85 / 201
第二部 - 終章
終章四節 - 春の訪れ
しおりを挟む
「龍神の加護を祈ります。という言葉はありきたり過ぎますよね」
「僕は使い古された定型文も好きですよ」
空の苦笑に笑みで答える辰海。空がちらりと与羽を見た。彼女は空との話は終わったと判断して、祖父に駆け寄っている。
「あなたがわたしと同じ悲しみを負わない未来を、心より祈ります」
自分の声が与羽に聞こえないことを確認して、空は小さく言った。
「ありがとうございます。……僕は、たぶん少しだけあなたの痛みがわかります」
もし与羽がいなくなったら――。空の胸の内にある悲しみや苦しみは、きっとそれに近いものだ。
「だからこそ、あなたの強さを尊敬します」
辰海が空の立場なら、おそらくこんなに笑顔では生きられないだろう。周りにあるはずの幸せを見る余裕も、誰かを気遣う心も失っているかもしれない。悲しみを乗り越え、新たな使命を負って生きる彼は、強い。
「希理様やあなたたちが、わたしの心を埋めてくれたおかげですよ。ただ、与羽姫のやさしさは、少し自己犠牲が強いように感じます。お気をつけて。大切なものは手放さぬよう」
「わかっています」
辰海は大きくうなずいた。
「……そろそろ刻限のようですね」
空があたりを見回した。別れの言葉は尽きないが、早く出発しなければ予定が狂ってしまう。馬と荷物はすでに関所を越えた先で待機し、あとは与羽たちの別れを待つのみだ。希理や大斗、実砂菜はすでに祖父と話す与羽の近くに集まりつつある。
「月主の光が、永久にあなたを包み込みますように」
空の白い手が辰海の胸の中心に触れた。そこにはかつて神域から持って帰ってしまった水晶がある。空が首飾りに加工してくれたものを身に着けているのだ。衣服の下に隠しているそれは、空の祈りに呼応して少し存在感を増したように感じられた。
「あなたに、幸福を――」
お互いの未来を祈って、辰海と空も移動した。
「希理さん、祖父を頼みます」
しっかりと顔を上げて言う与羽は、普段よりも大人びて立派な姫君に見える。
「もちろんだ。舞行様のことは安心して欲しい。天駆が全力でお守りするし、中州の官吏が国境を越えやすいように配慮もする」
希理は大きな拳で自分の分厚い胸板を叩いた。
「いつでも遊びに来い」
そんな強い言葉に見送られて、与羽たちは国境を越えた。
何度も振り返って手を振ってしまうのは仕方ない。それだけ、天駆での思い出は素敵で、別れが名残惜しいのだ。
「また、会えるから」
辰海は二歩進むごとに後ろを見る与羽に言った。この先にある角を曲がれば、見送りの人々は見えなくなる。先頭を進む大斗は、与羽のためにゆっくり歩いてくれているものの、立ち止まることはないだろう。
大きな門を越え、官吏が控える検問室の脇を通り――。目の前に開けたのは、活気ある中州の風景だ。冬籠りを終えた旅人が、それぞれの目的地を目指している。
振り返れば、もう祖父の姿も大きな天駆領主の身体も見えない。
「与羽、ひとりで馬に乗れるかい?」
「……がんばってみます」
大斗に聞かれて、与羽はそう答えた。はじめて龍頭天駆を訪れた時も、龍頭天駆内での移動も、湯治場に行った時も、一人で馬に乗った。違いは馬を引いてくれる武官がいない点だが、なんとかなるはずだ。
辰海に手伝ってもらいながら、鞍に座って背を伸ばす。この高い視点にも少し慣れた。
「……じゃあ行こっか。ミサ、古狐。与羽の左右に並んでて。野火女官は与羽の後ろだよ」
「「はい」」
複数人の声が重なって、隊列を作る。
「路面が結構荒れてるから、揺れに気をつけてね」
与羽の隣で辰海がそう注意してくれた。
「大丈夫大丈夫。大丈夫って思えば大丈夫だから」
実砂菜も明るい声で言う。
ゆっくりと中州城下町へ向けて馬が歩みはじめた。
きっと大丈夫だ。肩と腕に力をこめながら、与羽は内心で自分に言い聞かせる。
「ほら、与羽見て」
辰海が頭上を指すと、小鳥が群れを成して飛んでいた。どこかに餌を探しに向かっているのだろう。
「井戸の横には花が咲いてるよ」
次に横を――。別れの感傷を紛らわせようとしているのか、彼は目についたものを一つ一つ教えてくれる。
「あれはホトケノザだね。子どもの頃良く蜜を吸って歩いたよね」
茎から直接生えた扇型の葉の根本には、細長い赤紫色の花。開けた口のような不思議な先端を持つ花は筒状で、根元には甘い蜜が入っている。
辰海の言う通り、与羽はそれを吸い取るのが好きだった。その遊びは、この辺りに住む子どもたちにも人気のようだ。小さな赤紫の花をぺっと吐き出して、甲高い声が駆け抜けていく。
家々の軒下にはまだ雪が見えるけれど……。
「いい風景じゃ」
あたりに散らばる春の気配に、与羽は笑みを浮かべた。
【第二部:龍神の郷 完】
→【おまけ短編 帰路】
→→【第三部:袖ひちて】
「僕は使い古された定型文も好きですよ」
空の苦笑に笑みで答える辰海。空がちらりと与羽を見た。彼女は空との話は終わったと判断して、祖父に駆け寄っている。
「あなたがわたしと同じ悲しみを負わない未来を、心より祈ります」
自分の声が与羽に聞こえないことを確認して、空は小さく言った。
「ありがとうございます。……僕は、たぶん少しだけあなたの痛みがわかります」
もし与羽がいなくなったら――。空の胸の内にある悲しみや苦しみは、きっとそれに近いものだ。
「だからこそ、あなたの強さを尊敬します」
辰海が空の立場なら、おそらくこんなに笑顔では生きられないだろう。周りにあるはずの幸せを見る余裕も、誰かを気遣う心も失っているかもしれない。悲しみを乗り越え、新たな使命を負って生きる彼は、強い。
「希理様やあなたたちが、わたしの心を埋めてくれたおかげですよ。ただ、与羽姫のやさしさは、少し自己犠牲が強いように感じます。お気をつけて。大切なものは手放さぬよう」
「わかっています」
辰海は大きくうなずいた。
「……そろそろ刻限のようですね」
空があたりを見回した。別れの言葉は尽きないが、早く出発しなければ予定が狂ってしまう。馬と荷物はすでに関所を越えた先で待機し、あとは与羽たちの別れを待つのみだ。希理や大斗、実砂菜はすでに祖父と話す与羽の近くに集まりつつある。
「月主の光が、永久にあなたを包み込みますように」
空の白い手が辰海の胸の中心に触れた。そこにはかつて神域から持って帰ってしまった水晶がある。空が首飾りに加工してくれたものを身に着けているのだ。衣服の下に隠しているそれは、空の祈りに呼応して少し存在感を増したように感じられた。
「あなたに、幸福を――」
お互いの未来を祈って、辰海と空も移動した。
「希理さん、祖父を頼みます」
しっかりと顔を上げて言う与羽は、普段よりも大人びて立派な姫君に見える。
「もちろんだ。舞行様のことは安心して欲しい。天駆が全力でお守りするし、中州の官吏が国境を越えやすいように配慮もする」
希理は大きな拳で自分の分厚い胸板を叩いた。
「いつでも遊びに来い」
そんな強い言葉に見送られて、与羽たちは国境を越えた。
何度も振り返って手を振ってしまうのは仕方ない。それだけ、天駆での思い出は素敵で、別れが名残惜しいのだ。
「また、会えるから」
辰海は二歩進むごとに後ろを見る与羽に言った。この先にある角を曲がれば、見送りの人々は見えなくなる。先頭を進む大斗は、与羽のためにゆっくり歩いてくれているものの、立ち止まることはないだろう。
大きな門を越え、官吏が控える検問室の脇を通り――。目の前に開けたのは、活気ある中州の風景だ。冬籠りを終えた旅人が、それぞれの目的地を目指している。
振り返れば、もう祖父の姿も大きな天駆領主の身体も見えない。
「与羽、ひとりで馬に乗れるかい?」
「……がんばってみます」
大斗に聞かれて、与羽はそう答えた。はじめて龍頭天駆を訪れた時も、龍頭天駆内での移動も、湯治場に行った時も、一人で馬に乗った。違いは馬を引いてくれる武官がいない点だが、なんとかなるはずだ。
辰海に手伝ってもらいながら、鞍に座って背を伸ばす。この高い視点にも少し慣れた。
「……じゃあ行こっか。ミサ、古狐。与羽の左右に並んでて。野火女官は与羽の後ろだよ」
「「はい」」
複数人の声が重なって、隊列を作る。
「路面が結構荒れてるから、揺れに気をつけてね」
与羽の隣で辰海がそう注意してくれた。
「大丈夫大丈夫。大丈夫って思えば大丈夫だから」
実砂菜も明るい声で言う。
ゆっくりと中州城下町へ向けて馬が歩みはじめた。
きっと大丈夫だ。肩と腕に力をこめながら、与羽は内心で自分に言い聞かせる。
「ほら、与羽見て」
辰海が頭上を指すと、小鳥が群れを成して飛んでいた。どこかに餌を探しに向かっているのだろう。
「井戸の横には花が咲いてるよ」
次に横を――。別れの感傷を紛らわせようとしているのか、彼は目についたものを一つ一つ教えてくれる。
「あれはホトケノザだね。子どもの頃良く蜜を吸って歩いたよね」
茎から直接生えた扇型の葉の根本には、細長い赤紫色の花。開けた口のような不思議な先端を持つ花は筒状で、根元には甘い蜜が入っている。
辰海の言う通り、与羽はそれを吸い取るのが好きだった。その遊びは、この辺りに住む子どもたちにも人気のようだ。小さな赤紫の花をぺっと吐き出して、甲高い声が駆け抜けていく。
家々の軒下にはまだ雪が見えるけれど……。
「いい風景じゃ」
あたりに散らばる春の気配に、与羽は笑みを浮かべた。
【第二部:龍神の郷 完】
→【おまけ短編 帰路】
→→【第三部:袖ひちて】
0
あなたにおすすめの小説
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
クラス最底辺の俺、ステータス成長で資産も身長も筋力も伸びて逆転無双
四郎
ファンタジー
クラスで最底辺――。
「笑いもの」として過ごしてきた佐久間陽斗の人生は、ただの屈辱の連続だった。
教室では見下され、存在するだけで嘲笑の対象。
友達もなく、未来への希望もない。
そんな彼が、ある日を境にすべてを変えていく。
突如として芽生えた“成長システム”。
努力を積み重ねるたびに、陽斗のステータスは確実に伸びていく。
筋力、耐久、知力、魅力――そして、普通ならあり得ない「資産」までも。
昨日まで最底辺だったはずの少年が、今日には同級生を超え、やがて街でさえ無視できない存在へと変貌していく。
「なんであいつが……?」
「昨日まで笑いものだったはずだろ!」
周囲の態度は一変し、軽蔑から驚愕へ、やがて羨望と畏怖へ。
陽斗は努力と成長で、己の居場所を切り拓き、誰も予想できなかった逆転劇を現実にしていく。
だが、これはただのサクセスストーリーではない。
嫉妬、裏切り、友情、そして恋愛――。
陽斗の成長は、同級生や教師たちの思惑をも巻き込み、やがて学校という小さな舞台を飛び越え、社会そのものに波紋を広げていく。
「笑われ続けた俺が、全てを変える番だ。」
かつて底辺だった少年が掴むのは、力か、富か、それとも――。
最底辺から始まる、資産も未来も手にする逆転無双ストーリー。
物語は、まだ始まったばかりだ。
ラストアタック!〜御者のオッサン、棚ぼたで最強になる〜
KeyBow
ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞奨励賞受賞
ディノッゾ、36歳。職業、馬車の御者。
諸国を旅するのを生き甲斐としながらも、その実態は、酒と女が好きで、いつかは楽して暮らしたいと願う、どこにでもいる平凡なオッサンだ。
そんな男が、ある日、傲慢なSランクパーティーが挑むドラゴンの討伐に、くじ引きによって理不尽な捨て駒として巻き込まれる。
捨て駒として先行させられたディノッゾの馬車。竜との遭遇地点として聞かされていた場所より、遥か手前でそれは起こった。天を覆う巨大な影―――ドラゴンの襲撃。馬車は木っ端微塵に砕け散り、ディノッゾは、同乗していたメイドの少女リリアと共に、死の淵へと叩き落された―――はずだった。
腕には、守るべきメイドの少女。
眼下には、Sランクパーティーさえも圧倒する、伝説のドラゴン。
―――それは、ただの不運な落下のはずだった。
崩れ落ちる崖から転落する際、杖代わりにしていただけの槍が、本当に、ただ偶然にも、ドラゴンのたった一つの弱点である『逆鱗』を貫いた。
その、あまりにも幸運な事故こそが、竜の命を絶つ『最後の一撃(ラストアタック)』となったことを、彼はまだ知らない。
死の淵から生還した彼が手に入れたのは、神の如き規格外の力と、彼を「師」と慕う、新たな仲間たちだった。
だが、その力の代償は、あまりにも大きい。
彼が何よりも愛していた“酒と女と気楽な旅”――
つまり平和で自堕落な生活そのものだった。
これは、英雄になるつもりのなかった「ただのオッサン」が、
守るべき者たちのため、そして亡き友との誓いのために、
いつしか、世界を救う伝説へと祭り上げられていく物語。
―――その勘違いと優しさが、やがて世界を揺るがす。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる