大人になっても、恋は止まらない。──独占と余裕のあいだで

氷月

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奏真/番外編(高校時代・逃げた翼、比べられる痛み)

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真夜中。

別荘の天井を見つめながら、眠れぬまま過去をたどる。

――俺は物心ついた頃から、ずっと兄・悠哉と比べられてきた。

「悠哉はすごい」「頼もしい長男だ」
親戚も教師も、誰もが兄の名を褒め称える。
俺の名は、その影の中にかき消されていた。

味方でいてくれたのは父・総一だけ。
それでも、劣等感は澱のように積もっていった。

高校三年の夏。
冷酷にしか見えなかった兄が、不意に柔らかな表情を見せるようになった。
食事の席で「特別な人ができた」と照れくさそうに笑ったとき――氷みたいに冷たいと思っていた兄が、人間らしく溶けていく瞬間を見た。

……その顔を見て、俺の胸に広がったのは羨望じゃない。
むしろ絶望に近かった。
勝てない。敵わない。俺には、何ひとつ。

担任から留学を勧められたとき、迷いはなかった。
「逃げられる」――それだけで、心が少し軽くなった。
父は「お前の好きにしろ、俺は味方や」と背を押してくれた。
けど、飛鳥に打ち明けたとき、俯いて泣きそうになった顔が頭から離れなかった。

空港。
兄は肩を叩き、「元気でな」と笑った。
その目がうっすら潤んでいるのを、俺は見逃さなかった。
(兄さん……泣いてる?)

でも俺は振り返らなかった。
これでやっと、兄の影から逃げられる――そう思ったから。

……背後から飛鳥が走ってきて、泣きながら抱きついたときも。
「勝手に決めんなよ」
そう言って、必死に縋ってきたときも。

心のどこかで、「こいつが居れば俺は保たれるかもしれない」って思ってしまった。

夏休みに南国のキャンパスに会いにきた
飛鳥。

不器用な英語を口にして真っ赤になった飛鳥を見て、初めて笑えた。
(なんでや。なんでこいつは、俺のためにこんな必死になれるんや)

飛鳥の優しさは確かに俺を救った。

笑うときも、黙るときも、俺の痛みごと受け止めるみたいに。
不器用な仕草ひとつで、張り詰めた俺の心をほどいてくれた。

けど――埋まらなかった。
どれほど抱きしめられても、胸の奥の穴はぽっかりと空いたまま。
兄と比べられるたびに、また凍りついていく。

凍った劣等感が、飛鳥の温もりで少しずつ溶けたのは事実や。
あのときの俺は、それを「救い」と呼んだ。

……けど今なら分かる。
あれは救いじゃなく、ただ「延命」やったんかもしれん。

俺は結局――誰かに救われても、兄への劣等感を埋められたことなんて、一度もなかった。



……21歳。日本に呼び戻されたとき、再び兄の会社を訪れた。

――その隣にいた、可憐な人。

胸の奥がざわついた。

俺はそこで、生まれて初めて「兄のものを欲しい」と思った。

兄の大切な人に恋をした。
禁じられた衝動やとわかっていても、目を逸らせなかった。

(……なんでや。どうして俺は、兄さんの持ってるものばかり……)

劣等感は形を変え、渇望にすり替わっていった。
その瞬間から俺は――自分自身を止められなくなった。

(兄さんに……負けへん。絶対に)

そう心に誓ったはずやのに――
気づけば、望んでいたのは“勝利”やなく、兄のもの、やった。





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