龍神の詩 ~龍の姫は愛されながら大人になる~

白楠 月玻

文字の大きさ
156 / 201
  外伝 - 第五章 武術大会

五章九節 - 師弟問答

しおりを挟む
「そこまで!」

 審判が終了の合図をして、与羽ように駆け寄った。

「大丈夫か?」

 試合を見ていた絡柳らくりゅうも駆けてくる。与羽は審判と絡柳の手を借りて体を起こした。

「先輩、私……」

 今まで経験したことないような痛みに、与羽の目はうるんでいる。

「安心しろ。誰が見てもお前の勝ちだった」

 絡柳は与羽の腕に触れながら答えた。

「そんなことじゃないんです」

 しかし与羽は力なさそうに首を横に振る。

「なら、どうした? 傷が痛むか?」

 さらに首を振る与羽。木刀で殴られたところは確かに痛い。しかし、与羽が言いたいのはそのことではないのだ。

 そうこうしているうちに、会場に控えていた医師が走ってきた。

「おお、与羽ちゃん。ナギがいつも――」

 中州城下町で名の知れた医師の家系――薬師くすし家家長、薬師朱里しゅりだ。あいさつをしながらもその手は与羽の左袖をめくり、紫がにじみはじめた腕を見たり、腕や背にさわったりして、異常がないか確かめている。

「だいぶ筋力がついたね」

 自分の腕を握らせて与羽の握力を確かめながら、朱里はそうほほえむ。周りにいる人々を安心させるような穏やかな笑みだった。

「うん。骨折はないみたい。痛いのは木刀が当たった腕と背中だけ?」

「あと、左肩が少し痛いです」

 与羽はまだ瞳を潤ませている。

「それなら、捻挫ねんざしてるのかもしれないね。腕や背中も今はまだそれほどには見えないけど、すぐに大きなあざになると思うし、きっとしばらくの間、動かしたり触れたりしただけで痛むと思うんだ。腕や背の状況から見ても、二週間くらいは安静にしておいたほうがいい。大会も残念だけど――」

「そんな……」

 殴られた傷とは違う痛みが胸を刺す。しかし、このけがを抱えて今後の試合にのぞむ勇気もなかった。諦めて従うしかない。与羽は感傷を悟られないように、乱暴なしぐさで自分の目元をぬぐった。

「ここじゃ十分な設備がないし、誰か与羽ちゃんを薬師家に運んでくれませんか?」

 その隣で、朱里はあたりにいる人々に目を向けている。一番に視線を向けられたのは絡柳だったが、彼にも試合がある。

「わ――」

「俺が行くよ」

 ――悪いが、俺は。

 そう言おうとした絡柳を遮って、与羽を軽々と抱えあげる者がいた。

大斗だいと! いつからいたんだ?」

 まだしばらく試合がないはずの大斗に、絡柳は驚いたように声をかけた。

「今日は朝からいたよ」

「じゃあ、試合も――?」

「見てたよ」

 大斗の答えに与羽はわずかに息をついた。まだ目じりにたまっていた涙が一筋落ちる。

「ふふん?」

 与羽のその様子に、大斗は淡く笑みを浮かべた。高慢な笑みだったが、嫌な感じはしない。

 大斗は与羽を抱えたまま、すぐに城下町のほうへと歩きはじめた。大斗が視線を向けるだけで人垣が割れる。与羽の様子を好奇心に満ちた目で見ようとする者は、強面こわもての大斗と上級文官の絡柳の視線ですぐに顔をそむけた。試合がある絡柳も、時間が許す限り大斗と与羽に同行するつもりだ。

「わざわざ大会で見せようとしなくても、お前の努力は見えてるよ。技も、剣に対する心意気も――」

 いつもより少し柔らかな声で言った大斗は、しかし次の言葉で低く問いかけた。

「でも、これからどうする? ひどいけがをしても、まだ剣を続ける?」

「…………」

 急な質問に、与羽は少しの間無言で考えこんだ。

「それでも、私は剣をやりたいです」

 そして、ゆっくりとそう答える。

「なんで? 次はもっと痛い思いをするかもよ」

「それでも。私は守られるだけの姫でいたくないから……」

 与羽の声は小さかった。それでも、不安でも、ゆっくりと自分の想いを口にするのだ。

「もちろん、自分一人の剣……、力で生きられるとは思っていませんし、これからもいろんな人に守ってもらうんだと思います。でも、少しくらいは自分で自分の身を守りたいなって。そうしていれば、力だけじゃなくて心も強くなれそうで。あと、できれば辰海たつみや、ほかの人たちを少しでも守れたらなって。みんなが私を大事にしてくれるんだから、私も自分を大事にしなきゃで。みんなを大事にしなきゃで。そのために、筋力もだけど心とか、色々強くなりたくて――。えっと――」

「もういいよ。お前の気持ちは大体分かった」

 大斗はそこで与羽の言葉を遮った。

「短い間だったけど、すっかり見違えたんじゃない? なぁ? 絡柳」

「そうだな」

 それは絡柳も与羽の指導を任された時から思っていたことだ。

「お前には、もう真剣を渡しても良いかなって思えるくらい」

「!」

 大斗のつぶやきのような言葉に、与羽と絡柳がそろって大斗の顔を見上げた。

「そんなに驚くほどでもないでしょ? 剣をやっている人は、たいていいつか真剣を手にするんだよ。武官準吏じゅんりになる。親に認められる。いろいろあるけど、師に認められるってのも、十分な理由だよ。与羽の師は俺だし、俺はもう与羽に真剣を持たせても大丈夫だと思った。何の問題もないはずだよ?」

「まぁ……、な」

 まだに落ち切ってはいないものの、絡柳も最終的には賛同を示した。与羽なら剣に物を言わせて不要な暴力をふるうこともないだろう。

「もうお前用の刀はほとんどできてるしね」

 そして、実家が鍛冶屋である大斗の仕事は早かった。

「それで最近道場に来なかったのか?」

 あきれたような絡柳の問いに答えはない。しかし、その横顔から正解だろうと察せた。

「これからも励みな」

「はい」

 師の顔をして言う大斗に、与羽はうなずいた。

 大斗を見上げると、両手で与羽を横抱きにしているためにぬぐうことのできない汗が、彼の額からこめかみ、ほほを伝っていた。その顔にいつもの冷たさはない。大斗のそんな表情を見せてくれた晩夏の日差しに感謝しながら、与羽は静かに目を閉じた。何とも言えない安心感があったのだ。

「与羽?」

 心配そうに低く問いかけてくる絡柳の声も心地よい。

 勝ったにもかかわらず、これ以上試合を続けられないことは確かに悔しい。しかし、勝つ以上に大事なことがあるはずだ。少なくとも、大斗や絡柳に認められたことは勝つよりもうれしかった。

 そして、それ以上に大事なこともあるに違いない。閉じたまぶたに浮かぶのは、兄のように思ってきた幼馴染の顔だった。

「辰海は、大丈夫かなぁ……」

 口の中でそうつぶやく。誰にも聞こえないように。
 ただ風だけがわずかに唇からもれた言葉をさらっていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

クラス最底辺の俺、ステータス成長で資産も身長も筋力も伸びて逆転無双

四郎
ファンタジー
クラスで最底辺――。 「笑いもの」として過ごしてきた佐久間陽斗の人生は、ただの屈辱の連続だった。 教室では見下され、存在するだけで嘲笑の対象。 友達もなく、未来への希望もない。 そんな彼が、ある日を境にすべてを変えていく。 突如として芽生えた“成長システム”。 努力を積み重ねるたびに、陽斗のステータスは確実に伸びていく。 筋力、耐久、知力、魅力――そして、普通ならあり得ない「資産」までも。 昨日まで最底辺だったはずの少年が、今日には同級生を超え、やがて街でさえ無視できない存在へと変貌していく。 「なんであいつが……?」 「昨日まで笑いものだったはずだろ!」 周囲の態度は一変し、軽蔑から驚愕へ、やがて羨望と畏怖へ。 陽斗は努力と成長で、己の居場所を切り拓き、誰も予想できなかった逆転劇を現実にしていく。 だが、これはただのサクセスストーリーではない。 嫉妬、裏切り、友情、そして恋愛――。 陽斗の成長は、同級生や教師たちの思惑をも巻き込み、やがて学校という小さな舞台を飛び越え、社会そのものに波紋を広げていく。 「笑われ続けた俺が、全てを変える番だ。」 かつて底辺だった少年が掴むのは、力か、富か、それとも――。 最底辺から始まる、資産も未来も手にする逆転無双ストーリー。 物語は、まだ始まったばかりだ。

ラストアタック!〜御者のオッサン、棚ぼたで最強になる〜

KeyBow
ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞奨励賞受賞 ディノッゾ、36歳。職業、馬車の御者。 諸国を旅するのを生き甲斐としながらも、その実態は、酒と女が好きで、いつかは楽して暮らしたいと願う、どこにでもいる平凡なオッサンだ。 そんな男が、ある日、傲慢なSランクパーティーが挑むドラゴンの討伐に、くじ引きによって理不尽な捨て駒として巻き込まれる。 捨て駒として先行させられたディノッゾの馬車。竜との遭遇地点として聞かされていた場所より、遥か手前でそれは起こった。天を覆う巨大な影―――ドラゴンの襲撃。馬車は木っ端微塵に砕け散り、ディノッゾは、同乗していたメイドの少女リリアと共に、死の淵へと叩き落された―――はずだった。 腕には、守るべきメイドの少女。 眼下には、Sランクパーティーさえも圧倒する、伝説のドラゴン。 ―――それは、ただの不運な落下のはずだった。 崩れ落ちる崖から転落する際、杖代わりにしていただけの槍が、本当に、ただ偶然にも、ドラゴンのたった一つの弱点である『逆鱗』を貫いた。 その、あまりにも幸運な事故こそが、竜の命を絶つ『最後の一撃(ラストアタック)』となったことを、彼はまだ知らない。 死の淵から生還した彼が手に入れたのは、神の如き規格外の力と、彼を「師」と慕う、新たな仲間たちだった。 だが、その力の代償は、あまりにも大きい。 彼が何よりも愛していた“酒と女と気楽な旅”―― つまり平和で自堕落な生活そのものだった。 これは、英雄になるつもりのなかった「ただのオッサン」が、 守るべき者たちのため、そして亡き友との誓いのために、 いつしか、世界を救う伝説へと祭り上げられていく物語。 ―――その勘違いと優しさが、やがて世界を揺るがす。

処理中です...