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15章 燃え尽きた松明
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「やれやれ。また取り逃してしまったか」
ペトラは蹴られた腹をぽんぽんと叩くと、すっくと立ちあがった。剣を振って埃を払い、鞘に納めたところで、俺たちが茫然としていることに気が付いたようだ。
「どうした?奴はもう行ったぞ」
「いや……」
言葉が出てこない。一体、何がどうなっているんだ。どうしてマスカレードの顔が、フランとそっくりなんだ……?
「桜下さん……フランさんって、双子の兄弟がいたんですか?」
ウィルの半信半疑な質問に、俺は首を横に振った。
「俺の知る限り、フランは一人っ子だ。フランのばあちゃんもそう言ってた。フランの母さんは、出産してすぐに死んじまったはずだから、他に子どもはいないはずだ……」
「なら……どういうことなんでしょうか?」
「わかんねー……くそ、とにかく一度集まろう。俺たちだけで話しててもらちが明かない」
俺たちはフランのもとへと向かう。空中にいたアルルカも、戦闘が終わったので下りてきた。
「フラン……」
俺が呼びかけると、フランはばっと振り向いた。なんだか必死そうな顔だ。
「違う!わたしは、あいつとなんの繋がりもない!」
「え?ああ、わかってるって。落ち着けよ」
「ふぅー、ふぅー……」
フランは思ったより動揺しているようだ。うーん、この様子じゃ、フラン自身も寝耳に水だったんだろう。
「なんだお前たち、さっきから様子が変だな。なにがあった?」
ペトラが首をかしげながら、俺たちの後からやって来る。
「ペトラ……色々あり過ぎて、何から話せばいいのか分からないよ。とりあえず、あんたは大丈夫なのか?奴の蹴りを喰らってただろ」
「ああ、あばらが数本折れただけだ。放っておけば勝手にくっ付くだろう」
お、おいおい。あばら骨の骨折って、めちゃめちゃ痛いって聞いたことがあるけど。ほんとに大丈夫か?バトル漫画の主人公じゃないんだし……
けれどペトラはいたって平然としていた。
「それで、他には何に驚いている?」
「……とりあえず今一番びっくりなのは、奴の素顔だ。どうしてフランに似てるんだろうって」
「ふむ。そこの少女の顔だな」
ペトラがフランを見る。フランはむすっとした顔でペトラを睨み返した。
「なるほどな。奴はこの少女の力を模倣していたのか」
「は?模倣?」
俺が眉を顰めると、ペトラは「そうだ」とうなずく。
「あれは、あの者の素顔ではない。仮初の顔、仮初の姿だと思ったほうがいい」
「え……?」
「奴が闇の魔力の使い手だということは知っているな?」
「あ、ああ」
「そうだろうな、お前は奴の魔力に見事に対応していた。まず初見では対処できない攻撃だ。奴の魔法はあのように、通常の魔法とはきわめて性質が異なる。どれも危険で、強力な効果だ」
「ああ、聞いたことあるよ。万能の悪意って言われるんだっけ?」
「その通り。悪意や欲望に対して、闇の魔力は成就を約束してくれる。だからこそ厄介極まりないのだが……その中に、“フォローマーメイド”という魔法がある」
マーメイド?名前だけ聞くと、そんなに怖そうに思えないけど。するとライラが、あっと声を上げた。
「フォローマーメイド!そっか、あのまほーで……」
「ライラさん、それはどういう魔法なんですか?」とウィルが問いかける。
「フォローマーメイドのまほーはね、相手のことをそっくりそのままコピーできちゃうの」
「コピー?」
「うん。顔とか体とかの見た目もだし、その人の運動能力なんかも自分の物にできるんだよ」
「な、なんですかそれ。すべてを自分の物に……?」
ウィルの困惑もうなずける。俺だって信じられない。
「それは、つまり……マスカレードは、その魔法を使って、フランさんの力をコピーしていたってことですか?」
「たぶん。だから、顔がフランとおんなじだったんだ」
フランをコピー?冗談みたいな話だが、一部はそれで筋が通る。マスカレードの怪力は、俺たちもよく知るところだけど、その力はフランにも“匹敵”するほどだった。それに顔が鏡写しなのも、本人を模倣したのなら当然だ……写し取られた側のフランは、心底気持ち悪そうに身震いしている。
「フォローマーメイドは、厄介な魔法だ」
ペトラはライラの説明にうなずきながら、自分も口を添える。
「あの魔法を使えば、この世のあらゆる技術を自分の物にできる。例外として、魂に由来する属性魔法だけは使えないようだが、それでも十分強力だ。単純に、他人そっくりに化けられるというだけでも、悪用法の十や二十は簡単に挙げられるな」
他人そっくりに……もしもマスカレードが仮面を外して、フランの姿でやってきたら、俺は見抜けていただろうか?もし信じてしまったら、俺はフランの顔に殺されることになる。それで真実に気付ければまだいいが、闇の魔力の存在を知らない人だったなら……その人は、愛する人に突然刺されたと思うはずだ。
「……くそみてぇな魔法だな」
「まったくだ。闇の魔法に、まともなものなどありはしない。なにせ、悪意を叶える為の魔法なのだから。だが、その代償は高くつく。きっと奴は、まともな最期を迎えられんだろう……」
せめてそうであってくれと、願うことしかできない。危険すぎるぞ、あの野郎……
「とまあ、そういうわけだ。奴の素顔は別にある。さっき見たものは幻に過ぎない。さっさと忘れてしまえ」
なるほど。ペトラが全く動揺していなかったのは、このことを最初から知っていたからだったのか。マスカレードは仮面を付けてはいたけれど、その下に素顔があったわけじゃなかったんだ。
「ふぅー……わかった、まだ全然受け入れられてないけど、とりあえず納得するよ。でも、なら次はあんただぜ、ペトラ。どうして俺たちがここにいるって分かったんだ?」
ペトラは俺たちと一緒に戦ってくれたけど、その目的は謎のまま。たまたまこの近くにいて、たまたま俺とマスカレードが交戦しているところに出くわしたってのは、いくらなんでも出来過ぎだろ。
「うん?違うな、そうじゃない。お前たちではなく、あの仮面を追っていたんだ」
「え?」
ペトラも、マスカレードを?
「あ。あんたたちって、確か一度戦ってるんだよな?呪いの森でさ」
「ああ、そうだ。お前たちもあそこに行ったか?いずれ来るだろうと、書置きを残しておいたのだが」
「七つの魔境の地図だろ?ばっちり見つけてるぜ」
するとペトラは、「そうか」と満足そうに微笑んだ。やっぱりあの地図は、ペトラが残したものだったんだな。
「あやつは、私と同じく魔境を回っているようでな。だが、目的は全く違う。私が墓参りだとすれば、あやつの目的は墓荒らしだ」
「墓荒らし……だから、奴を追ってここまで?」
「そうだ。奴はどうにも臭い。叩かなくともポンポン埃の出るような人間だ。それに奴を追い始めてから、西が騒がしくなりつつあるのも気がかりでな……」
「西?西って、もしかして……魔王のことか?」
「うむ。そう言えば桜下、お前は元勇者だったな……」
するとペトラは、憂いを秘めたような瞳で俺を見た。
「……桜下。お前は、戦場へ向かうのか?」
「俺?いや、そのつもりはないよ。もう勇者じゃないんだし」
「そうか。だが、いちおう警告しておくぞ。此度の戦、以前のようには行かないかもしれない」
「え……?」
「そっ、それは!どういう意味ですか!」
お、お?今までずっと黙っていたアルアが、俺を押し退けて前に出る。
「あなたは、魔王軍のことを知っているの?いったいどこで情報を!?」
「桜下、この娘は?また新たな仲間か?」
「あいや、今だけの案内人なんだ。傭兵でさ、戦争に行くかもしれないんだ」
「そうか。残念だが、娘よ。一傭兵ごときに話せることは、私は持ち合わせていない。よってお前の質問には答えない」
「なっ……」
アルアは口をパクパクさせている。怒りと驚きとで、言葉が出てこないようだ。ペトラはアルアを無視して、俺に向き直った。
「桜下よ」
「は、はい」
「お前は以前、自由のために旅をしていると言ったな。私はあれが、ずいぶんと気に入ったんだ。だが残念だが、この世のすべての人間が、お前のように考えるわけではないらしい」
「え?どういう……」
「近いうちに、全ての自由を取りあげんとする者が現れるかもしれない。その発端が、西での戦だ」
「え、え?だからそいつが、魔王なんじゃないのか……?」
「いいや、あるいは魔王よりもっと……」
ど、ど、どういうことだ?魔王よりさらにヤバイやつがいるってのかよ?一体、誰なんだそりゃ!俺は頭がこんがらがって、視界がくらくらしてきた。
「桜下。よく目を凝らすんだ。いつどこで始まっても、見逃さんようにな」
ペトラはまたわけの分からないことを言うと、さっと森の方へ振り返り、ピィー!と口笛を吹いた。すぐに茂みをかき分け、やせ細った姿の黒馬が姿を現す。いつかに見た、ペトラの愛馬だ。ペトラはひらりと黒馬にまたがった。
「え、あ、おい!ちょっと待ってくれ、もう行くのか?」
「ああ。奴を追わねばならない。まだかすかに、奴の魔法の残滓が残っている。これが消える前に出発しなくては」
「でも、もう少し話を……」
「いや、今できる話は全て伝えた。後はそなた次第だ、桜下。私が残した言葉を、よく考えてくれ」
そう言われちゃ、もう何も言えなかった。ペトラは最後に、俺たち全員の顔を見回した。
「いずれまた会えるだろう。お前たちがお前たちの道を行き、私が私の道を行くのであれば。その時まで、しばしの別れだ」
そう言い残すと、ペトラを乗せた黒馬は力強くいななき、猛スピードで走り出した。黒い女旅人は、あっと言う間に遠ざかって行ってしまった。
つづく
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続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。
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ペトラは蹴られた腹をぽんぽんと叩くと、すっくと立ちあがった。剣を振って埃を払い、鞘に納めたところで、俺たちが茫然としていることに気が付いたようだ。
「どうした?奴はもう行ったぞ」
「いや……」
言葉が出てこない。一体、何がどうなっているんだ。どうしてマスカレードの顔が、フランとそっくりなんだ……?
「桜下さん……フランさんって、双子の兄弟がいたんですか?」
ウィルの半信半疑な質問に、俺は首を横に振った。
「俺の知る限り、フランは一人っ子だ。フランのばあちゃんもそう言ってた。フランの母さんは、出産してすぐに死んじまったはずだから、他に子どもはいないはずだ……」
「なら……どういうことなんでしょうか?」
「わかんねー……くそ、とにかく一度集まろう。俺たちだけで話しててもらちが明かない」
俺たちはフランのもとへと向かう。空中にいたアルルカも、戦闘が終わったので下りてきた。
「フラン……」
俺が呼びかけると、フランはばっと振り向いた。なんだか必死そうな顔だ。
「違う!わたしは、あいつとなんの繋がりもない!」
「え?ああ、わかってるって。落ち着けよ」
「ふぅー、ふぅー……」
フランは思ったより動揺しているようだ。うーん、この様子じゃ、フラン自身も寝耳に水だったんだろう。
「なんだお前たち、さっきから様子が変だな。なにがあった?」
ペトラが首をかしげながら、俺たちの後からやって来る。
「ペトラ……色々あり過ぎて、何から話せばいいのか分からないよ。とりあえず、あんたは大丈夫なのか?奴の蹴りを喰らってただろ」
「ああ、あばらが数本折れただけだ。放っておけば勝手にくっ付くだろう」
お、おいおい。あばら骨の骨折って、めちゃめちゃ痛いって聞いたことがあるけど。ほんとに大丈夫か?バトル漫画の主人公じゃないんだし……
けれどペトラはいたって平然としていた。
「それで、他には何に驚いている?」
「……とりあえず今一番びっくりなのは、奴の素顔だ。どうしてフランに似てるんだろうって」
「ふむ。そこの少女の顔だな」
ペトラがフランを見る。フランはむすっとした顔でペトラを睨み返した。
「なるほどな。奴はこの少女の力を模倣していたのか」
「は?模倣?」
俺が眉を顰めると、ペトラは「そうだ」とうなずく。
「あれは、あの者の素顔ではない。仮初の顔、仮初の姿だと思ったほうがいい」
「え……?」
「奴が闇の魔力の使い手だということは知っているな?」
「あ、ああ」
「そうだろうな、お前は奴の魔力に見事に対応していた。まず初見では対処できない攻撃だ。奴の魔法はあのように、通常の魔法とはきわめて性質が異なる。どれも危険で、強力な効果だ」
「ああ、聞いたことあるよ。万能の悪意って言われるんだっけ?」
「その通り。悪意や欲望に対して、闇の魔力は成就を約束してくれる。だからこそ厄介極まりないのだが……その中に、“フォローマーメイド”という魔法がある」
マーメイド?名前だけ聞くと、そんなに怖そうに思えないけど。するとライラが、あっと声を上げた。
「フォローマーメイド!そっか、あのまほーで……」
「ライラさん、それはどういう魔法なんですか?」とウィルが問いかける。
「フォローマーメイドのまほーはね、相手のことをそっくりそのままコピーできちゃうの」
「コピー?」
「うん。顔とか体とかの見た目もだし、その人の運動能力なんかも自分の物にできるんだよ」
「な、なんですかそれ。すべてを自分の物に……?」
ウィルの困惑もうなずける。俺だって信じられない。
「それは、つまり……マスカレードは、その魔法を使って、フランさんの力をコピーしていたってことですか?」
「たぶん。だから、顔がフランとおんなじだったんだ」
フランをコピー?冗談みたいな話だが、一部はそれで筋が通る。マスカレードの怪力は、俺たちもよく知るところだけど、その力はフランにも“匹敵”するほどだった。それに顔が鏡写しなのも、本人を模倣したのなら当然だ……写し取られた側のフランは、心底気持ち悪そうに身震いしている。
「フォローマーメイドは、厄介な魔法だ」
ペトラはライラの説明にうなずきながら、自分も口を添える。
「あの魔法を使えば、この世のあらゆる技術を自分の物にできる。例外として、魂に由来する属性魔法だけは使えないようだが、それでも十分強力だ。単純に、他人そっくりに化けられるというだけでも、悪用法の十や二十は簡単に挙げられるな」
他人そっくりに……もしもマスカレードが仮面を外して、フランの姿でやってきたら、俺は見抜けていただろうか?もし信じてしまったら、俺はフランの顔に殺されることになる。それで真実に気付ければまだいいが、闇の魔力の存在を知らない人だったなら……その人は、愛する人に突然刺されたと思うはずだ。
「……くそみてぇな魔法だな」
「まったくだ。闇の魔法に、まともなものなどありはしない。なにせ、悪意を叶える為の魔法なのだから。だが、その代償は高くつく。きっと奴は、まともな最期を迎えられんだろう……」
せめてそうであってくれと、願うことしかできない。危険すぎるぞ、あの野郎……
「とまあ、そういうわけだ。奴の素顔は別にある。さっき見たものは幻に過ぎない。さっさと忘れてしまえ」
なるほど。ペトラが全く動揺していなかったのは、このことを最初から知っていたからだったのか。マスカレードは仮面を付けてはいたけれど、その下に素顔があったわけじゃなかったんだ。
「ふぅー……わかった、まだ全然受け入れられてないけど、とりあえず納得するよ。でも、なら次はあんただぜ、ペトラ。どうして俺たちがここにいるって分かったんだ?」
ペトラは俺たちと一緒に戦ってくれたけど、その目的は謎のまま。たまたまこの近くにいて、たまたま俺とマスカレードが交戦しているところに出くわしたってのは、いくらなんでも出来過ぎだろ。
「うん?違うな、そうじゃない。お前たちではなく、あの仮面を追っていたんだ」
「え?」
ペトラも、マスカレードを?
「あ。あんたたちって、確か一度戦ってるんだよな?呪いの森でさ」
「ああ、そうだ。お前たちもあそこに行ったか?いずれ来るだろうと、書置きを残しておいたのだが」
「七つの魔境の地図だろ?ばっちり見つけてるぜ」
するとペトラは、「そうか」と満足そうに微笑んだ。やっぱりあの地図は、ペトラが残したものだったんだな。
「あやつは、私と同じく魔境を回っているようでな。だが、目的は全く違う。私が墓参りだとすれば、あやつの目的は墓荒らしだ」
「墓荒らし……だから、奴を追ってここまで?」
「そうだ。奴はどうにも臭い。叩かなくともポンポン埃の出るような人間だ。それに奴を追い始めてから、西が騒がしくなりつつあるのも気がかりでな……」
「西?西って、もしかして……魔王のことか?」
「うむ。そう言えば桜下、お前は元勇者だったな……」
するとペトラは、憂いを秘めたような瞳で俺を見た。
「……桜下。お前は、戦場へ向かうのか?」
「俺?いや、そのつもりはないよ。もう勇者じゃないんだし」
「そうか。だが、いちおう警告しておくぞ。此度の戦、以前のようには行かないかもしれない」
「え……?」
「そっ、それは!どういう意味ですか!」
お、お?今までずっと黙っていたアルアが、俺を押し退けて前に出る。
「あなたは、魔王軍のことを知っているの?いったいどこで情報を!?」
「桜下、この娘は?また新たな仲間か?」
「あいや、今だけの案内人なんだ。傭兵でさ、戦争に行くかもしれないんだ」
「そうか。残念だが、娘よ。一傭兵ごときに話せることは、私は持ち合わせていない。よってお前の質問には答えない」
「なっ……」
アルアは口をパクパクさせている。怒りと驚きとで、言葉が出てこないようだ。ペトラはアルアを無視して、俺に向き直った。
「桜下よ」
「は、はい」
「お前は以前、自由のために旅をしていると言ったな。私はあれが、ずいぶんと気に入ったんだ。だが残念だが、この世のすべての人間が、お前のように考えるわけではないらしい」
「え?どういう……」
「近いうちに、全ての自由を取りあげんとする者が現れるかもしれない。その発端が、西での戦だ」
「え、え?だからそいつが、魔王なんじゃないのか……?」
「いいや、あるいは魔王よりもっと……」
ど、ど、どういうことだ?魔王よりさらにヤバイやつがいるってのかよ?一体、誰なんだそりゃ!俺は頭がこんがらがって、視界がくらくらしてきた。
「桜下。よく目を凝らすんだ。いつどこで始まっても、見逃さんようにな」
ペトラはまたわけの分からないことを言うと、さっと森の方へ振り返り、ピィー!と口笛を吹いた。すぐに茂みをかき分け、やせ細った姿の黒馬が姿を現す。いつかに見た、ペトラの愛馬だ。ペトラはひらりと黒馬にまたがった。
「え、あ、おい!ちょっと待ってくれ、もう行くのか?」
「ああ。奴を追わねばならない。まだかすかに、奴の魔法の残滓が残っている。これが消える前に出発しなくては」
「でも、もう少し話を……」
「いや、今できる話は全て伝えた。後はそなた次第だ、桜下。私が残した言葉を、よく考えてくれ」
そう言われちゃ、もう何も言えなかった。ペトラは最後に、俺たち全員の顔を見回した。
「いずれまた会えるだろう。お前たちがお前たちの道を行き、私が私の道を行くのであれば。その時まで、しばしの別れだ」
そう言い残すと、ペトラを乗せた黒馬は力強くいななき、猛スピードで走り出した。黒い女旅人は、あっと言う間に遠ざかって行ってしまった。
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