指名は君だけー高層の夜に堕ちる

氷月

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Lesson25 刹那の錯覚

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昼が近づく頃

リュウはようやく重たいまぶたを持ち上げた。

カーテンの隙間からこぼれる光が、ネイビーの壁を淡く照らす。

飾り気のないシンプルな部屋。

呼吸の音と時計の針だけが、静かに時間を刻んでいた。

シーツの上で片腕を額にあてながら、リュウは小さく息を吐く。

――静けさが、やけにやさしい朝だった。

(……少し飲みすぎたな)

鈍い頭痛を抱えながら、ベッドの端に腰を下ろす。

昨夜の記憶を辿るたび、

グラスの中で溶けた氷の音と、

カイトから届いた短い一文が、ぼんやりと蘇る。

『俺ら、別れよ。ごめん』

リュウはふっと笑みをこぼした。

痛みというより、肩の荷が下りた感覚だった。

(……だろうな。もう終わってた)

バスルームの扉を開け、シャワーを浴びる。

熱い湯が肌を打ち、髪を伝って流れ落ちていく。

水音の中で、心のざわめきは少しずつ薄れていった。

鏡の前に立ち、濡れた髪をかき上げる。

その横顔には、失恋の痛みよりも――

どこか、次を見据えるような静かな光があった。

「……忘れるまでもねぇな」

ぽつりと呟く。

口の端が僅かに上がる。

もう後ろは振り返らない。

それよりも、

今、胸の奥にわずかに残る温もり――

それが誰のものなのか、自分でも薄々わかっていた。

夜。煌びやかなホストクラブA

クリスマスが終わったばかりのフロアは、いつもより静かに揺れていた。

相変わらずレオは王者の貫禄で、指名客とシャンパンを開けている。

そして――みのるの笑顔。

リツとフロアの死角で、楽しそうに笑い合っていた。

ふと、みのるがマサキに呼ばれて化粧室に消える。

「……二人、何の話をしてるんだ?」

気になってしまう。

――かすかに聞こえてきた声。

「知ってるよ。僕も見た」

「俺は許せね~!クズ野郎!仮面外しやがった!あいつ男やった!」

「マサキ……カイトは性別は男だからね?」

リュウの眉が僅かに動く。

(……カイト?)

胸の奥が鈍く疼く。

「リュウさん!指名ですよ~!」

呼ばれて、何事もなかったように笑顔を作り、席へと向かった。

だが心はどこか上の空。

「リュウ?どうしたの?」と客に首を傾げられても、

「ごめんね?それで?」と柔らかく返しながら、胸の奥はざわついていた。

バックヤードへ向かう途中、

廊下の角で、不意に誰かとぶつかりそうになる。

「あ、リュウさん……あー、今日もイケメンですね!」

軽い声と共に、笑顔が弾けた。

唐突な言葉に、リュウは思わず足を止める。

「……なんだよ、それ。変なこと言うな」

「ごまかしただけ、です」

恥ずかしそうに笑うその顔が、

なぜか胸の奥をくすぐった。

(……やめろよ。似てるんだよ、少し)

光に照らされた横顔――

どこか、カイトの笑い方と重なる瞬間があった。

けれどその奥にある“あたたかさ”は、全く違っていた。

気づけば、手が伸びていた。

柔らかな髪をそっと撫で、一瞬だけ引き寄せてしまう。

驚いたように見上げる瞳。

その視線が、真っ直ぐで、少しだけ甘い。

唇がかすかに触れそうになって、呼吸が止まる。

(……そんな顔、反則だろ)

苦く笑って、自分に言い聞かせるように

その髪にそっと口づけを落とした。

ほんの数秒。

なのに、心臓が痛いほど鳴っていた。

(……どうしてだろうな。似てるから、じゃない。お前の中にしかない光に、惹かれてる気がする)

「……ありがとな」

掠れた声が、自分への言い訳のように落ちる。

みのるは頬を赤らめ、少しだけ目を逸らして笑った。

その仕草に、理性が小さく軋む。

(……駄目だ。触れちゃいけない)

そう言い聞かせながらも、

髪に残ったぬくもりを、指先が離そうとしなかった。

閉店間際。

バックヤードには、疲れを紛らわせるような笑い声が響いていた。

煌びやかな照明が落ちた後の空間は、不思議と落ち着く。

壁にもたれて水を口に運びながら、リュウは一歩引いた場所からその輪を眺めていた。

心の奥底にまだ残る空洞が、少しだけ寒い。

「 シュウ……それとレオ。今日飲みに行かない?」

軽く声をかけてみると、すぐに返事が返ってきた。

「お、いいな。シーシャ行こうぜ」

「シーシャか。……悪くないな」

レオが低く笑う。その声に、不思議と胸が温まる。

「 みのる、ラーメン行かない?」

「やだよ、お肌に悪い」

「 じゃあ雑炊は? 」

「……それなら行く」

「リツ!みのる!俺もついてく!」

楽しげな声と笑いが重なり、夜の静けさをほんの少し押しのける。

眩しいほどの温かさに包まれながら――リュウは目を細め、心の奥の寂しさが少しだけほどけていくのを感じていた。

三人での、いつものシーシャバー。

甘い煙と柑橘の香りがゆるやかに漂い、

薄暗い照明が三人の横顔を照らしていた。

「俺、今日は甘い系。ビールで」シュウは笑う。

「じゃあ俺は柑橘系。ウイスキーの水割りかな」レオが笑い、煙を吐いた。

「……シトラス。ソルティで」リュウが短く言う。

氷がカランと鳴り、三人は静かにグラスを合わせた。

「ようやく四連休だな。リュウ、どっか行く予定は?」

シュウが口の端を上げて尋ねる。

「ん、特には」

いつも通り淡々とした声。

それでも、グラスの中の琥珀が揺れるたび、

わずかに沈んだ影が見え隠れしていた。

「レオは?」

「子犬と遊んでるかな」

「お前、可愛いもん好きだよな」

笑い合う二人を横目に、リュウはぼんやりと煙の向こうを見つめていた。

「でさ、リュウ。カイトとは?」

シュウの問いに、氷が小さく鳴った。

リュウはグラスを傾け、静かに答える。

「……別れた」

「おいおい、マジか?」レオが眉を上げる。

「すれ違いか?」

「……あいつらしいよ。LINE一行で終わった」

笑うでもなく、怒るでもなく、

ただ淡々と呟いたその声に、

わずかな疲労と、どこか別の想いが混ざっていた。

「……そんなのひどすぎるだろ」

シュウの目が潤む。

「は?なんでお前が泣くんだ」

リュウが苦笑する。

その笑顔はいつもより少し柔らかく、どこか遠くを見ていた。

レオが顔を背け、笑いをこらえる。

「おまえら、相変わらずだな」

「俺でどうだ?隣、空いてるぞ」

シュウが茶化すように肩を回す。

「はは、誰もいなかったらな」

リュウが小さく笑った。

それは冗談に聞こえるのに、どこか本音の匂いがした。

「またそうやって軽口を……」レオが呆れながら水割りを一口。

「……本気かもしれないぞ」

煙の向こうで、リュウの声が低く落ちた。

「おいおい、リュウが冗談言うと怖ぇわ」

「仕事で女口説くのは得意でも、俺らには通じねぇぞ」

「……そうかな」

リュウはグラスを指先で持ち上げ、薄く笑う

どこか寂しげな微笑み。

まるで心の奥に誰かの笑顔を思い浮かべているようだった。

(……俺、誰のこと考えてんだろうな)

煙の奥で、リュウの瞳が静かに揺れる。

そのまま薄く唇を開いた。

「……ほんと、変なやつらだ」

氷が溶ける音と共に、

グラスの中で光がゆらりと滲んだ。

その笑みは夜の煙に溶け、

どこか切なく、甘い香りだけが残った。

次へ続く
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