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第三部 - 二章 三冬尽く
二章四節 - 草木芽生え出る
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雷乱は大通りを端までくだり、城下町の西を守る中州川にかかる橋を渡った。橋から見下ろすと、川に投げ込まれた多量の雪の間を、水が流れているのが見えた。川の水で雪が解かされ、青く神秘的な氷の洞窟ができている。冬の間ここで遊んでいた子どもたちはいない。川に落ちたら危険だからと、辺りを監視する武官に追い返されているようだ。
橋を渡ったあとは川沿いに北へ。西に広がる農地帯の大部分はまだ雪に覆われているものの、田起こしをはじめている人も見える。土の中に空気や肥料を混ぜることで土地を肥やし、春の田植えに備えるのだ。
田んぼの所々に見える緑は、田の神様を祭る笹。中州全体が龍神を信仰していても、田や森や火――色々な物に神が宿るという考え方は残っている。
「お、あったあった」
しばらく川沿いに進んだあと、雷乱が指差したのは黄色い花だった。一寸(三センチ)ほどの大きな花が、緩やかな川の斜面に数輪ずつ固まって咲いている。あちらにも、こちらにも――。
「名前、なんつったかな……」
「福寿草?」
花の隣にしゃがみ込みながら、比呼は答えた。春一番に日の当たる場所で咲く、めでたい花だ。
「それだ。昔、ふきのとうかと思って取ろうとしたら、めちゃくちゃ怒られたな」
「毒があるから……」
見た目は美しいが、扱いを誤ると死の危険もある恐ろしい植物だと比呼は知っていた。
「それで毎年この場所で咲いてんのか。食えるなら絶対みんな採りまくって、すぐなくなるもんな」
彼の話は食べ物関連が多い気がする。冬の間良く「メシ代が――」と食費の心配をしていたし、食べることに大きな執着があるようだ。比呼は大柄な雷乱を見上げた。眉間にしわを寄せて、凄みのある顔をしている。
「雷乱って貧しい家の出身?」
あまり詮索するべきではないと思いつつも、尋ねてみた。中州では珍しいであろう、華金出身者同士ということで親しみを感じたのだ。
「落ちても武家だったから、マシな方ではあったと思うけどな。ただ、兄弟が多かった」
雷乱は比呼の問いに肯定を示した。
「そっか……」
自分で話を振ったものの、比呼はあえてそれ以上彼の家庭について聞かなかった。国を捨てて中州で暮らすことを決めたのだ。きっと幸せな別れはしていない。
「お堀から流れるドブ川があるだろ? そこと第八通りが交わるあたりだ」
「結構街中だけど、あの川の近くってなると治安悪いよね」
「だな。ろくな剣術は習えなかったが、喧嘩は強くなったぜ」
声は明るかったが、過去を語る雷乱の表情は苦しげだ。
「お前は?」
そう聞かれて、比呼は記憶を辿った。
「僕は……、生家の記憶ってないんだ。名前とか本当に断片みたいなものはあるんだけど、たぶんすごく小さい時だったから。物心ついたときには、お城や第二通り近くにあるお師匠のお屋敷にいたよ」
その頃からすでに、比呼の闇に潜む訓練ははじまっていた。
「……聞いて悪かったな」
雷乱はバツが悪そうにうつむいた。
「全然」
比呼は淡い笑みを浮かべて首を横に振った。
「あれがあったから、今の僕は与羽や凪や、君たちと出会えたわけだし」
「龍神様の思し召し、だな」
「それって、中州ではよく使われる言い回し?」
聞きなれない言葉に、比呼は立ち上がりながら尋ねた。
「そうだぜ。この国が龍神を信仰してるのはお前も知ってんだろ? 城主一族がその血を継いでるからか、信心深い奴が多くてな」
「なるほど。しっかり勉強しなきゃ」
再び歩き始めた雷乱を追いかけながら、比呼はうなずいた。
「お前、まじめだな」
雑談を交わしながら進む雷乱は、城下町の北にある丘へ向かっているらしい。「月日の丘」と呼ばれる、町人の憩いの場だ。日が当たる南側には雪がほとんどなく、強い春の気配を感じた。
「この丘は、中州の偉い文官家が管理しててな。そこの庭の見学もできるがどうする?」
丘のふもとには、「月日」と名乗る有名文官家の本家があり、花の季節になると庭園の一部を民のために開放してくれるのだと、雷乱は説明した。
「僕が入ったら嫌な顔されちゃうかもしれないから……」
「気にしすぎだろ」
遠慮がちに肩をすくめた比呼に、雷乱が低い声で言う。
「まぁいい。それなら丘に登ってみようぜ」
少し怒っているようでもあったが、雷乱はそれ以上苦言を呈すことなく、比呼を丘の頂へ続く道に案内した。ここを管理している月日家の財力のおかげか、木のないなだらかな丘もそこへ続く道も良く整備されている。
平らにならされた頂きから見下ろした城下町は、陽光を浴びて輝いて見えた。屋根に積もる雪は取り除かれているか、残っていても屋根の下半分までしかない。通りの端や家々の庭、城の堀や川などにはまだ多くの雪が残されていて眩しかった。
もっと近く、足元を見てみると、爪の先よりも小さな緑の芽が透明な雫を纏っている。虹色に輝くそれは、生まれたばかりの春だ。
橋を渡ったあとは川沿いに北へ。西に広がる農地帯の大部分はまだ雪に覆われているものの、田起こしをはじめている人も見える。土の中に空気や肥料を混ぜることで土地を肥やし、春の田植えに備えるのだ。
田んぼの所々に見える緑は、田の神様を祭る笹。中州全体が龍神を信仰していても、田や森や火――色々な物に神が宿るという考え方は残っている。
「お、あったあった」
しばらく川沿いに進んだあと、雷乱が指差したのは黄色い花だった。一寸(三センチ)ほどの大きな花が、緩やかな川の斜面に数輪ずつ固まって咲いている。あちらにも、こちらにも――。
「名前、なんつったかな……」
「福寿草?」
花の隣にしゃがみ込みながら、比呼は答えた。春一番に日の当たる場所で咲く、めでたい花だ。
「それだ。昔、ふきのとうかと思って取ろうとしたら、めちゃくちゃ怒られたな」
「毒があるから……」
見た目は美しいが、扱いを誤ると死の危険もある恐ろしい植物だと比呼は知っていた。
「それで毎年この場所で咲いてんのか。食えるなら絶対みんな採りまくって、すぐなくなるもんな」
彼の話は食べ物関連が多い気がする。冬の間良く「メシ代が――」と食費の心配をしていたし、食べることに大きな執着があるようだ。比呼は大柄な雷乱を見上げた。眉間にしわを寄せて、凄みのある顔をしている。
「雷乱って貧しい家の出身?」
あまり詮索するべきではないと思いつつも、尋ねてみた。中州では珍しいであろう、華金出身者同士ということで親しみを感じたのだ。
「落ちても武家だったから、マシな方ではあったと思うけどな。ただ、兄弟が多かった」
雷乱は比呼の問いに肯定を示した。
「そっか……」
自分で話を振ったものの、比呼はあえてそれ以上彼の家庭について聞かなかった。国を捨てて中州で暮らすことを決めたのだ。きっと幸せな別れはしていない。
「お堀から流れるドブ川があるだろ? そこと第八通りが交わるあたりだ」
「結構街中だけど、あの川の近くってなると治安悪いよね」
「だな。ろくな剣術は習えなかったが、喧嘩は強くなったぜ」
声は明るかったが、過去を語る雷乱の表情は苦しげだ。
「お前は?」
そう聞かれて、比呼は記憶を辿った。
「僕は……、生家の記憶ってないんだ。名前とか本当に断片みたいなものはあるんだけど、たぶんすごく小さい時だったから。物心ついたときには、お城や第二通り近くにあるお師匠のお屋敷にいたよ」
その頃からすでに、比呼の闇に潜む訓練ははじまっていた。
「……聞いて悪かったな」
雷乱はバツが悪そうにうつむいた。
「全然」
比呼は淡い笑みを浮かべて首を横に振った。
「あれがあったから、今の僕は与羽や凪や、君たちと出会えたわけだし」
「龍神様の思し召し、だな」
「それって、中州ではよく使われる言い回し?」
聞きなれない言葉に、比呼は立ち上がりながら尋ねた。
「そうだぜ。この国が龍神を信仰してるのはお前も知ってんだろ? 城主一族がその血を継いでるからか、信心深い奴が多くてな」
「なるほど。しっかり勉強しなきゃ」
再び歩き始めた雷乱を追いかけながら、比呼はうなずいた。
「お前、まじめだな」
雑談を交わしながら進む雷乱は、城下町の北にある丘へ向かっているらしい。「月日の丘」と呼ばれる、町人の憩いの場だ。日が当たる南側には雪がほとんどなく、強い春の気配を感じた。
「この丘は、中州の偉い文官家が管理しててな。そこの庭の見学もできるがどうする?」
丘のふもとには、「月日」と名乗る有名文官家の本家があり、花の季節になると庭園の一部を民のために開放してくれるのだと、雷乱は説明した。
「僕が入ったら嫌な顔されちゃうかもしれないから……」
「気にしすぎだろ」
遠慮がちに肩をすくめた比呼に、雷乱が低い声で言う。
「まぁいい。それなら丘に登ってみようぜ」
少し怒っているようでもあったが、雷乱はそれ以上苦言を呈すことなく、比呼を丘の頂へ続く道に案内した。ここを管理している月日家の財力のおかげか、木のないなだらかな丘もそこへ続く道も良く整備されている。
平らにならされた頂きから見下ろした城下町は、陽光を浴びて輝いて見えた。屋根に積もる雪は取り除かれているか、残っていても屋根の下半分までしかない。通りの端や家々の庭、城の堀や川などにはまだ多くの雪が残されていて眩しかった。
もっと近く、足元を見てみると、爪の先よりも小さな緑の芽が透明な雫を纏っている。虹色に輝くそれは、生まれたばかりの春だ。
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