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14章 痛みの意味

10-1 地上を目指せ

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10-1 地上を目指せ

「遅いよ……桜下……」

「ごめん……ごめんな……」

俺は飛び込んできたライラを、めいっぱいぎゅうっと抱きしめた。ふわふわの髪の感触。ああ、久しぶりだ。

「ううん……謝らないで。ちゃんと来てくれたもん。けど、どうして戻ってきて……?」

「うん?戻ってくる?……あ、ひょっとしてライラも、俺たちの幻を見せられたのか?」

「まぼ、ろし……?」

「ああ。実は俺たちのとこにも、ライラの幻が現れたんだ」



「だから、ここでお別れしよう。桜下」

おわ、かれ……?俺はライラの言ったことが、信じられなかった。
薄暗いダンジョンの小部屋で、鉄格子の向こうに立つライラは、確かに俺たちに別れを告げた。でも、そんな……そんな馬鹿な!ライラがそんなこと、言うわけないじゃないか!だって、ライラは、ライラは……

「もういい加減、諦めたらどうだ」

横槍を入れてきたのは、寡黙な赤髪の男だ。男は感情を見せない顔で、冷たくこちらを見ている。

「この少女は、自らを捧げんとしているのだ。いつまでも未練がましくすがるのは、彼女の気高い決意を侮辱する行為だ」

侮辱……?俺が食い下がれば食い下がるほど、ライラをかえって苦しめることになるのか?

「けど……こんなこと、認められるわけないだろうが!」

俺は鉄格子に頭を打ち付けた。どうすりゃいいんだ!今の俺たちは、この格子の外に出ることすらできないっていうのに……!

「ええ、その通りです!」

え?俺も、そして他の仲間たちも、一斉に声のした方を見た。大声で叫んだのは、さっきまで泣き崩れていたはずのウィルだ。ウィルはまだ鼻声だったし、頬も濡れている。だがそれでも、しっかり前を向いて、杖をぎゅっと握り締めていた。

「ウィル……?」

「私の知るライラさんは、こんなに簡単に諦めたりしません!私の知る彼女は……私の師匠の彼女は、自分の腕に誇りを持っています!自分より格下の相手にへりくだるなんて、絶対にしない!」

ウィルはきっぱりと言い切った。ウィルのやつ、ライラをそんな風に……一方で、当人であるライラは顔色一つ変えない。無視しているのか?いや、というよりはむしろ、最初から聞こえていないかのようだ……?

「今、その化けの皮を剥いでやります!」

ウィルはロッドを構えると、早口で呪文を唱え始めた。魔法を?けどこの鉄格子の破壊はできないって、さっき試したばかりじゃないか。それなら、ウィルの狙いは……?

「いけっ!ファイアフライ!」

ポンポンポン!ウィルの放った蛍光色の火の玉は、こちら側じゃなくて、鉄格子の向こう側に現れた。あ、そうか!格子を破壊することは出来なくても、その向こう側に魔法で干渉することは可能なんだ!
突如出現した火の玉に、男もさすがに寡黙さを崩し、驚いた顔をしている。

「いいぞ!そいつを焼いちまえば……って、ええ!?」

俺はてっきり、男を攻撃して、ライラを自由にするつもりだとばかり思っていた。だがあろうことか、ウィルの魔法は、ライラに向かって飛んでいく!

「おい、ウィッ……!」

俺が止める間もなく、無数の火の玉は、ライラの全身に直撃した。

パンッ!パシャ。

「は……?」

風船が割れたような音がして、小さな水たまりが広がった。ついさっきまで、ライラが立っていた場所に、だ。そしてライラの姿は、どこにも無くなっていた。
こ、これは!

「まさか、水の幻影……!魔法だったのか!」

以前、王都で見た幻影魔法!あん時も同じだ!屈強なオーガの幻は、最後は水になって弾けてしまった。さっきのライラも、それと同じだったんだ!

「やっぱり、そうだったんですね。さっきの幻は、一度も私と目が合いませんでした。初めは無視されているだけだと思いましたが、違います。ライラさん……いいえ、あの幻の術者には、私の声が聞こえていなかったんです!」

そういうことだったのか!だからライラは一度も、ウィルに返事をしなかったんだ。確かに、ウィルが呪文を唱えるのをただ黙って見ていたのも、今考えれば不自然だ。てことはつまり、その術者ってやつは、ウィルの呪文を予期できなかった人物ってことになる。この場にいて、ウィルの存在を知覚できていないのは、ただ一人。

「そいつだ!その男が、幻を操っていたんだ!」

俺が叫んだことで、赤髪の男はようやく我に返ったようだ。策略が失敗したと分かると、素早くポケットに手を突っ込み、そこから巻紙を取り出した。スクロールだ!

「スノーフレーク!」

「ぐああ!」

パキパキパキ!今まさにスクロールの封を切ろうとした男の指が、腕ごと凍り付いてしまった。魔法が通じると分かったアルルカが、一瞬の早業で凍結させたのだ。

「うかつね。逃すわけないじゃない」

「いいぞアルルカ!さぁーて、どんな礼をさせて貰おうか?ずいぶん趣味の悪いマネをしてくれたじゃねえか……!」

よりにもよって、ライラの姿で誑かそうとしてくるとは。手段としちゃ下の下、サイッテイだ。どんな報いを受けたって、文句は言えないだろ……!
俺は拳をバキバキ鳴らして、氷の痛さに顔をしかめる男を睨んだ。



「……てなことがあってな」

「幻影魔法……そっか、だからおねーちゃんとアルルカを間違えて……」

へ?ウィルとアルルカを?ぷはは、そりゃ笑えるな。こっちはこっちで、まぬけな間違いが起きていたらしい。だけど、腹を抱えるのは後回しだ。

「てわけだ、クソジジイ!おめえの薄汚い策略は、ぜーんぶ御破算だぜ!」

俺はビシッと言い放ったが、あいにく老魔導士は聞いちゃいなかった。暴れまわるミノタウロスがうるさすぎて、それどころじゃないんだ。ミノタウロスは穴から巨体を引っ張り出すと、目障りだとばかりに鉄格子を殴りつけた。グワジャーン!数度殴っただけで、格子はぐにゃりとひん曲がってしまった。フラン並みの馬鹿力だな。それとこの部屋には、破壊を防ぐ魔法は掛けられていないようだ。

「く、く、来るなぁ!」

老魔導士はぎゃあぎゃあ喚いて、車いすを限界まで引いている。ふん、いい気味だぜ。多少は気が晴れるな。
だがその時、老魔導士の手がローブの裾に伸び、さっきも見たスクロールを取り出したではないか。おっと、まずい!そうはさせるか!

「アルルカ!」

「わかってるわ!スノーフレーク!」

アルルカが杖をひと振りすると、銀色の冷気が老魔導士に向かって伸びていく。よし、これで封じた!

パンッ!パシャ。
え!?老魔導士の姿が、あぶくのようにはじけて消えた!

「っ!野郎、また幻影魔法か!?いつの間に!」

「ひっひっひ!優れた魔術師は、常に二手三手先を読むものじゃ」

くそ、どこだ?あ、いた!老魔導士は、扉の前に移動していた。逃げる気か?
アルルカの魔法をかわした老魔導士は、悠々とスクロールを開いた。

「ワンダーフォーゲル!」

パァー!まばゆい光に包まれ、老魔導士の姿が消えてしまった。

「ああっ、くそ!テレポートか!」

ちっ!あのジジイ、逃走手段を残してやがったのか。ワープされたんじゃ、後を追いようがない。

「ヴオオオオオ!」

突然の閃光でさらに興奮したのか、ミノタウロスは太い腕を振り回して、壁の一部を破壊してしまった。ドカアアアン!

「ウモオオオオ!」

ミノタウロスは天を仰いで雄たけびを上げると、壁の穴から外の廊下に飛び出していってしまった。よほど青空が恋しいと見える。もしくは、自身を閉じ込めていた老魔導士への復讐に燃えているか。どちらにせよ、その怒りの矛先がこちらに向かなくて助かった。
その後に続いて、スケルトンとシェードたちも部屋を出て行く。

(あいつらとの奇妙な共闘関係は、これで終わりだな)

どうしてミノタウロスやアンデッドと一緒だったのかと言うと、まあ紆余曲折あったんだが……それより今はこっちだ。

「さて……あのクソジジイに仕返しをしてやりたい気もするけど、今はそれよりも、脱出が優先だよな?」

復讐は魅力的だが、今はクレバーに行くべきだろう。俺はライラの様子を伺う。

「ライラ、立てるか?……あれ?お前、なんか髪が……」

改めて見たことで気が付いたが、ライラの髪型がびみょうに違っている気がする。というか、所々で、髪がちぎれている……?

「……っ!ライラさん、その背中の傷!どうしたんですか!」

え、傷?びっくりしてライラの目をのぞき込むと、ライラは顔を曇らせて、俺に背中を向けた。そっと赤毛を持ち上げると、その下からは……

「っ」

「ひどい……」

傷は塞がっていたが、痕ははっきり残っている。かすり傷なんてレベルじゃない。これだけの痕を残すには、それこそ常軌を逸した行為を受けないと……

「……」

俺はライラの薄い肩を掴むと、こちらを向かせた。そして胸の真ん中に右手を置く。

「……ディストーションハンド・ファズ」

ヴン。右手が輪郭を失い、わずかにライラの中へと溶け込む。これで、全ての痕は消えたはずだ。髪も元通りになった。けれど、体の傷は消えても、心が受けた傷は、そう簡単に癒えはしない。この子が受けた痛みを思うと、なおさら……

「ライラさん……」

ウィルがライラの隣にかがみ込んで、自分の胸に抱き込んだ。それを見て、俺はぎゅっと拳を握り締めた。

「……くそったれが。あの魔導士、許せねえ……!」

拳が震えるのが分かる。俺は、人生で初めて、本気の殺意を感じていた。人を殺してやりたいだなんて、生まれて初めて思った。
復讐なんて、クレバーじゃないって?クソ食らえだ!あのクソ野郎に仕返ししないと、気がおさまらねえ!それも、一発二発殴るだけじゃダメだ。ライラが受けた痛みを、そっくりそのまま返してやりたい……それであの老人が、死ぬことになってもだ。

「殺す……ぶっ殺してやる……!」

「……桜下」

……?フランがそっと、俺の震える拳に、自分の手を重ねた。

「フラン……」

「あいつを、殺すの?」

「そうだ!ライラと同じ目に遭わせてやるんだ……!」

「……わかった。じゃあ、わたしがやる。桜下たちは逃げて」

なに……?

「フラン、何言って……」

「わたしが必ず、あいつを殺す。でも、何が起こるか分からない。あなたはライラを連れて、安全なところに」

フランが何を言っているのか、分からない。難しいことは、言っていない気がするが……

(いや、そうだ。難しい事じゃない。むしろ、いつも通りのことじゃないか)

戦闘で先陣を切るのは、フランの役目だ。俺やライラは、後方に。何度もやった、俺たちの基本フォーメーション。

(今ここで、俺が戦うことを選択したら。手を汚すのは、フランになるのか……?)

……ダメだ。
俺は目を閉じて、怒りに満ち溢れた脳内を回転させた。こういう時こそ、思考を緩めちゃいけない……考えろ。この衝動に身を任せたら、どうなる?あの老魔導士を追いかける。あいつを捕まえて、ぶちのめす。ライラが受けた痛みを与えて、あの老人を殺してやる……俺の中の復讐心は、すっきりと満たされるだろう。

(バカか、俺は!)

今重要なのは俺じゃないだろ!ライラの気持ちだ!

「……ふぅー」

俺は握り拳をほどいた。上っていた血が冷める。

「……すぐに、ここを出よう。今は一秒でも早く、ライラを休ませてやりたい」

俺の下した決断に、フランは再度手を握った。

「……いいの?」

「ああ。最優先は、ライラだ。それを忘れかけてた……フラン、ありがとな」

「ううん。わたしは、あなたが決めたことに従うよ」

「よし。じゃあ、先導を頼む」

フランはこくりとうなずいて、外の様子を見に行った。

「桜下さん……」

「ウィル。ライラのそばに付いててやってくれ」

「……分かりました」

ウィルの顔は、ひどくこわばっていた。おおかた彼女も、俺とおんなじことを考えていたんだろうと思う。あの老魔道士は、許せない。許せないが、優先すべきなのは、仲間だ。
ライラは、目に見えて衰弱している。肉体もそうだが、心が、弱っているんだ。冷静になった今、それが痛いほどわかった。

(早く休ませてあげないと、取り返しがつかなくなる)

復讐なんかにかまけている場合じゃない。こんなところ、すぐに脱出すべきだ。
ウィルがライラと手を繋ぎ、フランとエラゼムが先頭に立つ。俺たちはミノタウロスが破壊していった壁の穴を通って、屋敷の出口を目指し始めた。



つづく
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読了ありがとうございました。
続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。

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