龍神の詩 ~龍の姫は愛されながら大人になる~

白楠 月玻

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  第三部 - 二章 三冬尽く

二章二節 - 巣籠り戸を開く

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 いつもの日常ではあったが、この日は昼前に来客があった。

「お~い、比呼ひこ。様子を見に来たぜ」

 玄関先で声を張り上げたのは、冬の間に何度も顔を合わせた雷乱らいらん――与羽ようの護衛官だ。

「雷乱、いらっしゃ~い」

 ナギが言いながら玄関へ出て行く。
 中州城下町でもまれにみる長身かつ大柄な雷乱は、少し身をかがめるようにして居間にやってきた。分厚い着物を着てはいるが、上着は身につけていない。寒くないのだろうか。

「今日は日が出てきたぜ」

 いぶかしげな比呼の表情を見てか、雷乱が戸口の方を親指で指しながら言った。

「眩しくて目が眩みそうだ。通りも荒れ始めてるしよ」

 雷乱は城の使用人棟にある一室で寝泊まりしている。城から大通りの中ほどにあるこの薬師くすし家に来る過程で、いくつかの苦労があったらしい。

「冬ももう終わりですねぇ」

 香子かおるこが、雷乱のためにお茶を入れながら言った。その口調はしみじみと噛み締めるようにゆっくりだ。

「新たに巡ってくる春のあなうれしや。冬が厳しいと、春の暖かさはいっそうすばらしく感じます」

「本当よね」

 凪も相槌を打つ。みんなの会話を聞きながら、比呼は今朝見た風景や朝食の味を思い出した。

「春ってことは、与羽たちもそろそろ帰ってくるのかな……」

 春の訪れで比呼が一番に思うのは、自分を救ってくれたやさしい少女のことだ。

「かもな」

 雷乱がうなずく。

「そっか……」

 それはとても喜ばしいことだが、心を重くするものもある。できることならば、彼女が戻ってくるまでにこの町に馴染み切りたかった。与羽を安心させたかった。

「何暗い顔してるの?」

 凪は不思議そうに比呼の顔を見ている。彼女はこの冬の間で、かなり比呼の表情を読めるようになった。

「春までに、もうちょっと城下町に馴染みたかったなって」

 比呼は正直に答えた。

「そんなこと気にしなくて良いのに……」

 励ますような、ありのままを受け入れるような凪の言葉は、この冬の間何度も聞いた気がする。彼女の言う通り、不安になって焦る必要はないのかもしれない。しかし、やっぱり――。

「それなら、比呼さん。お出かけしてきてはいかがです?」

「お出かけ?」

 唐突な提案に、比呼は香子を見た。老婆は意味ありげに笑っている。

「それは名案かも!」

 首をかしげる比呼の目の前で、凪は手を一つ叩いて祖母の提案に賛同した。

「ほら、比呼ってずっとあたしたちの手伝いで家にいたでしょ? もっと外を歩いたら、何か変わるかもしれないじゃん」

 そんなに単純なものなのだろうか。比呼の気分転換にはなるかもしれないが。

「比呼さんは美青年ですから、町の奥様の目の保養になるかもしれませんよ? おほほ」

 香子は冗談を言いながら笑っている。

「今日は患者さん少なくて余裕あるし、たまにはお休みしといでよ。――ね? 雷乱、比呼と一緒に行ってもらってもいい?」

「かまわねぇぜ」

 雷乱は凪の依頼を快く引き受けた。

「でも、凪たちも全然休んでないし……」

 比呼は年末に居候いそうろうを始めてから働きづめだったが、それは凪や香子も同様だ。

「お気になさらず。生きがいですから」

 香子はすでに比呼用の上着を取りに立ち上がっている。

「そうそう。あたしもそのうち休ませてもらうから」

「でも……」

「休むのもお仕事!」

 凪が声を張り上げた。

「城下町に早く馴染みたいんでしょ? それなら外に出た方がいいに決まってるよ。それとも、町を歩くのが怖い?」

「怖くは、ないよ」

 比呼を快く思っていない人はまだ残っているが、彼らに恐怖を感じたことはない。

「じゃあ、行っといで」

 穏やかにほほえむ凪は、見た目とは裏腹に強情だ。

「……わかった」

 比呼は彼女に押し切られるように、その善意を受け入れた。

「それでよし」

 凪は満足そうにうなずいている。

「お休みと言っといて悪いけど、日没までには帰ってきてね。夕食準備しておくから」

「うん」

 彼女の笑顔につられるように、比呼も笑みを浮かべた。

「雷乱もうちで夕食食べるでしょ? 比呼を連れ出してくれるお礼」

 次に凪は、比呼の外出準備を待つ雷乱に視線を向ける。彼はすでに履物を履いて土間に立っていた。会話にはほとんど参加していないが、比呼を連れ出す気マンマンだ。

「そりゃ助かるぜ」

 雷乱は嬉しそうに口の端を上げた。彼の金欠はまだ改善されていないらしい。

 比呼は分厚い上着を羽織って、下駄げたを履いた。冬の間愛用していたわらの長靴に足を入れようとして、今日は絶対に下駄の方が良いと雷乱に言われたのだ。雷乱も歯の高い下駄を履いている。

「いってらっしゃい」

 立ち上がった比呼の背に凪の高い声がかけられた。いつもそうだ。あいさつは凪の方からしてくれる。

「いってきます」

 振り返ってぎこちなく笑むと、凪は小さく手を振ってくれた。

「じゃ、ちょっと行ってくるぜ」

 雷乱のように自然にあいさつできるのは、いつになるだろうか。帰宅のあいさつは自分からしようと心に決めて、比呼は雷乱とともに外に出た。
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