龍神の詩 ~龍の姫は愛されながら大人になる~

白楠 月玻

文字の大きさ
168 / 201
  外伝 - 第六章 炎狐と龍姫

六章十二節 - 懺悔と懇願

しおりを挟む
「それなら、せめて僕の懺悔ざんげを聞いて頂けないでしょうか?」

 深刻さを見せない乱舞らんぶに、辰海たつみはゆっくりと問いかけた。真剣な顔で。
 乱舞はそれを受け入れようか、拒絶しようか、一瞬迷ったらしい。辰海はその隙に話しはじめた。

「僕はみんなに愛されている与羽ようがうらやましくて、嫉妬しっと心から与羽にひどいことをたくさんしてしまいました。与羽に冷たくしたり、先日与羽がけがをしたのだって僕が与羽のやさしさを試そうとしたせいです。僕がわがままで、未熟で、人を突き放して優位に立ったり、自分を傷つけて相手の反応を見ることでしか自分の価値を信じられなかったから――」

 与羽と同じ色をした乱舞の目を見ていられなくて、辰海は自分の膝に視線を落とした。

「今は、後悔していますし、反省しています。与羽に対する劣等感はまだ消えていませんが、なんとかして自分が犯した罪をつぐないたいと思っています。与羽のために何かしたいって思うんです。与羽を守りたいし、与羽の力になりたいんです」

「……どういう心境の変化?」

 彼がそう尋ねるのも無理はないだろう。辰海はつい先日まで与羽を心から嫌って、憎んで、目のかたきにしていたのだから。

「与羽を失いそうになって、怖くなりました。僕が望んでいたのはこれじゃないって理解したんです。やっとみんなが僕に教え諭そうとしていた、自分の愚かさに気づいたんです」

 辰海は乱舞の青紫色の瞳を見た。与羽と同じ色だ。それを見るだけで、胸がズキズキと痛む。与羽への罪悪感と嫉妬心で。しかし、覚悟を示すために辰海は中州城主の目を見続けた。

「僕は中州城主だし、与羽が本当に大切だから、安易に信じるとは言えない」

「それで構いません。僕はこれから行動で、自分の意志を示し続けるつもりです」

 辰海は小さくうなずいた。城主や周りの人々の信頼を失うこと。それも辰海が受けるべき罰の一つだ。

「……ちなみに、城主。僕の試験の時、城主がおっしゃったことは、まだ有効でしょうか? 『与羽の後見人を任せたい』と言う……」

 今尋ねることではないかもしれないと思いつつも、辰海はこの機会に知りたいことを口にした。

「それは、……君次第、かな」

 乱舞が思案するように目を細めると、口元にあった最後の笑みの余韻よいんが消えた。やはり今聞くべきことではなかったようだ。

「わかりました」

 辰海が望む最良の答えではなかったが、最悪でもない。これで乱舞と話したいことはすべてだ。

「お忙しいところ、お時間をくださりありがとうございました」

 感謝の言葉を述べて、辰海は腰をあげた。この部屋に来た時に出された茶はまだもくもくと湯気を立てている。それほど短い時間。

「構わんよ」

 乱舞の顔には、再び人懐っこい笑みが浮かんでいた。その表情と彼の持つ色彩が与羽を思い出させて、辰海の瞳が少し揺れた。与羽は無事なのだろうか? 乱舞に聞けば答えがわかるだろう。

 ――与羽は……。

 辰海の唇が小さく動く。しかし、それは声にならなかった。確かめる勇気がない。辰海は目を伏せながら姿勢を正した。

「失礼いたします」

 座ったままの中州城主に深々と頭を下げ、辰海はゆっくりときびすを返した。

「辰海くん」

 その背に乱舞が声をかけたのは、辰海が部屋の敷居をまたぎ越える直前だ。

「ちょっとだけ、与羽に会っていく?」

 ためらいがちな提案に、辰海の肩がはねた。振り返った姿勢のまま、驚きと緊張で身を固くする辰海の視線の先で、乱舞がゆっくりと腰を上げた。

「いいん、ですか?」

 尋ね返した辰海の声は、ひどく上ずっていた。

「会いたいんでしょ?」

 動けない辰海とは裏腹に、乱舞は滑らかな動作で辰海が細く開けた戸を大きく開きなおす。執務室を出ていく後ろ姿を辰海は慌てて追いかけた。突然の出来事に、心臓がバクバク鳴っている。両手で胸を押さえたものの、今度は息が苦しくなって、小さく開けた口からしきりに呼吸した。乱舞に吐息が聞こえないよう浅く、速く。

 乱舞は振り返ることなく、ゆったりとした足取りで辰海を案内していく。
 あの時以来初めて会う与羽。どんな様子だろうか。元気そうならうれしい。しかし、もし死の間際にいたら? 辰海は汗のにじむ手で、着物の襟元を強く握った。

 乱舞の案内した部屋は、屋敷の中ほどにあった。音を立てずに戸を細く開けて中をうかがったあと、乱舞と辰海が入れるように大きく開く。暖かな部屋から漂うのは、血と薬草の匂いだ。

 部屋の中央に布団が敷かれているものの、辰海ははじめ与羽の姿を確認することができなかった。頭に巻かれた包帯と血の気のない白い顔が寝具に溶け込んで見えたから。

「よ……、う」

 辰海の呼びかけはほとんど声になっていなかった。乱舞を押しのけるようにして、辰海は与羽の枕元に膝をついた。その体に触れようと伸ばした手は、ためらいがちに指先を空中にさまよわせたあと、辰海の襟元に戻る。

 与羽は深く眠っているらしかった。呼吸のたびに、布団がわずかに上下している。良く日に焼けているはずの顔は青白く、眉間には浅くしわが寄っていた。

「ヤマは抜けたから、命に別状はないよ。後遺症はなさそうだし、ごはんもおかゆを少しずつだけど食べとる。ただ、傷口がひどく痛むみたいで良くうなされるから、痛み止めで深く眠ってもらっとる」

 乱舞が与羽の状態を簡単に説明してくれた。そうしながらも、辰海の隣に同じように膝をつき、布団の中に手を差し入れている。乱舞が布団の中から引っ張り出したのは、ほっそりした与羽の手だ。骨の浮かぶ手の甲をやさしく撫でたあと、乱舞はそれを辰海に握らせた。今まで布団の中にあった与羽の手はとてもあたたかい。与羽の生命を実感できて、辰海はほうっと長く息をついた。

「与羽」

 辰海は身をかがめて、眠り続ける与羽の耳元に唇を寄せた。

「君が目覚めたらもう一度ちゃんと言うつもりだけど、君にひどいこといっぱいして、ごめん。そして、僕がどれだけ君を突き放しても、僕の友達でいてくれてありがとう」

 ――もう二度と君を傷つけたり、悲しませたりしないから。

 辰海は胸の中で誓った。大事な約束であるにもかかわらず、声に出す勇気を持てない自分が情けない。

 目が熱い。ほほにもそれと同じ熱が伝い、首を経てしわの寄った襟に吸い込まれる。与羽が無事だった安心なのか、後悔なのか、罪悪感なのか。流れ出す感情が何なのかはわからない。

「辰海くん」

 気づかわしげな声に顔をあげると、心配そうに見下ろす乱舞が見えた。辰海はいつの間にか深く身を折り、うずくまっていたらしい。乱舞が差し出す手巾を、辰海は全力で首を横に振って断った。そして、自分の袖で涙と鼻水を拭くと、再び与羽の手を握ったままうずくまる。ピクリとも動かない骨ばった手に額をすりつけるように、祈るように。

「与羽」

 与羽の手にほほを押し付けた。与羽の指でほほを撫でる。それだけでとても幸せな気持ちになるのだ。吐き気をもよおすような罪悪感もある。しかしそれでも、自分は与羽と共にいたいのだと実感した。苦しくても、つらくても――。

 ――叶うなら、君の隣に。

 辰海は懇願するように、震える唇を開いた。

「僕のすべてを、君のために」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

クラス最底辺の俺、ステータス成長で資産も身長も筋力も伸びて逆転無双

四郎
ファンタジー
クラスで最底辺――。 「笑いもの」として過ごしてきた佐久間陽斗の人生は、ただの屈辱の連続だった。 教室では見下され、存在するだけで嘲笑の対象。 友達もなく、未来への希望もない。 そんな彼が、ある日を境にすべてを変えていく。 突如として芽生えた“成長システム”。 努力を積み重ねるたびに、陽斗のステータスは確実に伸びていく。 筋力、耐久、知力、魅力――そして、普通ならあり得ない「資産」までも。 昨日まで最底辺だったはずの少年が、今日には同級生を超え、やがて街でさえ無視できない存在へと変貌していく。 「なんであいつが……?」 「昨日まで笑いものだったはずだろ!」 周囲の態度は一変し、軽蔑から驚愕へ、やがて羨望と畏怖へ。 陽斗は努力と成長で、己の居場所を切り拓き、誰も予想できなかった逆転劇を現実にしていく。 だが、これはただのサクセスストーリーではない。 嫉妬、裏切り、友情、そして恋愛――。 陽斗の成長は、同級生や教師たちの思惑をも巻き込み、やがて学校という小さな舞台を飛び越え、社会そのものに波紋を広げていく。 「笑われ続けた俺が、全てを変える番だ。」 かつて底辺だった少年が掴むのは、力か、富か、それとも――。 最底辺から始まる、資産も未来も手にする逆転無双ストーリー。 物語は、まだ始まったばかりだ。

ラストアタック!〜御者のオッサン、棚ぼたで最強になる〜

KeyBow
ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞奨励賞受賞 ディノッゾ、36歳。職業、馬車の御者。 諸国を旅するのを生き甲斐としながらも、その実態は、酒と女が好きで、いつかは楽して暮らしたいと願う、どこにでもいる平凡なオッサンだ。 そんな男が、ある日、傲慢なSランクパーティーが挑むドラゴンの討伐に、くじ引きによって理不尽な捨て駒として巻き込まれる。 捨て駒として先行させられたディノッゾの馬車。竜との遭遇地点として聞かされていた場所より、遥か手前でそれは起こった。天を覆う巨大な影―――ドラゴンの襲撃。馬車は木っ端微塵に砕け散り、ディノッゾは、同乗していたメイドの少女リリアと共に、死の淵へと叩き落された―――はずだった。 腕には、守るべきメイドの少女。 眼下には、Sランクパーティーさえも圧倒する、伝説のドラゴン。 ―――それは、ただの不運な落下のはずだった。 崩れ落ちる崖から転落する際、杖代わりにしていただけの槍が、本当に、ただ偶然にも、ドラゴンのたった一つの弱点である『逆鱗』を貫いた。 その、あまりにも幸運な事故こそが、竜の命を絶つ『最後の一撃(ラストアタック)』となったことを、彼はまだ知らない。 死の淵から生還した彼が手に入れたのは、神の如き規格外の力と、彼を「師」と慕う、新たな仲間たちだった。 だが、その力の代償は、あまりにも大きい。 彼が何よりも愛していた“酒と女と気楽な旅”―― つまり平和で自堕落な生活そのものだった。 これは、英雄になるつもりのなかった「ただのオッサン」が、 守るべき者たちのため、そして亡き友との誓いのために、 いつしか、世界を救う伝説へと祭り上げられていく物語。 ―――その勘違いと優しさが、やがて世界を揺るがす。

処理中です...