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15章 燃え尽きた松明
8-1 仮面の素顔
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8-1 仮面の素顔
早朝。
まだ陽が昇り切ってもいない時間。滝から湧く朝靄は、辺りを乳白色に染めていた。
冷たい空気に、毛布にくるまった桜下はぶるっと震えた。まだ夢の中にいる彼は温もりを求めてか、無意識のうちに、同じ毛布で寝ていたライラを抱き寄せた。ライラは暖かな腕に抱かれたことで穏やかな寝顔になり、寝言で小さく「んふふ」と溢した。
さて、二人は夜を寝て過ごすが、それ以外のアンデッドは眠ることがない。全員が一緒に夜を過ごすこともあれば、各々がそれぞれの夜を過ごすこともある。今日は後者の日だった。
ゾンビの少女・フランは高い岩に昇って、朝日に色付きつつある、筋のような雲を眺めていた。だが実際には雲ではなく、己の内面を見つめている。今日の議題は、主に自身の行動について。先日、思いを寄せる少年に色仕掛けをした結果、見事に失敗した件について反省していたのだ。
幽霊シスター・ウィルは、朝の祈祷に勤しんでいた。最近は忘れられがちだが、彼女は幽霊になるまでは、神殿にて日々修練に励んでいたのだ。お世辞にも真面目ではなかったにせよ、長く共にしてきた習慣はそうそう抜けるものではない。時々思い出したように、神への祈りを捧げていた。
変態ヴァンパイア・アルルカは、素っ裸で滝つぼに沈んでいた。自分の美貌に絶対の自信を持つ彼女は、少しでも埃が付くことを嫌う。山歩きのせいで髪に染み付いてしまった土の匂いを落とそうと滝に当たったところ、水流に押されて沈んでしまったのだ。だが打ち付ける水の感覚がことのほか心地良くて、そのままになっていた。無理やり押さえつけられる感じがたまらないらしい。
ミイラの姫君・ロウランは、森の中を散歩していた。つい最近実体を取り戻した彼女には、外の景色はなんでも新鮮で、刺激的だった。長い事地底で暮らしていた彼女は、外というものを数えるくらいしか見たことがない。こうして自由に外界を歩けることは、それだけで無上の喜びを彼女にもたらした。
そして首なし騎士・エラゼムは、一晩中山を練り歩いて、そろそろ戻ろうとしているところだった。真面目な彼は、山中で少しでも食料を調達しようと、野草や木の実を採集して回っていたのだ。彼が現役の騎士だった頃は、遠征先で現地調達をすることもままあった。その経験を活かしたフィールドワークだった。
「む?」
山道を登っていたエラゼムは、前方から聞こえてくる物音に気付くと、兜をかしげた。はて、主がもう目を覚ましたのだろうか?だがその後に聞こえてきた、短い気合のような掛け声は、少女のものであった。
「はっ!やあっ!」
エラゼムがさらに歩を進めると、朝もやの中、木立の間に、双剣を素振りするアルアの姿があった。全身鎧姿のエラゼムが歩く足音は、遠くからでもよく聞こえる。アルアは剣を振る腕を止めて、彼の方へ振り返った。
「はぁ、ふぅ……おはようございます。ひょっとして、うるさかったですか」
「お早う御座います。いえ、そんなことは。吾輩たちは夜も眠らないので、山歩きをして戻ってきた所です。こちらこそ、鍛錬の邪魔をしてしまったのなら申し訳ない」
エラゼムが気まずそうに言うと、アルアはふるふると首を振った。
「いいえ、そんなことは。それに、もう終わりにするところでしたから」
「左様ですか。……それにしても、感心ですな。こうして毎朝訓練を?」
エラゼムとしては素直に褒めたつもりだったのだが、アルアは暗い顔をすると、ふっと自嘲気味に笑った。
「ええ。こうでもしないと、すぐに体がなまってしまいますから。ただでさえ、直近にあんなぶざまな姿をさらしたばかりですので」
「ぬぅ……そう言われますな。どんな武人であろうと、不意を突かれれば脆いもの。ましてや、多勢に無勢ともなればなおのこと」
「気を遣っていただかなくても結構です。私になんて、そんな価値ないですから。……あなただって、本当はそう思っているんでしょう」
アルアは真っ黒な瞳でそう言うと、腕をだらりと垂らした。困ったエラゼムは、片手で兜を撫でた。
(ずいぶんと病んでおる)
だがそれも無理ないかと、エラゼムは思った。年端も行かぬ少女が、自分の実力に見合わぬ、大きすぎる目標の重さに潰れかかっている。図式にすれば簡単で、むしろそうならないほうがおかしいほどだった。
しかしそれを解決するとなると、とたんに難題になる。この状態をどうにかする力は自分にはないと、エラゼムは思った。
(しかし、それで見捨てては、我が主に顔向けできぬな)
自らの主である少年なら、困った顔でぶちぶち言いながらも、手を差し伸べるだろう。エラゼムはそこまでする気はなかったが、せめて助言をすることにした。
「アルア嬢。もしよろしければ、吾輩と一戦交えませぬか」
「はい?」
アルアは思い切り怪訝そうな顔をした。エラゼムは剣を持ってきていなかったので、代わりのその辺の枝を拾い上げる。
「対戦形式の訓練が、上達には最も良いと言われております。もちろん地道な基礎鍛錬があってこそですが、その点アルア嬢は、問題ありますまい」
「いえ、あの、そういうことではなくて……」
「それとも、吾輩では力不足でしょうか。ううむ、アルア嬢の目標である魔王よりは、確実に劣ってしまうでしょうな」
アルアは、この物言いにカチンときた。魔王を倒すつもりなのに、魔王以下の相手にすら勝てないのかと挑発された気がしたのだ。
「……いいでしょう。私としても、強者との試合は願ったり叶ったりです」
「それは光栄だ。では、始めるとしましょう」
「その前に、武器を取ってきては?そんな枝では、フェアでないでしょう」
「手加減のつもりはありません。そちらは先ほどまで訓練をしていた疲れがあります。その分を差し引けば、十分対等と存じます」
「……分かりました。では」
アルアは双剣を構え、足を肩幅に開いた。一方のエラゼムは、のんびりと枝を下ろして、まるで緊張感がない。
(……誘われている)
アルアはそう分析した。枝は細く貧弱で、長さもアルアの双剣より短い。が、それを持つエラゼムの腕を加味すると、リーチはあちらの方が上だ。いくら細っちい枝でも、急所を一突きされれば悶絶する。うかつに飛び込めば、やられるのはアルアの方だ。
(慎重に)
アルアは自分にそう言い聞かせ、じりじりとすり足で移動しながら、エラゼムの出方を伺った。
(ほう。さすが、飛び込んではこぬか)
ゆっくりと距離を測るアルアを見て、エラゼムは密かに感心した。初心者なら、この罠にかかって一瞬で切り伏せられるのだが。さすが、若くして傭兵稼業を営むだけのことはある。
(舐めてかかれば、やられるのはこちらの方か)
エラゼムもまた、十分に気合を入れ直した。
二人はじりじりと、円を描くように移動しながら睨みあう。一触即発とは、まさにこのことだ。
「っえぃあ!」
先に動いたのは、アルアだった。アルアは双剣の片方を、ナイフのようにエラゼムに投げつけた。まさか大事な得物を手放すとは思っていなかったエラゼムは、面食らいつつも、慣れた手つきで剣を枝で払った。
「そこっ!」
「っ!」
くんっ。エラゼムが持つ枝切れが、何かに引っかかったように動かなくなった。見れば、細い糸のようなものが絡みついている。その糸は、さっき払った剣の柄から伸び、アルアの手元へと繋がっていた。
(からくりが仕込まれていたか!)
エラゼムは糸を引きちぎろうとしたが、鉄糸でも織り込んであるのか、びくともしない。そのわずかなすきの間に、アルアはもう片方の剣を構えて、エラゼムに斬りかかった。
「はああぁぁ!」
その切っ先が、エラゼムの兜に突き立てられる寸前。アルアの体ががくんとくの字に折れ曲がり、後ろにぶっ飛んだ。エラゼムが足を振り上げ、蹴りを入れたのだ。
地面を転がったアルアは、それでもすぐに起き上がろうとした。だがエラゼムも、そのすきを見逃すほど甘くはなかった。ガンッ。
素早く間合いを詰めたエラゼムは、足でアルアの剣の腹を踏み付けた。剣は縫い付けられたように動かない。得物を失ったアルアの鼻先に、棒切れの先が突き付けられた。
「くっ……」
見下ろすエラゼムの姿が小山のように見えて、アルアは悔しさに唇を噛んだ。
「お見事でした」
足をどかすと、エラゼムが倒れたアルアに手を差し伸べた。だが悔しさでいっぱいのアルアは、その手を拒んで、自力で起き上がった。
「同情はよしてくださいと言ったでしょう!どうせ私は、この程度の実力しかありません!」
「いいえ、あの仕込み刀には驚かされました。並みの者が相手だったならば、歯が立たなかったでしょう」
「並の者なら?そうですね、それで十分かもしれませんね?でも私は、魔王を倒さなくちゃいけないんです!この程度じゃ、そんなこと夢のまた夢だ!」
アルアは半ば八つ当たり、半ば自暴自棄のように、激しく地団太を踏んだ。エラゼムはため息をつくと、棒を投げ捨てる。
「アルア嬢。その先はどうなるのです」
「は?」
「修練を重ね、魔王を倒し、それからあなたはどうなるのですか」
「はい……?まだ私は、魔王を倒せていません。その先のことなんて……」
「であれば、吾輩は一つ警告をさせていただきましょう。今のまま進めば、あなたは全てを失いますぞ」
「は?何を……?」
アルアには、エラゼムが何を言っているのか理解できなかった。だがエラゼムは、構わず話し続けた。
「今のあなたは、燃え盛る松明と同じだ。自らを燃やし、ゴウゴウと突き進むだけ。その火は山を焼くかもしれない。町を焦がすかもしれない。ですが最後には、何も残らない。アルア嬢、あなた自身もです」
「私も……?」
「ええ。間違いありませんな」
「……どうして、そんなことが」
困惑し、訝しむアルアに、エラゼムは両手を広げた。
「御覧なさい。吾輩こそ、その道を突き進んだものの末路です」
エラゼムは兜に手を伸ばすと、ガチャリとそれを外した。首から先がない鎧の中には、真っ黒な瘴気が渦巻いている。アルアは思わず後ずさった。
「これが、吾輩の正体です。無数の怨念、無数の無念が凝り固まった残り滓が、今の吾輩なのです」
「あなたが……?」
「かつての吾輩も、復讐と独善に駆られ、そしてすべてを失いました。今のあなたを見ていると、昔の自分を思い出してやまないのです」
エラゼムは、自分が生きていたころを思い出した。かつて彼は、自分より下の者や、劣っている者の気持ちを理解しようとはしなかった。それが、あの夜に繋がったのだと思っている。そしてアンデッドとなってからは、罪なき人々の命を数多奪ってしまった。もしも桜下に出会っていなかったならば、自分こそが第二の魔王になっていたかもしれないのだ。
「復讐をおやめなさい、とは言いませぬ。吾輩自身、そんな事が言えた立場ではありませんし、アルア嬢の生涯の目標を否定するようなことは致しません。しかし、あなたがあなたでありたいと願うのならば、自分を見失ってはいけません。燃える松明を握るのは、あくまでアルア嬢、あなた自身であるべきです」
アルアはぽかんと口を開けて、エラゼムの真っ黒な首の穴を見つめていた。すると、ちょうどエラゼムが話し終わったタイミングで、朝日が森に差し込んできた。エラゼムは兜を戻すと、山頂のあたり、桜下たちが野営している方を見る。
「そろそろ戻らねば。アルア嬢、長々と付き合わせてしまい、申し訳ございませんでした。この辺りで失礼させていただきます」
「あ……は、はい……」
アルアはなんとかそれだけ返した。エラゼムは軽く一礼をすると、再び山道を登り始める。その背中を、アルアは黙って見送るのみだった。
つづく
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読了ありがとうございました。
続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。
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まだ陽が昇り切ってもいない時間。滝から湧く朝靄は、辺りを乳白色に染めていた。
冷たい空気に、毛布にくるまった桜下はぶるっと震えた。まだ夢の中にいる彼は温もりを求めてか、無意識のうちに、同じ毛布で寝ていたライラを抱き寄せた。ライラは暖かな腕に抱かれたことで穏やかな寝顔になり、寝言で小さく「んふふ」と溢した。
さて、二人は夜を寝て過ごすが、それ以外のアンデッドは眠ることがない。全員が一緒に夜を過ごすこともあれば、各々がそれぞれの夜を過ごすこともある。今日は後者の日だった。
ゾンビの少女・フランは高い岩に昇って、朝日に色付きつつある、筋のような雲を眺めていた。だが実際には雲ではなく、己の内面を見つめている。今日の議題は、主に自身の行動について。先日、思いを寄せる少年に色仕掛けをした結果、見事に失敗した件について反省していたのだ。
幽霊シスター・ウィルは、朝の祈祷に勤しんでいた。最近は忘れられがちだが、彼女は幽霊になるまでは、神殿にて日々修練に励んでいたのだ。お世辞にも真面目ではなかったにせよ、長く共にしてきた習慣はそうそう抜けるものではない。時々思い出したように、神への祈りを捧げていた。
変態ヴァンパイア・アルルカは、素っ裸で滝つぼに沈んでいた。自分の美貌に絶対の自信を持つ彼女は、少しでも埃が付くことを嫌う。山歩きのせいで髪に染み付いてしまった土の匂いを落とそうと滝に当たったところ、水流に押されて沈んでしまったのだ。だが打ち付ける水の感覚がことのほか心地良くて、そのままになっていた。無理やり押さえつけられる感じがたまらないらしい。
ミイラの姫君・ロウランは、森の中を散歩していた。つい最近実体を取り戻した彼女には、外の景色はなんでも新鮮で、刺激的だった。長い事地底で暮らしていた彼女は、外というものを数えるくらいしか見たことがない。こうして自由に外界を歩けることは、それだけで無上の喜びを彼女にもたらした。
そして首なし騎士・エラゼムは、一晩中山を練り歩いて、そろそろ戻ろうとしているところだった。真面目な彼は、山中で少しでも食料を調達しようと、野草や木の実を採集して回っていたのだ。彼が現役の騎士だった頃は、遠征先で現地調達をすることもままあった。その経験を活かしたフィールドワークだった。
「む?」
山道を登っていたエラゼムは、前方から聞こえてくる物音に気付くと、兜をかしげた。はて、主がもう目を覚ましたのだろうか?だがその後に聞こえてきた、短い気合のような掛け声は、少女のものであった。
「はっ!やあっ!」
エラゼムがさらに歩を進めると、朝もやの中、木立の間に、双剣を素振りするアルアの姿があった。全身鎧姿のエラゼムが歩く足音は、遠くからでもよく聞こえる。アルアは剣を振る腕を止めて、彼の方へ振り返った。
「はぁ、ふぅ……おはようございます。ひょっとして、うるさかったですか」
「お早う御座います。いえ、そんなことは。吾輩たちは夜も眠らないので、山歩きをして戻ってきた所です。こちらこそ、鍛錬の邪魔をしてしまったのなら申し訳ない」
エラゼムが気まずそうに言うと、アルアはふるふると首を振った。
「いいえ、そんなことは。それに、もう終わりにするところでしたから」
「左様ですか。……それにしても、感心ですな。こうして毎朝訓練を?」
エラゼムとしては素直に褒めたつもりだったのだが、アルアは暗い顔をすると、ふっと自嘲気味に笑った。
「ええ。こうでもしないと、すぐに体がなまってしまいますから。ただでさえ、直近にあんなぶざまな姿をさらしたばかりですので」
「ぬぅ……そう言われますな。どんな武人であろうと、不意を突かれれば脆いもの。ましてや、多勢に無勢ともなればなおのこと」
「気を遣っていただかなくても結構です。私になんて、そんな価値ないですから。……あなただって、本当はそう思っているんでしょう」
アルアは真っ黒な瞳でそう言うと、腕をだらりと垂らした。困ったエラゼムは、片手で兜を撫でた。
(ずいぶんと病んでおる)
だがそれも無理ないかと、エラゼムは思った。年端も行かぬ少女が、自分の実力に見合わぬ、大きすぎる目標の重さに潰れかかっている。図式にすれば簡単で、むしろそうならないほうがおかしいほどだった。
しかしそれを解決するとなると、とたんに難題になる。この状態をどうにかする力は自分にはないと、エラゼムは思った。
(しかし、それで見捨てては、我が主に顔向けできぬな)
自らの主である少年なら、困った顔でぶちぶち言いながらも、手を差し伸べるだろう。エラゼムはそこまでする気はなかったが、せめて助言をすることにした。
「アルア嬢。もしよろしければ、吾輩と一戦交えませぬか」
「はい?」
アルアは思い切り怪訝そうな顔をした。エラゼムは剣を持ってきていなかったので、代わりのその辺の枝を拾い上げる。
「対戦形式の訓練が、上達には最も良いと言われております。もちろん地道な基礎鍛錬があってこそですが、その点アルア嬢は、問題ありますまい」
「いえ、あの、そういうことではなくて……」
「それとも、吾輩では力不足でしょうか。ううむ、アルア嬢の目標である魔王よりは、確実に劣ってしまうでしょうな」
アルアは、この物言いにカチンときた。魔王を倒すつもりなのに、魔王以下の相手にすら勝てないのかと挑発された気がしたのだ。
「……いいでしょう。私としても、強者との試合は願ったり叶ったりです」
「それは光栄だ。では、始めるとしましょう」
「その前に、武器を取ってきては?そんな枝では、フェアでないでしょう」
「手加減のつもりはありません。そちらは先ほどまで訓練をしていた疲れがあります。その分を差し引けば、十分対等と存じます」
「……分かりました。では」
アルアは双剣を構え、足を肩幅に開いた。一方のエラゼムは、のんびりと枝を下ろして、まるで緊張感がない。
(……誘われている)
アルアはそう分析した。枝は細く貧弱で、長さもアルアの双剣より短い。が、それを持つエラゼムの腕を加味すると、リーチはあちらの方が上だ。いくら細っちい枝でも、急所を一突きされれば悶絶する。うかつに飛び込めば、やられるのはアルアの方だ。
(慎重に)
アルアは自分にそう言い聞かせ、じりじりとすり足で移動しながら、エラゼムの出方を伺った。
(ほう。さすが、飛び込んではこぬか)
ゆっくりと距離を測るアルアを見て、エラゼムは密かに感心した。初心者なら、この罠にかかって一瞬で切り伏せられるのだが。さすが、若くして傭兵稼業を営むだけのことはある。
(舐めてかかれば、やられるのはこちらの方か)
エラゼムもまた、十分に気合を入れ直した。
二人はじりじりと、円を描くように移動しながら睨みあう。一触即発とは、まさにこのことだ。
「っえぃあ!」
先に動いたのは、アルアだった。アルアは双剣の片方を、ナイフのようにエラゼムに投げつけた。まさか大事な得物を手放すとは思っていなかったエラゼムは、面食らいつつも、慣れた手つきで剣を枝で払った。
「そこっ!」
「っ!」
くんっ。エラゼムが持つ枝切れが、何かに引っかかったように動かなくなった。見れば、細い糸のようなものが絡みついている。その糸は、さっき払った剣の柄から伸び、アルアの手元へと繋がっていた。
(からくりが仕込まれていたか!)
エラゼムは糸を引きちぎろうとしたが、鉄糸でも織り込んであるのか、びくともしない。そのわずかなすきの間に、アルアはもう片方の剣を構えて、エラゼムに斬りかかった。
「はああぁぁ!」
その切っ先が、エラゼムの兜に突き立てられる寸前。アルアの体ががくんとくの字に折れ曲がり、後ろにぶっ飛んだ。エラゼムが足を振り上げ、蹴りを入れたのだ。
地面を転がったアルアは、それでもすぐに起き上がろうとした。だがエラゼムも、そのすきを見逃すほど甘くはなかった。ガンッ。
素早く間合いを詰めたエラゼムは、足でアルアの剣の腹を踏み付けた。剣は縫い付けられたように動かない。得物を失ったアルアの鼻先に、棒切れの先が突き付けられた。
「くっ……」
見下ろすエラゼムの姿が小山のように見えて、アルアは悔しさに唇を噛んだ。
「お見事でした」
足をどかすと、エラゼムが倒れたアルアに手を差し伸べた。だが悔しさでいっぱいのアルアは、その手を拒んで、自力で起き上がった。
「同情はよしてくださいと言ったでしょう!どうせ私は、この程度の実力しかありません!」
「いいえ、あの仕込み刀には驚かされました。並みの者が相手だったならば、歯が立たなかったでしょう」
「並の者なら?そうですね、それで十分かもしれませんね?でも私は、魔王を倒さなくちゃいけないんです!この程度じゃ、そんなこと夢のまた夢だ!」
アルアは半ば八つ当たり、半ば自暴自棄のように、激しく地団太を踏んだ。エラゼムはため息をつくと、棒を投げ捨てる。
「アルア嬢。その先はどうなるのです」
「は?」
「修練を重ね、魔王を倒し、それからあなたはどうなるのですか」
「はい……?まだ私は、魔王を倒せていません。その先のことなんて……」
「であれば、吾輩は一つ警告をさせていただきましょう。今のまま進めば、あなたは全てを失いますぞ」
「は?何を……?」
アルアには、エラゼムが何を言っているのか理解できなかった。だがエラゼムは、構わず話し続けた。
「今のあなたは、燃え盛る松明と同じだ。自らを燃やし、ゴウゴウと突き進むだけ。その火は山を焼くかもしれない。町を焦がすかもしれない。ですが最後には、何も残らない。アルア嬢、あなた自身もです」
「私も……?」
「ええ。間違いありませんな」
「……どうして、そんなことが」
困惑し、訝しむアルアに、エラゼムは両手を広げた。
「御覧なさい。吾輩こそ、その道を突き進んだものの末路です」
エラゼムは兜に手を伸ばすと、ガチャリとそれを外した。首から先がない鎧の中には、真っ黒な瘴気が渦巻いている。アルアは思わず後ずさった。
「これが、吾輩の正体です。無数の怨念、無数の無念が凝り固まった残り滓が、今の吾輩なのです」
「あなたが……?」
「かつての吾輩も、復讐と独善に駆られ、そしてすべてを失いました。今のあなたを見ていると、昔の自分を思い出してやまないのです」
エラゼムは、自分が生きていたころを思い出した。かつて彼は、自分より下の者や、劣っている者の気持ちを理解しようとはしなかった。それが、あの夜に繋がったのだと思っている。そしてアンデッドとなってからは、罪なき人々の命を数多奪ってしまった。もしも桜下に出会っていなかったならば、自分こそが第二の魔王になっていたかもしれないのだ。
「復讐をおやめなさい、とは言いませぬ。吾輩自身、そんな事が言えた立場ではありませんし、アルア嬢の生涯の目標を否定するようなことは致しません。しかし、あなたがあなたでありたいと願うのならば、自分を見失ってはいけません。燃える松明を握るのは、あくまでアルア嬢、あなた自身であるべきです」
アルアはぽかんと口を開けて、エラゼムの真っ黒な首の穴を見つめていた。すると、ちょうどエラゼムが話し終わったタイミングで、朝日が森に差し込んできた。エラゼムは兜を戻すと、山頂のあたり、桜下たちが野営している方を見る。
「そろそろ戻らねば。アルア嬢、長々と付き合わせてしまい、申し訳ございませんでした。この辺りで失礼させていただきます」
「あ……は、はい……」
アルアはなんとかそれだけ返した。エラゼムは軽く一礼をすると、再び山道を登り始める。その背中を、アルアは黙って見送るのみだった。
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