龍神の詩 ~龍の姫は愛されながら大人になる~

白楠 月玻

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  外伝 - 第六章 炎狐と龍姫

六章十三節 - 炎狐と冷王

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  * * *

 乱舞らんぶと話して、会うべき人が一人増えた。太一たいちに頼んで、面会の約束を取り付けたものの、彼が指定した日時と場所は、辰海たつみの予想に反するものだった。

九鬼くき武官」

 低いやぐらの上から中州城の裏手を見張っている少年に、辰海は呼びかけた。九鬼大斗だいと。たった四年で武官準吏じゅんりから中級武官となった武官筆頭家の次期当主だ。

「何の用?」

 大斗はちらりと辰海を見下ろしただけで、すぐにその視線を周辺の監視に戻した。彼がこの時間と場所を指定してきたにもかかわらず、ひどくそっけない。しかし、辰海は不満を見せることなく深々と頭を下げた。

「僕のせいで九鬼武官には、多大なご迷惑をおかけしました。本当にすみませんでした」

 あの時、誰よりも早く与羽ようを助けに駆けつけてくれたこと。乱舞に辰海をかばうような報告をしてくれたこと。辰海が与羽をさけていた間、与羽を教え導いてくれたこと。大斗にも謝罪と感謝を示す必要がある。

 大斗はため息をついた。次の瞬間、軽やかな動作で櫓の手すりを乗り越える。低いとはいえ、自分の身長以上の高さからためらいもなく飛び降りてきた。

「はぁ」

 地面を転がって着地したあと、大斗は二つ目のため息をついた。

「俺はお前に迷惑かけられたなんて思ってないけど。そもそも、俺はお前と口を聞いたことすらほとんどない赤の他人だ」

 着物の砂埃を払いながら言う大斗は、辰海の方を見もしない。

「……はい」

 冷たい言葉に、辰海はうなずくことしかできなかった。彼の言う通り、辰海と大斗の関係性は薄い。それぞれが文官筆頭家と武官筆頭家の跡取りであるにもかかわらず、お互い積極的にかかわりを持とうとしなかった。上級官吏になる未来を考えれば、絶対に密な交流を持たなければならない相手であるというのに。以前ならば、まだ子どもだからと許されたかもしれない。しかし、準吏になり、官吏を目指すと決めた今は避けることのできない相手だ。

「あの……」

 辰海は意を決して顔を上げた。成長期前の辰海にとって、大斗は見上げるほど大きい。大斗は鋭い目を細めて、無言で辰海を威圧した。

「えっと……」

 殺気にも近い敵意に、辰海の決意はあっという間に打ち砕かれた。

「九鬼武官が、『与羽は僕を助けようとして川原に落ちた』と証言してくださったと伺いました。ありがとうございました」

 辰海は現場となった石垣の下に目を向けながら言った。

「俺は自分が見たままを伝えただけだよ。お前に感謝されることなんて何もしてない」

 大斗の言動は一貫して辰海を突き放している。彼に辰海を気遣うやさしい言葉は期待していないが、大斗の冷たい態度は覚悟していても身がすくむ。

「あとは、えっと……」

 辰海は言うべきことを探した。事前に脳内で準備していたにもかかわらず、緊張した頭は必要な情報を出力してくれない。

「与羽のこと……」

 与羽の何を話そうと思っていたんだろう。

「えっと、その」

 周囲に視線をさまよわせながら言葉を探す辰海の視界にこぶしが見えたのは、それがほほに当たる直前だった。一瞬だけ見えた肌色と、強い衝撃、宙に浮く体。とっさに地面に向けて手を出して受け身を取ったものの、殴られたほほも地面に打ち付けた体もひどく痛んだ。

「もっとはっきり喋ったらどう?」

 大斗はいらだたしげな低い声で言いながら、片足を辰海の体の下に差し込むと、乱暴に仰向けた。そして、辰海が起き上がる隙もなく、胸に振り下ろす。

「ぐぁ……」

 胸を踏まれ、辰海の口から空気とうめき声が漏れた。

「俺は与羽にお前を殴らせたくて武術を教えたのに、与羽はずーっとお前の心配ばかり」

 大斗は片足で辰海を踏んだまま、身をかがめた。辰海の目の前に大斗の強面がある。辰海の顔を真っすぐ見下ろす暗紫色の瞳にひるむと同時に、少し嫉妬を感じた。彼には龍の名残があるのだ。

「死にたいなら与羽の見てないところで勝手に死にな。今回は与羽の願いを優先したけど、次はないから」

 大斗はあの時の状況を正確に把握していた。それでも、与羽が辰海への罰を望まないとわかっていたから、辰海をかばうような言動をしたのだ。与羽のために。

「……はい」

「ひとりで死ぬ勇気がないなら、俺がここで殺してやるけど?」

 辰海の意見を確かめるように語尾を上げて尋ねる大斗は、本気で言っているらしい。辰海を踏みつける大斗の体が重くなった。

「それは……」

 いやだと思う。

「僕は……、与羽のために、生きたい……」

 それは新たに生まれた小さな願い。しかし、それを大声で宣言するのははばかられて、辰海は大斗から顔をそむけた。

「なんて?」

 大斗から目をそらした辰海のあごを大斗の大きな手がつかんだ。豆とささくれだらけの、硬くざらついた手だった。

「僕は……」

 強い力で無理やり大斗を見るよう仕向けられた辰海は、暗紫色の目を見てつぶやいた。

「僕はこれから、与羽のために、……生きたいんです」

 その言葉に、大斗の目が不快そうに細められる。

「虫のいい話だね。あれだけ与羽を嫌っておいて、いまさら何言ってんの? 罪滅ぼしのつもり?」

 挑発するような、さげすむような言葉。後ろめたさにそらそうとした顔は、再び大斗の強い力で戻された。

「どうなの?」

「九鬼武官の言う通りかもしれません……。でも、与羽を守りたいと思った、から……」

 大斗の眼光に耐え切れず、辰海の声はどんどん小さくなっていく。それと反比例するように、辰海のあごをつかむ大斗の手には力がこもる。このまま骨を砕かれるのではないかと思うほどに。
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