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14章 痛みの意味
9-1 脱出の糸口
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9-1 脱出の糸口
ギギギギィ……
戸がきしむ音は、意地悪な魔女の笑い声にも聞こえた。部屋の中は、相も変わらず暗闇。ただかすかに、何かの生き物の呼吸音のような、空気が擦れる音が聞こえる気がする……
「……皆様。準備はよろしいですかな」
エラゼムが兜だけを振り向かせる。俺たちは各々、こくりとうなずいた。
部屋に一歩だけ入ると、まず真っ先にウィルが呪文を唱えた。前回の失敗から反省して、まずは室内の様子を探ることにしたんだ。その間俺たちは、扉のそばから離れない。ちょっと掟破りな気もするけど、俺たちだって遊びじゃないんだ。命が掛かっているのに、型に拘っていられるか。
「ファイアフライ!」
ウィルの周りに、蛍光色の火の玉が飛ぶ。そのまま天井すれすれまで上昇して、火の玉で部屋の隅々を照らし出した。
「ヴモオオオオォォォォ!」
「きゃぁっ」
「うわっ」
ビリビリと鼓膜を震わせる怒声。巨大な斧がブゥンと振りかぶられて、ファイアフライの火の玉をかき消してしまった。その際に一瞬だけ見えた姿は、並外れた体躯の人の姿。ただし、首から上は人のそれじゃなく、立派な角を持つ獣のそれだ……
「今のって……」
「ミノタウロス……!」
エラゼムの絞り出すような声。ミノタウロスって言ったら、半人半牛の怪物だろ?それに確か、あの老魔導士が飼っているとかこぼしていたな。てことは、これがやつのペットか?
「ブルルッ。ヴモオオォォ!」
「……見た感じ、しつけはなってねぇな」
アニが放つ光を絞って、ミノタウロスの姿を浮かび上がらせた。で、でかいな。身長は三メートルくらいありそうだ。湾曲した角は鋭く、小さな目は闘牛のように怒りに満ちている。手には馬鹿でかい斧が握られているが、刃だけでも俺の身長くらいありそうだ。あんなものを、さっきは軽々と振り回したのか?
「見て!あいつの後ろ!」
フランが鋭く叫ぶ。ミノタウロスの後ろ?目を凝らすと、そこに確かに扉がある。
「あの扉を守ってんのか。じゃあやっぱり、避けては通れないな……」
ミノタウロスは、目の前に現れた侵入者に憎悪を剥き出しにしている。怪物は一歩、前に踏み出そうとした。ジャキイン!
「え?」
ミノタウロスの動きがピタッと止まった。奴の毛皮に覆われた足首には、にび色の鉄輪がはめられていた。そこから伸びる鎖が、ミノタウロスの動きを制限しているんだ。
「ヴォモオオオオ!」
ミノタウロスは忌々しいとでも言うように、しきりに足を引っ張って鎖をジャラジャラ言わすが、拘束はびくともしなかった。
「あの怪物も、囚われているのですな。ここの門番の仕事は、進んで引き受けたというわけではないらしい」
エラゼムは少し哀れみを見せたが、それでも冷静だ。
「好機です。奴は鎖によって、こちらには接近できない。そしてこちらには、遠距離攻撃手段があります。アルルカ嬢」
名指しされたアルルカは、杖をくるりと回す。
「あの化け物牛を、冷しゃぶにでもすりゃいいわけ?」
「な、ダメだアルルカ、殺しちゃ!」
「あんった、ブレないわねぇ……」
「当たり前だろ!要は、動けなくすりゃいいんだ。な、エラゼム?」
「おっしゃる通りです。動きを封じ、そのすきにわきを抜けてしまいましょう」
うん。広ーく見てみれば、あの牛だって俺たちと同じ被害者側だ。それを一方的にくびり殺すのは、あまりに忍びない。
「ま、今のあたしは機嫌がいいからね。オーダー通りにやってあげる」
アルルカは性懲りもなく、唇の端をぺろっとやった。けっ、まだ血の味が残っているのか?
「じゃ、行くわよ。バッカルコーン!」
ズガガガ!床から何本もの氷柱がせり出してきて、ミノタウロスを取り囲む。
「ヴォモオオオ!?」
並外れた体躯のミノタウロスとはいえ、ぶっとい柱にがんじがらめにされては、身動きの取りようもなかった。あれにはイエティだって白旗を上げたんだ。さしもの奴でも抜け出せまい。
「はい、いっちょ上がり」
「おおー。ここだけ見れば、すっげーって素直に感心できるんだけどな」
「うふふ!……ん?ちょっと、どーいう意味よそれ!」
とにかく、モンスターは無力化した。俺たちは部屋へと入ると、必死に抜け出そうともがくミノタウロスをしり目に、くまなく壁や床を探索した。ミノタウロスの世話をするための抜け穴があるんじゃないかと思ったからだ。
「ん~……フラン、どうだ?」
「だめ。それっぽいものは見当たらない」
「ダメか……」
残念ながら、ここには脱出口はないみたいだ。唯一、天井の一部に丸穴が開けられているのは見つけられたが、小さすぎて通るのは無理だ。たぶん、ここが給餌口なんだろう。魔法がかけられているので、削って広げることもできないし。
「ちぇっ。けど、やっぱり外部との繋がりはあるんだな。それがはっきりしただけ、よしとするか」
やはり、完全な密室というわけではないんだ。あの給餌口のように、抜け道は必ず存在するはず。
「うん、これなら希望が持てそうだ……って、ウィル。どうした?」
ウィルはちらちらと、しきりに後ろを振り返っていた。
「なんかあんのか?」
「あ、いえ、そういうわけじゃ……ただ、あのモンスターが……」
「ミノタウロスが?」
「私の勘違いだとは思うんですけど……なんだか、悲しそうに見えたものですから」
「へ?悲しそうに?」
「私たちに襲いかかってきたのも、やり場のない怒りをぶつけているみたいで……こんな地下に閉じ込められて、きっとご飯だって、あの穴から落とされるだけなんでしょう。そんなの、あんまりじゃないですか」
それは、まあ……俺が同じ目に遭わされたら、間違いなく発狂する。
「けど相手は、モンスターじゃないか」
「う。そ、そうですよね。あはは、私、何言ってるんでしょう……」
ウィルは眉をハの字にして笑った。ぬう、そんな顔されちゃあな……
「……今回の件が、全部片付いたらさ」
「え?」
「そしたら、あいつを救う手がないか、考えてみようぜ。あのジジイをぶっ飛ばして、ダンジョンを解放させるとかさ」
「桜下さん……はい!」
ウィルは明るい顔でうなずいた。やれやれ、優しすぎるな、ウィルは。
俺たちは、再びダンジョンを進み始める。ギミックを抜けたから、次はメイズのエリアだ。
の、はずだったんだけど……
「……なんだ、こりゃ」
俺たちが出くわしたのは、恐ろしい罠でも、複雑怪奇な迷路でもなかった。
“ただの一本道”だ。しかも馬鹿みたいに長い。五十メートル走よりは確実に長く、下手したらその倍はあるかも。アニの光も奥までは届かず、全長は計り知れない。
「あ、怪しすぎる……何もないってのが、かえってあからさまだろ」
「ほぼ確実に仕掛けがあるとみて、間違いなさそうですな」
「なら、わたしが見てこようか」
フランが数歩前に出ると、つま先でとんとんと床を蹴る。
「端から端まで走ってみるよ。わたしの足なら、そんなに時間はかからない」
「しかし、それでは……」
「でも、確実でしょ?一分経っても戻って来なかったら、そういうことだと思って」
エラゼムは唸りながらもうなずいた。俺も言いたいところはあったが、フランは瞳で俺を黙らせた。あの赤い瞳にじっと見つめられると、弱い。
「じゃ、行ってくる」
フランはそう言い残すと、まるでジョギングにでも出向くような気軽さで、ふらりと走り出した。その数秒後には爆速で加速し、あっという間に闇の中へと消えてしまったが。あんな真っ暗闇でも、フランには見えているのだろうか?…………
…………まもなく一分だ。時計はないけれど、ウィルが小声で時間を数えていたので、おおむね正確だろう。闇の中からたたたたっという足音がして、次いでフランが戻ってきた。ほっ、とりあえず無事で何よりだ。
「戻られましたか、フラン嬢。して、いかがか」
「……」
フランは何とも言えない、部妙な顔をしていた。
「……たぶん、一千キュビットは走ったんだけど。なにも、なかった」
「なんと……」
アニいわく、千キュビットはメートル換算で約五百メートルらしい。うえぇ、一分で五百メートル?いや、フランはその距離を往復しているんだ。つまり、一キロを一分で……
「じ、時速六十キロ。法定速度ギリギリだな……」
「え?」
「あいや、なんでもない。それより、どういうことなんだ?じゃあここは、のんびり散歩を楽しむ為の通路って?」
「そうは考えにくいけど……」
エラゼムが腕を組んで唸る。
「フラン嬢が走った地点よりも先に罠があるのか、はたまた何らかの原因で罠が作動しなかったのか……走っていただいたフラン嬢には申し訳ありませぬが、やはり用心しながら進みましょう」
「いいよ。わたしも、そこまで楽観的にはなれない」
ふぅむ、何もないってのが、かえって不安をあおるとは……けど少なくとも、フランが走った区間は安全そうだ。問題はその先だな。
一本道を進み始める。念には念を入れて、エラゼムは行く手の床を剣で突きながら歩いている。フランも闇に目を凝らしてはいるが、道はあくまでも、ただの道としての態度を崩さなかった。
「……ひょっとして、しかけが壊れちゃったんでしょうか?」
けっこう進んだところで、ウィルが思いついたようにつぶやいた。
「でもさウィル、こんな絶好のポイントで、罠を壊れたまま放置するか?わざわざこんだけ長い距離をお膳立てしてるんだぜ」
「うーん、そうですけど。あ、ならそうやって、怖がらせるのが目的とか」
「脅しぃ?なら看板でも立てて、『この先罠ありマス』くらいは書いといたほうがいいな。そしたら今より倍はビクついてたはずだ」
「うーん、うーん……うわーん!桜下さんのイジワル!どうして罠がある方に持っていこうとするんですか!」
「ええ!?俺が悪いのか?」
「二人とも、うるさい!」
イラついた様子のフランに叱られて、俺とウィルはしゅんとしょげ返った。エラゼムは苦笑すると、再び通路を歩きだす。
そこから、さらに進んだあたりで、床に黒いバツ印が書かれているのが見えてきた。
「あれは……?」
「わたしがあそこまで進んだっていう印」
ああ、なるほど。てことはこの先が、未踏のエリアってわけだな。
「ん?ところでフラン、これどうやって書いたんだ?なんか、インクみたいだけど……」
「血」
「へ?」
フランがスカートの端をつまんで、ぴらっとめくった。うわ、何をっ……と思ったけど、よく見ると太ももに小さな傷がついていた。自分の爪の先を刺して、それで印を書いたんだ。
「な、なるほどな。納得」
「……えっち」
「なっ、ち、ちがわい!」
自分からめくったくせに……俺の叫びが、狭い通路にこだまする。ちがわい……ちがわい……
その時だった。
ごとん……地の底で何かが動いた様な、鈍い大きな音が響き渡った。
「いぃ!?な、なんだ!」
「誰か、何かに触れましたか!?」
誰も声を上げない。なんにもしてないのに……?
「お、俺が叫んだからか……?」
「いえ、これはむしろ……もしや、一定以上の重量を感知し、」
エラゼムは最後まで言うことができなかった。
ガターン!轟音が鳴り響いて、突然床が抜けた!
つづく
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読了ありがとうございました。
続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。
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ギギギギィ……
戸がきしむ音は、意地悪な魔女の笑い声にも聞こえた。部屋の中は、相も変わらず暗闇。ただかすかに、何かの生き物の呼吸音のような、空気が擦れる音が聞こえる気がする……
「……皆様。準備はよろしいですかな」
エラゼムが兜だけを振り向かせる。俺たちは各々、こくりとうなずいた。
部屋に一歩だけ入ると、まず真っ先にウィルが呪文を唱えた。前回の失敗から反省して、まずは室内の様子を探ることにしたんだ。その間俺たちは、扉のそばから離れない。ちょっと掟破りな気もするけど、俺たちだって遊びじゃないんだ。命が掛かっているのに、型に拘っていられるか。
「ファイアフライ!」
ウィルの周りに、蛍光色の火の玉が飛ぶ。そのまま天井すれすれまで上昇して、火の玉で部屋の隅々を照らし出した。
「ヴモオオオオォォォォ!」
「きゃぁっ」
「うわっ」
ビリビリと鼓膜を震わせる怒声。巨大な斧がブゥンと振りかぶられて、ファイアフライの火の玉をかき消してしまった。その際に一瞬だけ見えた姿は、並外れた体躯の人の姿。ただし、首から上は人のそれじゃなく、立派な角を持つ獣のそれだ……
「今のって……」
「ミノタウロス……!」
エラゼムの絞り出すような声。ミノタウロスって言ったら、半人半牛の怪物だろ?それに確か、あの老魔導士が飼っているとかこぼしていたな。てことは、これがやつのペットか?
「ブルルッ。ヴモオオォォ!」
「……見た感じ、しつけはなってねぇな」
アニが放つ光を絞って、ミノタウロスの姿を浮かび上がらせた。で、でかいな。身長は三メートルくらいありそうだ。湾曲した角は鋭く、小さな目は闘牛のように怒りに満ちている。手には馬鹿でかい斧が握られているが、刃だけでも俺の身長くらいありそうだ。あんなものを、さっきは軽々と振り回したのか?
「見て!あいつの後ろ!」
フランが鋭く叫ぶ。ミノタウロスの後ろ?目を凝らすと、そこに確かに扉がある。
「あの扉を守ってんのか。じゃあやっぱり、避けては通れないな……」
ミノタウロスは、目の前に現れた侵入者に憎悪を剥き出しにしている。怪物は一歩、前に踏み出そうとした。ジャキイン!
「え?」
ミノタウロスの動きがピタッと止まった。奴の毛皮に覆われた足首には、にび色の鉄輪がはめられていた。そこから伸びる鎖が、ミノタウロスの動きを制限しているんだ。
「ヴォモオオオオ!」
ミノタウロスは忌々しいとでも言うように、しきりに足を引っ張って鎖をジャラジャラ言わすが、拘束はびくともしなかった。
「あの怪物も、囚われているのですな。ここの門番の仕事は、進んで引き受けたというわけではないらしい」
エラゼムは少し哀れみを見せたが、それでも冷静だ。
「好機です。奴は鎖によって、こちらには接近できない。そしてこちらには、遠距離攻撃手段があります。アルルカ嬢」
名指しされたアルルカは、杖をくるりと回す。
「あの化け物牛を、冷しゃぶにでもすりゃいいわけ?」
「な、ダメだアルルカ、殺しちゃ!」
「あんった、ブレないわねぇ……」
「当たり前だろ!要は、動けなくすりゃいいんだ。な、エラゼム?」
「おっしゃる通りです。動きを封じ、そのすきにわきを抜けてしまいましょう」
うん。広ーく見てみれば、あの牛だって俺たちと同じ被害者側だ。それを一方的にくびり殺すのは、あまりに忍びない。
「ま、今のあたしは機嫌がいいからね。オーダー通りにやってあげる」
アルルカは性懲りもなく、唇の端をぺろっとやった。けっ、まだ血の味が残っているのか?
「じゃ、行くわよ。バッカルコーン!」
ズガガガ!床から何本もの氷柱がせり出してきて、ミノタウロスを取り囲む。
「ヴォモオオオ!?」
並外れた体躯のミノタウロスとはいえ、ぶっとい柱にがんじがらめにされては、身動きの取りようもなかった。あれにはイエティだって白旗を上げたんだ。さしもの奴でも抜け出せまい。
「はい、いっちょ上がり」
「おおー。ここだけ見れば、すっげーって素直に感心できるんだけどな」
「うふふ!……ん?ちょっと、どーいう意味よそれ!」
とにかく、モンスターは無力化した。俺たちは部屋へと入ると、必死に抜け出そうともがくミノタウロスをしり目に、くまなく壁や床を探索した。ミノタウロスの世話をするための抜け穴があるんじゃないかと思ったからだ。
「ん~……フラン、どうだ?」
「だめ。それっぽいものは見当たらない」
「ダメか……」
残念ながら、ここには脱出口はないみたいだ。唯一、天井の一部に丸穴が開けられているのは見つけられたが、小さすぎて通るのは無理だ。たぶん、ここが給餌口なんだろう。魔法がかけられているので、削って広げることもできないし。
「ちぇっ。けど、やっぱり外部との繋がりはあるんだな。それがはっきりしただけ、よしとするか」
やはり、完全な密室というわけではないんだ。あの給餌口のように、抜け道は必ず存在するはず。
「うん、これなら希望が持てそうだ……って、ウィル。どうした?」
ウィルはちらちらと、しきりに後ろを振り返っていた。
「なんかあんのか?」
「あ、いえ、そういうわけじゃ……ただ、あのモンスターが……」
「ミノタウロスが?」
「私の勘違いだとは思うんですけど……なんだか、悲しそうに見えたものですから」
「へ?悲しそうに?」
「私たちに襲いかかってきたのも、やり場のない怒りをぶつけているみたいで……こんな地下に閉じ込められて、きっとご飯だって、あの穴から落とされるだけなんでしょう。そんなの、あんまりじゃないですか」
それは、まあ……俺が同じ目に遭わされたら、間違いなく発狂する。
「けど相手は、モンスターじゃないか」
「う。そ、そうですよね。あはは、私、何言ってるんでしょう……」
ウィルは眉をハの字にして笑った。ぬう、そんな顔されちゃあな……
「……今回の件が、全部片付いたらさ」
「え?」
「そしたら、あいつを救う手がないか、考えてみようぜ。あのジジイをぶっ飛ばして、ダンジョンを解放させるとかさ」
「桜下さん……はい!」
ウィルは明るい顔でうなずいた。やれやれ、優しすぎるな、ウィルは。
俺たちは、再びダンジョンを進み始める。ギミックを抜けたから、次はメイズのエリアだ。
の、はずだったんだけど……
「……なんだ、こりゃ」
俺たちが出くわしたのは、恐ろしい罠でも、複雑怪奇な迷路でもなかった。
“ただの一本道”だ。しかも馬鹿みたいに長い。五十メートル走よりは確実に長く、下手したらその倍はあるかも。アニの光も奥までは届かず、全長は計り知れない。
「あ、怪しすぎる……何もないってのが、かえってあからさまだろ」
「ほぼ確実に仕掛けがあるとみて、間違いなさそうですな」
「なら、わたしが見てこようか」
フランが数歩前に出ると、つま先でとんとんと床を蹴る。
「端から端まで走ってみるよ。わたしの足なら、そんなに時間はかからない」
「しかし、それでは……」
「でも、確実でしょ?一分経っても戻って来なかったら、そういうことだと思って」
エラゼムは唸りながらもうなずいた。俺も言いたいところはあったが、フランは瞳で俺を黙らせた。あの赤い瞳にじっと見つめられると、弱い。
「じゃ、行ってくる」
フランはそう言い残すと、まるでジョギングにでも出向くような気軽さで、ふらりと走り出した。その数秒後には爆速で加速し、あっという間に闇の中へと消えてしまったが。あんな真っ暗闇でも、フランには見えているのだろうか?…………
…………まもなく一分だ。時計はないけれど、ウィルが小声で時間を数えていたので、おおむね正確だろう。闇の中からたたたたっという足音がして、次いでフランが戻ってきた。ほっ、とりあえず無事で何よりだ。
「戻られましたか、フラン嬢。して、いかがか」
「……」
フランは何とも言えない、部妙な顔をしていた。
「……たぶん、一千キュビットは走ったんだけど。なにも、なかった」
「なんと……」
アニいわく、千キュビットはメートル換算で約五百メートルらしい。うえぇ、一分で五百メートル?いや、フランはその距離を往復しているんだ。つまり、一キロを一分で……
「じ、時速六十キロ。法定速度ギリギリだな……」
「え?」
「あいや、なんでもない。それより、どういうことなんだ?じゃあここは、のんびり散歩を楽しむ為の通路って?」
「そうは考えにくいけど……」
エラゼムが腕を組んで唸る。
「フラン嬢が走った地点よりも先に罠があるのか、はたまた何らかの原因で罠が作動しなかったのか……走っていただいたフラン嬢には申し訳ありませぬが、やはり用心しながら進みましょう」
「いいよ。わたしも、そこまで楽観的にはなれない」
ふぅむ、何もないってのが、かえって不安をあおるとは……けど少なくとも、フランが走った区間は安全そうだ。問題はその先だな。
一本道を進み始める。念には念を入れて、エラゼムは行く手の床を剣で突きながら歩いている。フランも闇に目を凝らしてはいるが、道はあくまでも、ただの道としての態度を崩さなかった。
「……ひょっとして、しかけが壊れちゃったんでしょうか?」
けっこう進んだところで、ウィルが思いついたようにつぶやいた。
「でもさウィル、こんな絶好のポイントで、罠を壊れたまま放置するか?わざわざこんだけ長い距離をお膳立てしてるんだぜ」
「うーん、そうですけど。あ、ならそうやって、怖がらせるのが目的とか」
「脅しぃ?なら看板でも立てて、『この先罠ありマス』くらいは書いといたほうがいいな。そしたら今より倍はビクついてたはずだ」
「うーん、うーん……うわーん!桜下さんのイジワル!どうして罠がある方に持っていこうとするんですか!」
「ええ!?俺が悪いのか?」
「二人とも、うるさい!」
イラついた様子のフランに叱られて、俺とウィルはしゅんとしょげ返った。エラゼムは苦笑すると、再び通路を歩きだす。
そこから、さらに進んだあたりで、床に黒いバツ印が書かれているのが見えてきた。
「あれは……?」
「わたしがあそこまで進んだっていう印」
ああ、なるほど。てことはこの先が、未踏のエリアってわけだな。
「ん?ところでフラン、これどうやって書いたんだ?なんか、インクみたいだけど……」
「血」
「へ?」
フランがスカートの端をつまんで、ぴらっとめくった。うわ、何をっ……と思ったけど、よく見ると太ももに小さな傷がついていた。自分の爪の先を刺して、それで印を書いたんだ。
「な、なるほどな。納得」
「……えっち」
「なっ、ち、ちがわい!」
自分からめくったくせに……俺の叫びが、狭い通路にこだまする。ちがわい……ちがわい……
その時だった。
ごとん……地の底で何かが動いた様な、鈍い大きな音が響き渡った。
「いぃ!?な、なんだ!」
「誰か、何かに触れましたか!?」
誰も声を上げない。なんにもしてないのに……?
「お、俺が叫んだからか……?」
「いえ、これはむしろ……もしや、一定以上の重量を感知し、」
エラゼムは最後まで言うことができなかった。
ガターン!轟音が鳴り響いて、突然床が抜けた!
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