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番外編 甘える瞳の奥に、秘密の牙を隠して
しおりを挟む「みのる、明日から二日だけ《Queen》に行ってくれないか?」
オーナーの言葉に、空気が一瞬で止まった。
「……嘘だろ?」
隣の和希が真顔になった。
「オーナー、あそこはアマゾンに送り込むようなもんだ。ワニがうようよしてんだぞ?」
「可愛い子には旅をさせろって言うじゃないか」
オーナーは悪びれず笑い、グラスを傾ける。
「一人病欠が出たんだよ。君は可愛いからな……ヘルプで行ってもらいたい」
僕は一瞬迷って、それでも口を開いた。
「……はい。経験だと思って、行きます」
和希の横顔が苦く歪む。
(……心配、してくれてるんだ)
◇
翌日、店の前。
「頑張れ。帰りは俺が迎えに行くからな」
和希が低い声で囁き、僕の額に軽くキスを落とす。
「……また夜にな」
「子供扱いしないでよ。……でも、ありがとう」
笑って見送られながら、僕は《Queen》の裏口へ足を踏み入れた。
――扉を開けた瞬間、空気が違った。
グレーのソファ、黒の壁紙。
スピーカーからは低音のビートが響き、タバコと香水の匂いが入り混じる。
座っていたのはピアスに鼻チェーン、タトゥーが覗く男たち。
その視線が一斉に俺へ突き刺さった。
「……お?新人か?」
「ちーっす、よろしくな。可愛いじゃん!」
やけに荒っぽい笑い声に、背筋が冷える。
(マジかよ……ここって……密売の現場?)
「久しぶりだな、みのる」
聞き慣れた声に振り返る。
「……カイト」
そこにいたのは、かつての輝きが消えた男。
瞳に光がなくて、笑顔すらぎこちない。
(……あのキラキラ、どこいったの?)
「ロッカーはこっちだ。Aと同じで接客すればいい」
カイトの首と腕にタテゥーが入っていた
「……ありがとう」
自分の服装――綺麗めシャツに細身パンツ。場違いなのは一瞬でわかった。
「……浮いてるな、僕」
「なんか違うな?もっとパンクにして来いよ。明日はな」
「そんな服、持ってないよ……」
「はじめまして」
柔らかい声が耳に落ちる。
振り返ると、柔和に笑う男がいた。
「俺はレモン。君は?」
「……みのるです」
「へぇ、何歳?俺は二十一。」
「二十歳です。」
「へー。だと学年一つ下だな。よろしく。」
その声だけは、やけに普通で――俺は胸を撫で下ろした。
(……良かった。まともそうな子もいるんだ)
◇
夜七時。開店。
赤いライトが照らすフロアに、派手な服装の姫客やギャルたちが次々と入ってきた。
「はじめまして」
「やだ、可愛い!何歳?」
「……二十二です」
(本当は二十だけど、ちょっとサバ読んだ)
「あんたみたいなホスト、新鮮だわ」
「はは……ありがとう」
軽く笑いながらも、目線は宙に泳ぐ。
(全てが派手すぎて……ここは雰囲気が合わないな、僕)
「おはよう、みんな」
そのとき、低い声がフロアに響いた。
振り向いた瞬間――空気が変わる。
金髪に青い瞳、真っ白なスーツ。背が高くて、まるで白馬に乗った王子様
「今日からヘルプ勤務だね? みのる君、よろしく」
「……ありがとうございます」
頭を下げながらも、心臓が高鳴る。
(なんだ、この人……まぶしすぎる)
遠くで見ていたカイトの表情が歪んだ。
「……チッ。なんかムカつく」
隣でレモンがグラスを傾け、にやりと笑う。
「カイちゃんさ、怖い顔も……いいね」
カイトの視線が鋭くなった。
「……おい、スイッチ入れるなよ」
◇
(やっぱり……ここは“危険な場所”だ)
背中に汗が滲む。
それでも――どこかで期待している自分がいた。
この危うさが、僕の心をくすぐる。
閉店間際、控え室には僕とレモンしか残っていなかった。
ソファに沈むレモンが、じっとこちらを見ている。
「……みのちゃん、ほんと可愛いなぁ。好きな顔だなー」
「え?」
「ねぇ、この店に知り合いとかいる?」
「……いないよ」 (反射的に嘘をついた)
「そっかぁ? さっきカイちゃんと仲良さそうに話してた気がするけどな」
レモンはにやにやと笑いながら、僕の反応を探る。
その時――目が急にチクッとして、思わず手を伸ばした。
「……っ、いてて。ゴミ入ったかも。コンタクトだから余計痛いんだ」
「え、見せて?」
レモンはするりと近づいてきて、僕の顎を軽く持ち上げた。
「……涙目だね。大丈夫?」
不安そうに覗き込んでくると思った、その瞬間。
「……っ!?」
舌先が、瞼の周りをぺろりと舐めた。
「ちょっ、な、なにして……!」
驚いて声が裏返る。
レモンの目は熱に潤んでいて、ぞわっと背筋が粟立つ。
「……美味しい。やば、これ興奮する……」
次の瞬間、ぐっと抱き寄せられた。
腕の力が想像以上に強くて、体温が直に伝わってくる。
「ちょ、だめだって……!」
顔を逸らした僕の視界に映るのは、切れ長の瞳にさらさらの青色の髪、ピンで留めた前髪――
一見可愛い顔が、今はどこか獲物を狙う捕食者のように見えた。
「……みのちゃん、そんな顔されると余計にゾクゾクするじゃん」
耳元で囁き、吐息をかけながら、レモンは名残惜しそうに笑った。
「じゃ、お先に。……また明日ね」
残された僕は、呆然と立ち尽くす。
「……な、なんなんだ、アイツ……」
裏口を出ると、和希が待っていた。
「お、みのる。迎えに来たぞ」
「……アマゾンだった」
「だろ? お疲れ様」
和希が僕の頭をくしゃりと撫でる。
その安心感に、思わず「……よしよし」甘えそうになってしまった。
二日目――。
「よし!今日でラストだ、がんばれよ。あとから迎え来るからな」
和希はそう言って、僕を裏口まで送り届けてくれた。
「おはようございます……」
しん、と静まり返るバックヤード。
「……誰も来てない?」
「みーのちゃ~ん!」
背後から声がして、思わず肩が跳ねる。
「… …うわ、びっくりした……」
「みのちゃん早いね?」
「普通 だよ」
「どう? 慣れた?」
「まだ二日目だし……それに今日で終わりだから」
レモンはにこにこと近づいてきて、ひょいと僕を覗き込む。
「そういえばさ、マサキってAに行ったじゃん?」
「そうだね」
「…マサキさぁ、僕を嫌ってんだよ。なんでかな?」
(…… 性癖ヤバいからに決まってる……)
「…なんででしょうねー」
その時。
バターン、と裏口の扉が乱暴に開いた。
「おはよ、カイちゃん!」とレモンが軽く手を振る。
「……おい、みのる」
低い声に背筋が凍る。
「なんだよ」――僕は咄嗟に声を低くして、男の仮面を被った。
怯えを押し殺し、カイトの鋭い視線を真正面から受け止める。
「おまえさ、サナの元カレだったんだな? サナが言ってた」
「……ああ。だけどもう終わった話だ」
僕はカイトを見上げながらも一歩も退かない。
「今さら蒸し返してどうする?」
「気に入らねぇんだよ。サナは俺の女だ」
「……好きにしろよ。俺には関係ない」
吐き捨てるように言い、口角をわずかに吊り上げる。
「……大事にできるなら、な」
平静を装って睨み返す――胸の奥がざわつくのを押さえ込みながら。
「ねぇ? なんの話?」とレモンが首をかしげる。
その無邪気な声が、張りつめた空気をかすかに揺らした。
「もういいから」
僕はフロアに足を向けた。
「……みのちゃんさ」
レモンが後ろから追いつき、耳元で囁く。
「顔可愛いのに、怒った顔がカッコいいね」
「……そうかな」僕はかすかに微笑んで返す。
「うん。僕はみのちゃん、怒った顔好き~」
「……は? レモンくんは、みんなに言ってるんでしょ?」
「え? 選ぶに決まってるよ。カイトは嫌いだし」
「え?そうなの?」
「そうだよ。あいつ、遊び人のクズだ。指名取るために客とラブホ行ってばっか。枕ホストだよ。最近は女にどっぷりハマってるしな。……みのちゃんが元カレだから、ムキになってんだよ」
(……それなら、リュウさんが別れて正解だったんだ)
胸がちくりと痛んだ。
「ほらほら、二人で喋ってないで!」
来栖が白いスーツ姿で現れ、軽く笑った。
「新規客来てるから、動け!」
「エンジェル入りまーす! イェーイ!」
騒がしい声に、店は一気に華やいだ。
奇抜なファッションの女子たちがソファに座り、奇抜なホストたちが派手に盛り上げる。
ここはやっぱりアマゾンだ。
――閉店後。
「ふー……やっと終わった。死ぬ……無理、この職場」
「みのちゃん、お疲れ様」
「ありがと」
「今日で終わりかー。寂しいな」
「……うん。僕も……だよ」
にっこり笑った瞬間――
「じゃ、最後に!」
「え?」
耳をパクッと軽く噛まれた。
「れ、レモン!?」
「今日は理性あるから大丈夫だよ」
囁きながら、耳たぶに熱を残す。
「僕ね、縛られるのが大好きなの。ふふ……じゃ、またね? バイバイ」
吐息をかけられた耳がじんじんして、足が震える。
――ドアを開けると。
「お、みのる。迎えに来たぞ」
そこには和希の姿。
「……和希~!」
気づいたら涙がにじんでいた。
「お、お疲れ様! よく頑張ったな。アマゾンから脱出だな」
くすっと笑いながら、僕の頭を撫でてくれる。
「……うん。もう二度とやだ」
「はいはい、行くぞ」
強い手に包まれ、そのまま指が絡む。
――和希の匂い。安心する匂い。
胸の奥の不安や恐怖を溶かすように、僕はただ、和希の隣にいた。
終わり
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