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14章 痛みの意味
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(くっくっく……上手くいったようじゃわい)
老魔導士ハザールは、呆然と立ち尽くすライラを見て、満足げにほくそ笑んだ。少年が部屋から出て行くと、ライラは扉を見つめたままへたり込んで、茫然自失となった。それだけ応えた、ということだろう。
(実に効果的じゃ。やはり心を折るには、この手に限る)
固い絆も深い信頼も、ほんの二、三の言葉でたやすく壊れてしまう。たとえそれが、“偽りの言葉”だったとしてもだ。
(儂の幻影魔法を見破れたものは、一人としておらぬわ)
そう。先ほどの少年の姿は、ハザールが魔法で作り出した幻だ。ハザールの老練の魔術は、本物そっくりの幻に、本人そのものの声を出させることが可能だった。どうしても心を折らない奴隷には、この魔術を使ってとどめを刺すのが、ハザールの十八番だ。
(まったく。こうなる前に、あの小僧どもの骨が用意できれば早かったものを)
ハザールは奴隷の男に、ダンジョンに赴いて遺体を回収するように命じていた。しかしいつまで経っても戻ってこないので、痺れを切らしてこちらの作戦に切り替えたのだ。ハザールの心は常に、焦りという名の炎でチリチリと焦がれていた。
(さあ。これでようやっと、この生意気な小童も従順になるじゃろうて)
ハザールははやる気持ちを押さえて、車いすを操作し、鉄格子へと近寄った。
「可哀そうにのう。あの少年も、薄情なものじゃ」
白々しくそう嘯く。
「だが、安心せい。あの少年の言った通り、やつらは無事に送り出してやろう。そしてライラ。お前自身もじゃ」
ハザールは努めて優しい声色を作った。
「もうこれ以上、痛い目にはあわさんさ。これから、儂のしもべとして大事にしてやるからの。さあ、それならば、どう言えばいいかわかるな。『ハザール様に忠誠を誓います』、こう言うのだ」
ハザールは心臓が高鳴るのを感じた。魔術において、約束は極めて重要な結びつきとなる。たとえ口約束であろうと、一度口にしてしまったものは、そうやすやすと撤回することはできない。
(さあ、言え!言え!)
ハザールは心の中で、何度もそう念じた。
やがて、すっかり生気を失った様子のライラが、ゆっくりと首を動かした。それを見たハザールは、ぐしゃっと顔を歪めた。
ライラの首は、横に揺れていた。
「なぜだ……なぜだあぁぁぁ!」
老魔導士は、鉄格子に掴みかかった。格子が無かったら、ライラの首にそうしていただろう。
「ライラ!お前は、自分が置かれた状況を分かっておるのか?お前は見捨てられたのだ!もう誰も、お前を迎えに来などせんのだぞ!」
老魔導士は食いつかんばかりに幼女に詰め寄る。ライラの髪が、わずかに揺れた。老魔導士は一瞬、それがライラの動揺の表れに見えた。だが、違った。またしても、ライラは首を振ったのだ。
「……きっと……来てくれる……信じてるから……」
ライラの声は吐息のようにかすかで、唇はほとんど動いていなかった。だがそれでも、老魔導士の逆鱗を撫でるには十分だった。
「……ひ、ひひひ、ヒィッヒッヒ!そうか、そうか!お前はあくまで、この儂に立てつこうというのだな?そうなのだな!」
老魔導士は全身を震わせながら笑うと、骨と皮ばかりの手をローブの裾に差し入れた。そこから出てきたのは、ぐねぐねと曲がった刃を持つダガーナイフだった。
「っキエエェアァ!」
老魔導士は奇声を上げると、格子のすき間に腕を突っ込み、ライラの前髪を鷲掴みにした。そして老人とは思えない力で引っ張る。ライラは顔を格子に強か打ち付けられた。
「ライラぁ……おぬしは、自分がどのように作られたのか、知っておるかね?」
痛みにうめくライラは返事をしなかったが、老魔導士は気にせず続ける。
「もともとお前は、一つの存在として生まれてくるはずだったのだ。人類史上初の、四属性を持った人間としてな。だが、実際に生まれてきたのは、二つの属性を宿した、二人の人間だった……」
老魔導士は憎々しいとばかりに、ライラの髪を掴む手に力をこめた。痛みでライラが顔を歪ませる。
「儂の理論は、完璧なはずだった……今度こそ、上手くいくはずだったのじゃ!だがお前とその片割れは、儂の長年の研究を台無しにした!お前たちが二つに分かれおったせいで、儂のすべては引き裂かれたのじゃ!……しかし……」
そこで老魔導士は、にぃーっと笑みを浮かべた。
「やはり儂は、間違っていなかった!お前は四属性の器として、完成していたのじゃ!だから兄の肉を喰らうことで、その身に残り二つの属性を宿すことができたのだ!」
「っ」
はじめて、ライラが目を見開いた。
「おうおう、なぜそれを知っているのか?という顔じゃの。ひぃっひっひ、馬鹿な娘じゃ。お前、あの男が本気でお前を案じていると、そう思っとったのか?」
老魔導士はケタケタと笑う。
「カッカッカ!あやつは、儂の忠実な下僕じゃよ。お前が話したことは、儂もすべて聞いておるわ。そして……儂は確信した。ライラ、お前は兄を喰らうことで、兄の魔力を我が物とした。それならば、儂がお前の肉を喰らうことで……」
ダガーナイフの先端が、ライラの胸の上……心臓を狙いすます。老人の色違いの瞳がぎらりと光ったのを見て、ライラは全身に鳥肌が立つのを感じた。
「お前が儂の物にならぬのならば、もういらん。その代わり、お前の力を儂によこせ!」
「……!いや!嫌だ!」
ライラは老魔導士の考えを察して、必死に逃れようと身をよじった。だが魔導士の手は、どこにそんな力が残っていたのかというほど固く、振りほどけない。
「ヒヒャーッハハハ!今更後悔しても遅いわ!お前が、お前が悪いのだぞ!もう儂には、時間がないのじゃ!」
老魔導士がダガーを持つ腕に力をこめ、少しずつライラの胸に突き立てる。鈍い痛みと共に、ライラの服を刃が貫通した。そしてすぐに、少女の薄い肉にぶつかる。
「たすけて……」
鋭い痛みが胸に走り、冷たい刃がライラの皮膚を裂かんとする。あと数センチも進めば、もう……
ライラの瞳から、ポロリと一粒、涙がこぼれた。
「たすけて、おうか……」
その時だった。
ズズン!
「なっ。なんじゃ!?」
地下室を強い揺れが襲い、老魔導士は思わずライラの髪を離してしまった。尻もちをついたライラは、そのままずりずりと壁際まで後ずさる。揺れはさらに大きくなってきていた。
ググググー!
低い地鳴りのような音と共に、地下牢の石床が“たわんだ”。石材同士がこすれ合い、継ぎ目がみるみる広がっていく。老魔導士は悲鳴を上げて、車いすをバックさせた。
バコオオオォォォン!
ついに限界を迎えた床が、派手な音を立てて崩落した。石材がガラガラと音を立てて、ぽっかりと開いた穴に落下していく。それと入れ替わりになるように、何かの影が穴から飛び出してきた。
「ウモオオオオオ!」
雄たけびを上げたのは、大きな牛頭の怪物。ミノタウロスだ。そしてその後から、何体もの骸骨と亡霊が湧き出してくる。突如として現れたモンスターの大群に、老魔導士は目を回した。だがライラの目には、モンスターよりも、一人の姿だけが映っていた。
暴れるミノタウロスに踏みつぶされないよう、必死の形相で穴を這いあがってくるのが一人。後から続いて出てきた仲間に引っ張り上げられると、彼は床を転がって、ちょうどライラの前にどしんとお尻を打ち付けた。
「いてて……おいフラン、もっと優しく引き上げてくれよ!」
「ごめん、慌ててたから」
ぶつくさ言いながら、彼が立ち上がる。その様子を、ライラは何も言えずに、ただじいっと見つめ続けていた。目の前で起きていることが、現実の出来事かどうか信じられなかった。けれど、少年がきまり悪そうにニヤッと笑ったのを見て……ライラは、ひどく安堵した。
「もっとかっこよく登場したかったんだけど……悪ぃ、ライラ。遅くなったな」
ライラは泣き笑いしながら、少年の胸に飛び込んだ。
つづく
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読了ありがとうございました。
続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。
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(くっくっく……上手くいったようじゃわい)
老魔導士ハザールは、呆然と立ち尽くすライラを見て、満足げにほくそ笑んだ。少年が部屋から出て行くと、ライラは扉を見つめたままへたり込んで、茫然自失となった。それだけ応えた、ということだろう。
(実に効果的じゃ。やはり心を折るには、この手に限る)
固い絆も深い信頼も、ほんの二、三の言葉でたやすく壊れてしまう。たとえそれが、“偽りの言葉”だったとしてもだ。
(儂の幻影魔法を見破れたものは、一人としておらぬわ)
そう。先ほどの少年の姿は、ハザールが魔法で作り出した幻だ。ハザールの老練の魔術は、本物そっくりの幻に、本人そのものの声を出させることが可能だった。どうしても心を折らない奴隷には、この魔術を使ってとどめを刺すのが、ハザールの十八番だ。
(まったく。こうなる前に、あの小僧どもの骨が用意できれば早かったものを)
ハザールは奴隷の男に、ダンジョンに赴いて遺体を回収するように命じていた。しかしいつまで経っても戻ってこないので、痺れを切らしてこちらの作戦に切り替えたのだ。ハザールの心は常に、焦りという名の炎でチリチリと焦がれていた。
(さあ。これでようやっと、この生意気な小童も従順になるじゃろうて)
ハザールははやる気持ちを押さえて、車いすを操作し、鉄格子へと近寄った。
「可哀そうにのう。あの少年も、薄情なものじゃ」
白々しくそう嘯く。
「だが、安心せい。あの少年の言った通り、やつらは無事に送り出してやろう。そしてライラ。お前自身もじゃ」
ハザールは努めて優しい声色を作った。
「もうこれ以上、痛い目にはあわさんさ。これから、儂のしもべとして大事にしてやるからの。さあ、それならば、どう言えばいいかわかるな。『ハザール様に忠誠を誓います』、こう言うのだ」
ハザールは心臓が高鳴るのを感じた。魔術において、約束は極めて重要な結びつきとなる。たとえ口約束であろうと、一度口にしてしまったものは、そうやすやすと撤回することはできない。
(さあ、言え!言え!)
ハザールは心の中で、何度もそう念じた。
やがて、すっかり生気を失った様子のライラが、ゆっくりと首を動かした。それを見たハザールは、ぐしゃっと顔を歪めた。
ライラの首は、横に揺れていた。
「なぜだ……なぜだあぁぁぁ!」
老魔導士は、鉄格子に掴みかかった。格子が無かったら、ライラの首にそうしていただろう。
「ライラ!お前は、自分が置かれた状況を分かっておるのか?お前は見捨てられたのだ!もう誰も、お前を迎えに来などせんのだぞ!」
老魔導士は食いつかんばかりに幼女に詰め寄る。ライラの髪が、わずかに揺れた。老魔導士は一瞬、それがライラの動揺の表れに見えた。だが、違った。またしても、ライラは首を振ったのだ。
「……きっと……来てくれる……信じてるから……」
ライラの声は吐息のようにかすかで、唇はほとんど動いていなかった。だがそれでも、老魔導士の逆鱗を撫でるには十分だった。
「……ひ、ひひひ、ヒィッヒッヒ!そうか、そうか!お前はあくまで、この儂に立てつこうというのだな?そうなのだな!」
老魔導士は全身を震わせながら笑うと、骨と皮ばかりの手をローブの裾に差し入れた。そこから出てきたのは、ぐねぐねと曲がった刃を持つダガーナイフだった。
「っキエエェアァ!」
老魔導士は奇声を上げると、格子のすき間に腕を突っ込み、ライラの前髪を鷲掴みにした。そして老人とは思えない力で引っ張る。ライラは顔を格子に強か打ち付けられた。
「ライラぁ……おぬしは、自分がどのように作られたのか、知っておるかね?」
痛みにうめくライラは返事をしなかったが、老魔導士は気にせず続ける。
「もともとお前は、一つの存在として生まれてくるはずだったのだ。人類史上初の、四属性を持った人間としてな。だが、実際に生まれてきたのは、二つの属性を宿した、二人の人間だった……」
老魔導士は憎々しいとばかりに、ライラの髪を掴む手に力をこめた。痛みでライラが顔を歪ませる。
「儂の理論は、完璧なはずだった……今度こそ、上手くいくはずだったのじゃ!だがお前とその片割れは、儂の長年の研究を台無しにした!お前たちが二つに分かれおったせいで、儂のすべては引き裂かれたのじゃ!……しかし……」
そこで老魔導士は、にぃーっと笑みを浮かべた。
「やはり儂は、間違っていなかった!お前は四属性の器として、完成していたのじゃ!だから兄の肉を喰らうことで、その身に残り二つの属性を宿すことができたのだ!」
「っ」
はじめて、ライラが目を見開いた。
「おうおう、なぜそれを知っているのか?という顔じゃの。ひぃっひっひ、馬鹿な娘じゃ。お前、あの男が本気でお前を案じていると、そう思っとったのか?」
老魔導士はケタケタと笑う。
「カッカッカ!あやつは、儂の忠実な下僕じゃよ。お前が話したことは、儂もすべて聞いておるわ。そして……儂は確信した。ライラ、お前は兄を喰らうことで、兄の魔力を我が物とした。それならば、儂がお前の肉を喰らうことで……」
ダガーナイフの先端が、ライラの胸の上……心臓を狙いすます。老人の色違いの瞳がぎらりと光ったのを見て、ライラは全身に鳥肌が立つのを感じた。
「お前が儂の物にならぬのならば、もういらん。その代わり、お前の力を儂によこせ!」
「……!いや!嫌だ!」
ライラは老魔導士の考えを察して、必死に逃れようと身をよじった。だが魔導士の手は、どこにそんな力が残っていたのかというほど固く、振りほどけない。
「ヒヒャーッハハハ!今更後悔しても遅いわ!お前が、お前が悪いのだぞ!もう儂には、時間がないのじゃ!」
老魔導士がダガーを持つ腕に力をこめ、少しずつライラの胸に突き立てる。鈍い痛みと共に、ライラの服を刃が貫通した。そしてすぐに、少女の薄い肉にぶつかる。
「たすけて……」
鋭い痛みが胸に走り、冷たい刃がライラの皮膚を裂かんとする。あと数センチも進めば、もう……
ライラの瞳から、ポロリと一粒、涙がこぼれた。
「たすけて、おうか……」
その時だった。
ズズン!
「なっ。なんじゃ!?」
地下室を強い揺れが襲い、老魔導士は思わずライラの髪を離してしまった。尻もちをついたライラは、そのままずりずりと壁際まで後ずさる。揺れはさらに大きくなってきていた。
ググググー!
低い地鳴りのような音と共に、地下牢の石床が“たわんだ”。石材同士がこすれ合い、継ぎ目がみるみる広がっていく。老魔導士は悲鳴を上げて、車いすをバックさせた。
バコオオオォォォン!
ついに限界を迎えた床が、派手な音を立てて崩落した。石材がガラガラと音を立てて、ぽっかりと開いた穴に落下していく。それと入れ替わりになるように、何かの影が穴から飛び出してきた。
「ウモオオオオオ!」
雄たけびを上げたのは、大きな牛頭の怪物。ミノタウロスだ。そしてその後から、何体もの骸骨と亡霊が湧き出してくる。突如として現れたモンスターの大群に、老魔導士は目を回した。だがライラの目には、モンスターよりも、一人の姿だけが映っていた。
暴れるミノタウロスに踏みつぶされないよう、必死の形相で穴を這いあがってくるのが一人。後から続いて出てきた仲間に引っ張り上げられると、彼は床を転がって、ちょうどライラの前にどしんとお尻を打ち付けた。
「いてて……おいフラン、もっと優しく引き上げてくれよ!」
「ごめん、慌ててたから」
ぶつくさ言いながら、彼が立ち上がる。その様子を、ライラは何も言えずに、ただじいっと見つめ続けていた。目の前で起きていることが、現実の出来事かどうか信じられなかった。けれど、少年がきまり悪そうにニヤッと笑ったのを見て……ライラは、ひどく安堵した。
「もっとかっこよく登場したかったんだけど……悪ぃ、ライラ。遅くなったな」
ライラは泣き笑いしながら、少年の胸に飛び込んだ。
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