指名は君だけー高層の夜に堕ちる

氷月

文字の大きさ
22 / 38

Lesson17.5 止まっていた時間

しおりを挟む
「……久しぶりね。わたしのこと、忘れた?」

艶やかな声に顔を上げる。

隣の同伴客へ視線を逃がすと、男は酔い潰れて眠っていた。

サナが微笑みながら囁く。

「……ほら、寝てるわよ。ね?隣、来てよ」

胸の奥がざわついた。逃げ場を塞がれるように、ゆっくりと隣に腰を下ろす。

「久しぶりで嬉しい。一年ぶりかしら?」

絡められた指が熱を帯び、強く握られる。

言葉を失ったまま、僕も握り返してしまう。

(なぜだ……心は動かないのに、指先が震える)

「ねぇ、みのるはいくら?」

「……は?サナ、何を言ってるんだ」

「だってホストでしょ?お客と寝ないの?」

「……僕は寝たりはしない」

サナは艶やかに笑い、グラスを口元に運んだ。

「……あら。わたしは寝るわよ。No.1になるために。今はNo.2」

胸の奥がざらつく。

「……最低だな」

サナは指に力を込め、さらに食い込ませてくる。

「最低はどっち?……あんたが逃げたせいで、わたしは変わったのよ」

頭が肩に重なり、香水の甘い匂いが押し寄せる。

(……サナ。もう終わったんじゃなかったのか)

「……ごめん、少し抜ける。すぐ戻るから」

立ち上がり、視線を合わせないまま席を後にした。

ーー控え室へと歩く。

胸は痛むのに、心は動かない。

あの頃のサナは、もうここにはいない。

一方その頃、フロアの別席。

レオは余裕の笑みを崩さず、グラスを合わせていた。

けれど心の奥では、どうしようもなくモヤが広がっていた。

(……みのる、何してる。あの女は誰だ)

控え室のソファに腰を落とし、顔を覆った。

胸が苦しい。

(サナを大切にできないとわかったから……僕は自分から離れた。それが、あの子を壊したのか……?)

記憶が痛みのように蘇り、喉の奥がつまる。

ーーそのとき。

カタッ、とドアが開く音。

「……こういうときに限って、レオは忙しいんだよな」

低く響く声に顔を上げると、リュウが立っていた。

「リュウさん……」

彼はゆっくりと歩み寄り、隣に腰を下ろした。

煙草の香りと、どこか掴めない気配。心臓が少し速くなる。

「みのる。過去に縛られんな」

「……?」

「その時はどうしようもなかったんだろ?」

静かに、確信を帯びた声。

「……自分の気持ちに正直になれ。おまえが好きなのは?」

胸を射抜かれるような言葉に、息が詰まった。

次の瞬間、温もりが頭に触れる。

リュウの指先が、髪をゆっくり梳くように撫でていく。

低い声が耳元に落ちた。

「……堂々としてろ。お前はホストだ。プロ意識、忘れんな」

横顔を盗み見ると、リュウの口元がふっと上がる。

優しさとも挑発ともつかない、どこか危うい微笑。

その笑みに心を攫われた瞬間、肩を強く抱き寄せられた。

――刹那、
身体ごと飲み込まれそうな力強さに、心臓が大きく跳ねる。

至近距離で息が重なり、触れそうな錯覚に思わず息を止めた。

しかし、すぐに腕が離れ、温もりだけが残る。

リュウは立ち上がり、背を向ける。

「……じゃあな」

残された熱と低い声の余韻が、胸の奥でいつまでも鳴り止まなかった。

短く呟き、背中を向けてスッと控え室を出ていった。

残された温もりが、じんわりと肩に残っている。

(……リュウさんって、何者なんだ)

席に戻ると、サナが待っていた。

視線が絡んだ瞬間、胸の奥にざわめきが走る。

「待ってたわ」

艶のある笑みとともに、手を強く握られる。

「サナ……もう僕たちは、あの頃の僕たちじゃないんだ」

口にした言葉は震えていた。

サナは返事の代わりに僕の腕へと組みつき、身体を寄せる。

「……みのるの体も好きだった。

でもそれ以上に、あんたの笑顔が好きだったの。あの頃の私を救ってくれたのは、みのるの優しさだった。だから忘れられないのよ」

その囁きに、喉が詰まった。

言葉を探していると、隣の客が目を覚まし、声をかけてくる。

「サナ? そろそろ店に行かないと」

「そうね、行きましょう」

サナは微笑みを浮かべたが、その横顔はどこか寂しげに見えた。

――エントランス。

タクシーを停め、同伴客が先に乗り込む。

「……じゃ」

そう告げようとした瞬間、サナが僕を抱きしめた。

「やっぱり……みのるだ」

震える声が耳に落ちる。

「……ねぇ、みのる」

腕に絡んだ手に力を込め、艶やかな声で囁く。

「仕事終わったら……また、私のこと抱いてくれる?」

小さく首を傾げ、真っ赤な唇で笑みを作る。

「ホテル、行かない? ……あの頃みたいに」

その瞳は挑発的でありながら、どこか必死に縋るような色を帯びていた。

抱きしめる腕が苦しいほど強い。

「……サナ。さっきも言っただろ? 僕たちは――」

言い終わる前に、名刺を押し付けられた。

「お店の名刺……待ってるから」

悲しい瞳を残し、サナはタクシーに乗り込む。

タクシーが見えなくなるまで、僕は立ち尽くしていた。

手の中の名刺を見つめる。

指先に残るわずかな重みが、胸を鋭く締めつけた。

(……僕の隣にいるべき人は、サナじゃない)

小さく息を吐き、手の中の名刺をゴミ箱に投げ入れた。

乾いた音が、静寂に落ちる。

その瞬間――背後に柔らかな気配が走る。

「……みのる?」

振り返ると、リュウが立っていた。

驚いて言葉を失う僕に、彼は何も言わずゆっくりと歩み寄る。

そして、ためらいもなく頭に手を置いた。

「……えらいぞ」

低く落ちた声が、胸の奥に沈み込む。

張りつめていた何かが、ふっと緩んで、目の奥が熱くなった。

リュウの指が頬に触れる。

零れかけた涙を、無言で拭う仕草。

その指先が、やけに優しくて――息が止まりそうになる。

「……リュウさん、またいたんですか」

震える声を誤魔化すように笑うと、

彼は肩をすくめて、少し照れたように微笑んだ。

「今日の姫客、苦手でさ。逃げてきた」

冗談めかした声なのに、瞳はまっすぐで、

その奥の温度に――また、心が揺れた。

「……ほら、レオが来る。控え室で待ってろ」

そう言って、軽く背中を押される。

温もりが背中に残ったまま、歩き出す足が少しだけ震えた。

(……リュウさんの手、あんなに温かかったんだ)

控え室の扉を閉めても、

頬に残る指先の感触と、あの優しい笑みが、何度も胸の奥で繰り返された。


Lesson18へ
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

入社1ヶ月のワンコ系男子が、知らずのうちに射止めたのはイケメン社長!?

monteri
BL
CM制作会社の新入社員、藤白純太は入社1ヶ月で教育係の先輩が過労で倒れたため、特別なクライアントの担当を引き継ぐことになる。 そのクライアントは、女子禁制ミーハー厳禁の芸能事務所だった。 主人公の無知で純なところに、翻弄されたり、骨抜きにされるイケメン社長と、何も知らない純太がドキドキするお話です。 ※今回の表紙はAI生成です ※小説家になろうにも公開してます

刺されて始まる恋もある

神山おが屑
BL
ストーカーに困るイケメン大学生城田雪人に恋人のフリを頼まれた大学生黒川月兎、そんな雪人とデートの振りして食事に行っていたらストーカーに刺されて病院送り罪悪感からか毎日お見舞いに来る雪人、罪悪感からか毎日大学でも心配してくる雪人、罪悪感からかやたら世話をしてくる雪人、まるで本当の恋人のような距離感に戸惑う月兎そんなふたりの刺されて始まる恋の話。

禁書庫の管理人は次期宰相様のお気に入り

結衣可
BL
オルフェリス王国の王立図書館で、禁書庫を預かる司書カミル・ローレンは、過去の傷を抱え、静かな孤独の中で生きていた。 そこへ次期宰相と目される若き貴族、セドリック・ヴァレンティスが訪れ、知識を求める名目で彼のもとに通い始める。 冷静で無表情なカミルに興味を惹かれたセドリックは、やがて彼の心の奥にある痛みに気づいていく。 愛されることへの恐れに縛られていたカミルは、彼の真っ直ぐな想いに少しずつ心を開き、初めて“痛みではない愛”を知る。 禁書庫という静寂の中で、カミルの孤独を、過去を癒し、共に歩む未来を誓う。

平凡高校生の俺にイケメンアイドルが365回告白してくる理由

スノウマン(ユッキー)
BL
高校三年生の橘颯真はイケメンアイドル星宮光に毎日欠かさず告白されている。男同士とのこともあり、毎回断る颯真だが、一年という時間が彼らの関係を少しずつ変えていく。 どうして星宮は颯真に毎日告白するのか、そして彼らの恋の行方は?

【完結】Ωになりたくない僕には運命なんて必要ない!

なつか
BL
≪登場人物≫ 七海 千歳(ななみ ちとせ):高校三年生。二次性、未確定。新聞部所属。 佐久間 累(さくま るい):高校一年生。二次性、α。バスケットボール部所属。 田辺 湊(たなべ みなと):千歳の同級生。二次性、α。新聞部所属。 ≪あらすじ≫ α、β、Ωという二次性が存在する世界。通常10歳で確定する二次性が、千歳は高校三年生になった今でも未確定のまま。 そのことを隠してβとして高校生活を送っていた千歳の前に現れたαの累。彼は千歳の運命の番だった。 運命の番である累がそばにいると、千歳はΩになってしまうかもしれない。だから、近づかないようにしようと思ってるのに、そんな千歳にかまうことなく累はぐいぐいと迫ってくる。しかも、βだと思っていた友人の湊も実はαだったことが判明。 二人にのαに挟まれ、果たして千歳はβとして生きていくことができるのか。

『2度目の世界で、あなたと……』 ― 魔法と番が支配する世界で、二度目の人生を ―

なの
BL
Ωとして生まれたリオナは、政略結婚の駒として生き、信じていた結婚相手に裏切られ、孤独の中で命を落とした。 ――はずだった。 目を覚ますと、そこは同じ世界、同じ屋敷、同じ朝。 時間だけが巻き戻り、前世の記憶を持つのは自分だけ。 愛を知らないまま死んだ。今度こそ、本物の愛を知り、自ら選び取る人生を生きる。 これは、愛を知らず道具として生きてきたΩが、初めて出会った温もりに触れ、自らの意思で愛を選び直す物語。 「愛を知らず道具として生きてきたΩが転生を機に、 年上αの騎士と本物の愛を掴みます。 全6話+番外編完結済み!サクサク読めます。

無愛想な氷の貴公子は臆病な僕だけを逃さない~十年の片想いが溶かされるまで~

たら昆布
BL
執着ヤンデレ攻め×一途受け

伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい

マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。 最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡) 世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。

処理中です...