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16章 奪われた姫君
11-2
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11-2
ロアと、魔族ドルトヒェンが言葉を交わしていたころ……
「馬に乗るのも久しぶりだな」
「桜下、乗り方ちゃんと覚えてる?」
「あたぼうよ。あれだけ苦労したからな、そうそう忘れないさ」
俺はストームスティードの手綱を引きながら、前に乗るライラと話をしている。でも、馬での移動は本当に久々だ。最近はずっと馬車での旅だったからな。
魔王の城への旅路は、ぬかるんだ湿地帯へと差し掛かったところだった。砂漠を越えた先にこんな湿潤な土地が広がっているだなんて、驚きだ。ただ、うろたえたのは俺だけじゃなかった。連合軍の指揮官方々も、てんてこ舞いで対応を迫られることとなってしまったのだ。
果たしてその理由とは、馬車や荷車の車輪が、ぬかるんだ地面にことごとく埋まってしまったことに他ならない。何人もの屈強な兵士が後ろから押しても、車輪は空回りするばかりでちっとも前に進まない。しまいには人も馬も疲れ果ててしまうありさまだ。
だが、これ自体は、連合軍としても想定の範囲内だった。そら当たり前だ、俺たちはここよりもずっと足場の悪い、大砂漠を越えてきたばかり。その時に取った対策を、まるまま流用可能な場面だった。つまり、魔術師が魔法で地面を固めて、道を作ればよかったのだ。
よかったのだが……
「まほーが使えない?」
今から三十分ほど前のことだ。ライラがきょとんとして、小首をかしげた。
「ああ。話を聞く限りじゃな」
兵士たちが焦った顔でそう口走っているのを、俺は確かに聞いた。ライラは首をかしげたまま、口をぶつぶつと動かす。
「そうかなぁ……ファイアフライ」
ポンポンポン。ライラが素早く呪文を唱えると、蛍光色の火の玉があたりに浮かんだ。
「使えるよ?」
「うーん、俺も詳しいことは分かんないんだけど。なんか、この辺の土地は土着の魔力?みたいなのがすごく濃いらしいんだ。そのせいで、上手く魔法が制御できないんだってさ」
俺には雲を掴むような話にしか聞こえなかったのだが、とにかくそういう事らしい。いわく、ここは人間の王国ではなく、魔王の支配権。人知を越えた現象や、理不尽極まる事態に直面しても、何ら不思議はないそうだ……
「早い話、ここら一帯は、そういう場所なんだってさ」
「ふーん……?」
すると、横で話を聞いていたウィルが、自分もロッドを握って呪文を唱え始める。
「ぬーん……ファイアフライ!」
ぽしゅん。ずいぶん気の抜けた音と共に、今にも消えそうな火の玉が一つだけ、なんとか浮かび上がる。
「うわ、ほんとです。ものすごいノイズが混じってるみたいで、上手く集中できません……!」
「やっぱり、そうなのか。連合軍の魔術師も、軒並みダメみたいだぞ。でも、それじゃあ、ライラは……?」
「ふふん。ライラは大まほーつかいだからね!」
ふんぞり返るライラ。俺はよしよししてやった。反対に、ウィルは深刻そうな顔をする。
「それなら、この先ライラさん以外、魔法は一切抜きってことですか?」
「そうだよなぁ、だとしたらシャレにならんが……いちおう、あくまで一時的なもののはずだ、とは聞いたけど。うまくこっちの環境にチューニングできれば、また使えるようになるはずだって」
「よかった……なら、私もそれに励まないとですね」
「ちなみに、俺はよく分かんないんだけど。それって、どれくらいで出来そうなんだ?」
「うーん……初めてなので何とも言えませんが、そんなにすぐには無理だと思います。今までの撃ち方に慣れ過ぎてますから、それを一から調整し直すと思うと……」
ああ、そう聞くと確かに、大変そうだ。と、ロウランが屈みこんで、ブーツについてしまった泥を包帯で払いながら言う。
「でも、それならこの先、どうやって進むの?まさか、ずーっと歩いてくなんて言わないよね?」
「ま、その可能性も否定できないけど」
「あーん、嫌なの~!せっかくダーリンに貰った靴が汚れちゃうよ!」
「そりゃお前、少しは我慢しないと……でも、ずっと歩きなのはさすがにしんどいな」
俺は足下を見下ろす。草がまばらに生えた湿地は、こうしてただ突っ立っているだけでも、ずぶずぶ二センチほど沈むくらいだ。ここを延々歩いて行くなんて、あまり想像したくない。
連合軍も、それは考慮したみたいだ。最終的に、少数の騎兵部隊が編成された。足の太い、たくましい騎馬がずらりと並ぶさまは壮観だ。その中には、立派な鎧に身を包んだ、エドガーの姿もある。
この沼地を、徒歩で進むことはまず無理。周りが山で囲まれているので、迂回も困難。だが、荷車に積まれた兵糧を破棄しては、どっちみち遠からず全滅。しかししかし、魔術師がカンを取り戻すのを待っていては、進軍が致命的に遅れるのは必至……
苦肉の策でひねり出されたのが、少数の部隊が先行し、安全を事前に確保。魔術師が魔法を使えるようになり次第、そこを全速力で駆けて追いつくという計画だった。ようは、この前のフィドラーズグリーン戦線での動きを、そのまま繰り返そうってわけだ。
「少数精鋭ってわけですね……私たちもそちらに?」
「ああ、そういう要請が来た。それに、今回は俺たちだけじゃないぜ。各国の勇者様もご同行なさるそうだ。動かせる駒は全部動かそうってつもりらしいな」
そして今、俺たちはエドガー自らが率いる先行部隊の一員として、湿地帯をストームスティードで進んでいるわけだ。ちなみにヘイズは本体に残る。先行するのは、腕に自信のある連中ばかりというわけだ。
ぬかるんだ荒れ地には、霧が立ち込めている。頬に湿気がぺっとりとくっつくようだ。前に座るライラの髪も、湿っていつものふわふわを失くしている。
「嫌な霧だな。先が全く見えねえ」
銀色の霧が、ヴェールのように湿原の全貌を覆い隠してしまっている。そのせいで、実は三十メートルくらい先に固い地面が広がっているのか、それとも向こう十キロはこのままなのか、さっぱり見当もつかない。
この荒れ地じゃ木もしっかりと根を張れないのか、時折ぽつぽつと、背の低い木が生えているだけだ。足元には半分枯れたような草がぼうぼうと茂り、フランがその中を少し歩いただけで、スカートに水滴と何かの植物の種がびっしりとくっついた。
「ほんとだね。ずーっと草ばっかり。お家も何にもないや」
各国の魔術師がみな不調に陥る中、ライラだけは、普段となんら変わらなかった。ストームスティードもいつもどおりたくましく走り、なんだったらライラは、馬車の旅よりこっちの方が楽しそうまであった。
そのライラが、あたりをきょろきょろ見渡して言う。
「ねえ、今思ったんだけどさ。魔王のお城があるなら、魔物の町や村もあるのかな?」
ん?それは……どうなんだろ。
「モンスターって、町を作るのか?」
「そんなふーには思えないよね。でも、ここっていちおう、魔王の国なんでしょ?町も村も何にもないのに、そんなとこ国なんて言うかなぁ?」
うーむ、確かに。荒野のど真ん中に城だけ建てても、そこは国にはならないだろう。国って言うと、人々がいて、営みがあって、初めて成り立つもので……ならここでは、モンスターが日々の営みを行っているのか?
俺たちが首をかしげていると、頭上を飛んでいたアルルカが高度を落として、俺たちに並んできた。この霧のおかげで人目を気にしなくていいアルルカは、ひさびさに羽を伸ばせてご機嫌だ。
「あんたたち、なんか勘違いしてんじゃないの?ここは魔王の大陸であって、魔王の国じゃないのよ」
「うん?アルルカ、どういう意味だ?ここは魔王の国だろ」
「だーら、そもそも国って言う概念が当てはまらないんだってば。あんたら人間の尺度で考えるから、分からなくなんのよ。その辺にいるモンスターも、なんだったら魔王だって、国だとは思っちゃいないはずよ」
え?でも、そう言われればそうか。魔王の城に魔王軍と聞いたから、何となく勝手に国家なのだと思っていた。
「でも、この大陸は魔王が支配してるんだろ。ならここはなんなんだ?」
「まー、でっかいナワバリみたいなもんじゃない?そこに勝手にモンスターが棲み着いてるだけで、忠誠とか愛国精神なんてありゃしないわよ」
「ふぅん。どうでもいいけど、いやにはっきり言い切るんだな」
「だってそりゃ、あたしはそっち寄りだもの」
そっち寄り?ああ、モンスター側ってことか。
「そういや前にも、西の方で嫌な感じがするって言ってたか」
「ええ。以前から感じていたものとは別の、強い気配を感じるわ。こっちに来てから、より強まってる」
するとライラが、小さな鼻をふんふん言わせる。魔王の匂いを嗅ごうとでもいうようだ。
「別にそんなの、感じないけどなあ」
「あんたはチビだから分かんないのよ。それにあんた、アンデッドとしては不完全だし」
ライラはムキーっと癇癪を起こしたが、一理ある気がした。ライラは半アンデッドだし、まだこうなってから日が浅い(アルルカに比べたらだが)。怪物としての純度なら、アルルカが圧倒的だ。
「その理論で行くと……ロウランが、この中じゃ一番先輩か?」
「アタシ?」
背中で、ロウランが動く気配がする。
「お前は、魔王の気配って感じるのか?」
「えー?アタシ、自分をモンスターだなんて思ったことないの。ロウランちゃんは、カワイイお姫様だよ♪」
「そうか、分かんないか……」
「だ、ダーリン?あんまり冷たいとアタシ、また泣くよ?」
ロウランの手や包帯が、さわさわと俺の首元に伸びてくる。それをペシペシと払い除けると、俺は顔を半分だけ振り向かせた。
「で、実際はどうなんだよ?」
「うーん。アタシはそんなに、そういう風に感じたことはないかなぁ」
「そうなのか。あれ?そもそも三百年前って、魔王はいたのか?」
確か、今の大陸歴の年数が三百いくつか年だったはず。そう考えるとすごいな、ロウランはその原初に生きていたわけだ。
「アタシの時代は、今みたく大きな国って存在しなかったの。小さな国がたっくさんあって、その国々の交流地点だったのが、アタシがいた王国ね」
「前に聞いたな、そんなこと」
「でね、それとは別に、西の先のそのまた先に、すっごく強い大帝国があったんだって。名前とかは覚えてないんだけど」
「え、西の大帝国って、それ魔王のことじゃないのか?」
「だよねぇ。今聞いてて、そう思ったの。でもね、前にも言ったけど、アタシの時代は魔王とのいざこざなんて、聞いたこともないんだよ。アタシがバカで、忘れちゃってるだけかもしれないけど……」
「いや、隣近所との揉め事とはわけが違うんだ。もしも魔王が本腰入れて活動していたら、それを知らないほうがおかしいよ。きっとその当時の魔王は、今ほど目立った動きをしていなかったんだ……」
それなら、エラゼムが前に話していたことともつじつまが合う。エラゼムの時代では、魔王は過度な人類への干渉をしなかった。魔王軍の活動が活発になったのは、この三十三年戦争の後、ここ十数年のことだ。
「……聞けば聞くほど、昔と今じゃ、魔王の印象がガラリと変わっているんだよな。なあ、これってやっぱり、おかしくないか?」
俺は話を聞いているみんなに向けて言う。
「魔王のやり方は、明らかに前と異なってる。まるで、中身が入れ替わったみたいだと思わないか?」
争いを好まず、人類を押し込めるだけだった以前と、尖兵を放ち、何人もの人を攫う今。軍そのものも、以前ほどの統率は無く、散発的な行動が多く見られるようになったと聞く。そして、重要なことがもう一つ。
「それらが顕著になったタイミング、覚えてるよな?」
「……十年前、魔王が復活してから、でしたよね」
後ろで話を聞いていたのか、ウィルがゆっくりと、確かめるように答える。
「そうだ、一度倒された魔王が復活してからだ。絶好の口実だと思わないか?」
「それはつまり……」
「魔王が、全く別の存在に成り代わられたからって言いたいわけ?」
ウィルの後を継ぐように、アルルカが半目でこちらを睨みながら言った。
「そういう風にも見えないか?」
「状況だけ見ればそうね。でもあんた、魔王をその辺のお花屋さんとでも勘違いしてない?誰でも、簡単になれるわけじゃないでしょうよ」
「む、そりゃそうだが……じゃあ、どうやったら魔王になれるんだ?」
「あたしだって知らないわよ、そんなの。でもいい?ここは人間の王国とはわけが違うの。前任の王の首をぶっ飛ばしたからって、代わりにそいつの玉座に座れるわけじゃないのよ。仮に魔王を殺せたとしても、軍を掌握するには、別ベクトルの力が求められるはずだわ」
「なんだ、その力って」
「支配、よ。圧倒的な恐怖、他を寄せ付けない力、目も逸らせないほどの存在感。そういったもんで、魔物を完全に支配する必要があるはずよ」
「支配ねぇ。確か、モンスターは忠誠しないんだっけか」
「そうよ。忠誠を知らない存在を従えるには、支配以外にないわ。でも、言葉で言うほど、これは簡単じゃないわよ。単に魔王を殺しただけじゃ、モンスターは屈服しないはず。そいつが圧倒的に強者なんだってことを、モンスターの本能に刻み込むレベルじゃないと」
「うーん……それ、相当難しいな。だって、魔王を倒すだけでも超タイヘンだぜ?その上で、軍団の全てのモンスターを支配するだなんて……」
「だから言ってんのよ。事は簡単じゃないって」
うーむ、アルルカの言う通りかもしれない。魔王を倒すことができたのは、伝説の勇者三人が力を合わせたからだ。彼ら亡き今、それと同等の力を持った存在が、果たしているのだろうか?魔王になるには、三人を束にしたよりも強くないといけないってことだろ?それもたった一人で……少なくとも今の人類には、そんなやついない気がする。
(三人の内の誰かが生きてたら、まだ可能性はあったかもしれないけどな)
今のところ、魔王に迫ったのは彼らくらいしか思い当たらない。もっとも彼らはみな死んだし、それにそんなことを口にしたら、連合軍からどんな目で見られるか分かったもんじゃない。伝説の英雄を、魔王呼ばわりするだなんてさ。いくら俺でも、さすがにそれは……
「止まって!」
鋭い声が響き、俺は思わず手綱をぐいっと引っ張ってしまった。ストームスティードは前足を踏ん張って急停止し、俺とライラは耐えたものの、ロウランは勢い余って吹っ飛んでしまった。グチャーン!
「イヤアアア!アタシの髪に泥が!」
「うわっち、すまんロウラン!フラン、脅かすなよ」
声を上げた張本人である、フランに振り返る。その彼女は目を細くして、前方の霧が立ち込める湿地を睨んでいる。
「何か見える……大きな影みたい」
「影だって……?木とかじゃ、ないのか?」
「今まで一本でも、背の高い木を見た?」
はっ。そうだった、このグズグズの荒れ地で、高い木が育つはずがない。てことは……
「……お客様の、お出ましか」
つづく
====================
読了ありがとうございました。
続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。
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ロアと、魔族ドルトヒェンが言葉を交わしていたころ……
「馬に乗るのも久しぶりだな」
「桜下、乗り方ちゃんと覚えてる?」
「あたぼうよ。あれだけ苦労したからな、そうそう忘れないさ」
俺はストームスティードの手綱を引きながら、前に乗るライラと話をしている。でも、馬での移動は本当に久々だ。最近はずっと馬車での旅だったからな。
魔王の城への旅路は、ぬかるんだ湿地帯へと差し掛かったところだった。砂漠を越えた先にこんな湿潤な土地が広がっているだなんて、驚きだ。ただ、うろたえたのは俺だけじゃなかった。連合軍の指揮官方々も、てんてこ舞いで対応を迫られることとなってしまったのだ。
果たしてその理由とは、馬車や荷車の車輪が、ぬかるんだ地面にことごとく埋まってしまったことに他ならない。何人もの屈強な兵士が後ろから押しても、車輪は空回りするばかりでちっとも前に進まない。しまいには人も馬も疲れ果ててしまうありさまだ。
だが、これ自体は、連合軍としても想定の範囲内だった。そら当たり前だ、俺たちはここよりもずっと足場の悪い、大砂漠を越えてきたばかり。その時に取った対策を、まるまま流用可能な場面だった。つまり、魔術師が魔法で地面を固めて、道を作ればよかったのだ。
よかったのだが……
「まほーが使えない?」
今から三十分ほど前のことだ。ライラがきょとんとして、小首をかしげた。
「ああ。話を聞く限りじゃな」
兵士たちが焦った顔でそう口走っているのを、俺は確かに聞いた。ライラは首をかしげたまま、口をぶつぶつと動かす。
「そうかなぁ……ファイアフライ」
ポンポンポン。ライラが素早く呪文を唱えると、蛍光色の火の玉があたりに浮かんだ。
「使えるよ?」
「うーん、俺も詳しいことは分かんないんだけど。なんか、この辺の土地は土着の魔力?みたいなのがすごく濃いらしいんだ。そのせいで、上手く魔法が制御できないんだってさ」
俺には雲を掴むような話にしか聞こえなかったのだが、とにかくそういう事らしい。いわく、ここは人間の王国ではなく、魔王の支配権。人知を越えた現象や、理不尽極まる事態に直面しても、何ら不思議はないそうだ……
「早い話、ここら一帯は、そういう場所なんだってさ」
「ふーん……?」
すると、横で話を聞いていたウィルが、自分もロッドを握って呪文を唱え始める。
「ぬーん……ファイアフライ!」
ぽしゅん。ずいぶん気の抜けた音と共に、今にも消えそうな火の玉が一つだけ、なんとか浮かび上がる。
「うわ、ほんとです。ものすごいノイズが混じってるみたいで、上手く集中できません……!」
「やっぱり、そうなのか。連合軍の魔術師も、軒並みダメみたいだぞ。でも、それじゃあ、ライラは……?」
「ふふん。ライラは大まほーつかいだからね!」
ふんぞり返るライラ。俺はよしよししてやった。反対に、ウィルは深刻そうな顔をする。
「それなら、この先ライラさん以外、魔法は一切抜きってことですか?」
「そうだよなぁ、だとしたらシャレにならんが……いちおう、あくまで一時的なもののはずだ、とは聞いたけど。うまくこっちの環境にチューニングできれば、また使えるようになるはずだって」
「よかった……なら、私もそれに励まないとですね」
「ちなみに、俺はよく分かんないんだけど。それって、どれくらいで出来そうなんだ?」
「うーん……初めてなので何とも言えませんが、そんなにすぐには無理だと思います。今までの撃ち方に慣れ過ぎてますから、それを一から調整し直すと思うと……」
ああ、そう聞くと確かに、大変そうだ。と、ロウランが屈みこんで、ブーツについてしまった泥を包帯で払いながら言う。
「でも、それならこの先、どうやって進むの?まさか、ずーっと歩いてくなんて言わないよね?」
「ま、その可能性も否定できないけど」
「あーん、嫌なの~!せっかくダーリンに貰った靴が汚れちゃうよ!」
「そりゃお前、少しは我慢しないと……でも、ずっと歩きなのはさすがにしんどいな」
俺は足下を見下ろす。草がまばらに生えた湿地は、こうしてただ突っ立っているだけでも、ずぶずぶ二センチほど沈むくらいだ。ここを延々歩いて行くなんて、あまり想像したくない。
連合軍も、それは考慮したみたいだ。最終的に、少数の騎兵部隊が編成された。足の太い、たくましい騎馬がずらりと並ぶさまは壮観だ。その中には、立派な鎧に身を包んだ、エドガーの姿もある。
この沼地を、徒歩で進むことはまず無理。周りが山で囲まれているので、迂回も困難。だが、荷車に積まれた兵糧を破棄しては、どっちみち遠からず全滅。しかししかし、魔術師がカンを取り戻すのを待っていては、進軍が致命的に遅れるのは必至……
苦肉の策でひねり出されたのが、少数の部隊が先行し、安全を事前に確保。魔術師が魔法を使えるようになり次第、そこを全速力で駆けて追いつくという計画だった。ようは、この前のフィドラーズグリーン戦線での動きを、そのまま繰り返そうってわけだ。
「少数精鋭ってわけですね……私たちもそちらに?」
「ああ、そういう要請が来た。それに、今回は俺たちだけじゃないぜ。各国の勇者様もご同行なさるそうだ。動かせる駒は全部動かそうってつもりらしいな」
そして今、俺たちはエドガー自らが率いる先行部隊の一員として、湿地帯をストームスティードで進んでいるわけだ。ちなみにヘイズは本体に残る。先行するのは、腕に自信のある連中ばかりというわけだ。
ぬかるんだ荒れ地には、霧が立ち込めている。頬に湿気がぺっとりとくっつくようだ。前に座るライラの髪も、湿っていつものふわふわを失くしている。
「嫌な霧だな。先が全く見えねえ」
銀色の霧が、ヴェールのように湿原の全貌を覆い隠してしまっている。そのせいで、実は三十メートルくらい先に固い地面が広がっているのか、それとも向こう十キロはこのままなのか、さっぱり見当もつかない。
この荒れ地じゃ木もしっかりと根を張れないのか、時折ぽつぽつと、背の低い木が生えているだけだ。足元には半分枯れたような草がぼうぼうと茂り、フランがその中を少し歩いただけで、スカートに水滴と何かの植物の種がびっしりとくっついた。
「ほんとだね。ずーっと草ばっかり。お家も何にもないや」
各国の魔術師がみな不調に陥る中、ライラだけは、普段となんら変わらなかった。ストームスティードもいつもどおりたくましく走り、なんだったらライラは、馬車の旅よりこっちの方が楽しそうまであった。
そのライラが、あたりをきょろきょろ見渡して言う。
「ねえ、今思ったんだけどさ。魔王のお城があるなら、魔物の町や村もあるのかな?」
ん?それは……どうなんだろ。
「モンスターって、町を作るのか?」
「そんなふーには思えないよね。でも、ここっていちおう、魔王の国なんでしょ?町も村も何にもないのに、そんなとこ国なんて言うかなぁ?」
うーむ、確かに。荒野のど真ん中に城だけ建てても、そこは国にはならないだろう。国って言うと、人々がいて、営みがあって、初めて成り立つもので……ならここでは、モンスターが日々の営みを行っているのか?
俺たちが首をかしげていると、頭上を飛んでいたアルルカが高度を落として、俺たちに並んできた。この霧のおかげで人目を気にしなくていいアルルカは、ひさびさに羽を伸ばせてご機嫌だ。
「あんたたち、なんか勘違いしてんじゃないの?ここは魔王の大陸であって、魔王の国じゃないのよ」
「うん?アルルカ、どういう意味だ?ここは魔王の国だろ」
「だーら、そもそも国って言う概念が当てはまらないんだってば。あんたら人間の尺度で考えるから、分からなくなんのよ。その辺にいるモンスターも、なんだったら魔王だって、国だとは思っちゃいないはずよ」
え?でも、そう言われればそうか。魔王の城に魔王軍と聞いたから、何となく勝手に国家なのだと思っていた。
「でも、この大陸は魔王が支配してるんだろ。ならここはなんなんだ?」
「まー、でっかいナワバリみたいなもんじゃない?そこに勝手にモンスターが棲み着いてるだけで、忠誠とか愛国精神なんてありゃしないわよ」
「ふぅん。どうでもいいけど、いやにはっきり言い切るんだな」
「だってそりゃ、あたしはそっち寄りだもの」
そっち寄り?ああ、モンスター側ってことか。
「そういや前にも、西の方で嫌な感じがするって言ってたか」
「ええ。以前から感じていたものとは別の、強い気配を感じるわ。こっちに来てから、より強まってる」
するとライラが、小さな鼻をふんふん言わせる。魔王の匂いを嗅ごうとでもいうようだ。
「別にそんなの、感じないけどなあ」
「あんたはチビだから分かんないのよ。それにあんた、アンデッドとしては不完全だし」
ライラはムキーっと癇癪を起こしたが、一理ある気がした。ライラは半アンデッドだし、まだこうなってから日が浅い(アルルカに比べたらだが)。怪物としての純度なら、アルルカが圧倒的だ。
「その理論で行くと……ロウランが、この中じゃ一番先輩か?」
「アタシ?」
背中で、ロウランが動く気配がする。
「お前は、魔王の気配って感じるのか?」
「えー?アタシ、自分をモンスターだなんて思ったことないの。ロウランちゃんは、カワイイお姫様だよ♪」
「そうか、分かんないか……」
「だ、ダーリン?あんまり冷たいとアタシ、また泣くよ?」
ロウランの手や包帯が、さわさわと俺の首元に伸びてくる。それをペシペシと払い除けると、俺は顔を半分だけ振り向かせた。
「で、実際はどうなんだよ?」
「うーん。アタシはそんなに、そういう風に感じたことはないかなぁ」
「そうなのか。あれ?そもそも三百年前って、魔王はいたのか?」
確か、今の大陸歴の年数が三百いくつか年だったはず。そう考えるとすごいな、ロウランはその原初に生きていたわけだ。
「アタシの時代は、今みたく大きな国って存在しなかったの。小さな国がたっくさんあって、その国々の交流地点だったのが、アタシがいた王国ね」
「前に聞いたな、そんなこと」
「でね、それとは別に、西の先のそのまた先に、すっごく強い大帝国があったんだって。名前とかは覚えてないんだけど」
「え、西の大帝国って、それ魔王のことじゃないのか?」
「だよねぇ。今聞いてて、そう思ったの。でもね、前にも言ったけど、アタシの時代は魔王とのいざこざなんて、聞いたこともないんだよ。アタシがバカで、忘れちゃってるだけかもしれないけど……」
「いや、隣近所との揉め事とはわけが違うんだ。もしも魔王が本腰入れて活動していたら、それを知らないほうがおかしいよ。きっとその当時の魔王は、今ほど目立った動きをしていなかったんだ……」
それなら、エラゼムが前に話していたことともつじつまが合う。エラゼムの時代では、魔王は過度な人類への干渉をしなかった。魔王軍の活動が活発になったのは、この三十三年戦争の後、ここ十数年のことだ。
「……聞けば聞くほど、昔と今じゃ、魔王の印象がガラリと変わっているんだよな。なあ、これってやっぱり、おかしくないか?」
俺は話を聞いているみんなに向けて言う。
「魔王のやり方は、明らかに前と異なってる。まるで、中身が入れ替わったみたいだと思わないか?」
争いを好まず、人類を押し込めるだけだった以前と、尖兵を放ち、何人もの人を攫う今。軍そのものも、以前ほどの統率は無く、散発的な行動が多く見られるようになったと聞く。そして、重要なことがもう一つ。
「それらが顕著になったタイミング、覚えてるよな?」
「……十年前、魔王が復活してから、でしたよね」
後ろで話を聞いていたのか、ウィルがゆっくりと、確かめるように答える。
「そうだ、一度倒された魔王が復活してからだ。絶好の口実だと思わないか?」
「それはつまり……」
「魔王が、全く別の存在に成り代わられたからって言いたいわけ?」
ウィルの後を継ぐように、アルルカが半目でこちらを睨みながら言った。
「そういう風にも見えないか?」
「状況だけ見ればそうね。でもあんた、魔王をその辺のお花屋さんとでも勘違いしてない?誰でも、簡単になれるわけじゃないでしょうよ」
「む、そりゃそうだが……じゃあ、どうやったら魔王になれるんだ?」
「あたしだって知らないわよ、そんなの。でもいい?ここは人間の王国とはわけが違うの。前任の王の首をぶっ飛ばしたからって、代わりにそいつの玉座に座れるわけじゃないのよ。仮に魔王を殺せたとしても、軍を掌握するには、別ベクトルの力が求められるはずだわ」
「なんだ、その力って」
「支配、よ。圧倒的な恐怖、他を寄せ付けない力、目も逸らせないほどの存在感。そういったもんで、魔物を完全に支配する必要があるはずよ」
「支配ねぇ。確か、モンスターは忠誠しないんだっけか」
「そうよ。忠誠を知らない存在を従えるには、支配以外にないわ。でも、言葉で言うほど、これは簡単じゃないわよ。単に魔王を殺しただけじゃ、モンスターは屈服しないはず。そいつが圧倒的に強者なんだってことを、モンスターの本能に刻み込むレベルじゃないと」
「うーん……それ、相当難しいな。だって、魔王を倒すだけでも超タイヘンだぜ?その上で、軍団の全てのモンスターを支配するだなんて……」
「だから言ってんのよ。事は簡単じゃないって」
うーむ、アルルカの言う通りかもしれない。魔王を倒すことができたのは、伝説の勇者三人が力を合わせたからだ。彼ら亡き今、それと同等の力を持った存在が、果たしているのだろうか?魔王になるには、三人を束にしたよりも強くないといけないってことだろ?それもたった一人で……少なくとも今の人類には、そんなやついない気がする。
(三人の内の誰かが生きてたら、まだ可能性はあったかもしれないけどな)
今のところ、魔王に迫ったのは彼らくらいしか思い当たらない。もっとも彼らはみな死んだし、それにそんなことを口にしたら、連合軍からどんな目で見られるか分かったもんじゃない。伝説の英雄を、魔王呼ばわりするだなんてさ。いくら俺でも、さすがにそれは……
「止まって!」
鋭い声が響き、俺は思わず手綱をぐいっと引っ張ってしまった。ストームスティードは前足を踏ん張って急停止し、俺とライラは耐えたものの、ロウランは勢い余って吹っ飛んでしまった。グチャーン!
「イヤアアア!アタシの髪に泥が!」
「うわっち、すまんロウラン!フラン、脅かすなよ」
声を上げた張本人である、フランに振り返る。その彼女は目を細くして、前方の霧が立ち込める湿地を睨んでいる。
「何か見える……大きな影みたい」
「影だって……?木とかじゃ、ないのか?」
「今まで一本でも、背の高い木を見た?」
はっ。そうだった、このグズグズの荒れ地で、高い木が育つはずがない。てことは……
「……お客様の、お出ましか」
つづく
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