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第四部 - 二章 龍姫の恋愛成就大作戦
二章四節 - 上段の間
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数刻後――。辰海や絡柳と最終確認を行って、与羽は自室を出た。前には案内の女官だと言い張る竜月、与羽の半歩後ろに辰海と絡柳が並び、最後尾には雷乱がついている。
与羽が通されたのは、城の本殿にある謁見の間。その中でも、上段の間と呼ばれる他よりも一段高くなった場所だ。
謁見の間は、最も奥まった場所にある上段の間からの距離に応じて、一の間、二の間、三の間と分けられている。与羽の正面にある一の間には上位六位の文官が横並びに座り、その背後に彼らの補佐官や一部の上級文官、護衛の上級武官がいた。一の間を取り囲むように開け放たれた二の間と三の間にはその他の文官が多数控えている。
さらにその外側の縁側にいるのは、警護の武官や使用人、官吏見習いである準吏たちだ。ちなみに、与羽の護衛官である雷乱は武器を持たないことを条件に、一の間の隅にいることを許された。
与羽を上段の間に座らせ、着物の裾を整えた辰海も一の間にいる父――卯龍の斜め後ろに座った。彼の前には、漆塗りの上等な机が置いてある。朝議の議事録を取るのは、彼が準吏時代から行っている仕事の一つだ。
辰海が上段の間を離れると、そこにいるのは与羽だけとなる。急に心細さを感じた。
全ての人が自分を見ている。親しみなれた人でさえ普段見ないようなまじめな表情を浮かべ、いつもと違う雰囲気をまとっていた。私事と仕事を切り替えられるのは、有能な官吏の証なのだろうが、与羽が良く知る彼らのままでいて欲しいとも思う。
与羽は自分を落ち着かせるために小さく深呼吸した。それを合図とするように、一の間で最も上座――与羽の近くに座っている白髪の男性が与羽の目の前に進み出た。年齢の差はあるものの、その顔だちは辰海とよく似ている。ただ、彼の方が精悍で白髪と相まって老成した印象を与える。
文官第一位、古狐卯龍。
「まずは、姫。いえ、城主代理。おはようございます」
卯龍がそう頭を下げると集まっていた官吏が皆同時に頭を下げた。
「お、おはようございます。顔をあげてください」
与羽はその一糸乱れぬ動きに度肝を抜かれた。これだけで中州の官吏の優秀さがわかった気がする。
「最初の議案は、城主代理からご提案があるとか」
卯龍は脇に置いた帳面をめくることもなく言う。全ての情報がすでに彼の頭に入っているのだろう。
「はい。古狐文官、お願いしてもよろしいでしょうか」
与羽は誰からも見えないように豪華な袖の中でこぶしを握り締めると、普段よりもゆったりした口調を心がけて幼馴染を見た。
「はい」
美しい所作で立ち上がる辰海を見て驚く者はいなかった。こういう時、与羽の行動の裏には、補助役として必ず辰海がいると誰もが知っているからだ。
「これは、与羽姫と水月大臣、そして僕で作り上げた計画です」
しかし、辰海のその発言で大臣を中心に表情を変える者が幾人かいた。事前の打ち合わせでは「与羽から提案がある」との説明だったので、彼女らしい何かしらのやさしくてほほえましい話があるのだろうと予想していた。しかし、文官第五位を務める水月絡柳が関わっているとすれば、それは少女の夢物語では終わらないだろう。これから辰海が話す内容は、油断せずに聞く必要があると察したのだ。
辰海は緊張した様子もなく、丁寧な口調で貸本屋計画の説明をしていった。片手に資料の束を持っているものの、その内容にほとんど視線を向けることなくそらんじる様子は、父親とよく似ている。腕を組んで息子の説明を聞いている卯龍は深くうなずき、その内容の正確さを認めた。
「我々はこの貸本屋計画の必要性を確信しており、すでにこの計画が実行可能段階まで完成していると確信しています。このまま城主代理の承認をいただきたいのですが、よろしいですね?」
こんな強気な態度が許されるのは、文官筆頭家の跡取りである辰海くらいだろう。それを見越して絡柳は説明役を辰海に譲ったのだが、家柄という武器の強さを目の当たりにして胸に黒いものが浮かばないと言えば嘘になる。
「……まぁ、いいだろう」
卯龍は辰海から受け取った資料を吟味しながらうなずいた。時々、前の内容に戻って見比べるなどして、確認を怠らない。
「辰海、これはお前が作ったのか?」
「はい、絡柳先輩に監督していただきながら作りました」
辰海は多くの官吏の前で発言していた先ほどまでと違って身をこわばらせ、恐縮しているように見えた。辰海にとって、官吏としての父親は誰よりも尊敬できる存在だ。百人の官吏の言葉よりも、父親ひとりの判断の方が辰海にとっては重い。
「二ヶ所、言い回しが少し俺好みじゃないところがあるが、内容は完璧だ。だが、こういう話は俺に一回相談しろ」
卯龍の灰桜色の目が与羽と辰海、そして絡柳を順番に睨み据えていった。
「ごめんなさい」「すみません」「申し訳ありません」
と三人の口から謝罪の言葉が漏れた。
与羽が通されたのは、城の本殿にある謁見の間。その中でも、上段の間と呼ばれる他よりも一段高くなった場所だ。
謁見の間は、最も奥まった場所にある上段の間からの距離に応じて、一の間、二の間、三の間と分けられている。与羽の正面にある一の間には上位六位の文官が横並びに座り、その背後に彼らの補佐官や一部の上級文官、護衛の上級武官がいた。一の間を取り囲むように開け放たれた二の間と三の間にはその他の文官が多数控えている。
さらにその外側の縁側にいるのは、警護の武官や使用人、官吏見習いである準吏たちだ。ちなみに、与羽の護衛官である雷乱は武器を持たないことを条件に、一の間の隅にいることを許された。
与羽を上段の間に座らせ、着物の裾を整えた辰海も一の間にいる父――卯龍の斜め後ろに座った。彼の前には、漆塗りの上等な机が置いてある。朝議の議事録を取るのは、彼が準吏時代から行っている仕事の一つだ。
辰海が上段の間を離れると、そこにいるのは与羽だけとなる。急に心細さを感じた。
全ての人が自分を見ている。親しみなれた人でさえ普段見ないようなまじめな表情を浮かべ、いつもと違う雰囲気をまとっていた。私事と仕事を切り替えられるのは、有能な官吏の証なのだろうが、与羽が良く知る彼らのままでいて欲しいとも思う。
与羽は自分を落ち着かせるために小さく深呼吸した。それを合図とするように、一の間で最も上座――与羽の近くに座っている白髪の男性が与羽の目の前に進み出た。年齢の差はあるものの、その顔だちは辰海とよく似ている。ただ、彼の方が精悍で白髪と相まって老成した印象を与える。
文官第一位、古狐卯龍。
「まずは、姫。いえ、城主代理。おはようございます」
卯龍がそう頭を下げると集まっていた官吏が皆同時に頭を下げた。
「お、おはようございます。顔をあげてください」
与羽はその一糸乱れぬ動きに度肝を抜かれた。これだけで中州の官吏の優秀さがわかった気がする。
「最初の議案は、城主代理からご提案があるとか」
卯龍は脇に置いた帳面をめくることもなく言う。全ての情報がすでに彼の頭に入っているのだろう。
「はい。古狐文官、お願いしてもよろしいでしょうか」
与羽は誰からも見えないように豪華な袖の中でこぶしを握り締めると、普段よりもゆったりした口調を心がけて幼馴染を見た。
「はい」
美しい所作で立ち上がる辰海を見て驚く者はいなかった。こういう時、与羽の行動の裏には、補助役として必ず辰海がいると誰もが知っているからだ。
「これは、与羽姫と水月大臣、そして僕で作り上げた計画です」
しかし、辰海のその発言で大臣を中心に表情を変える者が幾人かいた。事前の打ち合わせでは「与羽から提案がある」との説明だったので、彼女らしい何かしらのやさしくてほほえましい話があるのだろうと予想していた。しかし、文官第五位を務める水月絡柳が関わっているとすれば、それは少女の夢物語では終わらないだろう。これから辰海が話す内容は、油断せずに聞く必要があると察したのだ。
辰海は緊張した様子もなく、丁寧な口調で貸本屋計画の説明をしていった。片手に資料の束を持っているものの、その内容にほとんど視線を向けることなくそらんじる様子は、父親とよく似ている。腕を組んで息子の説明を聞いている卯龍は深くうなずき、その内容の正確さを認めた。
「我々はこの貸本屋計画の必要性を確信しており、すでにこの計画が実行可能段階まで完成していると確信しています。このまま城主代理の承認をいただきたいのですが、よろしいですね?」
こんな強気な態度が許されるのは、文官筆頭家の跡取りである辰海くらいだろう。それを見越して絡柳は説明役を辰海に譲ったのだが、家柄という武器の強さを目の当たりにして胸に黒いものが浮かばないと言えば嘘になる。
「……まぁ、いいだろう」
卯龍は辰海から受け取った資料を吟味しながらうなずいた。時々、前の内容に戻って見比べるなどして、確認を怠らない。
「辰海、これはお前が作ったのか?」
「はい、絡柳先輩に監督していただきながら作りました」
辰海は多くの官吏の前で発言していた先ほどまでと違って身をこわばらせ、恐縮しているように見えた。辰海にとって、官吏としての父親は誰よりも尊敬できる存在だ。百人の官吏の言葉よりも、父親ひとりの判断の方が辰海にとっては重い。
「二ヶ所、言い回しが少し俺好みじゃないところがあるが、内容は完璧だ。だが、こういう話は俺に一回相談しろ」
卯龍の灰桜色の目が与羽と辰海、そして絡柳を順番に睨み据えていった。
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