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一章 大神殿の仲間

一章一節 - ゲーミング柴犬[1]

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【第一章 大神殿の仲間】


 俺、こと色葉和音いろは わおんが召喚された場所は、「サトゥメーア」と呼ばれる国らしい。ここでは数年に一回「召喚の儀」が行われ、異世界から人間を呼び出す伝統がある。

 召喚された者たちは、自らの能力と神から授かった力を組み合わせ、数多あまたの困難を乗り越える勇者的振る舞いをしてきたらしい。人々に害をなす存在を討伐したり、幻の宝を発見したり、この世界には存在しない知識や技術で人々の生活を向上させたり――。

 それならば、今回召喚された俺には何ができるだろう?

 二日以内に能力の使い道を示さなくてはならない俺は、焦っていた。ご存知の通り、俺が神に望んだのは、「誰とでも意思疎通できる最強の言語スキル」だ。おかげでこの世界の人間と会話できるようになった。しかし、この能力を世界のためにどう使えばいいのか……。
 真っ先に浮かんだのは通訳だが、この世界に通訳者の需要はどれほどあるだろうか? 俺の能力がどの言語にまで通用するかも未知数だ。

 俺を助けてくれた老人――ローグルイフォンは「能力を詳細に知る必要がある」的なことを言っていたが、残念ながら彼は今この場にいない。俺をこの部屋に案内したあと、することがあると出ていってしまった。

「はぁ」

 ひとりぼっちの世界に、俺は思わずため息をついた。

 時刻は夕方。室内には窓枠を引き延ばしたつる草模様の影が落ち、壁の白大理石がはちみつ色に染まって見えた。床や天井は清潔感のある板製。家具類は質素ながらも頑丈そうなつくりで非常に好印象だ。例えるなら、倹約家けんやくかで民衆から愛される貴族の部屋、だろうか。
 ただ気になるのは鉄格子のはまった窓だった。窓ガラスの代わりらしいが、こいつがあるせいで監禁されている気分になる。

 俺は窓が見えない位置に座ってローグを待つことにした。外に出る気にはなれない。ここは安全な場所らしいが、未知の環境に一人で踏み出すのは腰が引ける。

「…………」

 俺はローグが戻ってくるまで、物思いにふけることにした。この異世界のこと、能力のこと。考えたいことはたくさんある。

「おい」

 しかし、俺の思考はすぐに妨害されることになった。

「?」

 誰だろう? 聞きなれない声にあたりを見回したが、人影はない。ただ、いつの間にか部屋のドアがわずかに開いていた。

「何だオメー、新入りか?」

 まただ。人の姿はないのに声がする。いや待てよ。この声、下の方からしないか?

「!」

 俺は声の方を見て、驚いた。

「驚いたか? 驚いただろ? 俺様オレサマ神出鬼没シンシュツキボツだからな!」

 そこにいたのは、丸まったしっぽをご機嫌に振る犬だ! 全体的に茶色いが、目の上や足や腹に白い部分がある。色、表情、しっぽ、サイズ感。それは元いた世界では「柴犬シバイヌ」と呼ばれる存在そっくりだった。茶色い毛色の「赤柴アカシバ」って呼ばれる奴な。

「この世界では柴犬もしゃべるのか!」

 俺はゆっくりと床に膝をついた。

「『シバイヌ』? なんだそりゃ。俺様は俺様だぞ」

 柴犬は俺が差し出した手をクンクン嗅いでいる。手を嗅ぎ、足の先を嗅ぎ。

「オメーの足、臭いな」

 くしゅんと鼻水を飛ばした。

「な!」

 この犬、初対面で失礼じゃないか?

「コゲコゲの臭いだ。大きな穴も開いてる。オメー貧乏人ビンボーニンだな?」

 柴犬はガウガウ言いながら、鼻先を床に擦り付けている。そんなに臭かったか? 結構ショックだ。

「違う」

 貧乏人だと言われて、俺は反射的に否定した。でも、もしかしたらある意味そうなのかもな。俺はこの世界の通貨を一銭いっせんも持っていないし、今のところ稼げるあてもないんだから。

「まぁまぁ、ムキになんなよ」

 そいつは長い牙を見せてケタケタと笑った。

「俺様の背中でも撫でで落ち着くかぁ~?」

 もしかして、俺は犬にからかわれているのか? そう思いつつも、俺の手は柴犬の背中へ伸びていた。だって、撫でて良いって言われたら普通撫でるだろう?

 手触りは元いた世界の柴犬とさほど変わらない。表面は硬めの毛におおわれ、その下にはふわふわのやわらかい毛がある。俺は毛の間に指を入れて、その綿毛のような感触を楽しんだ。

「オメー撫でるのうまいな」

 柴犬は床に伏せてしっぽを振っている。

「実家で柴犬を飼ってるもんで」

「俺様は俺様だぞ」

「わかったわかった」

 俺は両手で犬の背中を撫で上げた。円を描くようにかき乱したり、毛の流れに沿って撫でてみたり。

「いい感じだ」

 俺の手の下で柴犬風の何かは身をよじって喜んでいる。それならと、俺は柴犬のわき腹を撫で、首の下を揉み、耳下のやわらかい毛を堪能して、首の皮膚をたぷたぷもてあそんだ。

 いつの間にか、犬の毛色が茶色から明るいオレンジ色に変わっている。確かにこいつは俺の知っている柴犬ではないらしい。

「お前毛の色が変わるのか」

「そんなことも知らないのかぁ? オメー貧乏人な上にバカなのか!」

 ひどい侮辱ぶじょくだったが、柴犬っぽい何かが言うと、さほど気にならない。

「俺はこの世界に来たばっかりなんだよ! うりゃりゃりゃりゃー!」

 少し声を大きくして、白い腹をめちゃくちゃに撫でてやった。

「はーらーは、やーめーろー!」

 そいつは首を左右に振り、足をばたつかせている。

「あんまり蹴るなよ」

 そう注意しつつも、俺はまったく気にしていなかった。犬と遊ぶときは、そういうもんだろう? 興奮のあまり蹴られたり、甘噛みされたりするのはご褒美だ。もちろん、異論は認めるが……。
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