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16章 奪われた姫君
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その日の夜のこと。水筒が空になっていることに気付いた俺は、眠る前に水をもらいに、連合軍の糧秣部隊を訪ねた。夜分の訪問にも快く対応してくれ、重くなった水筒を手に戻ってきた、その帰り道の出来事だった。
「ん……?いま、なにかが……」
俺は頭上を見上げた。星の瞬く夜空が広がっているが、そこを半透明の何かが横切っていく。
「ウィル?」
「あれ?桜下さん?」
ウィルも俺に気付いていなかったようで、びっくりした声を出した。ふわふわと空から降りてきたが、何となく気まずそうな顔をしているような。
「桜下さん、どうしてこんなところに?さっき毛布に潜っていませんでしたか」
「ああ。その前に水を飲もうと思ったら、ちょうど切らしちゃっててさ。貰いに行ってきたところなんだ」
「ああ、そうだったんですか……」
俺とライラが寝床につくと、ウィルはすぐに外に出て行ってたっけか?眠らないアンデッドは、めいめいで夜を過ごすことを知っていたので、特に気にもしなかったのだけれど。
「ウィル、ひょっとして、どっか行くところだったのか?」
「えっと、まあ、少し……町に、行こうかと」
町?彼女が夜な夜な、夜に向かう所といったら、一つしか思いつかない。
「ひょっとして、あのアクセサリー屋に?」
「うっ。あ、あはは。やっぱりバレますか……」
やっぱそうか。昼間見た、ガラス細工を売っていた店。なぜそこかと思ったかって、ウィルは前もこうして、自分の父親を捜しに出かけていたからだ。彼女の父親のことは、名前と、ガラス細工を作る職人だったことしか分からない。だから昼間のあの店は、調べる価値が十分にあったんだ。
「でもウィル、お前昼間は、特になんも言わなかったじゃないか」
あん時ウィルは、特にそれらしいリアクションはしていなかった。けど実際、こうしているってことは、本当は気になっていたんじゃないか。
「なんで夜に、コソコソしながら行くんだ?あの場で言ってくれればよかったのに」
「うう、そうなんですけど……はぁ」
ウィルは観念したように、ため息を一つつく。
「……正直いいますと。最近はもうどうでもいいやって、なりつつあったんです」
「え?お父さんを探すのが、か?」
「はい。以前の私のアイデンティティは、それだけしかありませんでした。村から離れ、コマース村のウィルは、ただのウィルになりました。特技も力もなくて、自分という存在がすごくちっぽけに見えて」
そうだったな。ウィルが抱えていた悩みは知っている。王都で、彼女の心を見た時から。
「だから、目に見える繋がりが欲しかったんです……たとえ、自分を捨てた、最低の父親でも。その人を憎むことで、自分を確立しようとして……あはは、今考えると、だいぶ危ない理由ですね」
以前ウィルは、父親に会いたいとも、二度と会いたくないとも言っていた。複雑なんだろう、その辺は。
「でも、娘が父親を捜すのは、別におかしなことじゃないだろ」
「ええ、そうですね。でも、当時の私は、そうは思えなかったんです。恨んでいる相手を、自分から探し求めてなんかいけないって……もっと気楽に父を探せるようになったのは、桜下さんに家族になろうって言われてからですね」
「ああ、そう言われれば……」
ウィルが夜な夜な町を散策しだしたのは、ちょうどそれくらいの頃だったかもしれない。フランにそっとしておいてやれと言われたことを覚えている。
「なら、今は?念のため言っとくけど、問い詰めたいわけじゃないからな」
「ええ、分かってますよ。心配してくれてるんですよね。ただ正直、ほんとうに、前ほどの熱意は感じなくなってきているんです。別にいっかって思っているのは、嘘じゃありません」
ウィルの表情は、本当に普段通りのウィルだった。憎悪だとかの暗い雰囲気は全くない。
「だから、本当はコソコソする必要もないって、分かっているんですが。なんでしょう、何となく、いけないことをしている気分、なんですかね。上手く言えませんが」
うーん。ウィルがうまく言えないなら、きっと俺にも分からない。けど、そんなもんなのかもしれないな。心の根っこの部分に絡まったことっていうのは。
「そうだったんだな。でも、もう探さなくていいやってなったのは、なんでなんだ?」
ウィルは、俺のおかげで気楽に探せるようになったと言った。そんなら、むしろ熱心になってもよさそうなものなのに。
「なんでって……くすっ。それは、桜下さん。あなたのせいですよ?」
「へ?俺?」
きょとんとする俺に、ウィルはおかしそうにくすくす笑う。
「気付いてないんですか?私が父にこだわらなくなったのは、もっと大きな出来事があったからですよ」
「ええっと……その感じだと、たぶん、俺が関係してるんだよな?」
「ええ。はじめ私は、誰でもないウィルでした。それからコマース村のウィルになって、またただのウィルになって。そして……桜下さんに出会って、恋を、しました」
うっ。どきりと、心臓が高鳴る。
「私はただのウィルから、あなたのウィルになれました。だから、です」
くっ……こういう恥ずかしいことを、よくまっすぐに言えるよな。ウィルは思い出すように瞳を伏せると、自分の胸に手を重ねた。
「あの時、桜下さんに家族になろうって言われて、ほんとうに嬉しかったんです。私が欲しくてたまらなかったものを、あなたはプレゼントしてくれた……あの時から、私の中の父への思いは、薄らいでいったんだと思います」
「そ、そうか……それは、あれだな。喜ぶべきなのか、申し訳なく思うべきなのか」
「ふふ、喜んでください。思いって言っても、大半は恨みつらみです。忘れたほうがよかったんですよ。だから今残っているのは、単なる好奇心くらいなんです。いっぺんツラを見てやろー、みたいな」
ウィルが冗談めかして笑ったので、俺も一緒になって笑った。
「ははは。まあ、わかったよ。ウィルがそう思うなら、いちいち声を掛けなくていいから。引き留めて悪かったな」
「そんな。むしろ、話せてよかったです。誰かに話せて、すこし気分が軽くなりました。ちょっとだけ、後ろめたさもあったので」
「そうか?」
「はい。では……ちょこっと、行ってきますね。おやすみなさい、桜下さん」
ウィルはぺこりと礼をすると、ふわふわ浮かんで、町の方へと消えていった。
(あなたのウィル、か……)
ウィルのやつ、そんな風に思っていたんだ……なんだろう、体の底がムズムズする。ひょっとしたらクラークは、こんな気持ちの中で、コルルに手を出してしまったんだろうか。うーむ、それなら俺も、十分に気を付けないといけないな……
(ウィルが幽霊でよかった)
彼女に実体があったら、俺はたまらず、抱きしめていたかもしれないから。
つづく
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読了ありがとうございました。
続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。
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俺は頭上を見上げた。星の瞬く夜空が広がっているが、そこを半透明の何かが横切っていく。
「ウィル?」
「あれ?桜下さん?」
ウィルも俺に気付いていなかったようで、びっくりした声を出した。ふわふわと空から降りてきたが、何となく気まずそうな顔をしているような。
「桜下さん、どうしてこんなところに?さっき毛布に潜っていませんでしたか」
「ああ。その前に水を飲もうと思ったら、ちょうど切らしちゃっててさ。貰いに行ってきたところなんだ」
「ああ、そうだったんですか……」
俺とライラが寝床につくと、ウィルはすぐに外に出て行ってたっけか?眠らないアンデッドは、めいめいで夜を過ごすことを知っていたので、特に気にもしなかったのだけれど。
「ウィル、ひょっとして、どっか行くところだったのか?」
「えっと、まあ、少し……町に、行こうかと」
町?彼女が夜な夜な、夜に向かう所といったら、一つしか思いつかない。
「ひょっとして、あのアクセサリー屋に?」
「うっ。あ、あはは。やっぱりバレますか……」
やっぱそうか。昼間見た、ガラス細工を売っていた店。なぜそこかと思ったかって、ウィルは前もこうして、自分の父親を捜しに出かけていたからだ。彼女の父親のことは、名前と、ガラス細工を作る職人だったことしか分からない。だから昼間のあの店は、調べる価値が十分にあったんだ。
「でもウィル、お前昼間は、特になんも言わなかったじゃないか」
あん時ウィルは、特にそれらしいリアクションはしていなかった。けど実際、こうしているってことは、本当は気になっていたんじゃないか。
「なんで夜に、コソコソしながら行くんだ?あの場で言ってくれればよかったのに」
「うう、そうなんですけど……はぁ」
ウィルは観念したように、ため息を一つつく。
「……正直いいますと。最近はもうどうでもいいやって、なりつつあったんです」
「え?お父さんを探すのが、か?」
「はい。以前の私のアイデンティティは、それだけしかありませんでした。村から離れ、コマース村のウィルは、ただのウィルになりました。特技も力もなくて、自分という存在がすごくちっぽけに見えて」
そうだったな。ウィルが抱えていた悩みは知っている。王都で、彼女の心を見た時から。
「だから、目に見える繋がりが欲しかったんです……たとえ、自分を捨てた、最低の父親でも。その人を憎むことで、自分を確立しようとして……あはは、今考えると、だいぶ危ない理由ですね」
以前ウィルは、父親に会いたいとも、二度と会いたくないとも言っていた。複雑なんだろう、その辺は。
「でも、娘が父親を捜すのは、別におかしなことじゃないだろ」
「ええ、そうですね。でも、当時の私は、そうは思えなかったんです。恨んでいる相手を、自分から探し求めてなんかいけないって……もっと気楽に父を探せるようになったのは、桜下さんに家族になろうって言われてからですね」
「ああ、そう言われれば……」
ウィルが夜な夜な町を散策しだしたのは、ちょうどそれくらいの頃だったかもしれない。フランにそっとしておいてやれと言われたことを覚えている。
「なら、今は?念のため言っとくけど、問い詰めたいわけじゃないからな」
「ええ、分かってますよ。心配してくれてるんですよね。ただ正直、ほんとうに、前ほどの熱意は感じなくなってきているんです。別にいっかって思っているのは、嘘じゃありません」
ウィルの表情は、本当に普段通りのウィルだった。憎悪だとかの暗い雰囲気は全くない。
「だから、本当はコソコソする必要もないって、分かっているんですが。なんでしょう、何となく、いけないことをしている気分、なんですかね。上手く言えませんが」
うーん。ウィルがうまく言えないなら、きっと俺にも分からない。けど、そんなもんなのかもしれないな。心の根っこの部分に絡まったことっていうのは。
「そうだったんだな。でも、もう探さなくていいやってなったのは、なんでなんだ?」
ウィルは、俺のおかげで気楽に探せるようになったと言った。そんなら、むしろ熱心になってもよさそうなものなのに。
「なんでって……くすっ。それは、桜下さん。あなたのせいですよ?」
「へ?俺?」
きょとんとする俺に、ウィルはおかしそうにくすくす笑う。
「気付いてないんですか?私が父にこだわらなくなったのは、もっと大きな出来事があったからですよ」
「ええっと……その感じだと、たぶん、俺が関係してるんだよな?」
「ええ。はじめ私は、誰でもないウィルでした。それからコマース村のウィルになって、またただのウィルになって。そして……桜下さんに出会って、恋を、しました」
うっ。どきりと、心臓が高鳴る。
「私はただのウィルから、あなたのウィルになれました。だから、です」
くっ……こういう恥ずかしいことを、よくまっすぐに言えるよな。ウィルは思い出すように瞳を伏せると、自分の胸に手を重ねた。
「あの時、桜下さんに家族になろうって言われて、ほんとうに嬉しかったんです。私が欲しくてたまらなかったものを、あなたはプレゼントしてくれた……あの時から、私の中の父への思いは、薄らいでいったんだと思います」
「そ、そうか……それは、あれだな。喜ぶべきなのか、申し訳なく思うべきなのか」
「ふふ、喜んでください。思いって言っても、大半は恨みつらみです。忘れたほうがよかったんですよ。だから今残っているのは、単なる好奇心くらいなんです。いっぺんツラを見てやろー、みたいな」
ウィルが冗談めかして笑ったので、俺も一緒になって笑った。
「ははは。まあ、わかったよ。ウィルがそう思うなら、いちいち声を掛けなくていいから。引き留めて悪かったな」
「そんな。むしろ、話せてよかったです。誰かに話せて、すこし気分が軽くなりました。ちょっとだけ、後ろめたさもあったので」
「そうか?」
「はい。では……ちょこっと、行ってきますね。おやすみなさい、桜下さん」
ウィルはぺこりと礼をすると、ふわふわ浮かんで、町の方へと消えていった。
(あなたのウィル、か……)
ウィルのやつ、そんな風に思っていたんだ……なんだろう、体の底がムズムズする。ひょっとしたらクラークは、こんな気持ちの中で、コルルに手を出してしまったんだろうか。うーむ、それなら俺も、十分に気を付けないといけないな……
(ウィルが幽霊でよかった)
彼女に実体があったら、俺はたまらず、抱きしめていたかもしれないから。
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