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第四部 - 二章 龍姫の恋愛成就大作戦
二章六節 - 城主代理の視察
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予定より少し長くなった朝議のあとは、休憩時間だ。与羽は竜月の手を借りて重い打掛を脱ぐと、辰海や竜月、雷乱と共に昼食をとることにした。絡柳はいない。きっと休憩を早く切り上げて、今日の朝議で決まったことを実行に移すべく行動を開始しているのだろう。
休憩は一刻(二時間)と十分に用意されていたが、着替えと化粧直しで、あまり休めた気はしなかった。それでも動きにくい打掛姿から、家紋の入った外出着に着替えられたのはありがたい。
「午後もお勤めがあるんですから、あまり着崩れないようにしてくださいね」
あまりの身軽さに飛び跳ねそうになっている主人に、竜月がやんわりと注意を促した。
城主代理の午後の予定は城下町北部にある水門の視察からはじまる。中州川に引き入れる水の量を調節する水門は、常に激しい流れにさらされて痛みやすいのだ。
「鉄の水門を設ければ手入れが楽になるんですが、木製の方が有事の際に壊しやすいということで、何十年も今の形で使っとるんです」
「なるほど」
城に外敵が迫った際、中州川の水量を増やして城下町全体を要塞化するのは、中州川が作られた時から用いられる防衛手段だ。ただし、平常時に水門が壊れては大問題なので、毎日欠かさず点検を行う決まりになっていた。時には大臣や上級武官が水門や点検作業に不備がないか確認するのだが、今回はそれを城主代理である与羽が行う。と言っても、担当官吏の話を聞き、水門とそこから中州川へ注がれる水量を目視するだけだが。
「いつもありがとうございます」
水門も官吏の仕事ぶりも問題なさそうだ。与羽は辰海の助言に耳を傾けつつそう結論付けた。
その後は、水門から中州川沿いを歩きつつ、農地の確認だ。田んぼに水が引かれ、その一角で稲の苗を育てているところもある。稲作は今のところ順調だろう。田んぼへ水を引くための用水路は、ごみや泥が取り除かれ、山脈からの雪解け水が澄んだ流れを作っていた。
遠景の華金山脈を見ると、その峰にはまだ雪が残っており、傾いた陽光で赤く染まっている。空にも茜色が広がり、刻々と近づく夜を感じさせた。そろそろ昼間働く人々が仕事をやめ、帰宅を急ぐ時間だろうか。
しかし、与羽にはもう一ヶ所行くべきところがあった。大通りに面する薬師家。与羽はこの日、かつて城主一族の暗殺を企てた元暗殺者に会うと決めていた。
「比呼、遅くなってごめん」
「気にしないで。むしろ、今日の診察が終わったあとに来てくれてよかった」
城主代理とは思えない低姿勢で謝罪する与羽に、比呼はきれいな笑みを見せた。
「えっと、今日は城主代理として話があって来たんじゃ」
「はい。先日いただいた手紙を拝見しました」
与羽はまだ申し訳なさそうに肩をすくめていたが、比呼は目上の人と話すのにふさわしい態度に変わっている。それは、与羽と自分の立場の差を示すのはもちろん、己の心を守るためのものでもあったかもしれない。比呼が受け取った手紙に話の内容は書かれていなかったが、予想はついているし、この日に向けて覚悟もしてきた。
比呼は以前絡柳と話した内容を思い出していた。与羽たちや中州を守るために、間諜として生きてきた際の経験を使う、と。きっと今日はそれを中州国からの正式な依頼として伝えに来たのだ。あえて与羽が城主代理を務めている今、この時に。与羽が頼めば、比呼は断らないと予想して。残酷なやり方だが、絡柳なら大切なものを守るためにやるだろう。
中州国や城下町、そして与羽をはじめとする大切な人々を守りたい気持ちは比呼の中にも強くある。間違いない。しかし、闇の中に戻るのは嫌だと思う。その依頼に与羽を使うのも気に入らない。
自分はこの数ヶ月ですっかりわがままになってしまったようだ。比呼はいつの間にか心のうちに根を張っている自我をやさしく押さえつけた。
「僕は中州の姫君に忠誠を誓いました。ですから、何でも命じてください」
ただ、「中州の姫君」と強調して、与羽のために働くのだと示す。
比呼の言葉に与羽は眉間に軽くしわを寄せた。彼女の後ろに座る辰海の表情は変わらない。ずっと穏やかなままだ。
休憩は一刻(二時間)と十分に用意されていたが、着替えと化粧直しで、あまり休めた気はしなかった。それでも動きにくい打掛姿から、家紋の入った外出着に着替えられたのはありがたい。
「午後もお勤めがあるんですから、あまり着崩れないようにしてくださいね」
あまりの身軽さに飛び跳ねそうになっている主人に、竜月がやんわりと注意を促した。
城主代理の午後の予定は城下町北部にある水門の視察からはじまる。中州川に引き入れる水の量を調節する水門は、常に激しい流れにさらされて痛みやすいのだ。
「鉄の水門を設ければ手入れが楽になるんですが、木製の方が有事の際に壊しやすいということで、何十年も今の形で使っとるんです」
「なるほど」
城に外敵が迫った際、中州川の水量を増やして城下町全体を要塞化するのは、中州川が作られた時から用いられる防衛手段だ。ただし、平常時に水門が壊れては大問題なので、毎日欠かさず点検を行う決まりになっていた。時には大臣や上級武官が水門や点検作業に不備がないか確認するのだが、今回はそれを城主代理である与羽が行う。と言っても、担当官吏の話を聞き、水門とそこから中州川へ注がれる水量を目視するだけだが。
「いつもありがとうございます」
水門も官吏の仕事ぶりも問題なさそうだ。与羽は辰海の助言に耳を傾けつつそう結論付けた。
その後は、水門から中州川沿いを歩きつつ、農地の確認だ。田んぼに水が引かれ、その一角で稲の苗を育てているところもある。稲作は今のところ順調だろう。田んぼへ水を引くための用水路は、ごみや泥が取り除かれ、山脈からの雪解け水が澄んだ流れを作っていた。
遠景の華金山脈を見ると、その峰にはまだ雪が残っており、傾いた陽光で赤く染まっている。空にも茜色が広がり、刻々と近づく夜を感じさせた。そろそろ昼間働く人々が仕事をやめ、帰宅を急ぐ時間だろうか。
しかし、与羽にはもう一ヶ所行くべきところがあった。大通りに面する薬師家。与羽はこの日、かつて城主一族の暗殺を企てた元暗殺者に会うと決めていた。
「比呼、遅くなってごめん」
「気にしないで。むしろ、今日の診察が終わったあとに来てくれてよかった」
城主代理とは思えない低姿勢で謝罪する与羽に、比呼はきれいな笑みを見せた。
「えっと、今日は城主代理として話があって来たんじゃ」
「はい。先日いただいた手紙を拝見しました」
与羽はまだ申し訳なさそうに肩をすくめていたが、比呼は目上の人と話すのにふさわしい態度に変わっている。それは、与羽と自分の立場の差を示すのはもちろん、己の心を守るためのものでもあったかもしれない。比呼が受け取った手紙に話の内容は書かれていなかったが、予想はついているし、この日に向けて覚悟もしてきた。
比呼は以前絡柳と話した内容を思い出していた。与羽たちや中州を守るために、間諜として生きてきた際の経験を使う、と。きっと今日はそれを中州国からの正式な依頼として伝えに来たのだ。あえて与羽が城主代理を務めている今、この時に。与羽が頼めば、比呼は断らないと予想して。残酷なやり方だが、絡柳なら大切なものを守るためにやるだろう。
中州国や城下町、そして与羽をはじめとする大切な人々を守りたい気持ちは比呼の中にも強くある。間違いない。しかし、闇の中に戻るのは嫌だと思う。その依頼に与羽を使うのも気に入らない。
自分はこの数ヶ月ですっかりわがままになってしまったようだ。比呼はいつの間にか心のうちに根を張っている自我をやさしく押さえつけた。
「僕は中州の姫君に忠誠を誓いました。ですから、何でも命じてください」
ただ、「中州の姫君」と強調して、与羽のために働くのだと示す。
比呼の言葉に与羽は眉間に軽くしわを寄せた。彼女の後ろに座る辰海の表情は変わらない。ずっと穏やかなままだ。
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