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第三部 - 一章 雪花舞う
柚子茶と九鬼千斗[1]
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【柚子茶と九鬼千斗】
中州の冬は時間さえ凍ったようにゆっくりと過ぎていく。日の出と同時に起きて、雪かきをして、朝食を食べて。出張診療に行ったり、薬の調合や備品の確認をしたり。一日が何日分にも感じるほど、毎日が充実している。
「お庭のかまくらはできましたか?」
今日はどんなことがあるだろうと想像を膨らませる比呼に、香子は朝食のおかゆを渡しながら尋ねた。白い湯気が部屋中に広がって、いいにおいを漂わせている。
「はい、なんとか……」
比呼は熱々の茶碗で暖を取りながら、うなずいた。先日から作っていたかまくらが、やっと今朝完成したのだ。雪かき後や診察の合間に少しずつしか作業できなかったので、数日かかってしまった。
「大きく作ったせいで、屋根作るの大変だったね」
凪は「うーん」とその場で大きく伸びをしている。彼女の手と顔は、先ほどまで外にいたせいで真っ赤になっていた。
「ごはん遅くなってごめんね」
「すみません」
凪と比呼はかまくら作りに手間取って、香子を待たせてしまったことを謝罪した。
「いいんですよ、そんなこと。大人になっても本気で遊ぶのは楽しいですからねぇ」
しかし、香子にそれを咎める様子はない。むしろ喜んでいるようですらある。
「比呼さんが来てから、凪は元気いっぱい。少女のように眩しくなって……」
「おばあちゃん、余計なこと言わなくて良いから」
凪はなで肩をさらに落としてため息をついた。
「私はもう比呼さんのこと、家族だと思ってますからね。ずっとずっとうちに住んでくださいね、おほほ」
香子は含みありげに笑っている。品の良いしぐさで口元に片手を当てているが、枯れ枝のように細い指では大きく吊り上がった口の端を隠しきれていない。
「あはは。ありがとうございます」
比呼は苦笑した。
「おばあちゃん、そんなこと言ったら比呼が困るでしょ! 比呼、他に住みたい場所ややりたい仕事ができたら、いつでも言ってくれていいんだからね」
凪はさきほどから比呼と祖母を交互に見続けている。
「ありがとう。でも、しばらくはここにいさせてもらいたいんだ。行くところもないし……。凪や香子さんが迷惑じゃなければ、だけど」
「迷惑なんてそんな!」
「安心しんさいな」
凪と香子が同時に口を開く。
「比呼は薬学の知識が豊富だし、体力も筋力もあるし、気も回るし、すごく助かってるんだから。でも、本当に無理強いはしたくないから……」
凪は尻すぼみに声を小さくして、最終的には自分の椀に視線を落とした。
「うん」
どう答えるべきか迷った比呼は、手元の粥をゆっくりと口に運んだ。刻んだ漬物と味噌で薄く味付けされている。食べやすくふやけた米と、シャキシャキした漬物の歯ごたえ、体の内から温めてくれる温度。彼女たちと共に食べる食事は本当においしい。
「凪は人思いのやさしい子なんですよ」
「そうですね」
香子のしわがれた声に、比呼はうなずいた。
「早く嫁に行ってのんびり暮らせと言っているのに、いつまでも薬師家に残って人を診る日々。比呼さんが来てくれて、本当に良かったと思っています。比呼さんがいてくだされば、凪は安心して嫁にいけるでしょうし、このまま二人で添って暮らすのも――」
「おばあちゃんは、すぐにそうやって話を飛躍させるんだから……」
どうやら、香子は比呼と凪を夫婦にしたいらしい。比呼はまだ凪のことを十分に知らないし、自分の過去がこれから中州にどう影響するのかも未知数だ。城主が比呼への処遇を変える可能性もありえる。しかし、もし全ての不安を取り除くことができたら。
――そう言う未来も悪くないのかも。
口喧嘩を続ける二人を見ながら、比呼は思った。半年前には想像すらできなかったことばかり。しかし、とても幸せだ。この胸の内にある光を、このまま絶やさずにいられるのだろうか……。
「ねぇ、比呼もなんとか言ってやってよ。『自分の将来は自分で決める!』とか、何かかっこよさそうなやつ」
祖母に言い負かされそうになっている凪が、助けを求めて比呼を見た。
「うーん……」
希望はあるが、比呼が自分の未来を語るのはまだ早い気がする。
「凪が言わなくても、比呼さんは自分で進む道を決めますよ。今ここにいるように。わたくしの夢はわたくしの夢。凪も比呼さんも周りの迷惑や心配なんて跳ね除けて、自由に理想の夢を追えば良いんです。好きに出歩いて、疲れたら薬師家に帰ってくればいいだけなんですから」
香子は機嫌良さそうに「ほほほ」と笑っている。
「さあさあ、そろそろ奉公人がやってくる時間ですよ。早くごはんを食べて片付けましょう」
下世話な雑談だと思っていたら、意外にも思いやり深い話だった。香子は話をしめくくると、ゆっくりと立ち上がった。彼女の食膳はすでに空っぽになっている。凪の茶碗も残り少し。
「あ、すみません。急ぎます」
比呼は慌てておかゆをかきこんだ。
中州の冬は時間さえ凍ったようにゆっくりと過ぎていく。日の出と同時に起きて、雪かきをして、朝食を食べて。出張診療に行ったり、薬の調合や備品の確認をしたり。一日が何日分にも感じるほど、毎日が充実している。
「お庭のかまくらはできましたか?」
今日はどんなことがあるだろうと想像を膨らませる比呼に、香子は朝食のおかゆを渡しながら尋ねた。白い湯気が部屋中に広がって、いいにおいを漂わせている。
「はい、なんとか……」
比呼は熱々の茶碗で暖を取りながら、うなずいた。先日から作っていたかまくらが、やっと今朝完成したのだ。雪かき後や診察の合間に少しずつしか作業できなかったので、数日かかってしまった。
「大きく作ったせいで、屋根作るの大変だったね」
凪は「うーん」とその場で大きく伸びをしている。彼女の手と顔は、先ほどまで外にいたせいで真っ赤になっていた。
「ごはん遅くなってごめんね」
「すみません」
凪と比呼はかまくら作りに手間取って、香子を待たせてしまったことを謝罪した。
「いいんですよ、そんなこと。大人になっても本気で遊ぶのは楽しいですからねぇ」
しかし、香子にそれを咎める様子はない。むしろ喜んでいるようですらある。
「比呼さんが来てから、凪は元気いっぱい。少女のように眩しくなって……」
「おばあちゃん、余計なこと言わなくて良いから」
凪はなで肩をさらに落としてため息をついた。
「私はもう比呼さんのこと、家族だと思ってますからね。ずっとずっとうちに住んでくださいね、おほほ」
香子は含みありげに笑っている。品の良いしぐさで口元に片手を当てているが、枯れ枝のように細い指では大きく吊り上がった口の端を隠しきれていない。
「あはは。ありがとうございます」
比呼は苦笑した。
「おばあちゃん、そんなこと言ったら比呼が困るでしょ! 比呼、他に住みたい場所ややりたい仕事ができたら、いつでも言ってくれていいんだからね」
凪はさきほどから比呼と祖母を交互に見続けている。
「ありがとう。でも、しばらくはここにいさせてもらいたいんだ。行くところもないし……。凪や香子さんが迷惑じゃなければ、だけど」
「迷惑なんてそんな!」
「安心しんさいな」
凪と香子が同時に口を開く。
「比呼は薬学の知識が豊富だし、体力も筋力もあるし、気も回るし、すごく助かってるんだから。でも、本当に無理強いはしたくないから……」
凪は尻すぼみに声を小さくして、最終的には自分の椀に視線を落とした。
「うん」
どう答えるべきか迷った比呼は、手元の粥をゆっくりと口に運んだ。刻んだ漬物と味噌で薄く味付けされている。食べやすくふやけた米と、シャキシャキした漬物の歯ごたえ、体の内から温めてくれる温度。彼女たちと共に食べる食事は本当においしい。
「凪は人思いのやさしい子なんですよ」
「そうですね」
香子のしわがれた声に、比呼はうなずいた。
「早く嫁に行ってのんびり暮らせと言っているのに、いつまでも薬師家に残って人を診る日々。比呼さんが来てくれて、本当に良かったと思っています。比呼さんがいてくだされば、凪は安心して嫁にいけるでしょうし、このまま二人で添って暮らすのも――」
「おばあちゃんは、すぐにそうやって話を飛躍させるんだから……」
どうやら、香子は比呼と凪を夫婦にしたいらしい。比呼はまだ凪のことを十分に知らないし、自分の過去がこれから中州にどう影響するのかも未知数だ。城主が比呼への処遇を変える可能性もありえる。しかし、もし全ての不安を取り除くことができたら。
――そう言う未来も悪くないのかも。
口喧嘩を続ける二人を見ながら、比呼は思った。半年前には想像すらできなかったことばかり。しかし、とても幸せだ。この胸の内にある光を、このまま絶やさずにいられるのだろうか……。
「ねぇ、比呼もなんとか言ってやってよ。『自分の将来は自分で決める!』とか、何かかっこよさそうなやつ」
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「うーん……」
希望はあるが、比呼が自分の未来を語るのはまだ早い気がする。
「凪が言わなくても、比呼さんは自分で進む道を決めますよ。今ここにいるように。わたくしの夢はわたくしの夢。凪も比呼さんも周りの迷惑や心配なんて跳ね除けて、自由に理想の夢を追えば良いんです。好きに出歩いて、疲れたら薬師家に帰ってくればいいだけなんですから」
香子は機嫌良さそうに「ほほほ」と笑っている。
「さあさあ、そろそろ奉公人がやってくる時間ですよ。早くごはんを食べて片付けましょう」
下世話な雑談だと思っていたら、意外にも思いやり深い話だった。香子は話をしめくくると、ゆっくりと立ち上がった。彼女の食膳はすでに空っぽになっている。凪の茶碗も残り少し。
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