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八章

八章 [1]

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 長春仙ちょうしゅんせんの計画はわかりやすい。
 桃源国を覆う龍穴からの気を濃くし、いくつかの術で補強することにより、敵の侵入を阻む結界をつくる。また、その気を利用して大規模な術を使うことで敵軍を退けると言う。

 必要なのは、龍穴の気を引き出すための陣が一つと、結界の範囲を決めるしるしが八つ。この八つのしるしを頂点とする八角形が結界の有効範囲になる。

 気の湧き出る場所――龍穴側の術式はすでに作り終わった。龍穴を守る祠がある空間には、現在いくつもの幾何学模様や文字、札、宝玉、術具などで構成された陣がつくってある。これを用いることで、気の流れをある程度操作できると言う。崑崙こんろんの仙女が八日かけて作った陣でも操作できるのは一部だけと言う事実に、この国を守る龍穴のすごさがうかがえた。

 次は、結界の八隅を決めるしるしだ。
 これは帝都の端に作る。

 まず向かったのは王宮から比較的近い帝都源京げんきょうの西側。源京の背後にそびえる山の比較的水平な場所に、長春仙は五枚の札を円形に並べた。木火土金水。気の五つの属性を表す札が一枚ずつ。風などで飛ばないように、札の余白部分を短剣で刺し、地面に留めていく。
 札を並べてできる円は直径一メートルほどだ。

 それが終わると、札の間を気を込めた指でなぞって繋ぎ、いくつかの文字を書き始めた。気を固定し、町を守ってほしいと祈る文章だが、装飾性が強い書体で書かれるので、仙術の知識がある者でないと読めないだろう。同行していた先華怜せんかれんも長春仙の作業を手伝っていくつかの文字を書いていた。

 飛露とびつゆは作業に加わらず、辺りに不審な者がいないか確認したり、二人の作る陣を観察したりしている。札や術式の作成は専門外なので、時間をかけて読み解かないとそれが意図する術を理解できない。こんな時に仙術部隊のふしだらな将軍がいれば役に立つのだが……。

 二人は十分な気を注入するために、ゆっくりと丁寧に陣を描き、誰かに消されないよう保護の術らしきものもかけている。風や雨、動物の通行などによっても消える可能性があるので、保護の術は念入りだ。また、万一術式が破損したときに備えて、それを知らせるための術も仕込まれた。
 この合図の術は長春仙やその従者たちが纏う白い装束と結びつけを行っているので、陣に何かあればそれが教えてくれる。布のたっぷりした衣装は、弓と体術を主とする飛露の戦法と相性が悪いので、彼だけは長春仙から渡された白い飾り紐を身に着けることで白装束の代わりとした。

 陣を描きそれを保護する術をかけるには三時間ほどかかる。移動時間もあるので、一日二つ描ければいい方だろう。

「本当はもう少し急いだ方が良いんでしょうけどね……」

 苦笑しながら、長春仙は陣の最後の仕上げを行った。

「かなり念入りな陣だな」

 それを眺めながら飛露が言う。直径一メートルしかない小さな陣に、あまりに多くの効果が込められているせいで、飛露にはもはや陣を読み解くことができない。

「国を守るためには、万が一の事故さえ防がなくてはいけませんから」

 長春仙は顔を上げて額の汗をぬぐった。指先で陣を描き続けていたので、彼女の手はひどく汚れている。飛露はおもむろに手巾を取り出すと、無言で彼女に渡した。

「ありがとうございます」

 嬉しそうに受け取る彼女の気は、いつもの薔薇のとげのような鋭さが薄れ、親しみが感じられた。

 しかし、飛露は手巾を渡し終わるとすぐに長春仙から離れる。初めて会った時に、封印している気を引き出されそうになった嫌な思い出があるからだ。彼女の気に自分の気が共鳴して、飛露にとって喜ばしくないことが起こると困る。

 長春仙も当時のことをよく覚えているようで、飛露とは違う方向へ離れた。申し訳なさそうな顔をしている。先華怜も長春仙の隣で休んでいるので、若干の疎外感がある。しかし、主従として付き合うにはいい距離感だ。
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