龍神の詩 ~龍の姫は愛されながら大人になる~

白楠 月玻

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  第三部 - 二章 三冬尽く

二章三節 - つらら水を滴る

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「うわ……」

 戸をくぐった瞬間、視界が急に明るくなった。玄関脇に積み上げていた雪が、陽光を跳ね返しているのだ。

「眩しさに目がくらんだか?」

 足を止めた比呼ひこに、雷乱らいらんの声が降ってくる。

「大丈夫」

 一瞬不意を突かれたが、視線の位置に気をつければ問題ない。

「お前、適応力高すぎんだろ」

 感心半分、あきれ半分で言う雷乱は、瞬きを繰り返していた。

 早朝に雪下ろしした時は、少し暖かくなって雪が減ってきた程度の気づきだったが、昼前の城下町はその時と大きく様変わりしている。雪雲は西の山脈近くまで追いやられ、日の光が降り注いでいた。陽だまりの中は、間違えようもない春の陽気だ。

 しかし、春の訪れは良いことばかりでもないらしい。冬の間に雪が踏み固められた大通りはひどいありさまだった。雪解け水と通りの土が踏み混ぜられて、いたるところに茶色いぬかるみができている。これは確かに下駄げたで外出しなければならない。さもなくばあっという間に足が泥だらけになるだろう。

「うわぁ……」

 足を踏み出すたびに下駄の歯に泥が絡みついて、ねちょねちょと音を立てた。

「冬と違って転んだら全身茶色だからな、気をつけろよ」

 雷乱がからかうように笑うが冗談ではない。本気で気をつけなくては。ただ、幸いなことにぬかるんだ悪路を歩いた経験はいくらでもある。凍った雪道よりは安心して歩けた。

 比呼は歩幅の大きい雷乱に合わせて進みながら、あたりの風景を楽しんだ。町中に残る雪と雪解け水が太陽の光を反射して、世界全体が小さな水晶をちりばめたようにキラキラ輝いている。大通りの中央に取り残された雪像の残骸は、良く磨かれた巨大な宝石のようだった。解けはじめた表面は濡れて滑らかだが、その内側は氷のように固い。だから、除雪されずに残り続けているのだろうか。この町に残る雪が全て解けきるには、まだもうしばらく時間がかかるに違いない。

「おかーさん、こおり~」

 城下町には、冬前の活気が戻りつつある。

 甘えるような高い声に比呼が首を巡らせると、近くで子どもが母親につららをねだっているところだった。子どもにとって、透明で冷たい氷は宝石ほどの価値を持つ。じっと内側にある泡を眺めてもよし。その冷たさや、水の固まる不思議さに驚いてもよし。そして何より、つららをかじりたいのだ。味もにおいもないが、それは確かに冬にしか味わえない珍味と言える。

 比呼はあたりを見回した。
 大通りに面した屋根の軒は、落ちたつららが通行人を傷つけないように全て根本から折られている。しかし、低い位置にある植木や放置されたおけなどは、滴る水をこごらせたままだ。

 比呼は手近にあるつららを手折たおった。

「はい」としゃがみこんで子どもに渡す。もちろん笑顔を浮かべて。

「あ」

 いきなり目の前に差し出された透き通ったものに、子どもは目をまん丸にした。

 母親も驚いたように比呼を見ている。どうやら比呼の事を知っているらしい。腰まである長髪、華奢きゃしゃな体と女性と見間違えそうな美しい顔立ちの青年。彼の特徴は分かりやすいものが多いので、当たり前かもしれないが……。

 母親は慌てて子どもを自分の後ろに隠そうとした。しかし、子を守る母よりも、好奇心に満ちた子どもの方が速い。

「ありがとう、きれいなおにーちゃん」

 幼子は比呼の差し出していたつららを受け取り、にっこり笑った。前歯が一本ない顔は、とても愛らしい。

「どういたしまして」

 比呼は笑みを深めた。

 その悪意を全く感じない笑顔のおかげか、彼の後ろに姫君の護衛官がいるのを見たからか、母親は子どもをかばうのをやめた。しかしそれでも、全ての警戒が解かれたわけではない。「どうも」と比呼から目を逸らして一礼し、つららを舐める子どもの手を取ると、足早に離れていった。

「おにーちゃん、またね~」

 一方の子どもは振り返り、つららを持った手を振ってくれる。
 その笑顔がうれしくて、比呼も手を振り返した。

「よかったな」

 雷乱の手が比呼の頭に乗せられた。ごつごつした大きな手だった。乱暴に撫でる手つきに、与羽ようや凪のようなやさしさはないが、同じようにあたたかい。

「うん」

 比呼は笑顔を浮かべたままうなずいた。

「よし、それじゃぁ、少し歩くぞ」
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