握り直していた。
「もし可能ならば、ロウラン嬢にも見張りをしていただきたいのですが……」
「ごめんなさい……アタシがいつまでも出続けてると、ダーリンの魔力が無くなっちゃう。力になれないの」
「いえ、仕様のないことです。もし吾輩が所作を誤りましたら、尻を引っぱたいでくだされ」
「あはは、わかったの。……頑張ってね、みんな」
ロウランはそう言い残すと、すうっと消えていった。
「そして最後に、桜下殿、そしてアニ殿」
「お。俺たちもか?」
「ええ、アニ殿の光で可能な限り、行く手を照らしていただきたい。ただし、桜下殿の目が眩まない程度に。闇に目が慣れぬと危険です」
「む、難しそうだな……アニ、できるか?」
『やれるだけやってみましょう』
アニは放っていた光を絞ると、細長い光線にした。ちょうど、懐中電灯のライトみたいだ。
「十分です。桜下殿は、なるべくアニ殿を見続けないようにしてください。……それでは、進んでまいりましょう。ゆっくりと進んでいきますぞ」
いよいよか……!俺たちがうなずくと、エラゼムは大剣を横に垂らしながら歩き始めた。
ダンジョンのごつごつした岩壁は、アニから放たれる青白い光に照らされて、ぞくぞくするほど冷たい質感に見える。触ったら皮膚が張り付いてしまいそうだ。そして光が届かない奥部は、真っ暗闇。闇という巨大なモンスターが口を開け、光や壁や床を飲み込んでいるみたいだ……何より恐ろしいのは、俺たちがあの闇へと向かって前進しているということだが。
エラゼムは慎重に歩を進めながら、頻繁に大剣で床や壁を叩いている。罠がないか調べているんだ。そしてフランが、そのすぐ後ろで目を光らせる。そこから数歩下がったところを、俺とアルルカが並んで進む。俺はびくびくしていたが、アルルカは全く平気そうだ。こんな時ばかりは、こいつの図太さが羨ましい……ウィルは後方にいるので見えないが、時折浅い呼吸音が聞こえてきた。あいつもまた、緊張しているんだろう。
「む……」
エラゼムが小さな声で呟いた。静かにしていたので、すぐに気付く。つ、ついに何かあったか?俺はぴたっと足を止め、そろーりと前を見る。
「分かれ道のようです」
え、分かれ道?あ、ほんとだ。行く手の道が丁字に分岐している。
「そりゃ、そうか。迷宮が一本道なわけないよな」
「の、ようですな。今後もこのような分岐は、無数にあるでしょう」
「そ、そっか。で、どっちに行く?」
「この手のダンジョンを攻略する場合は、大抵方法は一つだそうです。単純ですが、非常に有効な策です」
「へーえ。そんなのがあるのか。どんなだ?」
「虱潰しです」
「……」
ま、そらそうだ。すべての分岐を潰せば、おのずと答えは分かるよな。
エラゼムは大剣を持ち上げると、剣の角っこでガリガリと、通路の壁にバツ印を書いた。
「おお、なるほど。こうしとけば絶対迷わないな」
「はい。ただ、印を過信しすぎてもなりません。時には既に印のある道に、再度進まなければならない場合もございます」
「え……」
「あくまでも、そのような場合もあるということです。今は差し置いてくだされ」
……エラゼムがいてよかった。たぶん俺じゃ、命がいくつあっても、ここを脱出できなかっただろう。
ダンジョンの通路は、一回りほど狭くなったようだ。大柄のエラゼムは、時折鎧を壁に擦っている。俺たちは分岐を左に曲がったが、果たしてこっちで合っているのだろうか?右の方が正解だったら、こっちはハズレだ。ただの行き止まりならいいが、もしもブービートラップでもあったら……その時だった。
「止まって。何かある」
ピタッ。全員の足が止まった。フランが鋭く前方を睨んでいる。
「エラゼム。前の壁、よく見て。おかしな傷がある」
「む……なるほど確かに」
傷?俺は二人の背中越しに、前方を見てみた。一見すると、通路は今までと特に変わりはなく、のっぺりとした岩壁が続いているだけのように見える。だけどよーく目を凝らすと、壁の一部に、白い傷が無数についているのが分かった。
「……間違いありません。罠です」
背筋に震えが走った。ついに現れたか……どんな罠だろう?壁から棘が出てくるか?毒矢が飛んでくるか?想像もつかない。
「皆様はそこでお待ちを。吾輩が見定めます」
エラゼムはすり足で、傷のある壁までにじり寄る。ごくり……俺たちはそれを、固唾をのんで見守る。エラゼムは剣をそろそろと伸ばして、傷ついた壁にそっと触れた。
その瞬間!ダアアァァァァァン!!
「どわぁ!」
「きゃあああ!」
俺とウィルの悲鳴、そして轟音がダンジョン内にこだまする。ダーン、ダーン、ダーン……
エラゼムが触れた途端、左右の壁が猛烈な勢いでせり出してきて、ぴしゃりと閉じてしまったのだ。エラゼムはすんでのところで剣を引っ込めたが、あんなのに挟まれたら、どれだけ固い金属でもスクラップになっちまうだろう……岩壁同士が激突した轟音は反響してうわんうわんと残り続け、あたりに沈黙が戻ったのは、たっぷりと時間が経ってからだった。
「……と、とんでもない罠だな。まさか、壁が動くだなんて」
「ここは、魔術師が心血を注いだダンジョンですからな。罠にも魔法がかけられているのでありましょう」
確かに魔法でもなきゃ、岩石があんな速度で動くわけもないか……俺が茫然としていると、岩壁はずずずっと引っ込んで、再び元の通路へと戻った。けど、さすがにここは進みたくないなぁ……
「この先が正しい順路ってこと、あると思うか?」
「可能性はございます。罠は、壁に触れなければ作動させずにすむのやもしれません。しかし、第二第三の罠がないとも限りませんな……」
「ぬうぅ……」
「……で、でしたら、私が見てきましょうか?」
ウィルがおずおずと前に進み出た。
「もしも奥まで続いていそうだったら、適当なところで戻ってきます。それでいいですか?」
「おお、それは妙案です。頼んでもよろしいですか」
「任されました。あんな恐ろしい罠があるかもなのに、皆さんを行かせられないですから。では、ちょっと行ってきますね」
ウィルは俺たちから少し離れると、静かに呪文を唱えた。
「ファイアフライ!」
小さな蛍光色の火の玉が、ウィルの周りに現れる。その明かりを頼りに、ウィルは暗がりの中へと消えていった。
そこから体感で、五分ほど経っただろうか。ウィルがもともと白い顔を、さらに青くして戻ってきた。
「ウィル、どうだった?」
「……」
ウィルはなぜか無言で、俺の腕に縋るように掴まった。
「ウィル?」
「……この先は、行き止まりです。少なくとも、別の道や、出口にあたるものはなかったと思います」
「そっか。それじゃあ、この先に行く必要はないな。けど、なんだってそんなに怯えてんだよ?」
「……奥に別の罠があって、たくさんの屍が……ごめんなさい、これ以上は言いたくありません」
うっ……悪いことを聞いてしまった。やっぱりエラゼムの言う通り、第二の罠があったんだな。
「……しかしそれなら、一つ確定しましたな」
うん?エラゼムは、壁が飛び出す罠があったあたりを見ている。
「エラゼム、何がだ?」
「このダンジョンに出入り口が存在するということが、です。この罠をご覧ください」
「え?見たって、別に目立ったところは……」
「ええ、まさにそこでございます。もしもこの罠が、過去に哀れな犠牲者を仕留めていた場合、このように染み一つないというのはあまりに不自然です」
「あ、そうか!」
もしもこの罠に引っかかった人がいれば……う、うえ。あまり想像したくないな。だけどその場合、必ず血しぶきが飛んでいたはずだ。そして血の跡があれば、さすがにどんだけ鈍いやつでも勘づく。
「そうか、この罠はきれいじゃないと役に立たないんだな。つまり毎回、掃除っていうメンテナンスをする必要がある……」
「ええ。やはりこのダンジョンには、なんやかしら、外部から侵入する手段があるのです。ウィル嬢には申し訳ないですが、希望が見えてきましたな」
ははは、ほんとだな。ウィルも気を悪くするどころか、少しほっとした顔をした。この調子で進もう。
この通路は駄目だと分かったので、引き返してさっき入らなかった方、右側の通路へと向かう。エラゼムは通路を出る際、罠を意味するTを壁に刻み付けた。
次の通路は、曲がり角だらけの異様にぐねぐねした道だった。何度も何度も右へ左へ折れ曲がるせいで、俺は完全に方向感覚を失った。さっきまでいた通路がどっちの方にあったのか、見当もつかない。
「おそらく、それが目的なのでしょう」
エラゼムは冷静に告げる。
「自分が今どの辺りに居るのかを分からなくさせるのです。位置感覚を麻痺させることによって、ダンジョンの広さを誤認させ、さも無限に続く迷宮を彷徨っているかのような錯覚に陥れるのでしょう」
「それは、気が滅入るな……でもさ、なら実際は、思ったよりも小さいってこともあるのかな」
「地下は空間が限られますからな。いくら熟練の魔術師と言えど、際限なく穴を掘ることはできないはず。そうでなくても、ものには必ず終わりがあるものです」
もっともな言葉だな。
何度も折れ曲がる通路は、その死角の多さに対して、意外にも罠の類は仕掛けられていなかった。ま、俺たちだって角を曲がるときには、めちゃくちゃ警戒していたからな。なんせ、一つ曲がるのに、一分近くは掛けていた。
(もっとも……)
無数の角を曲がるたびに、必要以上に神経を使ったので、メンタルはかなりやられたが。ある意味では、これが最も効果的な罠だった。
「う。今度は扉か……」
入り組んだ通路を抜け切ると、正面に三枚の扉が現れた。どうやら、それぞれが小部屋になっているらしい。
「扉と小部屋、ですか。罠を仕掛けるには打ってつけの場所ですな」
エラゼムは少し悩んだ末、一番左端の扉から確かめることにした。キィ……きしんだ音を立てて、木の扉が開く。
「……パッと見は、普通の部屋だな」
部屋の内は通路と違って、木造になっていた。がらんどうではあるが、取り立てておかしな点はない。
「この形状……」
エラゼムは部屋をぐるりと見まわすと、剣をそろりと伸ばし、敷居をまたいだすぐそこの床をつついた。
ぱかっと床が割れて、真っ暗な落とし穴が口を開けた。
「……」
「……どうやら、この部屋ではなさそうですな。次を確かめましょう」
もう、なんも信じらんない……
次の部屋は、さっきの部屋とよく似たつくりをしていた。ただ違う点が二つあって、一つは向かいの壁に別の扉が見えること、そしてもう一つが、部屋の真ん中に宝箱が置かれていることだ。
「あっからさますぎて、逆に怪しく見えねーな……」
「しかし、藪蛇とも言います。ここは後回しにいたしましょう」
そうして、三番目の扉へ。結論だけ言うと、その扉は扉じゃなかった。壁に張り付いているだけのフェイクだ。そして取っ手を握ると、隠された毒針が指に刺さる仕掛けになっていた。
「ほんっとうに、性格悪い」
フランが吐き捨てるようにつぶやく。全面的に同感だった。エラゼムが、指に刺さった毒針を抜きながら言う。
「こうなりますと、消去法で二つ目の部屋が怪しいということになりますな。一度戻って、あの部屋を探索してみましょう」
俺たちは二番目の部屋へ再び入った。部屋の真ん中に置かれた宝箱は、どう見ても怪しい。こんなの、「罠でございます」って言っているようなもんじゃないか。ならばとそれを無視して、壁にある扉を引っ張ってみたが、案の定開かなかった。鍵がかかっているのだ。
「鍵……この部屋のどこかにあるのか?」
「宝箱……の中ってことは、さすがにありえないですよね?」
ウィルはそう言いつつも、宝箱に首を突っ込んだ(文字通りの意味だ)。けど真っ暗で何も見えなかったそうだ。そりゃそうだ、箱の中なんだから。
「……あ、ちょっと待って。そこに何かある」
お?フランが部屋の隅で、なんかを見つけたらしい。フランが見つけたのは、手のひらサイズの小箱だった。鍵みたいな小物を入れるにはぴったりのサイズだ。
「おお!それなんじゃないか?」
「うん、ぽいよね。たぶんこれが……」
「む、お待ちくだされフラン嬢!」
エラゼムが鋭く制止したが、遅かった。フランは箱を開けてしまった。
ゥワッ!そのとたん、小箱の体積からしてありえない量の触手がぶわっと飛び出て、フランの全身に絡みついた!
「っ!」
「うわ!フラン!」
「ぬうりゃ!」
エラゼムがすぐさま剣を振り下ろし、触手をぶった切った。触手を切り落とされた小箱は、キュイキュイ言いながら部屋の隅へと逃げ惑う。うへぇ、あの箱、生きているのか?
「これは、ミミックです。箱や壺などに擬態し、覗き込んだ冒険者を捕食するモンスターです。フラン嬢、手伝いましょう。ぬんっ」
エラゼムが、フランに巻き付いた触手を引っぺがしながら説明する。断ち切られてもまだ触手は生きているようで、ぬらぬら、うねうねと動き続けている。うへぇ……俺とウィルはすっかり青ざめ、後ずさりした。
フランは心底気持ち悪そうな顔で、体中を這う触手をちぎっては、べちっと床に投げ捨てた。
「この、このっ!……ごめん、油断した」
「過ぎたこと。ですが、次からはお気をつけくだされ」
エラゼムの手伝いもあって、フランはすぐに触手から解放された。細い触手が服の中や髪の毛にまで絡みついていたので、少し手こずりはしたが……しかし、ミミックか。恐ろしいモンスターだ。けどそうなると、あの宝箱もミミック?
「確かめてみる他ありますまい」
エラゼムは俺たちを部屋の外へ出すと、おもむろに宝箱を開けた。そのとたん、かちゃりと音がして扉が開いたもんだから、フランは激しく地団駄を踏んだ。まったく、あのクソジジイめ……本当に曲者だ。
(でも、ライラは今、あんな奴のそばにいるんだよな……)
あの腐れ魔導士、ライラに酷いことしてないだろうな。わざわざ手元に残したぐらいだ、手荒な真似はしないと信じたいけど……くそ、信用できない!
俺ははやる気持ちを抑えながら、扉をくぐって、次の通路へと足を進めた。
つづく
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読了ありがとうございました。
続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。
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ダンジョンを攻略するにあたって、エラゼムはまず、パーティーの編隊を組みなおした。
「先頭は吾輩が行きます。皆様は、必ず吾輩の少し後をついてくるようにしてください。もし吾輩が罠にかかった場合でも、皆様自身の安全を優先して行動していただくよう」
うむ……あまりいい気分ではないけれど、エラゼムの言う通りだと思う。エラゼムはアンデッドだから、生半可な罠じゃやられはしない。問題は、生身の人間である俺だ。エラゼムもそれが分かっていて、斥候役を名乗り出たのだろう。
「ただし、フラン嬢。貴女だけは、吾輩のすぐ後ろについてくれませぬか。貴女の夜目を頼らせてください」
「わかった」
フランは赤い瞳を光らせてうなずく。
「少しでも違和感を覚えましたら、すぐにお報せください。どんな些細なことでも構いません。壁の色が違うだとか、床に小さな傷があるだとかでも、罠の兆候の可能性があります故」
そんな些細なものまで、罠のサインかもしれないのか……フランは再度うなずいた。
「桜下殿のそばには、アルルカ嬢が付いていてください」
「あたし?」
アルルカは意外そうに自分の顔を指さす。
「いいの?あたしに任せちゃって」
「はい。これまでの実績を鑑みて、貴女にお任せするのが適任と判断しました」
「……ふぅん。ま、いいけど」
アルルカはまんざらでもなさそうな様子だった。
「そして殿は、ウィル嬢に」
「は、はい。でも、私は幽霊ですよ?殿なんて……」
「だからこそです。ダンジョンにおいては、敵や罠は前から来るとは限りませぬ。そうした背後から忍び寄る輩には、ウィル嬢の探知されづらいという特性が、非常に効果的です。背中に目があると考える者は、そうおりはすまい」
なるほど。隙を突こうとしている奴こそ、隙だらけだってわけだな。ウィルも納得したようで、ぎゅっとロッドを握り直していた。
「もし可能ならば、ロウラン嬢にも見張りをしていただきたいのですが……」
「ごめんなさい……アタシがいつまでも出続けてると、ダーリンの魔力が無くなっちゃう。力になれないの」
「いえ、仕様のないことです。もし吾輩が所作を誤りましたら、尻を引っぱたいでくだされ」
「あはは、わかったの。……頑張ってね、みんな」
ロウランはそう言い残すと、すうっと消えていった。
「そして最後に、桜下殿、そしてアニ殿」
「お。俺たちもか?」
「ええ、アニ殿の光で可能な限り、行く手を照らしていただきたい。ただし、桜下殿の目が眩まない程度に。闇に目が慣れぬと危険です」
「む、難しそうだな……アニ、できるか?」
『やれるだけやってみましょう』
アニは放っていた光を絞ると、細長い光線にした。ちょうど、懐中電灯のライトみたいだ。
「十分です。桜下殿は、なるべくアニ殿を見続けないようにしてください。……それでは、進んでまいりましょう。ゆっくりと進んでいきますぞ」
いよいよか……!俺たちがうなずくと、エラゼムは大剣を横に垂らしながら歩き始めた。
ダンジョンのごつごつした岩壁は、アニから放たれる青白い光に照らされて、ぞくぞくするほど冷たい質感に見える。触ったら皮膚が張り付いてしまいそうだ。そして光が届かない奥部は、真っ暗闇。闇という巨大なモンスターが口を開け、光や壁や床を飲み込んでいるみたいだ……何より恐ろしいのは、俺たちがあの闇へと向かって前進しているということだが。
エラゼムは慎重に歩を進めながら、頻繁に大剣で床や壁を叩いている。罠がないか調べているんだ。そしてフランが、そのすぐ後ろで目を光らせる。そこから数歩下がったところを、俺とアルルカが並んで進む。俺はびくびくしていたが、アルルカは全く平気そうだ。こんな時ばかりは、こいつの図太さが羨ましい……ウィルは後方にいるので見えないが、時折浅い呼吸音が聞こえてきた。あいつもまた、緊張しているんだろう。
「む……」
エラゼムが小さな声で呟いた。静かにしていたので、すぐに気付く。つ、ついに何かあったか?俺はぴたっと足を止め、そろーりと前を見る。
「分かれ道のようです」
え、分かれ道?あ、ほんとだ。行く手の道が丁字に分岐している。
「そりゃ、そうか。迷宮が一本道なわけないよな」
「の、ようですな。今後もこのような分岐は、無数にあるでしょう」
「そ、そっか。で、どっちに行く?」
「この手のダンジョンを攻略する場合は、大抵方法は一つだそうです。単純ですが、非常に有効な策です」
「へーえ。そんなのがあるのか。どんなだ?」
「虱潰しです」
「……」
ま、そらそうだ。すべての分岐を潰せば、おのずと答えは分かるよな。
エラゼムは大剣を持ち上げると、剣の角っこでガリガリと、通路の壁にバツ印を書いた。
「おお、なるほど。こうしとけば絶対迷わないな」
「はい。ただ、印を過信しすぎてもなりません。時には既に印のある道に、再度進まなければならない場合もございます」
「え……」
「あくまでも、そのような場合もあるということです。今は差し置いてくだされ」
……エラゼムがいてよかった。たぶん俺じゃ、命がいくつあっても、ここを脱出できなかっただろう。
ダンジョンの通路は、一回りほど狭くなったようだ。大柄のエラゼムは、時折鎧を壁に擦っている。俺たちは分岐を左に曲がったが、果たしてこっちで合っているのだろうか?右の方が正解だったら、こっちはハズレだ。ただの行き止まりならいいが、もしもブービートラップでもあったら……その時だった。
「止まって。何かある」
ピタッ。全員の足が止まった。フランが鋭く前方を睨んでいる。
「エラゼム。前の壁、よく見て。おかしな傷がある」
「む……なるほど確かに」
傷?俺は二人の背中越しに、前方を見てみた。一見すると、通路は今までと特に変わりはなく、のっぺりとした岩壁が続いているだけのように見える。だけどよーく目を凝らすと、壁の一部に、白い傷が無数についているのが分かった。
「……間違いありません。罠です」
背筋に震えが走った。ついに現れたか……どんな罠だろう?壁から棘が出てくるか?毒矢が飛んでくるか?想像もつかない。
「皆様はそこでお待ちを。吾輩が見定めます」
エラゼムはすり足で、傷のある壁までにじり寄る。ごくり……俺たちはそれを、固唾をのんで見守る。エラゼムは剣をそろそろと伸ばして、傷ついた壁にそっと触れた。
その瞬間!ダアアァァァァァン!!
「どわぁ!」
「きゃあああ!」
俺とウィルの悲鳴、そして轟音がダンジョン内にこだまする。ダーン、ダーン、ダーン……
エラゼムが触れた途端、左右の壁が猛烈な勢いでせり出してきて、ぴしゃりと閉じてしまったのだ。エラゼムはすんでのところで剣を引っ込めたが、あんなのに挟まれたら、どれだけ固い金属でもスクラップになっちまうだろう……岩壁同士が激突した轟音は反響してうわんうわんと残り続け、あたりに沈黙が戻ったのは、たっぷりと時間が経ってからだった。
「……と、とんでもない罠だな。まさか、壁が動くだなんて」
「ここは、魔術師が心血を注いだダンジョンですからな。罠にも魔法がかけられているのでありましょう」
確かに魔法でもなきゃ、岩石があんな速度で動くわけもないか……俺が茫然としていると、岩壁はずずずっと引っ込んで、再び元の通路へと戻った。けど、さすがにここは進みたくないなぁ……
「この先が正しい順路ってこと、あると思うか?」
「可能性はございます。罠は、壁に触れなければ作動させずにすむのやもしれません。しかし、第二第三の罠がないとも限りませんな……」
「ぬうぅ……」
「……で、でしたら、私が見てきましょうか?」
ウィルがおずおずと前に進み出た。
「もしも奥まで続いていそうだったら、適当なところで戻ってきます。それでいいですか?」
「おお、それは妙案です。頼んでもよろしいですか」
「任されました。あんな恐ろしい罠があるかもなのに、皆さんを行かせられないですから。では、ちょっと行ってきますね」
ウィルは俺たちから少し離れると、静かに呪文を唱えた。
「ファイアフライ!」
小さな蛍光色の火の玉が、ウィルの周りに現れる。その明かりを頼りに、ウィルは暗がりの中へと消えていった。
そこから体感で、五分ほど経っただろうか。ウィルがもともと白い顔を、さらに青くして戻ってきた。
「ウィル、どうだった?」
「……」
ウィルはなぜか無言で、俺の腕に縋るように掴まった。
「ウィル?」
「……この先は、行き止まりです。少なくとも、別の道や、出口にあたるものはなかったと思います」
「そっか。それじゃあ、この先に行く必要はないな。けど、なんだってそんなに怯えてんだよ?」
「……奥に別の罠があって、たくさんの屍が……ごめんなさい、これ以上は言いたくありません」
うっ……悪いことを聞いてしまった。やっぱりエラゼムの言う通り、第二の罠があったんだな。
「……しかしそれなら、一つ確定しましたな」
うん?エラゼムは、壁が飛び出す罠があったあたりを見ている。
「エラゼム、何がだ?」
「このダンジョンに出入り口が存在するということが、です。この罠をご覧ください」
「え?見たって、別に目立ったところは……」
「ええ、まさにそこでございます。もしもこの罠が、過去に哀れな犠牲者を仕留めていた場合、このように染み一つないというのはあまりに不自然です」
「あ、そうか!」
もしもこの罠に引っかかった人がいれば……う、うえ。あまり想像したくないな。だけどその場合、必ず血しぶきが飛んでいたはずだ。そして血の跡があれば、さすがにどんだけ鈍いやつでも勘づく。
「そうか、この罠はきれいじゃないと役に立たないんだな。つまり毎回、掃除っていうメンテナンスをする必要がある……」
「ええ。やはりこのダンジョンには、なんやかしら、外部から侵入する手段があるのです。ウィル嬢には申し訳ないですが、希望が見えてきましたな」
ははは、ほんとだな。ウィルも気を悪くするどころか、少しほっとした顔をした。この調子で進もう。
この通路は駄目だと分かったので、引き返してさっき入らなかった方、右側の通路へと向かう。エラゼムは通路を出る際、罠を意味するTを壁に刻み付けた。
次の通路は、曲がり角だらけの異様にぐねぐねした道だった。何度も何度も右へ左へ折れ曲がるせいで、俺は完全に方向感覚を失った。さっきまでいた通路がどっちの方にあったのか、見当もつかない。
「おそらく、それが目的なのでしょう」
エラゼムは冷静に告げる。
「自分が今どの辺りに居るのかを分からなくさせるのです。位置感覚を麻痺させることによって、ダンジョンの広さを誤認させ、さも無限に続く迷宮を彷徨っているかのような錯覚に陥れるのでしょう」
「それは、気が滅入るな……でもさ、なら実際は、思ったよりも小さいってこともあるのかな」
「地下は空間が限られますからな。いくら熟練の魔術師と言えど、際限なく穴を掘ることはできないはず。そうでなくても、ものには必ず終わりがあるものです」
もっともな言葉だな。
何度も折れ曲がる通路は、その死角の多さに対して、意外にも罠の類は仕掛けられていなかった。ま、俺たちだって角を曲がるときには、めちゃくちゃ警戒していたからな。なんせ、一つ曲がるのに、一分近くは掛けていた。
(もっとも……)
無数の角を曲がるたびに、必要以上に神経を使ったので、メンタルはかなりやられたが。ある意味では、これが最も効果的な罠だった。
「う。今度は扉か……」
入り組んだ通路を抜け切ると、正面に三枚の扉が現れた。どうやら、それぞれが小部屋になっているらしい。
「扉と小部屋、ですか。罠を仕掛けるには打ってつけの場所ですな」
エラゼムは少し悩んだ末、一番左端の扉から確かめることにした。キィ……きしんだ音を立てて、木の扉が開く。
「……パッと見は、普通の部屋だな」
部屋の内は通路と違って、木造になっていた。がらんどうではあるが、取り立てておかしな点はない。
「この形状……」
エラゼムは部屋をぐるりと見まわすと、剣をそろりと伸ばし、敷居をまたいだすぐそこの床をつついた。
ぱかっと床が割れて、真っ暗な落とし穴が口を開けた。
「……」
「……どうやら、この部屋ではなさそうですな。次を確かめましょう」
もう、なんも信じらんない……
次の部屋は、さっきの部屋とよく似たつくりをしていた。ただ違う点が二つあって、一つは向かいの壁に別の扉が見えること、そしてもう一つが、部屋の真ん中に宝箱が置かれていることだ。
「あっからさますぎて、逆に怪しく見えねーな……」
「しかし、藪蛇とも言います。ここは後回しにいたしましょう」
そうして、三番目の扉へ。結論だけ言うと、その扉は扉じゃなかった。壁に張り付いているだけのフェイクだ。そして取っ手を握ると、隠された毒針が指に刺さる仕掛けになっていた。
「ほんっとうに、性格悪い」
フランが吐き捨てるようにつぶやく。全面的に同感だった。エラゼムが、指に刺さった毒針を抜きながら言う。
「こうなりますと、消去法で二つ目の部屋が怪しいということになりますな。一度戻って、あの部屋を探索してみましょう」
俺たちは二番目の部屋へ再び入った。部屋の真ん中に置かれた宝箱は、どう見ても怪しい。こんなの、「罠でございます」って言っているようなもんじゃないか。ならばとそれを無視して、壁にある扉を引っ張ってみたが、案の定開かなかった。鍵がかかっているのだ。
「鍵……この部屋のどこかにあるのか?」
「宝箱……の中ってことは、さすがにありえないですよね?」
ウィルはそう言いつつも、宝箱に首を突っ込んだ(文字通りの意味だ)。けど真っ暗で何も見えなかったそうだ。そりゃそうだ、箱の中なんだから。
「……あ、ちょっと待って。そこに何かある」
お?フランが部屋の隅で、なんかを見つけたらしい。フランが見つけたのは、手のひらサイズの小箱だった。鍵みたいな小物を入れるにはぴったりのサイズだ。
「おお!それなんじゃないか?」
「うん、ぽいよね。たぶんこれが……」
「む、お待ちくだされフラン嬢!」
エラゼムが鋭く制止したが、遅かった。フランは箱を開けてしまった。
ゥワッ!そのとたん、小箱の体積からしてありえない量の触手がぶわっと飛び出て、フランの全身に絡みついた!
「っ!」
「うわ!フラン!」
「ぬうりゃ!」
エラゼムがすぐさま剣を振り下ろし、触手をぶった切った。触手を切り落とされた小箱は、キュイキュイ言いながら部屋の隅へと逃げ惑う。うへぇ、あの箱、生きているのか?
「これは、ミミックです。箱や壺などに擬態し、覗き込んだ冒険者を捕食するモンスターです。フラン嬢、手伝いましょう。ぬんっ」
エラゼムが、フランに巻き付いた触手を引っぺがしながら説明する。断ち切られてもまだ触手は生きているようで、ぬらぬら、うねうねと動き続けている。うへぇ……俺とウィルはすっかり青ざめ、後ずさりした。
フランは心底気持ち悪そうな顔で、体中を這う触手をちぎっては、べちっと床に投げ捨てた。
「この、このっ!……ごめん、油断した」
「過ぎたこと。ですが、次からはお気をつけくだされ」
エラゼムの手伝いもあって、フランはすぐに触手から解放された。細い触手が服の中や髪の毛にまで絡みついていたので、少し手こずりはしたが……しかし、ミミックか。恐ろしいモンスターだ。けどそうなると、あの宝箱もミミック?
「確かめてみる他ありますまい」
エラゼムは俺たちを部屋の外へ出すと、おもむろに宝箱を開けた。そのとたん、かちゃりと音がして扉が開いたもんだから、フランは激しく地団駄を踏んだ。まったく、あのクソジジイめ……本当に曲者だ。
(でも、ライラは今、あんな奴のそばにいるんだよな……)
あの腐れ魔導士、ライラに酷いことしてないだろうな。わざわざ手元に残したぐらいだ、手荒な真似はしないと信じたいけど……くそ、信用できない!
俺ははやる気持ちを抑えながら、扉をくぐって、次の通路へと足を進めた。
つづく
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読了ありがとうございました。
続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。
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