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16章 奪われた姫君

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桜下たちがハイワイバーンを退けてから、半日ほどが経過したころ。
魔王城では、とある“イベント”が起きようとしていた……

早朝。日の出から間もない時間帯に、ロアとコルトの牢獄にやって来たのは、女魔族、ドルトヒェンだった。

「お二人とも。着替えはお済みでしょうか?」

ドルトヒェンが確認するまでもなく、ロアは夜空のような濃紺のドレスを、コルトは自身の髪色とよく似た雪色のドレスを纏っていた。これより一時間ほど前に、世話係の魔物がやって来て、二人を叩き起こし、着替えをさせたのだ。もっとも二人は、この日に“イベント”が起こることを知らされていたので、ほとんど一睡もしていない状態だったが。
寝不足によるくまと、緊張による顔色の悪さをごまかすように、魔物たちはロアとコルトに入念な化粧をした。さらに花の香りのする香水までふりかける始末だ。今この瞬間、王城の舞踏会にワープしても問題はないだろうなと、ロアはぼんやり思った。
すっかり仕上がった二人を見て、ドルトヒェンは軽くうなずいた。

「準備はお済みのようですね」

「……準備だと?そんなもの、できてたまるか!」

ロアは憤慨した顔を作ろうと努めたが、その裏に恐怖の感情があることを、ドルトヒェンは見逃さなかった。

「ご気分が優れないのですか」

「当たり前だろう……!我々は、一体何をさせられるのだ?お前たちは、一切説明してないではないか!」

「では、それをしたならば、あなた方はわたくしたちに従っていただけるのでしょうか?」

「そんなもの、聞いてから判断することだ!教えろ!このイベントとやらの、目的はなんだ!?」

ドルトヒェンは、もう一方、コルトの顔を見た。彼女の顔は化粧越しでも真っ白だ。今や彼女の髪の色と大差ないように見える。ドルトヒェンは軽くため息をつくと、再びロアに向き直った。

「皆様にしていただくことは、何もございません」

「……何も、ない?」

「はい。これからあなた方には、とあるお方に謁見してもらいます。礼節を損なわぬよう、黙って立っていていただければ、それだけで結構です」

ロアは思わず、片眉を吊り上げた。

「……ただ、立っているだけだと?」

「はい。多少の挨拶や受け答えはしていただくかもしれませんが、具体的な行動を求めているわけではございません」

ドルトヒェンはきっぱりと言い切った。それを聞いたロアは、なおも訝し気だったが、コルトの方はだいぶ血色が戻ってきた。

「では、その相手とは、いったい誰なのだ?魔王か?それとも、あの勇者ファーストと名乗る男か?」

「申し訳ありませんが、このペースで質問にお答えしていますと、日が暮れてしまいます。皆様には、もう移動していただかなくてはなりません。恐れ入りますが、そろそろ」

ぴしゃりと言うドルトヒェンには、これ以上の質問を許さない雰囲気があった。ロアは黙るしかなかった。上手くいけば時間が稼げるかもと考えていたのだが、さすがにそこまで甘くはないらしい。

(この女、どこまで本当のことを言っている……?)

ロアがいくら睨んでみても、ドルトヒェンは眉一つ動かさない。
なぜならドルトヒェンは、“嘘”は言っていなかったからだ。ただ、今語った内容が、これから行われることの全てではないだけで。

「では、参りましょうか」

ドルトヒェンが牢屋の扉を開けた。二人はおずおずと、牢の外に出た。つい最近まであれほど外に出たいと願っていたのに、今は中に留まりたいという思いが、二人の胸の内に渦巻いていた。



ロアたちが連れてこられたのは、大きなホール、あるいは展示品のない美術館のような場所だった。黒い大理石で作られたその部屋には、ロアたち以外にも、数十人ほどの若い乙女たちが集められていた。皆一様に、煌びやかなドレスを着ている。だが派手な装いとは裏腹に、乙女たちの顔は暗く、不安げだった。戸惑いささやく声が、さわさわひそひそとあたりに満ちている。

(彼女らも、私達と同じか)

ロアとコルトは女たちの端に並んだ。ドルトヒェンはそれを確認すると、ぱんぱん、と二度ほど手を打った。

「皆様、ご静粛に願います。これより皆様には、我らが魔王様直属の旗下、三幹部が一人、大賢者、烈風のヴォルフガング様に謁見していただきます」

乙女たちは一瞬大きくざわっとすると、すぐにしんと静まり返った。ドルトヒェンはうなずくと、部屋の扉の前まで歩いて行き、コンコンとノックをした。

「ヴォルフガング様。準備が整いました」

「おっ、ようやく~?待ちくたびれちゃったよぉ。今行きまーす!」

ドルトヒェンが扉を開くと、中から、鳥の骨そっくりな頭部を持った魔人、ヴォルフガングが現れた。彼はホールに揃った乙女たちを見ると、満足げな様子で、ゆっくりと拍手した。パン、パン、パン。

「やあやあやあ。みなみなさま、よくお集りに。それにさすが、みんな美しいねえ」

ヴォルフガングは乙女たちを端から端まで見回すと、骨頭の穴にすぅーっと、大きく息を吸い込んだ。

「ああっいい匂いする。はぁーいい女の匂いだ。いい、いい」

そう言って何度も深呼吸するヴォルフガングを見て、ロアは全身に鳥肌が立つのを抑えられなかった。

(気持ち悪いっ……!)

三幹部とやらでありながら、その言動は下衆な人間と大差ない。ロアはもともとあった嫌悪感をさらに強くした。

「やっぱ、人間の女は違うなぁ。格別だ。はぁー……さてと。で、今日ここに集まってもらったのって、君たちもう知ってる感じ?」

乙女たちは誰も答えなかった。ドルトヒェンが「まだ何もお伝えしておりません」と言うと、ヴォルフガングはうんうんとうなずいた。

「そっかぁ。まあ、先に言っちゃうと怖がるかもしれないしねえ」

怖がる……そう聞いたとたん、乙女たちの間に明らかに動揺が走った。つまりこれから彼女たちは、恐怖を感じるようなことをされる、ということなのだ。ロアはいよいよ、覚悟を決める時が来たと感じた。

(いざと言う時には、王女である私が矢面に立とう)

大した時間稼ぎにもならないかもしれないが、それでも自分の目の前で、乙女たちが辱められるよりはましだ。ロアはぎゅっと拳を握り締め、そう決心した。
その時だ。突如、一人の女が、乙女たちの中から前へと走り出た。

「ヴォ、ヴォルフガングさま!私を覚えておいででしょうか?」

その女は走り出ると、ほとんど崩れ落ちるように、ヴォルフガングの眼前へとひざまずいた。

「おん?お前は……誰だっけ?」

「かっ、カウフマン家の娘、ロイナでございます!せ、先日閣下がお見えになられた際には、私の肌と、む、胸をお褒め下さいました!」

(なっ。なんだ、あの娘は?)

ロアは突然の出来事に困惑していた。ロイナという娘は、一体何のつもりなのだろうか。するとヴォルフガングは、思い出したようにぽんと手を打った。

「ああ、あのボインちゃんか!」

「お、思い出していただけましたでしょうか……」

ロイナが顔を上げる。なるほど確かに、その胸部は大きく盛り上がっている。ロイナはヴォルフガングを上目遣いに見ながら、媚びへつらうような笑みを浮かべた。

「わ、私めは、ヴォルフガングさまをお慕いしております。どうか私を、閣下のお側に置いて下さいませんでしょうか……?」

ロアはハッとした。あの娘は、助命を乞うているのだ。なりふり構わず、自分の武器を余すことなく使って。ロアは娘にあんなことをさせたくはなかったが、今自分が口を挟んで台無しにしてはいけないと思い、成り行きを見守ることにした。上手くいけば、あの娘は助かるかもしれない……
ヴォルフガングはあご(正確にはくちばしの根元当たり)に手を添えて、ふむと唸った。

「ロイナちゃん、僕の側に置いてほしいの?」

「は、はい。閣下のお側にいられることを、心より願っております……」

「ふーん、そっかぁ……」

その瞬間、ロアの背筋がぞくりと震えた。骨だけの奴の顔が、あきらかに、にたぁっと笑った気がしたのだ。

「じゃ、その願い、叶えてあげるよ」

「ほ、本当にございますか!?」

「うん。もちろん」

ヴォルフガングはそう言うと、ばっと片手を掲げ、何かをつぶやいた。だが歓喜に震えているロイナは、それに気づかずに、がばっと頭を下げた。

「あっ、ありがたき幸せにございます!ありがとうございます、ありがとうござい、ま……?」

パキキ。
奇妙な音がして、ロイナは動きを止めた。その音は、下の方から聞こえてきた。乙女たちも音の出所を探して、視線をさ迷わせる。ロアとコルトも、目を下へ向けた。
音の原因は、すぐに分かった。
その音は、ロイナの足を包む氷……いや、氷のように透明な水晶。それが急速に成長し、彼女を飲み込もうとしている音だった。

「え……えっ。な、なに、これ。なによこれ!」

ロイナは顔面蒼白になって、必死に水晶から足を引き抜こうとする。だが水晶は砕けるどころか、ますます成長して、あっという間に彼女の腰までを包み込んだ。

「いっ、イヤぁ!やめて!!!ヴォルフガング様、これは一体!?」

ロイナはすがるように、ヴォルフガングの足へと手を伸ばす。そんなロイナの顔を覗き込むように、ヴォルフガングは腰を曲げて、顔を近づけた。

「言っただろ。オレの側に置いてやるんだよ。一生、な」

「な、そんな!話が違う!」

「違う?オレはちゃんとそう言っただろうが、バーカ!」

ロイナの目が、絶望に見開かれる。そうしている間に、水晶はあっという間に彼女の体を飲み込み、後は首から上と、腕を残すのみとなっていた。

「や……イヤァァァァァ!やめて、死にたくない、死にたくない!助けて、誰か助けてええエエエェェェェェェェァァァァァアアアアアア」

パキン。

「ぁ」

結晶が彼女の顔を包んだ瞬間、絶叫は唐突に途絶えた。残った腕だけが、もがくようにもぞもぞと動いていたが、やがてそれすらも覆われ、動かなくなった。
ロイナは、水晶に包まれたまま、完全に静止していた。恐怖に見開かれた目も、絶叫していた口も、最後まですがっていた腕も、何もかも。それはまるで、琥珀に閉じ込められた憐れな昆虫のようだった。
凍り付いたロイナを見て、ヴォルフガングはニタついた声で言う。

「はは、いいねぇ。最初のにしちゃ上出来だよ。綺麗な顔を恐怖でしわくちゃにしてさ、今にも動き出しそうじゃん。ま、もう二度と動かないんだけど」

その光景を見て、ロアはようやく、自分たちがここに集められた理由を理解した。“これ”が、今回の“イベント”の目的なのだ。ドルトヒェンが言ったことは正しかった。彼女はロアたちに、ただじっとしていればいいと言ったが、その通りだ。結晶の中で、永遠に、じっと……

「いっ……いやああぁぁぁぁ!」

誰が最初に叫んだのか。乙女たちは次々に悲鳴を上げると、我先にと逃げ出した。ホールを突っ切り、先ほどヴォルフガングが出てきた扉へと飛びつく。だがしかし、ほとんど予想通りに、扉はどれだけ押しても引いても開かなかった。それならばと別の出入り口を探すが、そんなものが都合よくしつらえられているはずもなかった。
乙女たちが半狂乱で逃げまどう中、ロアだけはただじっとして、ヴォルフガングを睨み続けていた。それに気づいたヴォルフガングが、ロアの方を向く。

「へえ。王女様は逃げなかったのか。さっすが、王族は気が強いね。こんなのちっとも怖くないって?」

(怖いに決まってるでしょ)

実際ロアの足は、ぶるぶると震えていた。だが、恐怖以外にも、それと同じだけの怒りが、ロアの胸を内から押し上げていた。絶望したロイナをあざけり、まるで彼女を骨董品であるかのように評価したヴォルフガング。その底知れぬ邪悪さが、憎かった。
そしてもう一つ。ロアのすぐ背後には、腰が抜けて立てなくなってしまったコルトがいたのだ。彼女を置いて逃げ出す事は出来ない。ロアはそのことを、むしろよかったとさえ思った。彼女が居なければ、自分だってみっともなく逃げ出していたかもしれないから。

「……貴様。ヴォルフガングとか言ったか?」

「うん?どうした、王女も命乞いをする気?いいよ、やるだけやってみる?」

「分別のつかない獣に乞うたところで、意味はないだろう」

「ハハハッ、言うねえ」

皮肉を言ったところで、ヴォルフガングは声一つ荒げなかった。これがロアの精いっぱいの強がりだということを見抜いていたのだ。だがそれでも、ロアは強気な威勢を崩さなかった。

「一つだけ聞かせろ。貴様は、私たちを悪趣味な彫像にするためだけに、私たちをここへ攫ってきたのか?」

「あん?うーん、半分あってるけど、半分間違ってるかな」

「半分だと?どういう意味だ」

「んー……ま、いいよ。最後に聞かせてあげよっか。この命令を出したのは、オレじゃない。魔王様なのさ」

「魔王が……?」

ロアは、にわかには信じられなかった。城の歴史書で読む限り、魔王なる存在は人間の女を攫って、彫像にして飾るような悪趣味な一面は持ち合わせていなかったはずだ。

「……それを信ずるに足る、根拠を言ってみろ」

「根拠?んなこと言われても、事実だしな。あ、でもあんたらが攫われた理由ならあるぞ。あんたらには、ある共通点があんのさ」

「共通点……?」

「そ。……までも、それをゆっくり説明してやる気はないかな」

ヴォルフガングは、ばっと手を振った。パキパキと、小さな音がロアの足下から鳴り出す。ロアが震えながら下を見ると、小さな結晶が、ロアの靴を包もうとしているところだった。

「残念だけど、時間切れだ。王女様、あんたはどんなオブジェになってくれるんだ?ヒヒヒ……」

「っ……」

ロアは、ぎゅっと目をつぶると、天を仰いだ。

(みんな、すまない。私は、ここまでみたい)

ロアの脳裏に、これまでの記憶が走馬灯のように浮かんでは消えていく。

(エドガー……城のみんな……そして、桜下……)

助けは間に合わなかったが、彼らを恨む気持ちはなかった。ただ、最後に一目……

(もう一度、会いたかった……)



ズズズ……ズドドドドドド!

「えっ!?」

「な、なんだよオイ!?」

突如として強い揺れが、部屋全体を襲った。逃げまどっていた乙女たちも、目を閉じていたロアも、そしてヴォルフガングですら動きを止めて、何事かと周囲に目を配った。
バターン!

「ヴォルフガング様!緊急事態です!」

扉を開けて弾けるように飛び込んできたのは、ドルトヒェンだ。

「侵入者が……がぁっ!?」

彼女は最後まで言い切ることができなかった。がれきが扉の奥から飛んできて、彼女はそれに吹っ飛ばされてしまった。ヴォルフガングは舌打ちする。

「チッ。んだよ、いいとこだったのによォ。誰だぁ?せっかくのお楽しみに水差すやつぁ!?」

コツ、コツ、コツ。足音を響かせて、入ってきたのは……

「それはよかった。ちょうどいい所にお邪魔できたようでなによりだ」

真っ黒な革の服に、真っ黒な髪。黒衣に身を包んだ、女剣士だ。

「ああ?んだテメエは……」

ヴォルフガングが怪訝そうに首をかしげる。しかしロアは、その女に心当たりがあった。

(あの黒づくめの恰好、もしかして……あれ?)

気が付けば、ロアの足下の結晶はきれいさっぱり消えていた。ロアはハッとすると、後ろで呆けているコルトを急いで引き摺って、部屋の隅へと避難した。直感的に、これから始まる戦いを予期したのだ。
黒衣の女は部屋の中ほどまで入ってくると、立ち止まって剣を抜いた。ヴォルフガングと黒衣の女が相対あいたいする。

「お相手願おうか。三幹部が一角殿とやら」

「……だから、だれだテメエはって言ってんだよ」

黒衣の女は口元だけで笑うと、剣をヴォルフガングへとまっすぐ向けた。

「我が名は、ペトラ……いや。貴様にはこう名乗ろう。我が名はペトロイド=フォン=スカルツベルト。我が父の城を、返して貰いに来た」



十七章に続く
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